第一劇 毒虫
「チェック 」
血と人の醜さが染み付いた酒場は、熱狂に包まれていた。
チェスを打つのは、サングラスの屈強な男。
対するは見るからに気弱そうな、パーカーを被る青髪の男だった。
その顔は幼さと大人から板挟みを受ける表情は彼を20代だと示している。
彼らは互いの全財産を賭けている。
「え、えぇっと…… 」
「焦るな。だが忘れるなよ? 」
言葉とは裏腹に、サングラスの男は契約書を差し出した。
そこにはしっかりと名前が記されている。
ルース・リヴィエンタ。
その下に、『このゲームに負けた者は全財産を受け渡す』とも書いてある。
この紙には強制力はない。
だが違反者を犯罪者にする効果はある。
「全財産を受け渡さなかった場合、お前は犯罪者だ。そしてこの都市は犯罪者は即刻処刑……つまりだ、やっぱり無し。なんて事はできねぇぞ? 」
「分かってますよそんなことぉ!! ナイトってどう動かすんでしたっけ!!? 」
「ははっ 」
犯罪者を全員処刑にする法が適応された街。
だが犯罪は消えなかった。
むしろ残った犯罪は狡猾で、あまりにも醜いものばかり。
犯罪をすべて規制したところで、残るのは規制を利用する犯罪だけだ。
人が生きている限り、犯罪は無くならない。
「一分切ったぞ? 大丈夫か? 」
「どうしようどうしようどうしよう。水! 水! ……うぇ 」
飲み込んだ水を戻したがらも、ルースは迷っている。
フラフラと次の一手を探している。
その間にも無情に。時計は進んでいく。
チェスには持ち時間という、思考する時間が互いに与えられる。
それがゼロになるとどうなるか?
そう、敗北である。
「30秒……死ぬ訳じゃねぇんだ。全財産を投げ売った方が楽だぞ? 」
優しく、けれど残酷な囁き。
それに突き飛ばされるように、ルースはナイトを置いた。
けれど悪手。
騎士は王の逃げ先を阻む、無能なコマと成り下がった。
「チェック 」
すぐさまサングラスの男はコマを動かす。
そしてニヤリと口角を上げ、サングラスをテーブルに置いた。
(どう足掻いても残り一手。俺の勝ちだ )
勝ちを確信した男。
対してルースは無関係なボーンを持ち上げ、敵の王をコトリと突き落とす。
その顔には、仮面のような左右対称。
作られた笑みが浮かんでいた。
「チェックメイト……あなたの負けです 」
「……はっ? 」
ルール違反。それを咎める前に酒場を蹴破ったのは、三人の白い騎士だった。
瞬間、酒場を包む熱は冷めきった。
「全員動くな。盗人の通報があった、この場の全員を確認する 」
(っ!! 居ない!? )
男は消えたルースを探すために立ち上がる。
そして懐から落としてしまった。
周りの客が持っていた財布を。
「俺の財布……テメェらグルか!! 」
「違う!! 俺じゃない!!! あいつが」
そして気がついた。
契約書の名が書かれたインクが消えている事に。
「あいつが…… 」
「……犯罪者を確認。処刑する 」
犯罪者には弁明の機会は与えられない。
そして一人。意地汚い盗人は、酒場に新たなシミを作り出した。
・・・ーーー・・・
ここは犯罪者が隠れ潜んでいる『裏』と呼ばれる街。
行方不明者は数しれず、騎士の介入があってもすべての事件は解決しない、人の悪意が作り出した魔境。
汚れを落とすのは雨粒だけ。
ゴミを処理するにも汚物が多すぎる。
人は減り、虫が増える地獄。
その道を重々しい足取りで進む、一人の少年がいた。
「うぇぇ……胃に隠すのやめよ。気持ち悪い 」
酒場から逃げたルースはインク消しをゴミ箱に。
そして戦利品となったサングラスをかけた。
そう、彼は盗人である。
ルースは人からナメられる才能があった。
弱そうに見える。
ゆえに油断を生みやすく、天性的な器用さはスリに持ってこいだった。
自身が容疑者と疑われぬよう、誰かに罪を着せる。
罪を着せられた者は騎士に処刑される。
つまりは、彼を追うものは誰もいない。
彼もこの都市で生き残った側の犯罪者だ。
「あっ 」
そんな彼にも支えはあった。
「姉ちゃん!? 」
ルースの腕に付けられた腕輪型の装置は、他人の声を届けるというものだった。
『久しぶり! 元気にしてる? 』
「うん、元気元気。姉ちゃんの方は? 」
『私は元気だよ。その……急に連絡してごめんね。帰りづらいんじゃないかと思ってて 』
「大丈夫だよ。もうすぐ帰るから 」
『……そっか、無理しないでね。あっ。それとさ、最近噂とか聞いてなかった? 女の子が行方不明になったとか? 』
「…………知らないよ 」
『……うん。ごめんね、急に変なこと聞いて。それと……本当に、いつでも帰ってきていいからね。私はずっと待ってるから 』
「……ありがとう。それじゃあ」
『うん、またね 』
別れを言う前に電話は切られた。
ルースは憂鬱の染み込んだため息を漏らし、心にも似た曇り空を見上げた。
「……帰りたいな 」
足を止めたルース。
その顔には麻袋が被せられた。
当然手足も一瞬のうちに縛られている。
(……ハァ!!?? )
ルースは焦り散らかしていた。
そしてその混乱が落ち着く頃には、檻の中にぶち込まれ麻袋を脱がされる。
ルースの目に飛び込んできたのは、異様としか言えない場所だった。
心もとない蝋燭が闇を照らす地下。
壁に刻まれた謎の魔法陣。
祭壇のような場所に置かれるミイラ化した何かの肉片。
(おぉ、怪しげな宗教そのもの……ん? )
そして気がついた。
檻の中にも魔法陣が描かれていることを。
(あ〜……生贄ってこと。僕が!!? 嫌だぁぁ死にたくなァい!!! )
「さぁ皆の者!! かの者は罪を世に残し、清き魂だけを主へと捧ぐ!! 祈れ! かの犠牲を持って、私たちは天国へと近づく!!! 」
(ガバガバ過ぎんでしょその宗教!? 犠牲出しといて何が天国なんだよ!! )
テンパるルースの元へ、筋肉モリモリマッチョマンの男が近付いていく。
鉄のマスク。血のついたずさんな斧。
しかもそのサイズは2mはくだらない。
この見た目で料理人であれば笑えていたが、彼はれっきとした処刑人である。
つまり……ルースの死は確定していた。
放たれた弾丸が処刑人の頭を貫くまでは。
「……はっ? 」
「撃て 」
重々しくも軽快な銃声。
それが雨音のようにバラバラと奏でられ、辺りは血と肉片の海と変わり果てた。
(……実銃? そんな時代遅れな兵器、久しぶりに見たなぁ )
「警戒しろ。私は最終確認に入る 」
「はい!! 」
いつからか闇の中に紛れていた集団。
一人一人は黒と同化する漆黒の拳銃を握り、カーテンのように透ける硝煙の中で規律的に並んでいた。
その中で一人、あからさまに異様な男がいた。
老人というには背筋は伸び、シワが寄る顔すらも威厳に満ちている。
そんなリーダーのような男は倒れた死体一つ一つを、時代遅れの剣で切り裂いていく。
生き残りが居ないかの確認である。
「あの〜……すみませんッ!? 」
放たれた弾丸。
ルースは倒れた処刑人の斧を盾に、それを弾いた。
「……誰だお前は? 」
「この宗教団体に攫われた被害者ですが……出して貰えません? あと目撃者ですけど生きて帰らしてくれません? 」
「……気の毒だが、それは出来ない相談だ 」
「ですよね〜、あはは……マジかぁ 」
「撃て 」
鉛の雨。
それから逃げるように巨大な斧に隠れるルース。
だが血溜まりに反射する光景を観察し、その頭は思考を熟成させていた。
(こいつらあんまり訓練されてないなぁ。命中精度がカスだ。んであの爺さんが一番上? いや、すぐに判断しなかったから、この隊を任せられた重役みたいなもの。んで……あの端っこだけ装備がいいな。下っ端よりも確実に偉い人、もしくは……よし、博打だ )
「うぇっ 」
ルースは腹に力を入れて胃から装置を吐き出した。
それを斧の影から投げ、耳を塞いだ。
瞬間、閃光と熱風が爆ぜた。
一瞬ではあるが銃弾の雨は勢いは弱まった。
「よっこいせぇ!! 」
その隙。壊れた檻から飛び出したルースは2mはある斧を放り投げた。
銃を持つ集団、その後ろの壁へ向けて。
「うぉぉお!!! 」
視線が動く。銃の嵐が止まる。
だが老兵はルースから目線をずらして居ない。
その首へと放たれる剣。
それをルースは片腕を犠牲に受け止め、老兵の隣を通り過ぎた。
背後から放たれる弾丸もルースは空中に飛んで躱す。
そして、
「すみません!! 」
着地同時に土下座した。
そう、ジャンピング土下座である。
「僕を仲間に入れてください!! 」
ルースが頭を下げる先。
そこには誰も見えないが、その場に居る皆が凍りついた。
「……話は聞いてやろう 」
静寂の中に、機械的な青い火花が散る。
透明な布を脱ぎ捨て現れたのは、金髪の長い髪をした少女だった。
歳で言えば16歳ほどの少女。
だが黒のスーツと皮の手袋に身を包む姿は、少女とは呼べない威圧的な雰囲気を漂わせていた。
そしてルースは確信した。
「私はノア・ロリューレ。この自衛団のボスだ。で? どうやってこの場所が分かった? 」
「装備の偏りですかね。今僕に銃口を向けてる人たちは、みんな防弾装備をしてる。でも端の方はしていない……後は熟練度の差ですかね。この周りの人だけ、殺しに慣れてる 」
「つまり……その観察眼を売り込みたいと? 」
「はい! 死にたくないので!! 」
「良いだろう 」
ボスらしき少女。ノアは、すんなりとルースの提案を受け入れた。
「すんなり受け入れられ意外か? 私たち自衛団は満員人手不足でね……少しでも人員が必要なんだよ 」
「それは嬉しい事ですね……あぁそれと、動きますけど撃たないでください 」
ルースはそう言うと、指先を一人の団員へと向けた。
「あの人が横領してます。金か装備かな? 」
「……はっ? 」
老兵はすぐさま男を拘束。
そして首に剣を寄り添わせた。
「ま、待ってください!? そんなヤツの言い分なんて」
「確かめれば分かる……お前が横領した犯人か? 」
「い、いいえ!! 」
破裂音。
乾いた鉛は、鮮血によって赤くうるおった。
かき集められた団員は息を呑んだ。
老兵は静かに死体の処理を始めた。
ノアとルースだけが、笑っていた。
「言っていなかったが、私は嘘が分かる……ただでさえ人手不足なんだ。お前らもこうはなるなよ? 」
返り血を気にもとめない少女の笑みに、その場の団員たちはみな気圧された。
年の差など関係ない。
圧倒的な狂気は、皆を平等に恐怖させる。
「そして、今一度聞こうか 」
吊り上げられた笑みと共に、銃口はルースの方へと向けられる。
「なぜあれが横領者だと分かった? 他組織の一員か? 」
「いいえ? 貴方が出てきてから、一人だけ態度とか肩の震えがおかしかったんで、なんか隠してるな〜と 」
「間違えていたら撃たれていたのにか? 」
「自分が有能だと見せたかったのでね。雑な任務に運ばれて死にたくないですし 」
嘘がわかる。
それを逆手にとったルースは、自らの価値を示した。
言ってしまえばルースは異様。
この場で殺されてもおかしくは無い。
だが、道端に落ちていた怪しげなダイヤモンドを見逃せるほど、この組織には余裕がなかった。
「……良いだろう 」
この毒を飲むと、ノアは決断した。
(よかった〜、これですぐ殺されるって事はな)
「やれ 」
安心したルース。
次の瞬間、その首には注射針が撃ち込まれた。
(えぇぇ…… )
「連れて行け 」
そのまま意識を失ったルース。
そして一時間後。
眠らされた彼にとっては一瞬の間に、ルースは目を覚ました。
そこは葉巻の臭いが染み付き、赤い絨毯が引かれた部屋だった。
イメージでいえば、
(なんかヤバそうなボスが居そうな部屋だァァァ!!? )
「目が覚めたか 」
ルースの目の前には、ボスと自称する金髪の少女が高そうな椅子に腰掛けていた。
「おわっ!? 」
「そんなに焦るな。ただこの自衛団の目的を話すだけだ 」
「あ〜、なるほどぉ 」
ルースの手足は椅子に拘束されている。
後ろにある唯一の出入口は、あの老兵が固めている。
ボスの後ろにはメイドが一人。
銃で全身を武装した女が端っこに一人。
その護衛すべては、ルースただ一人を見つめていた。
(焦るしかねぇだろこの状況ぉぉ!!! )
「そ、それでぇ……この団のお名前は? 」
威圧するように足を組みなおす少女は、なんの恥ずかしげもなすこう言いきった。
「私たちの名は平穏焼き切る平和の雷。自衛団だ 」
(だっっっさ!!!? )
「お前も知ってるだろ? この街は犯罪者は処刑するという法が存在する。だが無くなった犯罪は表面ばかり。裏では今日も犯罪が広がっている 」
(いやよくよく考えてもダサいな )
「なのにだ。自衛することすら、この街では認められていない。おかしいだろそんな事……人が傷付けられてしか動かない癖に、騎士は自衛を許さない。武器を振るう者を許さない……そんなの、ふざけるなと言いたくならないか? 」
(誰も指摘しなかったのかな? )
「おい聞いてるのか? 」
「はい!! こんな法ふざけんなと思います!! 」
「……つまりだ 」
少女は苛立ちを示すように眉を傾け、高くあげた足を机へと落とした。
「この法に護られなかった者。この法に不満を持つもの。そんなはみ出し者たちが、騎士の手を借りずにこの街の犯罪者を殺す。それがラグナロクだ 」
(やっぱダサいよなその名前…… )
「そんな私たちに飼われたんだ 」
『ピッ 』
一瞬のうちに、ルースには赤い首輪がつけられた。
「お前には飼い殺されて貰うぞ? 」
「あのぉ……僕に人権はありますか? 」
「人権は無い。報酬はあるがな 」
(思ったよりヤバいヤツらだァァ!! )
「ちなみに言うが、その首輪には爆弾がついてる。お前の価値がなくなり次第爆破する。サボるなよ 」
(おわぉぉぁたぁぁぁ!! )
「ではお前の仕事ぶりに期待する 」
(あぁぁ帰れば良かったァァァ!!! )
そうしてルースは自衛団という名の、犯罪組織の一員として働くことになった。
文字通り、その命が尽きるまで。
(まぁいっか )
けれどルースは冷静に、すべての人を観察していた。
(この組織を傾ければ、僕も逃げられる )
彼女らは知らないのだ。
自らが飲み込んだ、毒の正体を。
分かっていないのだ。
そのおぞましき致死性を。