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正義の咎人≒罪喰らう虫  作者: エマ
語られずとも良い話
42/48

掲げられた剣



 70年前のこと


「貴族……あいつらさえ居なければ 」


 暖かな日差しが差し込む屋敷。

 とある貴族が住まうその周りには、数多もの人影が蠢いていた。


 彼らは農具を武器としている。

 土を耕すクワを人の頭を割るために、牧草を効率良く集める三股の槍を、憎き貴族へ突き刺すために。


「見ろ、あれが子供だ 」


 一人の農民が指を差した先には、歳には合わない高貴なドレスを着た子供がいた。


「死んだ娘もあれくらいだった 」

「息子が生きていればあれくらいだった 」

「妻が死ななければ子供は生まれていた 」


「「「「すべて貴族が悪い 」」」」


 間違いは連なる。

 彼らの憎悪は正しさとなった。


「っ!!? 」


 鈍い音。

 一人の農民のこめかみに、拳大の岩がぶつけられる。


 農民は即死した。

 けれど石を持つ少年は、倒れた死体にもう一度岩を殴りつけた。


「……なんっ 」


 頭の潰れた死体を前に、誰もが言葉を失う。

 頭を潰した少年は、静かに辺りを見渡した。


「6 」


 投げられ、轟速となった岩が一人の頭を潰した。


「5 」


「っ!! 」


 農民は槍を構えて突撃する。

 少年はその槍の刃を掴み、後ろにいる人間にそれを投げた。


 頭に槍が刺さった農民はもがいている。

 武器を失った農民の首はへし折られた。


「3 」


「ころ」


 クワを振り上げ突撃する二人。

 一人は両目を指に潰され、足が止まる。


 少年はもう一人の胸ぐらを掴み、頭突きでその頭をかち割る。

 それを大きく投げ回す少年。


 彼は目が潰れた人間を死体ごと押し潰した。


「1 」


「うわぁぁぁあ!!!! 」


 錆びた包丁を持って突撃する生き残りの女。

 少年はその顔面を蹴りあげた。


「っ……あっ? 」


 鼻血を吹き出し、尻もちをついて困惑する女性。

 少年は落ちていたクワを振り上げ、


「0 」


 その頭を薪のようにかち割った。


 森の中は悲惨に満ちる。

 卵を落としてしまったように。


 (から)は散らばり、(しろみ)は広がり、(きみ)は崩れている。


「おい!! 貴様は何者だ!! 」


 遅れてやってきた鎧を纏う兵士たち。

 彼らは死体の中心にいる赤髪の少年へ槍を向ける。


 誰がどう見ても、彼が虐殺したようにしか見えなかったからだ。


 けれど少年は焦らず、無抵抗を示すように両手を上げ、血ですら色褪せない翡翠の目を彼らに向けた。


「リシュア・カタスラフィ。王族直属の護衛人だ 」


「……お前が? 何か証拠は」


「何事ですか? 」


 疑う兵士たちの後ろには、ドレスを着た青髪の少女が威厳ある顔で立っていた。


「ロリューレ様!? 見ない方が」


「歳は幼くとも、惨状には慣れております。ご心配なさらず。それで……何事ですか? 」


「怪しいものを捕らえようと 」


「彼は私の護衛人です。怪しいものではありません 」


「しかし」


 兵士は大人である。

 けれど下から覗き込まれる冷たくも輝かな子供の目に言葉を詰まらせた。


「直属の護衛人を貶すことは、私を貶すことと同意義です 」


「……すみません 」


「今のは聞かなかった事にします。下がりなさい 」


「「はっ!! 」」


 兵士を下がらせたロリューレは、リシュアに哀れみの目を。

 後ろに転がる死体たちに祈りの合掌を捧げた。


「ご両親のことは残念に思います。けれどあなたは騎士。その誇りを穢さぬよう、剣を使ってください 」


「……下らぬ誇りだ 」


「……あなたに必要なのは時間です。護衛は別の者に任せますゆえ、どうかお休みください 」


「……かしこまりました 」


 ロリューレの言葉に負けたリシュア。

 彼は血溜まりに膝を付き、その場を後にした。



 リシュアの一族は、王族直属の護衛人である。

 その血に従い、彼の両親も護衛人。


 けれど彼の両親はもう居ない。

 騎士として誇りを持って、命を落としたのだ。


「……… 」


 桶に溜まる冷たい水を被ったリシュアは、水たまりに写る己を見た。


 両親の面影が残る顔。

 その顔を見る度に、両親の顔を忘れたような気がして憂鬱に苛まれるを繰り返す。


 彼は誇りなどどうでもいい。

 ただ、両親に生きていて欲しかったのだ。


「……花を買わなければ 」


 彼は花屋に向かった。

 有り余る金を使い、無駄に大きな花束を買い求める。


 リシュアの足は由緒正しき者だけが埋められる墓場へと向かっているが、その心は晴れていない。

 墓場など、死体が埋まっているだけなのだから。


 死者の意味など生者が都合よく変えるものなのだから。


「……… 」


 雑に花を落とすリシュア。

 文字と骨だけしか残っていない墓場には、花に意味はない。


 少なくとも失ったばかりのリシュアにとっては、そうとしか思えなかった。


「……そこのキミ。もしかして、カタスラフィ家のご子息の方かな? 」


「誰だ? 」


 リシュアに声をかけたのは、身なりがいい服を着た貴族の男だった。


「私はサダラリア。キミのご両親に護衛されていた者だ……ご両親のことは残念だった 」


 男は帽子を手に取り、墓の前で祈ってみせた。


「だが、ご両親は平和のために死ねたんだ。それは幸いと言うべきかな 」


 独り言のように呟かれた言葉。

 それはリシュアにとっては、傷をヤスリで撫でられたに等しい冒涜だった。


「……父さん達は市民に殺された。騎士として剣を抜かず、一人一人に頭を叩き割られて死んでいった……それの何が幸いだと? 」


「あぁ、痛ましい事件だった。けれど彼らは誇りを貫いたんだ 」


「お前が助けなかったの間違いだろ?? 」


 少年の痛ましい問いに、貴族の男は心底不思議そうに首を傾げた。


「あぁ、確かに私はあの事件の目の前にいた。けれど護衛は彼らの仕事だ。非力な私が手伝ったとて、邪魔になるだけだろう? 」


 リシュアの頭に、熱い怒りがほとばしる。


「それに、私は金を出した。契約書もだ。それに文句を言われる筋合いはないと思うが? 」


「両親の……俺の父さんと母さんの名前を……言ってみろ 」


 黙れという警告だった。

 犠牲を他人事とする男にはそれが分からなかった。


「……なんだったかな? まぁ、平和のために死ねたんだ。それを仕事にする彼らにとっては本望だろう 」


 リシュアの中で怒りが泡のように弾けた。

 無言。けれど本気で。


 リシュアは男を殴った。


「な、なぜだ!? キミの家は名家の出だろ!!? なぜ考え無しに人を殴ることが」


 色々と、リシュアは思うことがあった。


 けれど彼の表情を一言で表すなら、『うるせぇ』だ。



「サダラリア家のご子息を殺そうとした罪。彼は18本の歯を失い、頭蓋すら粉砕されている。キミは40年投獄だ 」


「……… 」


 裁判を受けたリシュアは、そのまま地下の牢屋に閉じ込められた。


 雑に敷かれた薄く貧相な藁の布団。

 冷気のみが忍び込む地下の窓。

 外されることの無い氷のように冷たい枷。


 そんな場所に40年の投獄など、発狂する者が居てもおかしくは無い。

 けれどリシュアの心は、こんな場所よりも寒かった。


(強者にしか剣を抜かないのが騎士の誇り……なら、素手で殴れば良かったじゃないか。父さん力あるし、母さんも俺より強いだろ )


 不貞腐れるように壁へ寄りかかるリシュア。

 けれど彼の傍には、慰めてくれる人はいない。


「なんで死んだんだよ、クソ親父共が 」


 両親が守った誇りなど、生き残った息子からすれば無価値なものだった。

 ただ彼は、そばにいて欲しかっただけだ。




 牢屋に舞い込む風は、段々と暖かくなっていた。

 色濃い葉が舞い落ち、時と共にそれは枯れていき、大量の雨が降り、枯れた葉がカラカラと音を鳴らし、溶けるだけの雪がパラパラと身を投げる。


 十度。季節は循環した。

 十年。リシュアは檻の中に居た。


 そしてある日、彼は檻から出された。


(処刑か? )


 すっかり髭の生えたリシュアは、もはや少年としての面影はない。

 年老いた老人と言われても誰も違和感はないほどだ。


「ここだ 」


「……ここは? 」


 そこはだだっ広い庭だった。

 数多もの貴族たちは笑顔を浮かべ、自分が向かわせられる場所だけは人が居ない。


 ただあるのは、二本の手入れが行き届いた剣だけだった。

 

「決闘だ。相手を殺せればお前は無罪放免。殺されればそれまでだ 」


「……誰がこれを? 」


「おぉ! 来たぞ!! 」


 辺りの人々はざわつく。

 リシュアを案内した兵士も立ち去った。


 そして一人、黒いローブを着た誰かがリシュアの前に立ちはだかった。


 ローブの上から分かる骨格は女性に近い。


「……誰だ? 」


「……… 」


 何も言わぬローブの女は、一方の剣をリシュアに投げ渡す。

 そして残った剣を鞘から引き抜いた。


「始まるぞ 」


 見物人たちのざわつきと共に、外から投げられた槍が地面に突き刺さる。

 それは決闘の合図。


 と共に、リシュアは剣を蹴り飛ばす。


 轟速。

 抜き身の剣がローブの女へと迫る。


 けれど構えられた剣先は、それを音もなく受け止めた。


 静寂と共に舞い上がる剣。

 ローブの女は、小さな手でそれを受け止めた。


「……… 」


 風が吹く。

 リシュアは見た。

 目の前にある剣先を。


「っ!? 」


 リシュアは身を捩って躱し、その捻りを利用して蹴りを放つ。

 けれど華麗な刃。


 ガラスに滴る雫のように滑らかに動かされた刃は、リシュアの腱を優しく切り裂いた。


(痛みがない? )


 リシュアは困惑した。

 けれどもう片方の足で砂を掻きあげ目くらまし。


 そのまま地面を蹴ろうとするリシュア。

 けれどその顎には、いつからか放たれた刃先が触れていた。


「っ…… 」


 ハラハラと落ちるリシュアの髭。

 その肌には傷一つ付いていない。


 力量の差は明確。

 けれどリシュアが驚いたのはそこでは無かった。


 風が吹き、フードの下から現れた素顔。

 それはリシュアの見知った人物だった。


「……ロリューレ様? 」


「えぇ、ようやく気が付きましたか 」


 短く切られた炎のような髪と、柔らかくも芯のある笑み。

 リシュアの記憶の中に深く刻まれたそれは、当時護衛対象であったロリューレだった。


「なぜ……あなたがこんな事を? そもそもあの剣の腕は 」


「あなたが捕まって10年。ひたすら修練しました……びっくりしてくれましたか? 」


「えぇ……とても 」


「皆の者!! 聞け!! 」


 幼少期よりも背が伸びたロリューレ。

 彼女はローブを脱ぎ捨て、その下にある赤の軍服を見せつけた。


「ロリューレ家は兵を動員し、次なる戦争に備え軍を作る!! ハインド・ロリューレの名の元に! この咎人を軍へと引き入れる!! 異論あるものは前へ!! その決意を甘んじて受け入れよう!!! 」


 誰も異論は上げなかった。

 上げれるわけがなかった。


 それが分かっていてロリューレは間も開ける。

 そしてもう一度、自信を示すように息を吸った。


「これより! リシュア・カタスラフィは我が軍のものだ!!! 」


 そうして罪人(リシュア)は兵士となった。

 けれど一つ、疑問が残る。


「ロリューレ様、なぜ私のためにそこまで? 」


 案内された執務室で、リシュアは問う。


「お前に恩があるからだ 」


 動揺することなく、ロリューレはそう言い切った。


「10年前、お前は何度も私を助けてくれた。暗殺者から、不満を持つ市民から、権利を奪おうとする腐敗した貴族から。その恩を返しただけだ 」


「たかがそのためですか? 」


 けれどリシュアは理解できない。


「10年修行したと仰りましたね? その間の立場は? そもそも軍を作ったなど……まさか追放されたのですか? 」


「えぇ、その通りです 」


「理解できません。たかが私のために 」


「そう言うのであればこう返しましょう。あなたのご両親も、たかが亡くなっただけです 」


「っ!! 」


 リシュアのことを知っていれば、それがどれだけの地雷かは明確。

 けれどロリューレはその地雷を気高くも踏みつけ、リシュアに詰め寄った。


 息遣いを感じるほど近く、目をそらす事もできない距離に。


「他人からすればどうでもいい事など、本人からすれば、すべてを投げ売れるほど大事なものなのです。何度でも言いましょう、私は恩人に恩を返した。それだけです 」


「……私は 」


「そして、これからの事はあなたが決めるべきです 」


 ロリューレは決闘に用いた剣をリシュアに差し出した。

 あの時は気が付かなかったが、今の彼は気がついた。


「……父さん達の 」


「死者の価値は生者が決めるもの。では、救われた命で、あなたは何をしますか? 」


 逃れられない問い。

 目の前にある課題。


 躊躇い、口をつぐみ、腹を括ったリシュア。

 彼はその場で膝を付き、剣を胸にロリューレを見上げた。


 まるで騎士が、その誓いを叫ぶように。


「ロリューレ様。私を弟子にして頂きませんか? 下らぬと捨てた誇りを、自らの弱さで否定した両親の誇りを。今一度拾うチャンスをください 」


「代価は? 」


「あなた一生の剣となりましょう 」


「それでは……誓いを 」


 そっと差し出されたマメだらけのボロボロな手。

 リシュアは躊躇うことなく、その手に口付けを交わした。


「元護衛として、あなたに救われた者として。私はあなたにこの命を捧げましょう 」


「よろしい。それでは身だしなみを整えなさい。今日からあなたに休む日はありません 」


「かしこまりました 」


 その誓いを元に、彼は今一度護衛人となった。


 職務だから守るのではなく。

 恩を返すための、すべてを敵に回しても彼女を守る、生涯の護衛人と。




 

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