それは、偽りの方舟の免罪符
1977年8月4日石川県沖120km海上
福岡港発直江津港行き 日の丸フェリー所属
貨客船「ひのもと丸」
日本海側の海の交通を牛耳っているのが日の丸フェリーである。排水量20000tを超える貨客船「ひのもと丸」は日の丸フェリーの主力であり今日も定期航路についていた。
帰省シーズンということもあり新潟へ帰るために利用したり旅行や避暑地のために乗り込んだ家族連れで溢れる船内はかなり賑わっている。皆、のんびりとした海の旅を楽しんでいた。
何も知らずに。
「ひのもと丸」艦橋
「艦長、定時連絡終了しました。」
無線士の報告を受け取った艦長 丸高 孝二は「そうか、引き続きがんばってくれ」と労いも込めて返事をする。50を超えた丸高は真っ白な制服に身を包み大型の双眼鏡を首から下げるいかにもと言った艦長で温和な態度から部下に好かれていた。
「艦橋より機関室へ、増速2ノット」
「機関室より艦橋へ、直進航路ですが」
答えたのは機関長 花橋 孝。丸高の昔からの知り合いで、その付き合いはプライベートにも及ぶ。どちらかと言うと計算高い理系で丸高とは真逆ではあるのだが何故か仲が良い。
「せっかくの旅行でお客さんは浮いてしまいそうになってる。楽しみで仕方ないなら急いでやらんとな」
無線の向こうから短い笑いが聞こえる。
「、、、了解です。増速2ノットアイ、サー」
無線を置くと丸高はふと、息をつこうとした。そのときだった。
「艦長、緊急連絡!」
「どうした、そう焦って」
かなり、焦った様子の無線士を落ち着けるように話すが内心では心がざわめき始めていた。
(緊急、連絡か?なぜそんなものが)
「海上保安庁からです。我が船の前方60マイルに不審な船舶を確認、注意されたい。以上です」
「不審な船舶ねえ。もうちょっと詳しく(情報を)くれないとねぇ」
「そうでありますなあ」
二人揃って笑いに包まれる。そこに水を差すかのように警戒士官が声をあげる。
「前方030度方向、60マイルに船舶を確認しました」
「何ぃ」
そう聞いて丸高は双眼鏡を掴み覗き込む。
水平線の彼方に、それはいた。
「なんだ、あれは」
「は、、、」
続いて双眼鏡を目に当てた無線士は息を呑む。
「、、、帆船、なのか?」
「そのようだな」と答えて航海長 矢田 明人に命じる。
「航海、面舵60度。機関、前進全速」
「面舵60アイ、サー」
「機関前進全速アイ、サー」
二人の返事を待ってから丸高は全艦放送のマイクを握る。
「えー、艦長よりお伝えします。航路を変更する関係から多少揺れることがございます。甲板のお客様は直ちに船内へおは入り下さい」
すぐに船外水密戸から船員が飛び出していき、いきなりのことに戸惑う客たちの誘導を始める。
「すぐに船内へ!お急ぎください!」
「焦らず、誘導に従って下さい!」
身振り手振りで海外客にも対応していくと徐々に客は船内へ駆け込みだす。
「落ち着いて!足元に注意して下さい!」
船外からの客が押し寄せて船内で団らんしていた家族連れたちが客室へ押し戻される。こうなれば、一気に混乱が巻き起こってしまう。そこへ揺れがくるのだ。20000tが一気に向きを変える揺れが。
1人コケれば、密集している隣がコケる。それがさらに隣へ、隣へとドミノ倒しのように伝わる。群衆雪崩が発生しても押し潰されるので悲鳴は上がらない。あげられない。一気にホールにいた客は倒れてしまった。
丸高は頭を悩ませながら次善の策を打とうとするが、それは差し止められた。舵を切って回避したはずの「帆船」はこちらへ船首を向けてきたのだ。
「不審船は回頭!こちらへ向けて回頭してきます!」
「なんだと!それじゃあこの船を狙っとるようなものやないか!面舵30度!海保に連絡、不審船に追尾されていると伝えろ」
「了解!」
海上保安庁第9保安管区
「こちら、海上保安庁です。事件ですか?事故ですか?」
「不審船です。排水量はおそらく5000t隻数は1、現在追跡されている」
一瞬、オペレーターの息が乱れた。すぐに緊急事態通報が出される。管制長が金沢へと連絡する。
「現在、巡視船と哨戒機を向かわせました。そのまま回避行動を続け、無線はそのままにしてください」
「了解しました」
第9保安管区 金沢海上保安部
巡視船PL15 だいおう
就役したばかりの新型の大型巡視船「だいおう」の船長
風原 惣太郎三等海上保安監の号令一下、過去にない速度で出港準備が進められていた。
汽笛を鳴らす間もなく「だいおう」は出港した。マストを緊急船舶表示灯の赤色灯で照らしながら。
第9保安管区
管制官の頬に汗が伝う。
「海自(海上自衛隊のこと)は何をしていたんだ!」
24時間P2J哨戒機が飛び回り海上を監視している。そこに穴があったという訳だ。去年には大国の戦闘機が函館空港に着陸されたばかり。防衛体制に不足があったのはわかったはずなのに何をしていたのか。
もちろん、海保の巡視船にも非はある。が、根幹が崩れていてはどうにもならない。
「とにかく、長官に緊急連絡を回すんだ。国籍が判明していないとなれば厄介だ」
「了解しました」
数刻の後、海上保安庁長官より国土交通相にホットラインが繋がれ事態は通常国会にて答弁中の総理に伝えられた。
更に数刻後、閣僚会議が緊急招集された。国会はもちろん中断された。
PL15「だいおう」航海艦橋
「レーダー探知しました。貨客船ひのもと丸は前方45マイルにて航行中、正面に捉えました」
航海士官の報告で風原艦長は双眼鏡を覗き込む。
「それで、あの後ろに付いているのが例の不審船という訳か。よし、左舷から回り込んで並走する。面舵一杯」
「面舵一杯、了解しました」
航海士官の舵切りで動揺する中で風原は不審船を睨みながら無線を手に取る。
「だいおうより保安管区司令へ、不審船を確認した。5000t級の帆船、速力は13ノット、ひのもと丸は満客の模様で速度が乗らずなんとか逃げている模様。これより接近して警告に移る」
「保安管区司令了解」
無線を切ると風原は監視士官を呼び出す。
「投光器を用意、国際信号にて呼び掛けを」
「了解しました」
投光器を操作して動作確認を行う。
「(こちらは、海上保安庁、巡視船、だいおう、貴艦の航行目的を問う)」
「目標に向け発光信号を送信、応答を待つ」
しかし5分たっても不審船はなにもしなかった。
「だいおうより保安管区司令へ。発光信号にて呼び掛けるも効果無し。次の警告に移る」
「保安管区司令了解」
「もう一度、もう一度だけ発光信号にて呼び掛けを実施せよ」
「警戒士官、了解」
「(こちらは、海上保安庁、巡視船、だいおう、貴艦の航行目的を問う)」
そして更に5分。
保安士達は待った。我慢した。我関せずと悠々と航行する不審船を前にして。しかし不審船はなにもしなかった、そうとなればやるしかあるまい。
風原も同じ気持ちで無線を握った。
「だいおうより、保安管区司令へ。不審船はこちらの警告を無視。依然として航行中。
警告射撃を実施する」