第13話 「あなた、私の許嫁じゃない」
あっという間に放課後になった。
部活に行きたかったが、例の女の件を思い出しげんなりした。
放課後のことはみんなには言ってなかったので、すでに里桜はバスケ部に、潮はいつもの通り、風のようにどこかに行ってしまった。今日は何かと波瀾万丈な一日だったので、放課後の対策を何も考えていなかった。
さてどうしたものかと考えていると突然、耳に息を吹きかけられ「ひぃっ!」という情けない悲鳴とともに背筋がゾクゾクすることになった。
「あら、どうしたの?礼」
赤渡ユリアがご丁寧にもこちらに足を運んでくださったようだ。
「『あら、どうしたの?』じゃない!いきなり耳に息かけられたら誰でもビックリするでしょうが!」
「あら、こういうプレイはお気に召さないのかしら?」
「プレイって言うな!一体何の用ですか!」
「そんな忘れた振りしなくてもいいわよ。」
そう言われて、僕は嘘を見透かされたようで焦ってしまった。
「約束通り、学校を案内して欲しいのだけれども」
「そんなことぐらい自分一人で出来るじゃないですか?」
「貴方は幼気な女性に一人で校舎を回れと言いたいのね。ああ、なんて酷い仕打ちを!」
幼気なんてどの口が言った。「痛い」の間違いじゃないか?
「何故か知らないけれど、急にあなたを殴りたくなってきたわ」
ユリアは僕の心の中を読んでいるかのような台詞を吐いた。
「とにかく案内しなさい。さもないと、貴方はクラスのみんなを敵に回す事になるかもしれないわ」
ユリアにそう指摘されると、確かになんだか周りの視線が痛いのに気付いた。あんなに攻撃的な癖して、妙に距離が近いので(シャンプーのいい香りやら、胸が当たったりの大豊作でした)遠くから見ていれば、じゃれているように見えなくもない。タダでさえ、里桜とのやりとりでファンから顰蹙を買っている僕なので、これ以上敵を増やしたくはない。ここは言うとおりにしておいた方が得策なのかもしれない。
「わかりました。案内しますから。すぐにでも」
「あ、あと街の中も少し案内して欲しいわ」
要求の通し方がえげつないですよ、ユリアさん。断れないように話を進めるのがお上手ですね。なんだか距離が近かったのも計算なのかと考えてしまうと、僕は恐ろしくなって少し身震いした。
「ここが、生物室で……ここが化学室」
バスガイドよろしく案内する僕。一通り案内してこれが最後の校舎だ。
「この校舎、人気がないわね」
「ここの校舎は特別教室しかないですから用のある生徒以外はこないですよ……」
「ふうん」
不適な笑みが見えた。その笑みに僕はハッとした。
もしかして、ここで戦うというのか?
そう思って、僕は距離を取って半身になった、
「ここでやろうというのか!?」
「こんなところでヤるなんて。あなた以外と大胆ね」
「大胆もくそもあるか!今度こそ不意打ちは喰らわないぞ!」
「不意打ち?ああ、そう言う事ね。てっきり違うことかと思ったわ」
あんた一体何を考えていた。そっちのことならそりゃさぞかし大胆ですな。
「まぁ戦いたいのであれば付き合うことに吝かではないけれど、生憎今日はそんな予定はないわ」
「?」
「私も人間よ。出会うたびに襲撃していたら私の身が持たないわよ。まぁ大体一日一回くらいかしら」
「それでも多いわ!」
「そう言うことだから、案内を続けて頂戴」
そう言って、さっさと行けと言わんばかりのジェスチャーをした。
なんだか許嫁解消のためじゃないような気がしてきた。会話にしても攻撃的ではあるが、毛嫌いしている様子もなく、まだ企みがあるという線が残っているとはいえ、わざわざ自分から案内を頼みに来たのだ。
真相を確かめるためにはやっぱり聞くしかないだろう。
「昨日、『量りに来た』って言ってましたよね?」
「ああ、そうね。そんなことも言ってたかしら」
「なんでそんなことを?」
「あなた、私の許嫁じゃない」
直球ど真ん中で来た。
「どんな男か試したくなるのは当然じゃないの?」
「まぁ確かにそうですけど……」と言葉を濁した。一般男性だったら昨日の時点でこの女は殺人者になっていただろうな。
「率直におもしろそうな男だと思ったわ。骨があるというか」
とりあえず褒めてもらってるよな、これ。
「でも、実戦経験が浅いわね」
「……実戦経験って、そんなものあるわけないですよ」
「そんなものかしら」
「……自分はどうなんですか」
「私は、去年までイギリスの特殊部隊SASに所属していたわ。特別にね。特別と言っても、コネとかじゃないわよ。年齢とか、国籍とかよ。ちなみに実力では私の右に出る者は居なかったわ。その前は、アメリカのエアフォースにだったかしら」
「それはそれは、いい経歴の持ち主で」
明らかに嘘っぽいが、この女ならあり得るかもしれない。
「しかし、僕を試すだけならもういいのではないですか?」
「そうかしら」
「今の語り口だと、もう大体僕の実力がわかってるんでしょう?」
「そうね。でも毎回こちらからの一方的で、あなたから攻撃されたことはないわ。それでは勝負が着かないわ」
そう言って髪を掻き上げた。
「勝負?」
「私、負けず嫌いなの」
そう言うと、一人で先に歩き出した。
「早く来なさい」
そう言われて僕はトボトボと着いていった。
なんだか腑に落ちないまま、戦慄の校内観光巡りも図書室を案内して最後となった。
「ここで終わりね。ご苦労様」
やっと解放された。街中を案内するのは後日にと言うことで、今日は学校案内だけにしてもらった。部活があったからだ。しかし悪夢は続くもので。
「そう言えばあなた、どこの部に所属しているの?」
「オーケストラ部ですけど」
「ふうん……」
ユリアはまた不敵な笑みを浮かべた。
「私もそこに入ろうかしら」
その言葉によって、僕に対する監視体制が強まっていくのを感じた。そして、なんだか冷たい汗が噴き出してくるようであった。
「私、一応ヴァイオリン出来るのよ」
「オーケストラ部とは言っても、管楽器は全部吹奏楽部に行ってるから、弦楽だけみたいなもんですよ」
「あら、弦楽合奏ね。それはそれでいいわね」
そう言って小悪魔的な笑みを浮かべる。不覚にもその笑みにときめいてしまうのはきっと修行が足りないからだろう。
「あなたは、何を弾いているの?」
「僕はチェロです。初心者ですけど……」
ユリアは不意に顔を近づけて言った。
「私が教えてあげましょうか」
そう、甘い声で囁くので、何か違うことを教えてくれそうな勘違いを起こしそうだ。きっと修行が(省略)。
多分顔が赤くなっていただろう自分を尻目にユリアは、先を急かすように言った。
「それじゃあ、早速音楽室に案内してくれないかしら」