三頭犬と魔物使い 002-ミラナ
『三頭犬と魔物使い』本編の第二話をミラナ視点に変えて書き直したものです。四章を読み終わる前に読むと、ネタバレになりますのでご注意下さい。
場所:イコロ村
語り:ミラナ・レニーウェイン
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放課後の教室に残り、私はいま、飼育日誌をつけている。
イコロ村の魔法中等学校で、私は生徒会長と飼育委員長を兼任していた。
受検が終わり結果も出たいま、どちらの仕事も引き継ぎは既に済んでいる。
それなのに私がいまだに飼育委員の仕事をしているのは、後任の子に「お願い!」と、頼まれたからだ。
私は動物好きだから、手伝うのはかまわないけど、生き物の世話は、もっと責任を持ってやってほしい。
だから私は、今後後任の子がサボらないように、あらためて飼育委員の指針を作っているのだ。
動物たちの食事の量や時間、清掃の頻度や緊急時の対応などについて説明を書き込み、さらにチェックリストを作って、仕事漏れを防ぐ。
動物たちと触れ合いながら、後輩たちが楽しく飼育を学べるよう感想欄を儲け、達成感も得られるように、動物の成長を記録するための、さまざまな表も作っておこう。
「なぁなぁ、ミラナ。あとどれくらいかかりそう?」
そんな忙しい私を、幼馴染のオルフェルは今日もじっと待っている。
いや、いつもはじっと待っているけど、今日はなんだか、いつもよりソワソワしているようだ。
いまも彼は、私の前の席に座り、完全に体をこちらに向けて、私の顔を覗き込もうとしていた。
彼はまた、私に告白しようとしている。オルフェルの真っ赤な髪が揺れるたび胸がドキドキ飛び跳ねた。
今日はいつもより距離が近い。私を見詰めるその顔は、まるで芸術品のようだ。
うっかり至近距離で見てしまうと、失神するくらいの破壊力がある。
彼はまるで太陽のように、周りに元気を与えていた。才能とユーモアで人を惹きつけ、いつも笑顔の中にいる人。それがいま、私の前にいるオルフェルだ。
みんな彼をお調子者だなんて言うけれど、彼はどんな時も明るくて優しくて、本当に魅力的な人だった。
対して私は、友達なんかほとんどいない。昔から真面目なだけが取り柄のつまらない女だ。
ーーまったく、オルフェルはどうして私なんかが好きなのかな。
オルフェルには何度か告白されたけど、私はその度に理由をつけて断っている。
それなのに彼は、私が落ちてきた横髪を耳にかける様子を、食い入るように見ているのだ。
私の髪色は少し特殊で、普段は薄茶色だけど、陽の光をあびるとピンクがかって見える。
いまは窓から差し込む夕日のせいで、髪がピンクに染まっていた。
ーー前に、この髪の色が綺麗だって言ってくれたよね。そんなに見つめられると、恥ずかしくて顔があげられないよ。
ーー真顔をつくって誤魔化そう。
私はいま、彼がカタ学に合格したことで、内心すごく落ち込んでいるのだ。
彼が、本気を出していたことに気付いたのは、彼が試験会場に現れたときだった。
本来自信家で楽観的な彼が、緊張で顔を強張らせている。勉強嫌いでだらしなかった彼はそこにはいなくて。
彼がカタ学に挑んだ理由は、私がそこに行くからだろう。
自分に自信がない私でも、そうだとしか思えない。いまもオルフェルは、目の前で私を見詰めているから。
その燃えるように赤い瞳は、夕焼け空のように綺麗で、甘くて、熱くて。
ーー勉強だけは負けないつもりだったのに、まさかカタ学に合格しちゃうなんて。
ーー勉強しかできない自分が、ますますつまらなく感じてきたよ……。
私がこんな残念な理由で、結構落ち込んでしまっているなんて、彼に悟られるわけにはいかない。
こんなときに告白されたら、ますます不安になってしまうから。
「俺、ミラナに言いたいことがあんだけどな。まだ仕事、終わんねーの?」
「まだまだ。いろいろとまとめなきゃいけないことがあるんだよ。急かすなら先に帰ってよ」
私はできる限り真顔のまま、冷たい声でそう返した。
友達もろくにいない私が、こんな眩しい人と恋人になるなんて、あまりに難易度が高すぎるのだ。
もし彼と恋人になったら、私はつまらないうえに不器用だから、焦って失敗を繰り返すだろう。
そしてあっという間に飽きられて、振られてしまうに決まっているのだ。そうなればもう、オルフェルが私に話しかけてくれる事は二度とない。
「大変なら手伝うぜ?」
「あー、ありがとうー大丈夫ー」
「お手伝いいたしますよ? お嬢様」
「いいのいいのー」
オルフェルは声色を変えたり、変な顔をしたりして、あの手この手で私の真顔を崩そうとする。
私は日誌に目を向けたまま、いつもどおりの真顔で、棒読みの返事を返しつづけた。
「ミラナ? ミラナさん? ミラナちゃーん? ミーラちゃん♪」
「もう、忙しいんだから、邪魔しないで」
私は大好きな彼に、これ以上告白されたくないのだ。私は必死に下を向いて、なんとかいまをやり過ごそうとした。
だけどオルフェルは諦めるどころか、ますます顔を近づけてくる。もう息がかかりそうなほど近い。
彼はカタ学への進学を決めたいまこそ、告白のタイミングだと思っているのだろう。
顔をあげようとしない私に向かって、告白を開始してしまった。
「なぁミラナ? 俺さ、ミラナに比べればそりゃ、不真面目かもしんねーけどさ……。結構俺、真剣っていうか、本気だからさ……」
「へー? オルフェル、カタレア学園に進学が決まって、勉強やる気満々なんだね」
「いや、そ、それは、そうなんだけど、そうじゃなくてさ。わかってんだろ?」
「知らないよ」
話を逸らそうとしてみたけど、今日のオルフェルは真剣のようだ。彼との距離が近すぎて、心臓が爆発しそうに鳴っている。胸が苦しくてたまらない。
ーーだめだめ。真顔、真顔。
「ミラナ……。さっきから、眉間に皺ができてるぜ?」
「えっ? うそ、やだ」
思わず顔をあげると、無邪気すぎる笑顔がそこにあった。ドキドキしすぎて固まった私に、オルフェルがとんでもないことを言ってきた。
「なぁ、ミラナ、キスしていい?」
「えっ? なっ、なんで!?」
「なんでって、好きだから」
「ダッ、ダメッ」
思わず日誌で、オルフェルの頭を叩く私。真っ赤になった顔を日誌で隠す。こんな大胆な攻め方をされては、気持ちを隠し切るのは不可能だ。
「オルフェルのバカッ。もうあっちいって」
「そんなこと言わずに一回だけ。ほっぺでいいからさ。合格の祝いに」
オルフェルは意地になって、叩かれてもまだ迫ってくる。さらにバシバシと叩く私。
ーーバカバカ! キスなんか恥ずかしすぎてとても無理だよっっ。
ーーもうっ、なんでいきなりそうなるの!? だから、難易度高いんだっては。
焦りすぎて真顔が崩れた私は、もうお淑やかな優等生ではいられない。
気がつくと私は、真っ赤な顔で立ち上がって、オルフェルに向かって怒鳴っていた。
「ほんとにバカッ! そういうのは、恋人同士でするものだよ。お祝いとかでしないんだよ!?」
「だってミラナ、何回告っても恋人になってくれねーからさ……。俺のこと好きじゃねーの?」
「だっ、だって、オルフェルは、授業中に寝るし、お弁当食べるし、遅刻するし、真面目な話してるときにふざけるし、それに、スケベなことばっかり考えてるもん!」
「ぐ……ミラナ、そこをなんとか……」
「ダーメッ! それに私、忙しくて、それどころじゃないって言ってるでしょ」
早口でまくし立てると、オルフェルがしょんぼりしてしまった。しまったと思うけど手遅れだ。
ちなみに授業中に見られる彼の寝顔は、びっくりするくらい可愛くて、私の至福のひと時だった。
それなのに、こんな悪口になってしまうとは。私は決して、彼に嫌われたいわけではないのだ。
ただ、恋人にはならずにいまのまま、ずっと一緒にいたかっただけ。
我ながらあまりに不器用すぎて、思わず唇を噛んでしまう。そんな私に、オルフェルが恐る恐る聞いてきた。
「じゃ、じゃぁ、俺が、騎士になれたら……とかは? それならどう?」
「もう、オルフェルったら。最近ちょっとは真面目になったのかなって思ってたのに。騎士はさ、カタレア学園のなかでも、成績上位の人しかなれないんだよ? そんなことばっかり言ってて、ほんとになれるの?」
「なる、ぜったいなるから。なったら、俺の恋人になって?」
「はいはい。なったらね」
また早口でまくし立てた私に、オルフェルがさらに懇願してきて、思わずそんな返事をしてしまった。
まったく彼は、こんな私のどこがいいというのだろうか。
ーーん? でも待って? 騎士って、カタ学を卒業してからなるやつじゃない。卒業したら二十一歳だよ?
ーーそれまでは恋人にならずに、いままでどおり一緒にいられるってこと?
そんな考えを彼に悟られないように、日誌をつけるフリで下を向いた。
「えっほんとに!? 恋人になってくれんの?」
「き、騎士になれたらだよ?」
「やったーーー! 俺、明日死ぬかもーーー!」
オルフェルが全力で両手を突き上げて喜んでいる。六年も返事を先延ばしにしたというのに、こんなに喜ばれてしまうとは。
「俺、ぜっったい騎士になるから、ミラナ、約束、忘れんなよ!」
爽やかな笑顔を浮かべて、私にそう言ってくれたオルフェル。
彼が騎士になる頃までには、私も彼に相応しい、素敵な女性になっていたい。
そう思ったあの日から、今日でどれくらい経つのだろう。
オルフェルはいま子犬の姿で、私の膝の上に乗っている。
丸い体に短い手足。赤い目や毛はあの頃と同じだけど、ずいぶん小さくなってしまった。
人間だった頃のオルフェルは、背が高くて体格も良かったから、正直言って信じられない。
だけどこれがオルフェルだと思うと、なんだかすごく可愛かった。
「オルフェル、ほら、あーん。ミルクだよ~?」
「きゃうっ!?」
私は哺乳瓶を手に持って、オルフェルに口を開かせようとした。
目覚めたばかりのオルフェルは、まだ少し混乱しているようだ。私の腕の中でひどく暴れて、牙を剥き出しにして抵抗している。
やはり彼も少し凶暴化しているようだ。だからこのミルクは、なんとしても飲ませておきたい。
これは闇の魔法をかけた、調教のためのミルクなのだ。
「オルフェル〜? ほ〜ら、これ飲んで、落ち着いてね?」
怯えた顔で私を見上げたオルフェルの口に、私は哺乳瓶を差し込んだ。