第六劇 狂奏
「昨日の夜。て事があったんだけどさ〜 」
「ふむ 」
廊下を歩く暗殺者と老兵。
ここはケウラノスのアジトだ。
「手紙自体に仕掛けはありません。内容も透かして確認しました。しかし……これは私たちが決めていい事ではありません 」
「まぁそうだよね〜 」
「食事も終えた時間でしょうし……ボスに持っていきますか 」
「りょ〜か〜い 」
ヴィアラとリシュア。
二人は先代のボスからの付き合いである。
互いの実力を認め、堅物であるリシュアも仕事外でなら軽口を咎めないほどの仲。
だからこそ、お互いの気遣いも言わずとも理解していた。
「ボス。お話が」
リシュアがボスの部屋を開ける。
するとそこには、ネコ耳を付けたメイド姿のルース。
それに覆い被さるルブフェルムの姿。
その奥には、怒りで震えている少女が見えた。
「あの! ちょっ!! どっちでもいいんで助けてください!!! 」
「意外に力強いですね……ふふっ、そそります 」
「リシュア……この馬鹿をなんとかしてくれ…… 」
「かしこまりました 」
一瞬でルブフェルムを無力化し、顔を真っ赤にするルースに上着をかけるリシュア。
それにより見えた筋肉。
シャツのボタンが弾け飛びそうなほどパツンパツンな胸筋は、リシュアが熟練の猛者であることを強調していた。
ちなみにルースは、白馬の王子様を見たような乙女の顔をしている。
「ボス。こちら例の自警団、ヘルヘイムからの招待状です。武器の提供を代価に、話し合いの場を設けたいとの事でした 」
「見せてみろ 」
手紙を受け取るノアは、なれない手つきで封を開ける。
そして手紙を読んでいる間に、ルースはヴィアラに質問をしていた。
「あの。自警団ってなんか問題なんです? 」
「まぁね〜。裏には三つデカい自警団があるんだけど、その全部の仲がバチバチに悪いの。こことヘルヘイムは特にね 」
「なのに招待状ってことは、なんかあったんでしょうね 」
「たぶんラグナロクとかいう自警団の崩壊が原因だろうね〜。最近騎士の介入が激しいし、今裏には円卓まで来てる。向こうも大変なんじゃな〜い? 」
「……指定人数は私を含め四人か 」
手紙を読み終えたノアは、チラリとリシュアの方を見た。
「招待をお受けになるのですね 」
「あぁ。向こうも裏で殺し合うリスクは知っているだろうし、武器の提供が本当なら無視はできない 」
会議を続けるノア達。
一方ルースはひかれた絨毯を触っていた。
(そういえばこの団、旧式武器ばっかだし金ないのか? でも内装は豪華。裏でこんないい絨毯なんてそうそう手に入らない。元は大きな組織だったとか? というか今のボスが子供……先代が居た感じかな? )
「今回私は同行致しません。ルースの方が適任だと思います 」
「はァ!? 」
「拒否権はありません 」
有無を言わせず参加決定にされたルース。
けれど一番驚いていたのは、ルースよりもボスであるノアだった。
「リシュア。なぜお前は行かない 」
「私は顔が割れています。変に警戒心を高めるよりは、新参であるルースの方がよろしいかと。それに 」
リシュアは一息つくような優しい笑顔をうかべた。
それを見たルースはすぐさま身構え、壁の端まで飛び退いた。
「警戒心の強さは、この中で誰よりも強いですので 」
(この爺さん怖っ。殺気感じなかった…… )
持っていたペンを置いたリシュア。
そう、彼はルースを殺す気だった。
けれど殺気は微塵も出していない。
ただ気付かれず、誤って虫を踏んでしまったように人を殺す。
彼は老いぼれとなるまで裏で生き延びた、強者なのだ。
「私はこの団をお守り致します。ボス、あなたが無事に帰ってくる事を願っております 」
「……あぁ 」
老兵であるにも関わらず、リシュアは伸びた背筋でキッチリとお辞儀をした。
歳が70も下である、少女に向けて。
そうしてノアは三人の使用人を連れ、犬猿の仲である自警団。
ヘルヘイムのアジトへとたどり着いた。
そこは何気ない一軒家だった。
街中のように寂れ、屋根もよくある色に。
何も目立ったところは無いボロ屋。
ゆえにここがアジトだとバレたことは、今まで一度しか無かった。
「なんでこの格好のままなんですか…… 」
もちろんルースはメイド服を着ている。
外用のため露出こそ少ないが、女装であることには変わりない。
「女の子ってだけで油断する人は多いからね〜 」
「もう少しスカートは短い方がいいのでは? 」
「ボスさん! このセクハラ姉さんクビにしてください!! 」
「……はぁ 」
正直ノアは不安でしか無かった。
長年自分に連れ添ってくれた、一番信用できるリシュアが居ないことが。
ヴィアラはあまり信用していない。
仕事はこなすがお調子者だからだ。
ルブフェルムは論外。
当然、新人であるルースも信用していない。
けれど信用していない男こそ、この話の場で一番使えるコマなのだ。
それがノアにとって、一番の不安である。
「ルース、私が死ねばその首輪は爆破される 」
「何そのオーバーテクノロジー!? 」
「黙って聞け。つまり、私の死がお前の死だ。死にたくなければ私を守れ。存分にその二人を利用しろ 」
「私は命令されるよりする方が」
「フェルムっち? さすがに空気読も? 」
「お待ちしておりました 」
ガチャりと開かれた玄関。
その奥には金髪の女が立っていた。
ルースとヴィアラ以外、その人物を一般人だと見間違えた。
その佇まいは、彼女の偽装技術の高さを示している。
「では、ご案内しましょう 」
ルース達が案内された場所はなんの変哲もないリビングだった。
その中心に置かれたテーブルでは、一人の若い男が美味しそうにステーキを頬張っていた。
「あっ? もう来たのか? ちょっと待ってくれすぐ食事を終わらせる 」
「招いておいてその態度はなんだ? クロウ 」
クロウと呼ばれる黒髪の20代ほどの男。
彼こそが自警団のボス、ヘルヘイムのリーダー。
けれどその男からは威厳というものを感じない。
「よォお嬢。久しぶりだな 」
「ボスだ。口を慎め 」
「ハハハッ、悪い悪い。それとこれは前払いだ 」
子供の威圧など、大人にとっては気にもならない。
クロウが手を叩くと、金髪の女がフラフラと箱を持ってきた。
その中にはたんまりと義手や武器が詰まっている。
「確認してくれ、フォルセダーと新型武器。話が終わればこの倍は出す 」
「……… 」
ノアはヴィアラを見る。
そしてヴィアラは頷いた。
「本物のようだな 」
そうしてノアは、クロウの対角線上の椅子に腰を下ろす。
けれどクロウはノアに興味を持っていない。
ルースの方をじっと見ていた。
「ところで、新人か? なんで女装してんだよ…… 」
「無理やりさせられました…… 」
「あぁ〜……大変だな。んで、リシュア爺さんは何処だ? 来ると思ったんだが」
「世間話はいい。さっさと本題に入れ 」
「ういうい、じゃあ本題 」
薄っぺらい誠実さを持って、クロウはテーブルの上に顎を乗せた。
「お前らの自警団を畳み、優秀な人材を全員くれ。そうすりゃノア、お前は何処か安全な国に飛ばしてやろう 」
「……はっ? 」
あまりにも理不尽な提案に、ノアは腑抜けた言葉しか出なかった。
けれどクロウの顔は至って真面目だ。
「何をふざけたことを 」
「いい提案だと思うぜ? お前の部下たちにとってもな 」
品定めするようなクロウの瞳には、ヴィアラたちが映る。
「予言しよう、お前らの団は遅かれ早かれ衰退する。資金不足でも武力不足でもなく、求心力の問題でな? 」
「っ…… 」
「なぁ新人、分かんねぇだろうから教えてやろう 」
テーブルの上に足を置いたクロウは皿を手に取り、残ったソースの中をじっとのぞきこんだ。
「昔のお前らの団は裏一番の自警団だった。穢れてなお秩序のために戦う姿は、俺でも尊敬するくらいだ。が、闇に蝋燭を灯したところで目立つだけだった。だから裏勢力すべてから狙われた。部下はほぼ皆殺し、本人も家族も。まぁ娘は無事だったみたいだが 」
「……… 」
ノアは彼を睨んでいる。
クロウは彼女を無視している。
「だがその娘は逃げれたハズなのに、わざわざ親父と同じ末路を辿ろうとしてる。せっかく助かった命を犠牲にし、優秀な人材すらも心中に巻き込もうとしてるんだ。あぁまったく嘆かわしい!! だから俺たちが引き抜きたい。未来ないお前らを、未来ある場所にな 」
ひとしきり語り終えたクロウは、レロリと皿のソースを舐めとった。
それには品性も無く、見るものすべてが嫌悪するであろう行為。
けれどノアはクロウから少したりとも目をそらさなかった。
「父の話をすれば、私が動揺するとでも? それに、裏で暗躍を続けるお前らの団に未来があるとは思えない。麻薬組織の肥大、にも関わらず裏への騎士の介入の激しさは増している。お前らが操っていたんだろ? 」
「あぁ、大正解 」
「透かし面しているところ悪いが、目立ったから父は死んだと言ったな? そういう割に、お前の方が目立ってるんじゃないのか? そんな団に未来があるとでも言うのか? 」
少女の返しは完璧だった。
萎縮する訳でもなくて、感情的でもなく、相手の言った言葉を使って理屈で詰める。
けれど相手は大人。
大人はいつだって、ずるいカードを隠し持っている。
「騎士の中に協力者がいる 」
「……はっ? 」
「この街の法に不満を抱くのは悪人だけじゃねぇよ。例えば身内が犯罪者になった場合、そいつを殺したくない騎士が現れる。そういうヤツらにビジネスしてたんだ。その犯罪者を安全に街外まで送り届けるってな 」
皿を置いたクロウはニヤリと笑い、今度は足をテーブルの上に乗せた。
「結果、騎士内部に仲間を忍ばせれた。そして情報は筒抜け。そしてこうすればどうだ? 円卓の騎士さ〜ん、ここで危ないこと考えてるヤツらが居ますよ〜って叫んでみる。どうなるかな? あぁ違う、どうなったかな? 」
「お前…… 」
「コントロールはできてない。だが、強大な爆弾のスイッチを俺は持っている……もう一度質問しよう。俺の提案を飲むのと、それを断るの。どちらの方が未来があると思う? 」
大人は言い訳を得意とする。
けれど子供は、崩れてしまえばすぐには立て直せない。
現にノアは何も言い返せていない。
そしてダメ押しの言葉が優しく投げられる。
「それによ、あの親父さんも望んじゃいねぇと思うぞ? 娘が自分と同じ末路を歩むなんて 」
「知ったようなことを!! 」
クロウは初めて、ノアを見た。
しかも彼は嘘をついていない。
本音で本当に、彼女を心配しているのだ。
胡散臭いことは誰が考えてもわかる。
けれどこのタイミングだ。
「知ったようなことを…… 」
これ以上、子供は何も言えなかった。
「ねぇ 」
けれどクロウには誤算があった。
それは子供を言いくるめるために、怒りを買ってしまったこと。
「赤の他人がさ〜、知ったように語らないでくれるかな? 」
重々しい銃声。
と共に放たれた弾丸は、クロウの指で回したナイフで弾かれた。
ノアを守るように銃を放ったのはヴィアラだった。
けれどここは敵アジトの内側。
気配なく潜んでいた組員たちは、過剰なほどの兵器を構えた。
「優しいなぁヴィアラ。だがお前も薄々思ってんだろ? その団に未来はないと 」
「そ〜だねぇ。でも死に場所は自分で選ぶよ 」
「……そうか。残念だ 」
誰が撃ち殺されてもおかしくない空気の中、ルースは何気なく足を進めた。
その先にはクロウがいる。
「おい動くな!! 」
「なるほど、ウチから横領してたのはあなた達だったんだ 」
「っ!? 」
図星を突かれ、組員たちに動揺が走る。
一秒にも満たない隙。
その間にルースはクロウの側へと近付いた。
その気になれば、お互いに殺せる距離だ。
「なんでそう思った? 」
「あの人とあの人が旧式武器持ってる、それだけの理由。まぁ合ってなくてもいい。話を聞くという隙で、僕はここまで来れた 」
いつの間にか、ルースはフォークを持っている。
その先端はクロウの首に半分突き刺さっていた。
「痛えな。撃たれるぞ? 」
「撃てませんよ。僕が躱す可能性もありますから 」
「いいや? 見りゃ分かる、お前の筋肉じゃ無理だ 」
「でもその判断を、一端の部下が決めれますかね? 」
ルースの言うことは正論だ。
もし仮に、仮にだが。
部下の手が滑り、クロウを撃ち殺してしまう。
そんな事が起これば、必ず部下は粛清される。
その可能性を恐れない無謀者ならば、誰もここでは生きて行けない。
「ははっ、いいねぇ。やっぱうちに欲しいくらい優秀だ……で? これからどうする? 」
クロウとルース。
彼らは偽の仮面で微笑みあう。
「話してください、なぜ人員を募っているのかを。あぁ、同盟を蹴ったから言わないはナシですよ? ボスに無礼を働いた、その詫びが欲しいんですから 」
「じゃあまずは一言、円卓を壊す 」
その言葉は有り得ないものだった。
人を不死身にする。
天を落とす。
それ程までに、クロウの部下ですら動揺ほどに。
有り得ない。そう誰もが思った。
クロウとヴィアラ。
そしてルース以外は
「なるほど、社会的に殺すのですね 」
「あぁ 」
クロウは足を組み直し、この場にいる全員へ向けて演説を始めた。
「円卓はバケモノだ。裏すべての勢力が結託したとて、円卓一人殺せない。だが奴らも人だ。人らしい弱点はある 」
「家族、恋人。いや地位の可能性もありますね 」
「それに、円卓は強大であるにも関わらずみ〜んな秩序側の人間だからね〜。一般人を利用して追い込めば、処刑に持ってくこともできるかも。でもどうしてそんなリスクを背負うの? 」
「簡単だ。裏は不安定すぎる 」
その言葉に、犯罪者である彼らはハッとした。
「犯罪者が生きれるよう、俺は社会を作っている。が、俺たちが生きてるのは円卓が乗り気じゃないからだ。無関係の人を巻き込むかもしれないという無意識のブレーキだ。だが逆を言えば、いつ殺されるか分からない。なぁ、お前らに聞こう。気まぐれで生かされ、気まぐれで殺される……そんな不自由、嫌じゃねぇか? 」
犯罪者は秩序を嫌う。
なぜか? 悪の自由を奪うからだ。
だからこそ、クロウは問いを心に投げかけた。
共感という波風を立てるために。
少なくともこの場にいるクロウの部下たちは、全員腹を決めた。
「と、言う訳だ。これで満足か? 」
「えぇ、お話ありがとうございました。それと僕たちを無事に出さなければ殺します 」
「おう分かった。じゃあ帰ってくれ 」
ルースはヴィアラに目配せをした。
その意図を彼女は察した。
「ボス、行きますよ 」
「あ……あぁ 」
「フェルムっちも……えっ、寝てる?? マジ?? 」
ヴィアラはボスたちを連れて部屋を出た。
そして残されたルース。
彼はフォークをスカートで吹き、ゆっくりとテーブルの上に置き直した。
「えぇっと……僕も逃がしてくれますか? 」
「あぁ。エスコートはしないがな? 」
「ははっ、ありがとうございます 」
ルースは軽く頭を下げ、そのまま出口に向かった。
瞬間、地面に落ちた。
ルースの首。
そこに付けられた爆弾が。
「さて……どうする? それがない以上、帰る必要はないんじゃないか? 」
「えぇ、ありませんね 」
けれど焦る素振りすらせず、ルースは首輪を拾い直した。
「でも、僕たち生き残りには心がある。あなたが本気でノアさんを心配しているように、必ず巻き込まないよう徹底してるように。僕も……彼女が心配なんですよ 」
「そりゃ残念だ。あぁ、じゃあこうしよう。あの団が無くなればうちに来い。いい待遇させてやるよ 」
「えぇ。ではその前に、この団を潰しませんように……それでは 」
扉を閉めたルース。
残された部屋の中は静寂で満ちていた。
けれどクロウだけは笑っていた。
「……ははっ。面白いヤツだ!! あ〜……あんな毒虫、悪魔すら喰わねぇぞ? 」
ひとしきり笑ったクロウは、スっとタバコを取り出した。
その後ろにいる金髪の女は、言われずとも火を用意。
タバコには火がつけられた。
「ボス。本当に帰していいのですか? 」
その側近の問いに、クロウは笑顔で回答した。
「あぁ。もっとも、帰る場所はねぇだろうがな 」
いつからかテーブルに置かれている装置。
それには『COOL』の文字が浮かび上がっていた。
一方。
ケウラノスのアジトでは。
「なぁお前ら……ここの団に未来があると思うか? 」
アジトの食堂の隅で、五人ほどが密談に勤しんでいた。
「いや……難しいだろうな 」
「ボスが幼いからか? 」
「いや、そもそも上に立つことに向いていない。資金不足も武器不足も解決せず、けれど任務の危険度は上がる一方。そのうち誇りのために死ねと言い出すかもしれない 」
「それは困るな。俺たちが自警団に入ったのも、食う寝る場所が保証されるからなのに 」
「そもそも、裏で騎士の真似事なんてして意味はあるのか?
「いやぁ無いねぇ 」
六人目の声。
その違和感に気がつく暇もなく、五人のこめかみを針が貫いた。
「お……ご? 」
運動神経をつかさどる小脳の破壊。
即死はせず、けれど抵抗できず、五人は腐るように息絶える。
彼らの脳には、細い糸が通されていた。
「さて…… 」
一人となったショートカットの若い女性は、血の付いた糸を拭い、赤い指先を鳴らした。
「侵略開始 」
影からゆったりと現れた、66人の刺客。
影は音もなく進行。
今際の言すら残させず、人が倒れる鈍い音のみが足跡のように続く。
それは死の進行のようだった。
「申し訳ございません、お客様方 」
けれども、影たちがたどり着いたエントランスホール。
そこには一人の老兵がお辞儀をして待っていた。
「急な来客な上に人手不足。ここには80を越える老兵しか居りませぬゆえ、満足なおもてなしすら出来ない始末でございます。けれどももてなしを受けたい、というなれば 」
腰にたずさえた二本の剣を抜き、リシュアは静かに歩む。
「この老いぼれが……相手になりましょう 」
影たちは動けない。
予感していたのだ。この隙だらけの老兵に攻め込めば死ぬと。
けれどリシュアの歩みは止まらず、影たちの間合いに入る。
「老いぼれならさ、若者の道を開けてよ 」
瞬間、リシュアの両剣には強大な重さが加わった。
影たちの中には青いフォルセダーの光が放たれている。
重力倍化、磁力拘束、感覚鈍化、筋力軟化。
「私たちは、全員殺す気でここに来たんだよ? 」
不可避の死が迫る。
けれど老兵は、そんなものは何度でも乗り越えてきた。
「……えっ? 」
そよ風が吹く。
ショートカットの女の顔は、バラバラに切り落とされていた。
切り分けられた瞳も臓物も、ミキサーの中身のように混ざり合い、飛び上がった大粒の血はバラバラと飛沫を上げた。
振られた剣は、老兵の体には少し重たいものだった。
それを若々しい青い芽たちが受け止められないのは必然だ。
「土産言葉は……いりませんでしたかな? 」
容赦なく飛び散った鮮血は、エントランスホールを芸術作品のように染め上げた。
臓物も死体も、彼を中心にすれば意味を成す。
それほどのまでの存在感。
老兵は、戦いを勝ち抜いたからこそ年老いたのだ。
「……なるほど 」
ふと、温もりの消えた血溜まりが震え上がる。
それほどまでの、圧。
世界は何かが来ることを警告していた。
ハイエナを呼びたくば死体を作ればいい。
つまり騎士を呼びたくば。
事件を起こせばいい。
「円卓か 」
蹴りにより吹き飛んだ扉。
リシュアはそれを切り落としたが、その剣先は既に、黒い鉄塊に掴まれていた。
「血濡れの騎士…… 」
「おや、老兵とは珍しい 」
一瞬。掴まれた剣はリシュアの手首ごと消し飛んだ。
その同時。もう一本の剣がアグラヴェインの首に迫るが、薄皮すら切り裂けず。
老兵は燃え上がる炎をかき消すほどの雨。
けれど円卓はすべてを呑む大海。
文字通り格が違う。
「ふんっ!! 」
リシュアはアグラヴェインの腹を蹴り、その反動で距離をとる。
その勢いのまま加速。
バッタのように屋敷の天井や壁をはね回る。
リシュアの行動は騎士を抑制するための行動。
もし攻撃が街中へ向かえば、一般人を巻き込むかもしれないという見えない脅迫。
老兵の策。
けれど所詮は虫。
円卓にとってはか弱く目障りな存在に変わりない。
「っ!! 」
アグラヴェインは地面を踏みつけた。
波のように広がる衝撃。屋敷は大きく崩壊した。
(どこに )
リシュアは目を離していない。けれどアグラヴェインを見失った。
「っ!! 」
彼女は隣にいた。
死をプレゼントするように、拳を振り上げて。
「ふん!!! 」
しかし老兵。
力だけの相手など飽きるほどに戦っている。
手首の力を抜き、剣でいなした衝撃とともに回転。
その勢いのまま放たれた剣先は、騎士の目を狙っていた。
けれど鉄の刃は、アグラヴェインの牙によって噛み砕かれた。
(バケモノめ )
人外の攻防に追いつくよう、瓦礫は落ちる。
壊れ物が広がる跡地には、腕のない老兵と鎧を赤で彩る血濡れが残された。
「形式試合でしたら、私が敗れていましたね 」
アグラヴェインは素直に負けを認め、目の前の男を殺すと決意した。
「ふっ。ならば地獄で自慢するとしましょうか 」
老兵は片腕とは思えぬ所作で、丁寧に名乗りを上げた。
それは騎士の決闘の合図。
「リシュア・カタスラフィ。参りましょう 」
「円卓 サナ・カリナグラ 」
凡人の体感では一瞬。
人外から言えば、無限にも近いし圧縮された一瞬。
振るわれた老兵の剣は、霧散した肉体と共に、空へ混じりあった。
同時に、アジトに仕掛けられていた爆弾が起動。
飢えた炎は追跡の証拠となるすべてを消し飛ばした。
「……覚悟の上か 」
アグラヴェインは気がついていた。
周辺に気配があることを。
(三人……いや四人でしょうか )
((気が付かれた…… ))
隠れていたルースとヴィアラはすぐさま目を移した。
舌を噛み、血をこぼし、鳴き声を噛み殺すノアを助けるために。
(……はぁ )
けれど円卓は何もしなかった。
口を拭いながら、散歩から帰るように元来た道を進んだ。
ただの気まぐれ。
けれども助かったことにルース達は安堵した。
だがノアだけは、少女だけは、悲しみと不甲斐なさに苦しんでいた。
(また……私だけ、生き残った…… )
助けられたという毒は、ノアの心を着実に蝕んでいた。




