第6話 「あたし、実は前から気になってはいたんだけど……。」
次の記憶は、里桜の顔から始まった。
「礼、大丈夫?」
心配そうな顔で僕を見つめていた。
僕は6畳ほどの部屋のベッドに寝かされていて、里桜がベッドの横に居た。潮はちょっと離れたところで目を閉じながら椅子に座ってバランスを取り、前後にゆらゆら揺れている。バランスを崩してそのまま後ろに倒れてしまえ。
「救護室よ、ここは」
キョロキョロしている僕が聞きたいことを先回りして答えてくれた。
「何でも女の子にKOされたらしいわね」
そうだ。
僕は記憶を辿っていった。
美女に会った。
目が合った。
そしたらひどい目に遭った。
しかし、どう考えても僕に非があると思えない。
「礼。あたし、実は前から気になってはいたんだけど……。」
里桜が深刻そうな顔で語りかけてきたので僕は身構えた。
「あなた、とうとう痴漢を働いたのね!」
「それでもボクはやっていない!」(※1)
男というのはこういうとき不利だ。
一応、説明を試みたが、反対多数で僕の意見は否決された。といっても2対1だが。
「冤罪だ!僕は断固上告する!」
「そう言うことで、君はもう少し具合が良くなるまでここで服役してなさい」と潮が言った。
「完全に犯罪者扱い!」
「ちなみに、パーティーは君が気絶している間に終わっちゃったからね。おいしかったよ、料理」
と、嬉しそうに潮が言う。
その言葉に僕は愕然とする。
なんたる痴態!
僕は今日のこの日をどれだけ待ちわびていたことか!
相備いずみを一目でもいいから見たかった。(潮情報では、それは見事な和服姿だったそうな。)
ここで、今日のことを振り返ってみた。
<今日の収穫>
・痴漢犯罪(冤罪) ………………………前科1犯
・パンチ(ノックアウト性のもの) ………… 1 発
・意味不明の重体 ………………………3時間ほど
・目の保養 ……………………………… 少 々
・友人2人からの評価下落 ………………プライスレス
嗚呼、大幅な赤字だ。
このままでは、倒産してしまう!
そんな風に頭を抱えながら一人で悶絶していると、扉をノックする音が聞こえた。扉は潮から近かったが、潮は、椅子を傾けたまま知らんふりを決め込んでいた。多分単純に面倒くさいだけなのだろうが。仕方なく里桜が応じることとなった。
「どちら様ですか?あっ!」
扉が開かれた瞬間、開かれた隙間から眩いばかりの光が放たれたような感覚がした。
きっと天使様がご降臨されたのだ。
違った。
そこにいたのは相備いずみだった。
彼女は、パーティーのままの姿だった。月白色をベースとした振り袖で、袂と裾には紫紺色のグラデーションが施され鮮やか。そのグラデーションに沿って、同系色の牡丹の絵が美しく鏤められていた。帯はその華やかな着物を邪魔しないモノトーンのシックなもので帯紐はパールであしらわれている。その着物と漆黒の美しい髪が共演を果たすとまさに天女だった。
「門田君、大丈夫ですか?」
優しく語りかける口調はベホマ以上の効果をもたらした。
「はぁ、まぁ、今のところは」
僕は突然の訪問にビックリしていて、そう答えるのが精一杯だった。
「何でも殴り倒されたらしいですね」
次の言葉はザラキでした。
そんな風に死んだり生き返ったりを繰り返していると、突然彼女は謝ってきた。
「ごめんなさい、門田君」
今度はメダパニか?なんで謝られるのか見当が付かない。むしろ謝られたことで、畏れ多くてこちらが謝りたい気分になってきた。
「実は、貴方を殴り倒したのは、私の従姉妹なのです」
それで納得したことと、納得できなかったことが1つずつ。
あの美しい容姿はやはりどこか血が繋がっているからか。しかし、あの有無を言わさず殴り倒す性格は、是非血が繋がっていないことを願いたい。
「そうです。貴方が体験した通り、彼女は凶暴なのです。」
悪いことをしたと思っているからなのか相備いずみの目にはうっすら涙が浮かんでいる。その高貴で美しい涙は、とても罪深い感覚にさせられる。貴女はこんな私にも慈悲を与えてくださるのか!
「どうか私に免じて彼女を許して頂かないでしょうか?」
そう言ってスッと頭を下げる。彼女はこういう動きに至ってまで美しく、洗練されていた。
「そんな、頭を上げてください。もう済んだことですし、気にしていませんから」
それに貴女を見られたから十分です。という言葉は心の中に閉まっておいた。
彼女は僕がそう言うと、パァッと明るい顔になった。眩しいぜ、笑顔。
「なんて心のお広いお方。この恩はいつかお返しします」
「いえいえ、ありがとう」
「何故ありがとうなのですか?」
本音が漏れてしまったので少し焦った。今日は災難に遭い最悪だったが、彼女と近距離で過去最高に長く話すことができた上に、素晴らしい着物姿を拝見でき、さらに色々な表情までいただきました。だからありがとう。
「近いうちに何かお返しいたしますから、連絡先を教えていただけませんか?」
なんかフラグ立った。
絶対立った。
クララが数十人が一気に立ち上がり大挙して行進してくるような気分だ。
このことをきっかけにお礼にデートとかしちゃったりしてっていうあれですか?
そのまま伝説の木の下で告白受けちゃったりしてっていうあれですか?
「正気に戻れ」
里桜が現実に戻してくれた。グーだった。
「だったらここに連絡してもらえると有り難いです」
そう言って僕の携帯番号をメモ書きし渡した。
相備いずみはそれを受け取り丁寧に折ると、帯に差し込んだ。やはりその動きは美しい。
「それでは私、そろそろお暇させていただきます。ご迷惑おかけしました」
そう言って、軽く頭を下げ相備いずみは優雅に部屋を出て行った。
「なかなかどうして、趣深いお嬢さんじゃないか」
あの潮が感動している。
そう言いながらまたバランスを取っていたが、勢い余ってとうとう後ろに倒れた。ざまあみろ。
「確かにあんな人、今の世の中あまりいないわね。礼が惚けるのも何となく分かる気がする」
わかってくれるのは有り難いが、百合に走らないでくれよ。まぁ、男が男に惚れると言う表現があるから女が女に惚れてもいいわけで、多分その類なのだろう。
こうして僕は、色々と深い傷を受けたが、相備いずみから飲まず食わずでも2週間ぐらい生きられるくらいのエネルギーを貰い、ほくほく顔でうちに帰った。
※1 それでもボクはやっていない
2007年公開の日本映画。周防正行監督、東映制作。痴漢冤罪を題材にした映画。