第三劇 腹黒の虫
(あー……疲れました )
作戦を終えたルブフェルムは、ボスの部屋でくつろいでいた。
勝手に飲み物を出し、勝手にボスの椅子に座り、風呂上がりのびしょ濡れの髪で、カーペットにシミを作っていた。
(高い椅子って良いですね〜。これも借りパクしましょうか )
「おい 」
怒り声とともに扉が開く。
そこには部屋の主である少女が、血管を浮かべて笑っていた。
「何してるクソメイド? 」
「掃除をしていました 」
「……はぁぁ 」
悪びれなく嘘をつくルブフェルム。
ノアは髪をぐしゃぐしゃにし、怒りを抑えながらも部屋の隅へと愚痴を吐いた。
「お前らもどうして止めない? 」
パカりと空いた隅の天井。
そこから落ちてきたのは、赤い髪に黒い裏染めを施した物静かそうな糸目の女性。
彼女の名はヴィアラ。
ボス直属の暗殺者だ。
「だって〜? フェルムっちはゆうこと聞かないじゃないですかァ!! というか私もサボりたいです〜、ジュース飲みたいです〜 」
ヴィアラは無表情のまま頬に手を当てる。
彼女は笑っているつもりなのだ。
「はぁぁ……ちなみにリシュア。お前は? 」
部屋の影から無音で現れた白髪の老兵。
彼は軽蔑するような目を、冷蔵庫を漁る二人に向けた。
「バカは死ななけらば治りませんので…… 」
「………… 」
イライラが有頂天にまで駆け上がったノアは、自分の上着を地面に叩きつける。
そして深呼吸をし、平常心をなんとか保った。
「……今日の会議を始めるぞ 」
その重々しい言葉に、ふざけていた二人。そして老兵は席へと付いた。
ノアが言う会議。
それは毎日行われている日課のようなもの。
彼女らにとって会議とは、組織という脆い体を検査するようなものだ。
「リシュア。新人たちはどうだ? 」
ノアの言葉を待っていたように、リシュアは紙束を差し出した。
紙には目が痛くなるほどの密集した文字。
それが68枚も重ねられている。
「正直に申しあげますが、あまりにも弱いですね。力量に優れた者は多いですが、みな身の安全に執着してばかり……まぁ、待遇目当てで入った者が多い印象です 」
「誰も死地へ向かいたがらないのは当然だ。自分の命……惜しいものだから。だが裏切り者は許さない 」
「えぇ。横領に加担した六人は既に始末しております 」
「分かった。ではヴィアラ 」
「ジュース飲んでるので、待ってください 」
ストローを噛み、呑気にくつろいでいるヴィアラ。
もちろんノアはキレているが、彼女を簡単に殺せない理由がある。
それは単純、彼女は有能なのである。
「けふっ……麻薬組織、フェルムっちの襲撃から生き残った残党を見つけました。で、一人を除いてみんな殺しときました 」
「……その残りの一人は? 」
「女性の科学者ですね。調査段階では役職不明でしたが、たぶんあの子がボスですね。だって偶然じゃ私から逃げられませんも〜ん 」
「お前が生きてるのは、取り逃したと伝えるためか? 」
「いいえ? 」
ヴィアラは無表情なまま、写真を机にばらまいた。
その写真には細かな役職。そしてどの派閥かを示すマークが記されている。
「麻薬組織壊滅後、動いた組織をすべて把握しときました。深く調べれば分かると思いますけど、たぶん麻薬の金で色々していた組織ですね〜。次のターゲットにでもしてください 」
「……そ」
「ちなみに騎士も動いてました 」
今度は丁寧に置かれた写真。
そこには茶色い帽子をかぶる、銃を使う騎士が写し出されていた。
「ランスロット隊所属 カナギ・レルタ。彼が自衛団について調査してるのも確認済みです。このまま行けば必ず、円卓が来ますよ 」
忠告するように写真を差し出すヴィアラ。
その報告をノアは重々しく受け止った。
「……分かった。報告感謝する 」
「い〜え〜。あっ、フェルムっち私もお代わり! 」
重々しい態度から一変。
ヴィアラはケラケラと笑いながら、2本目を飲むメイドへグラスを掲げた。
その態度に誰も文句は言えない。
「ボスも入りますか? 」
「……りんごのを頼む 」
やっとメイドらしい事をしたルブフェルムは、手馴れた手つきでジュースを注いだ。
グラスに注がれた半透明なりんごの果汁。
それを一飲みし、ノアは気になっていた本題に入った。
「それで? あの新人はどうだった? 」
「まぁ……使えますね。けれど」
ルブフェルムはメイドであり掃除屋でもある。
裏切り者に死を。邪魔者に死を。
その仕事を続け、五体満足で生き延びた。
それ程までの実力派。
「なんと言いますか……不気味? 異質? 何を考えてるか分からない? 」
そんな彼女ですら、ルースの本性にたどり着けていない。
「何か余計なことをしたのか? 」
「いいえ。任務には意欲的そのもの。そして人を観察する能力は、私が見てきた中で随一です 」
「う〜ん? 優秀ならいいんじゃない? 」
ヴィアラの言うことは最もだ。
組織であるのなら、優秀な人材ほど貴重なものは無い。
けれどルブフェルムにとっては、それが逆に異質。
「優秀過ぎるんです。まるで彼の都合のいいように転がっているような……そんな違和感がずっと背中に感じるんです。彼は何者なんですか? 」
「……フェルムっちがそんなに言うなんて珍しいね〜。私が調べよっか? 」
「えぇ、お願いします 」
ルブフェルムとヴィアラは、ルースを警戒することを決意した。
けれどノアはその逆を考えていた。
「……そこまで警戒する必要はあるか? あの首輪がある時点で、主導権を握っているような物だぞ? 」
ノアはチラリと老兵を見た。
その意図を察するようにリシュアは代弁する。
「えぇ、彼の首輪には盗聴器と心拍確認機能が付いております。嘘があれば分かりますし、何か怪しげな事をするものなら、すぐさま爆発が可能でございます 」
「それ聞いて考え変えるけどさ、私は彼を殺した方がいい気がする 」
「何故ですかな? 」
「だってさ、いつ爆発するかも分からない爆弾だよ? それを首に付けられたんだよ? なのにいつも通り動けて優秀だなんて、それこそ異様じゃん 」
「……ふむ 」
ヴィアラの言葉は確信をついていた。
が、やはりルースの正体を見破る決め手にはならない。
ただただ異様。
そして有能。
そんな違和感のような疑心だけが積もっていく。
「私は彼を捨てる気は無い 」
けれどノアだけは覚悟していた。
ルースという毒を飲むという覚悟を。
「ただでさえ組織の質が落ちているんだ。このままではほか勢力に狙われる……いや、最悪すべての罪を背負わされ、ただの悪党として粛清されるだろう。そんなことは許されない。どのような危険があれど、私はこれ以上組織の力を弱めたくはない 」
ノアの言葉には重みがなかった。
様々な経験をした上でことを成す、大人としての重みが。
けれど、熱く焼け爛れるような決意はしっかりと言葉に乗っていた。
「ボスの命令です。逆らうことは許しません 」
それを支えるように、リシュアは付け加える。
それに二人も頷いた。
「ボスの命令なら仕方ないね〜。でも、私は警戒するよ? フェルムっちもそれでいい? 」
「えぇ、彼の裸は凄く好みですから。殺さないだけ嬉しいです 」
「出た〜、フェルムっちの性癖〜。手術痕とかなかった? 」
「えぇ。傷一つない綺麗なものでしたよ 」
「私も見たい〜 」
変態共の悪ノリトークに、リシュアは頭痛に耐えるような顔を。
ノアは大きなため息をついた。
「とりあえずヴィアラはルースの身辺調査を始めてくれ。ルブフェルムは引き続きヤツの手網をにぎれ。リシュアは次の任務の準備を 」
「「「了解 」」」
そうして大人たちは、自らの責務のために行動を始めた。
そして一人。
少女は用意されただけの椅子へと座る。
背中に感じる父の面影。
少女は目を閉じ、誰にも聞こえないように呟いた。
「父さん。母さん。私は……上手くやれてるのかな? 」
それは助けを求めるような声だった。
けれど誰にも聞こえない。
彼女を助ける者は誰もいなかった。
ーーー
一方で、
「すげぇお湯! お湯出てる!? 」
ルースは案内された風呂場ではしゃいでいた。
何も身につけない丸裸で。
誰もが油断するように子供らしく。
(盗聴器はある。カメラは無いかな? まぁあっても、天井くらいだろうなぁ )
温かなシャワーを浴びながら、ルースは喉に隠していた小さな袋を吐き出した。
その中に入っていたのは録音機。
自分の心音を記録したものである。
「あったけ〜……気持ち〜 」
(電源はまだある。まさか証拠取りのための録音機が、こんな役に立つなんてなぁ )
また袋を飲み込むルース。
その姿は天井のカメラからは見えていないし、飲み込む異音もシャワーの雑音に紛れている。
「というかあのメイドさん……怖い 」
こう独り言を呟いているのも、本性を悟られないためだ。
上辺を弱くみせ、演技する。
自分は弱く、清く、何者にでも染められるように無垢であると。
彼はそうやって生き延びてきた。
(いやマジであの人怖い……なんであんな性的な目で見てくるの? )
けれど今回に限っては、ルースは本気で恐怖していた。
「なんで女装させられたんだろ…… 」
(あっ、裸見て手術痕ないか確認するためか。体の中に何も隠してないかの確認……いやメイドにする必要なくない?? )
「というかあれ、タイミング悪かったら襲われてたよね…… 」
(なんで? 確かに女装したら襲おうとしてきた男居たけどさ!? 女性から襲われるの初めてだよ!!? いや何か裏が……裏が…… )
彼の優れた観察眼は既に答えを見出していた。
彼女のアレが性欲由来であると。
足元に感じる妙な寒気。
目蓋の闇にすら映る捕食者の笑み。
そして裸である自分。
彼の今の状況は、魚が自らを鯖いて塩をふりかけたようなものだ。
「……出よ 」
怖くなったルースはすぐさま風呂場から出た。
「おやおやカワイイパンツ履いてるね〜 」
「いやぁぁぁ!!!? 」
そこにはルースのパンツを覗き見る変態。
もとい無表情のヴィアラがいた。
(あの暗殺者!? なんでパンツ見てんの!? )
「フェルムっちが言ってた通り、綺麗な体してるね〜。女の子みたい 」
「えっ、いや……どう……も? それ返してくれません? 」
「ダメだよ〜。持ち物検査しなきゃだからね〜。サイズは小さいな 」
「たぶん小さくないですから!? 」
「今見たね 」
ヴィアラは袖の下から銃を見せていた。
ほんの一瞬。一般人が見れば、それが銃だと気付かないほどの時間。
けれどルースは目で追っていた。
それがヴィアラにバレた。
「そりゃあスリしてましたからね。一瞬で金目のものを探さないと 」
「私も裏で生きて長いからさ〜、人を見る目はあるんだよ? 指先、体の傾き方、表情の動かし方。それはキミを盗っ人だと示してる。でもさ 」
ヴィアラは体を押し付け、ルースの薄い腹へと銃口を押し付けた。
けれど彼は反応しない。
じっとヴィアラを観察してる。
「キミの目は死を見慣れ過ぎてる。殺し屋でもやってた? 」
「いいえ。あなたと違って、僕には向いてない 」
この状況でも自分の観察眼をアピールするルース。
対してヴィアラは、指先で自分の頬を持ち上げ、普通では無い笑顔を浮かべた。
「フェルムっちの言う通り、キミの観察眼はほんとに優秀だね〜。どこ見たの? 」
「手の形ですね。人差し指を常に立てている……日頃から銃を使ってないとそうはなりませんよ 」
「ちゃんと意識して隠さないとね〜。参考にさせてもらうよ 」
ヴィアラは銃をしまい、丸裸のルースから体を離す。
そして無表情のまま、ヒラヒラと手を振った。
「優秀な人材が入って嬉しいよ〜。でも、裏切りは許さない……そこは理解しといてね? 」
「もちろんです 」
肩頬を指で持ち上げるヴィアラ。
それは別れの笑顔だった。
彼女は洗面所から消え、素っ裸で仁王立ちをしている変態男子ルースだけが残った。
「……おっかな!!? 」
(でもこのくらい警戒されてるってことは、少なくとも用無しで切り捨てられることは無いね )
ルースの目的。自分の価値を証明するという試みは成功した。
ボスが相当な馬鹿でなければ、彼はかなりの高待遇を受けられるだろう。
有能な駒は奪われないようにするべきなのだから。
(さぁて、着替えるか )
「んっ!? 」
一安心したルースは着替えに手を伸ばす。
だが無い。
自分の肌着が。そして下着も。
「えっ! これからノーパン!? 」
何もできないルースは、下着を付けずに一夜を明かした。
そしてこう誓ったのだ。
次からは下着は肌身離さず持っていようと。




