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正義の咎人≒罪喰らう虫  作者: エマ
罪喰らう虫
17/48

第七劇 真相罪悪



 数年前のこと。



「みんな……どうなった? 」


 ごみ溜めのような街。

 でこぼこで整備などされていない道をノアは歩いていた。


 フラフラと、冬空の元。

 十歳にも満たない少女が一人で。


 彼女は自警団のボス。その娘だった。

 けれどある夜にアジトは無数の襲撃を受けた。


 炎、鉛の雨、兵器の爆撃、冷たい刃。

 見知った仲間は骸となり、父も母も見せしめのために首だけを持っていかれた。


 残った死体の前で泣いていたノアは、辛うじてリシュアたちが連れ出した。

 が、ショックのあまり、彼女は両親が死んだことすら思い出せていない。


 心が自衛のために、記憶を壊していた。


「そうだ……今日、私の誕生日だ。お父さん達が祝ってくれるって……お母さんがケーキ作ってくれて、リシュアが珍しい物をくれて……なんで私、外にいるの? 誰の血? 」


 ぼんやりと問うが、誰も彼女に答えをくれない。

 その代わりに、


「……あの 」


「……? 」


 彼女の前には三人の男が現れた。

 見た目は一般人。けれどノアの直感は告げていた。


 彼らは裏の人間であると。


「迷子ですか? 私たちが案内しましょ」


「っ!! 」


 ノアは走る。


「追え!!!! 」


 穏やかな声から一転。彼らは殺意と怒号を振りまくりノアを追いかける。


 ノアは裏の人を見る機会が多かった。だから嘘や隠し事はすぐ分かる。


 だか体は所詮子ども。

 体力の限界などすぐに来た。


(なんで追ってくるの!? 誰? 何か悪いことした!? 謝る逃げな)


「あっ……うっ? 」


 転んだノアは自分の足を見た。

 裸足だった。親指の爪は、整備されていない地面に引き剥がされている。


「いっ 」


 吐きかけた悲鳴をノアは慌てて飲み込む。

 けれどそれを聞き逃すほど、追っ手は無能では無い。


 彼らは獲物を捕まえた続けた。

 だから今を生きている。


「ん? 」


 追っ手は声がしたであろう路地を覗き込む。

 けれど誰もいない。


 汚いゴミや砕けたガラスだけが無惨に転がるだけだった。


(ゴミの中? あの一瞬で? )


『パリンッ 』


「っ!! 」


 思考する間もなく、後ろの家から何かが割れる音がする。


 彼は迷う。

 けれど追跡者は本能に逆らえず、音の鳴るほうへと走っていった。


 極上の獲物が二人。ゴミの中に隠れていることも知らずに。


「行った!? 追ってくる変態草食系男子行った!!? 」


 超小声で喚く若い女性は、ゴミ袋の中から顔だけを出していた。

 女性はノアを隠す直前に、そこらに転がるビンクズを反対側に投げていたのだ。


「いやぁなんとかなって良かった……大丈夫? 」


 女性はやや短すぎるショートカットを弄りながらも、抱きしめているノアに優しく問いかける。

 けれど当然、ノアはもがもがと抵抗をはじめた。


「わっ、落ち着いて。私は助けたんだよ? 」


「信用できるか!! 」


「言われてみたら確かに!! 」


 ノアは正論を返した。

 名も知らない女性も半泣きで正論を返した。


 そのせいで二人の間には妙な空気がたまり込んだ。


「えっとぉ……じゃあ自己紹介がしようか。リース・リヴィエンタ。これで初対面じゃないね!! 」


 彼女からは害意を感じられなかった。

 だからこそノアは警戒していた。


 この街で害意無きものなど、虫くらいしか居ない。


 自ら喰われ、腸を貪る寄生虫か。

 自ら喰われることを目的とする毒虫か。


 それが分かっていたのに、ノアは油断した。

 それほどまでに彼女は弱そうに見えた。


「……ノア 」


「ノアちゃん、よろしくね。じゃあ逃げよう!! 怖いイケメンさん達が来ないうちにね 」


 リースはふわりとノアを抱きあげ、ドタバタと全力で路地から逃げる。

 そして着どり着いた場所。

 そこは普通の街中の一軒家だった。


「ここ私の家!! 」


「普通…… 」


「ここリビング!! 」


「狭い 」


「ここ空き部屋!! 好きに使ってね!! 」


「……えっ? 」


「じゃあ治療するから足見せて 」


 何も言う暇もなく指先に消毒液をかけられるノア。

 その表情が苦悶に染るより速く、リースは治療を終わらせた。


 割れた爪の処理、指先にはカワイイ小動物の絆創膏まで巻かれている。

 

「はい、終わったよ。速いでしょ? 昔から手当だけは得意だから!! 」


「ありがと……それで、あなたは父さんの知り合い? 」

 

 少し冷静になったノアは疑問に思う。

 この手当てをしてくれたリースという人が何者なのかを。


 けれども問われた彼女は首をかしげ、目を点にし、しまいには頭の上にはてなマークを浮かべたのだ。


「えっ、誰? 」


「じゃあリシュアの? 」


「誰ぇ? 」


「……ヴィアラの」


「なんだか綺麗な名前だね……それで誰? 」


 駆け上がる悪寒。ノアは後ろに飛び退いた。


「おまっ……誰だ!? 」


「えっ、一般人だよ? ただ悪い大人たちが金髪の女の子を探してるって知ってるだけ 」


「……差し出すのか? 」


「いいや? 家族にしようと思って!! 」


「……? ……!? 」


 ノアの顔は引き攣り、背中にはじわりとした汗が滲む。


 異質な目の前にいる(リース)

 それ程までにヤバいやつなのだと、ノアは心と体で理解した。

 

「あぁ誤解しないで。無理やりじゃないし、ノアちゃんの仲間が迎えに来たらちゃんと解放するから。それまでここを隠し宿として使ってよ 」


「なんでそんな……都合のいい事を 」


「罪滅ぼし、それと善意 」


 ノアの手を取ったリース。

 そして彼女は、嫌悪すら覚える優しすぎる笑みを浮かべた。


「翼を怪我した鳥をすくい上げるような、枯れた花に水を注ぐような。そんな善意で私は君を助けるよ。だから存分に利用して? 」


 普通の人ならばただの異常者に見えるだろう。

 けれどノアにはその目に見覚えがあった。


 それは極たまに、裏へと現れる異質。


 誰かを救うしかできない異常者。

 救うことが生きがい。などでは済まされず、救うことでしか生きられない欠陥の人間。


 だからその目は裏切らない。

 彼女らは、誰かを救うことでしか救われないのだから。


「……分かった 」


 ノアの頷きに、リースは頬を赤い暖色に染めた。


 すりすりと頬ずりをされるノアは嫌な顔をしていたが、その頬はほんの少し赤に染まっていた。


「良かった〜。私一人でここに住んでるから寂しかったんだよ 」


「……? 誰もいないのか? 」


 とうぜん疑問に思うノア。

 なぜならこの部屋は男部屋だからだ。


 ベットも掛けられた服も机の上の置物でさえも、男用のものだった。


「うん? あぁこの部屋? 弟の部屋だよ 」


「帰ってきたら困るんじゃ」


「帰ってこないよ、私のせいで 」


 昼に夜風が吹くような不気味な声。

 ノアは初めて身の危険を察知した。


(……壊れてる )


「でも大丈夫。帰ってきたらちゃんと出迎えるつもりだから……大丈夫!! だから気にしないで? 」


「えっ? 」


 ふと、扉が開いた。

 二人だけしか居ないハズの家で、物音一つなく。


 そして人影が部屋の中に写し出された。


「……なるほど 」


 妙に納得したような女性の声だった。

 瞬間、リースは音もなく彼女に飛びかかる。


 リースの背中はノアの視界を遮っていた。

 だから女性の顔が見えなかった。


 だが次の瞬間には見える。


 吹き飛んだリースの腹の穴からクッキリと。

 返り血を浴びるやけに白い肌を持つ女性が見えたのだ。


 彼女は白いワンピースを身にまとい、その腕には純白の義手をつけていた。


 白い義手。

 そんな物を付けられるのは、この都市にはアイツらしか居ない。


「円卓の騎士…… 」


「ふむ。キミが逃げてると噂の娘さんかな? 」


 一瞬で正体を看破されたが、ノアは逃げられない。

 足の怪我、まだ生きているかもしれないリースの安否。


 それが足枷となっていたからだ。


(……殺される )


「あぁ。勘違いしてるところ悪いけどさ、私はもうすぐ死ぬから。キミを捕まえる元気はないよ 」


「……はっ? 」


 死んだリースを綺麗に寝せる円卓の騎士。

 彼女は長いため息を吐き、どっこいしょと言いながらノアの隣に腰掛けた。


「自己紹介。クソみたいな円卓 ランスロット。名前はリル……ただのリルだよ 」


 雨のように浴びせられた無数の名。

 困惑するノアにとっては、そんな事はどうでも良い物だ。


「死ぬって……なんの冗談? 円卓が死ぬなんて有り得ない 」


「私たちをなんだと思ってるの? 円卓だって死ぬよ、私は円卓で一番弱いからね〜 」


「そうじゃなくてなんで死ぬ……いや、なんでリースを殺したの!? 」


 溢れ出した困惑。

 けれどリルは首を傾げてふふんと笑った。


 彼女は異常者だ。


「殺してないよ、彼女は自爆しただけ 」


「……はっ? 」


 さらに困惑するノア。

 その表情を面白がるようにリルは笑う。


「あれは裏でも稀な自爆装置だよ。ほら、極小針の暗殺道具あるじゃん? あれを自爆と共に敵へ飛ばす。そうすると、爆発に驚いた敵の頭にビッシリと極小針が突き刺さる。結果はまぁ……うん、脳細胞ズタズタの臓器不全かな? 死ぬのは遅いけどね〜 」


 嘘をついている雰囲気じゃなかった。

 だからこそノアは恐怖した。


(嘘じゃないでもなんでそんな冷静にそもそもリースがなんでそんなのをアレは嘘? 私を殺したかったの? 何が本当でどういう事? )


「困惑しなくてもいい。一つ一つ紐解いていこう 」


 ぐるぐると目を回すノアを置いて、リルはワンピースをなびかせクルクルと回る。


「私は頭が良いんだ。一目見ればその人の過去がわかる 」


「……? 」


「彼女は虐待を受けていた。それで弟が亡くなった、そして自分が死ねば良かったと思ってた。だから誰かを守るために生きたい、誰かを救って死にたい。そんな矛盾を孕んで苦しんでいた。だからあんな危険なものを身に付けていたんだろうね 」


 子供を誤魔化すような全く信ぴょう性のない言葉の羅列。

 けれどそう納得しなければ、さっきまで笑っていたリースが自爆する理由は見つからない。


「酷いよあれは。体の中にいつ爆発するか分からない爆弾を入れるような物だから。もう彼女は日頃から壊れてたんだろうね……それ程までに重たい罪悪感だったみたい 」


「なんで……躱さなかった? 」


 ノアはこう言いたかった。

 円卓である者が、あれを躱せないはずは無いと。


 その問いにリルは、さらなる笑みで答える。


「誰かが受止めてあげないと可哀想じゃん。それに彼女、最期は満足したみたいだしね……ほら 」


 指さされたリースの死体。

 それは死体に見えなかった。


 口元は笑い、目元も笑い、血色こそないがまるで今にも笑い声を上げそうな。

 不気味で柔らかい笑みを浮かべていた。


「もし躱してたら、きっと彼女は後悔の中で死んでいた。今度は守れたという充実感で死ねたんだ。良かったじゃないか 」


「そんなこと……分かるわけ」


「さて、次はキミへ質問だ 」


 リルはピタリと動きを止め、まっすぐノアを見つめる。

 その目には捕食者のような圧迫感があった。


「彼女の意志を()み、私は死ぬまでキミを守り通そう。そしてキミは、生き残った後どうしたい? 」


「どうって…… 」


 逃げていた問題がノアの前に立ち塞がる。


 アジトは崩壊、両親の安否は不明。

 仲間の生死も、そもそも自分がいつまで生きられるかも分からない。


 この円卓の騎士に、気まぐれに殺されるかもしれない。


(でも )


 足元に感じる死の冷たさ。

 けれど臆すことなく、ノアは啖呵を切る。


「私が自警団を復興させる。あの組織を動かし続けた、父と母のために 」


 瞬間、ノアの脳裏には首のない死体がチラついた。


(……誰の死体だ? なんで私が泣いている? 父さんはどうなったんだっけ? なんで復興を目指してるの? )


 それが死んだ両親であることを分かっていない。


「うん! いい心意気だね 」


 グイッと顔を寄せるリル。

 ノアはビックリして後ろに飛び退いた。


「……お前、そんなんで本当に死ぬのか? 」


「うん、脳みそが終わってるよ。そのせいでハイテンション!! まぁ目標も決まったことだし 」


 リルは机の上の鉛筆を手に取った。

 そしてふわりと壁に寄りかかると、鉛筆を指で挟み、デコピンで吹き飛ばした。


 その先端は壁を貫通。

 静かに盗み聞きをしていた追っ手の脳を、無音で貫いた。


「ご飯にでもしよっか 」


 そして始まったのは、奇妙で歪な生活。

 ひび割れた人間たちが壊れていく狂気の日常。



ーーー



 殺される側の犯罪者、殺す側の円卓。


 この家ではその両者が暮らし、あろう事か騎士が犯罪者を数々の追っ手から守っているのだ。


「へ〜、頭いいねキミ。その歳でもうこんな本読めるんだ 」


「馬鹿にするな。もう9歳だ 」


「うんうんいい子だね〜 」


 甘ったらしい声を上げながら、エプロン姿のリルは大きなハンバーグをひっくり返す。

 その隣には死体が三つ転がっている。


 それを見ているノアは、ふと不思議に思った。


「お前は本当に騎士なのか? この街の騎士は、皆平等を掲げてる。なのにお前はすごく……変だ 」


「まぁ平等なんかクソ喰らえ〜って思ってるしね 」


「……どういう意味だ? 」


「例えばさ、16年間虐待されていた少女が居るとしよう。あぁ暴力じゃなく精神的苦痛でね? 彼女は自由になりたかった、だから勇気を持って家族を殺したのに、誰も助けてくれず、待っているのは平等な制裁だけ……ハハッ、笑える平等でしょ? 」


「それは……お前の人生か? 」


「いいや、私は臆病だったからね。殺せなかったよ。だから自警団は有りだと思ってる。平等は人を守るだけで救わないものだから、救われない人たちの拠り所になる。まぁでも、危うさは含んでるね 」


 リルはハンバーグを皿の上に乗せ、血の着いたエプロンを脱ぎ捨てた。


「悪とは腐りやすいものだから。自警団の人員を増やせば増やすほど、統率は取れなくなっていく 」


「でも……人員がなければ多くを救えない 」


「だから絞ることが大事なんだよ。何を救い、何を見捨てるか。ぜんぶを救おうとして、無理に人を増やす。そんな事をすれば何を組織に入れるか分からないでしょ? それに 」


「それに? 」


「自警団となれば、騎士を相手にすることになる。社会を維持するには抑止力がいるからね、勝手に暴れる自警団なんて騎士からメッタメタにされる。割に合わないよね 」


 へへへと笑うリル。

 少しの間考え、教師へ問いかけるようにノアは質問した。


「どうして自警団だけ認められないんだ? 」


「理由は色々。環境や時代によって理由は変わるけど……まぁ強いて言うなら、失敗した時かな。ほら、冤罪で人を捕まえ、処刑しちゃいましたとするじゃん? そしたら謝って済むわけ無いでしょ? じゃあ誰が責任を取る? 」


「間違った人? 」


「じゃあ殺した責任をどう取ろうか? 」


「……死ぬ? 」


「うん、死んで償いました〜。じゃあ次の事件、自警団みんなで追って殺した人が、実は冤罪だと分かりました。誰が責任を取ろうか? 」


「…………… 」


「こんな風にね、責任を取る方法が確立しないんだよ。でも騎士の場合はさ、責任を取る人が居るでしょ? 部下が冤罪で殺してしまったとしたら、上の人が責任を取ればいい。まぁそれはそれで問題はあるんだけどね〜 」


 リルの言っている話は難しいものだった。


 失敗は許されない。が、人とは失敗する生き物。

 その失敗の責任を取る者が居なければ、きっと失敗をもみ消そうとする輩が増えるだろう。


 そうならば新たな犯罪者を増やすだけだ。


 騎士も自警団も平和のために戦っている。

 だが人には変わりない。


 失敗をした時、どう責任を取れるか。

 その責任でどう被害者たちを納得させるか。


 要は、失敗した後のことを考えられているかの話である。


「何が正しいか……分からないな 」


「完全に正しい物なんてこの世にないよ。だからこそ、正しいと思い込むのは危険なんだ 」


 リルは作っていたソースを肉の上にかけ、机にコンっと優しく皿を置いた。


「はい授業はおしまい。ご飯食べよ 」


 食事をし、追手を狩り、また学ぶ。

 そして二人は死体が転がる部屋で、布団に入っていた。


 ピッタリと、どこか壊れそうな体を支え合うように。


「どうしてお前は……円卓にいるんだ? 」


「ん〜? 旦那と息子がいるからね。円卓がクソだと思っても……好きな人たちを裏切りたくはないよ 」


「じゃあ……ここに居て良いのか? 」


 ノアは壊れているのに心配した。

 リルはひび割れた笑みを返した。


「私は心が弱いからね〜、キミを見捨てられないんだ。このまま去れば、きっと後悔で苦しみ続けるだろうから。私にはそっちの方が苦しい 」


 壊れたもの達は語り合う。

 そして夜が明けた。

 


「さぁご飯だよ〜 」


 蛆が肉を()す傍らで、二人は食事をとっていた。

 朝食はステーキだった。


「美味しくてソースをかけてさ、油を入れて毒を入れよう。美味しいね……あごめん。頭がバグってた 」


「ところでお前、自警団の人員を募るにはどうしたらいいと思う? 」


 会話が噛み合っていない二人。

 けれど会話は続いていく。


「いい待遇かな? 飲食と安全な寝室があれば結構人な集まるよ。志で集めるのはタブー。心なんてコロコロ変わるものだし、強い人は群れなくても一人で進んでる。それに、高すぎる忠誠心は利用されやすい 」


「そうか……どうしたらいいんだろうか? 」


「私ね、学校の先生になりたかったんだ 」


 二人は笑っている。


「そうか。ならないのか? 」


「うん。もう人を殺しすぎた。でも今は楽しいですかね? 」


「そうか。なら良いじゃないか 」


「ね〜 」


 リルの脳細胞の殆どは機能を停止していた。

 ノアの心はあの事件を思い出せないほど壊れていた。

 けれど追っ手は、リルの手によって叩き潰される。


 彼女の脳は、自らよりもノアを守ることを優先していた。


「私さ〜、子供産めないんだよね 」


「それは辛いことなのか? 」


 妙に掃除の行き届いた風呂の中。

 湯船に浸かりながら二人は笑いあっていた。


「産めないことは辛くないよ。でもさ、時々不安かな。愛の形が分からないから、失いそうで不安になる。だから形に残る何かが欲しいの。愛し合っても愛情と満足感が残るだけで、形は残らない。このまま生きてて、形を残せず、次第に冷めていく愛だけが残るのかって考えると……辛いかな 」

 

「私はよく……分からない 」


「辛いことは分からなくていいよ。こんな辛い気持ちにはなって欲しくない 」


 湯船の中で二人は寄り添い合う。


「息子のことは……愛しているのか? 」


「もちろん大好き!! でも忘れられないんだよ。いくら愛を注いで、注がれても、この子は他人なんだって……あーぁ、馬鹿になりたいな 」


「そうか…… 」


 自覚していないが、ノアは失った母性を求めてリルに擦り寄った。

 リルはほのかに残る母性でその体を抱きしめた。


 そして夜が明けた。


「ご飯作らないと……ご飯作らないと 」


 抑揚のない声で目が覚めたノアは、扉にぶつかり続けるリルを見た。

 その目は虚ろ。

 扉を開けることすらできていない。


(こいつ……本当に死ぬんだな )


「あれおはよう? 起こしちゃった? 」


「平気……起きる 」


 部屋に横たわるリーズの死体からは、鼻の奥をピリリと刺激するような痛んだ臭いがしていた。


「ご飯……溺食善(できたよ)


「そうか 」


 朝食はステーキだった。

 なぜかこの家にはたくさん肉がある。


「最近お客さんが多いね。お酒どこにあるか知らない? カルマが買ってきてくれたヤツ 」


「分からない 」


 天井を見つめ続けるリルの手を握るノア。

 二人はゆっくりと席に着き、丸焦げのステーキを口に入れる。


「ユフナはすごい遠くにいるからさ、なかなか会えないんだよね。でもこの前花とか髪留めとか送ってきてさ、ビックリして泣いちゃったんだ〜 」


「そうか 」


「ねぇノア 」


 リルはふらりと立ち上がると、ノアの首を掴んだ。


「逃げることも大事だよ 」


 ハッキリと目を見るリル。

 この言葉だけはノアに伝えたい。その意思が止まった脳を無理やり動かした。


「逃げたら失う。でも自分すらも失う訳じゃない。逃げて生き延びれば、それ相応の幸せが手に入るから。生きていれば必ず、幸せだと思える日が来るから。だから困難を正面から受け止める必要はないの 」


「……それでも私は継ぐ。ここで逃げたらきっと…………今以上に死にたくなる 」


 壊れた目をした二人は、互いに笑い合う。


「そう言うと思った。私をキミは似てるから。だからプレゼント 」


 リルの白い義手は木漏れ日のような優しい光を放つ。

 それは彼女からの贈り物だった。


「この義手の能力はね、他人の知能を私レベルまで上げる能力なの。あれが私のせいだったのはビックリしたよ。それを一瞬だけ施した……これでキミは他人の嘘を見抜けるようになる 」


「どうして……それを? 」


「死を望むキミが、少しでも苦しまなくするためのもの。どうしようもなく死のうとした時、他人の言葉を信じられるようにする保険。キミにも……生きてて良かったと思える日が来て欲しいから 」


 知恵の譲渡を終えたリルは、だらりと手を下ろした。

 顔を上げたノアの目に映ったのは、光を反射しない目を持つリルだった。


「死んだのか……? 」


 その同時にキイっと、何かが軋む音がした。


 いつからか玄関の戸は半開きになっていた。


「死ね 」


 地に映る影の形が変わる。


 追跡者である三つの影は待っていたのだ。

 最初から、騎士が死に無防備になるノアを。

 この時まで。


「行ってらっしゃい。千の苦しみを越え、一の幸せにたどり着くことを、私は願ってる 」


 けれども、影の首は認知すらできない何かが切り裂いた。


 バタバタと倒れる死体たち。

 いつからか、リルの義手からは赤い液体がポタポタと零れている。


「そうか……ありがとう 」


 リルの心臓が動いている。

 けれど言葉を話す機能は、もう頭の中に残っていない。


 光にも音にも反応しない生き人形。

 ただ敵になるものを狩るだけに動く殺戮人形。


 リルという人間が死んだのだと、ノアは理解した。


「……… 」


 リルの受け渡す能力。

 その根底は、自分の苦しみを理解して欲しいという願い。


 犯罪者が殺されるしかない世界で、犯罪者の過去を分かってしまう苦しみを。

 救われたかったと願う犯罪者に、共感してしまう弱い心を。


 あの時変わっていればという結果論な後悔が、心を蝕んでいるという事に。


 リルは一人だった。

 精神的孤独は、いくら現実が満たされても埋まらなかった。

 だから理解者が欲しかった。


 その飢えにも近しい感情を、知恵を受け取ったノアだけは理解していた。





「……… 」


 ノアは虫が蔓延る部屋で目が覚めた。


 リルの精神的な死から二週間。

 座らせたリーズの死体はとっくに腐っている。


 特に目と足の部分は、たくさんむしにたべられていた。


「……ありがとう 」


 ノアは虫を払い、柔らかい肌の死体を抱きしめた。

 形はどうであれ、自分を助けてくれた恩人に感謝を示したかった。


「……酷いな 」


 リビングだった場所はあまりにも酷かった。

 床など血で見えない。


 荷物のように積まれた死体が足の踏み場を邪魔してる。


 そんなゴミ屋敷で、倒れている一人の死体を見つけた。

 リルだった物だ。


「……… 」


 ノアは死体を持ち上げる。

 予想より重かったせいか、ノアは死体を落としてしまった。


 ゴンッと頭から地面に落ちる死体。

 それをもう一度(いちど)持ち上げ、血の着いた椅子に彼女を座らせた。


 顔に着いた血を袖で拭き、半開きになった目を閉じさせ、まるで絵本のお姫様のように美しく、最初に見つけた人がそう思うようにと、死体を動かした。


 けれど固まった死体は、粘土よりも融通が効かない。


 ノアは何度も死体を椅子から落としてしまった。

 その度に新しい血が顔を赤くする。


「ごめんなさい…… 」


 死体を落とす度に涙も落ちる。

 けれど手が震えるほどに失敗し、ノアの心を掻き乱した。


 それを何十回も繰り返した。

 そしてようやく、転がる死体よりかはマシになった。


「ハハッ……ハハハっ 」


 汗だらけのノアは、血まみれの手で顔を抑えた。

 彼女にはもう、自分が何をしているのか分からなかった。


 けれど、頭の中で聞こえた言葉がある。


『行ってらっしゃい 』


 そう言われたのならば、返す言葉は一つだけだった。


「行って……来ます…… 」


 何人もの犠牲の上に生き残った一人。

 優秀な大人が何人も死に、生き残ってしまった無能な子供。


 彼女はゆっくりと玄関に手を伸ばした。


 けれど寸前、その足を何かが掴む。

 そしてずるりと体を引っ張られた。


『『『『『『お前だけ生き残るのか? 』』』』』


 底なしの血溜まりから覗く、ノアの()()で死んだ犠牲者(人たち)

 罪悪感(彼女ら)はノアを引きずり込んだ。

 


 

 


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