『私後ろでクスクスするだけの役ですので』
「ヘルミーナ! お前との婚約を今日限りで破棄させてもらう!」
学園の卒業式の後、王家主催の宴に参加していた私ヘルミーナは突然ヴァルス第一王子からそう告げられました。
しかも相手は階段の踊り場で、自分が優位に立てるのと、会場内にいる全員に聞こえるような大きな声で高らかと。
まるで理解が追いつきません。私は茫然としてその場に立ち尽くしていました。
殿下の後ろ隣りには、クスクスと笑っているピンクブロンドの少女がこちらを見ています。あれは確か、聖女とも謳われている男爵令嬢レナさんだった気がします。
「理由はわかっているな?」
「わかりません」
私ははっきりと申し上げました。いやだって昨日まで一緒に過ごしていたのに、突然何を言い出したのか、正直そこから理解が追いつきませんでした。
まだレナさんはクスクスしています。それ以外に表情を変えず、言葉を発しないのでなんだか怖いです。
「ならば教えよう。この聖女でもあるレナに対して数多くの嫌がらせをしてきたというじゃないか!」
「身に覚えがないのですが」
「なんだと? しかし、レナは確かにそう言っていたのだぞ! なあ、レナ!」
「あ、私後ろでクスクスするだけの役ですので、お構いなくお話を続けてください」
辺りが一瞬にして静寂に包まれました。しかしレナさんはクスクスと悪い笑みを浮かべています。なんという心の強い子なんでしょう。ある意味尊敬します。
しかし、困りました。ヴァルス殿下が言っていることが本当にわかりません。レナさんに寝取られたような感じではありますが、彼女に嫌がらせなどしたことはないのですが。
「た、例えば道端で足をかけて転ばせたり!」
「ああ、あれは私が転びそうになって踏ん張った際に結果的に彼女が転んだだけですが」
「なに!? しかしレナ、君は……」
「そうですよ? しかも私に手を差し伸べて、スカートについた埃もはたいてくださったんですよ?」
「そうですよ!? レナ、前に話した時と違うじゃないか!」
ヴァルス殿下は明らかに焦りを見せています。
なんでしょう、この茶番。だんだんイライラしてきました。
なんというか、ヴァルス殿下ってこんなに小さい器の方だったのですね……。
「そ、それだけじゃない! 上の窓から水をかけられたと!」
「それは事実ですが、水を捨てるのが目的だったので、ちゃんと謝りました」
「そうですよ。それに着替えも持ってきてくださったんですよ」
「また、そうですよ!? 君は何を私に教えたんだ!」
ヴァルス殿下はレナさんに組み付きますが、レナさんはまだクスクス笑ってます。この人本当強いですわね。だんだん尊敬してきましたわ。
「私は何かヘルミーナ様とぶつかったり、何かされたことはないかと言われたのでその事実だけを教えただけです」
「だ、だったら全部教えてくれれば……」
「いや聞かなかったの殿下じゃないですか。お酒に酔って、そうかそうかと話をぶつ切りに。私はお酒に誘われただけなので、ただ話していましたけど」
ああ、なるほど。だんだん話が分かってきました。つまりは、ヴァルス殿下は私と別れたい、聖女のレナさんと婚約を結ぶためにこんな茶番を仕組んだわけですね。
なるほどなるほど。怒りも通り越して私はあきれてしまいました。
「それに殿下は私に後ろで笑みを浮かべて控えていればいいと仰っていたじゃないですか」
「そ、それは……」
「だから私はずっとクスクスするだけにとどまっていたのに……」
貴女は貴女で何なんだ、それは。まあ、王子からそう言われては言う通りにせざるを得ないと思うのですが……。
まあ何はともあれ、この茶番を聞いてあたりは騒然とされています。中には殿下を可哀そうなものを見る目で見つめている夫人方もいらっしゃいました。
「う、あ……そのな、何もかも誤解だった! あ、あははは、あははははは! 婚約破棄は……」
「殿下」
私は扇で口元を隠し、凄みながら殿下に声を掛けます。ここまでされて、なかったことにされるなど、こちらが恥をかいただけになるじゃないですか。ばかばかしい。
「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ」
「な」
「だってそう言われたのは殿下でしょう? 証人はこの場にいる方全員です」
会場内の人々もうなずいておられます。国王陛下は頭を抱え、王妃様はわなわなと震えていました。
「それではごきげんよう。その方と一緒になられたいのであればご自由にしてください」
「そんな、ヘルミーナ! 私が悪かった! ああ、レナ。君を嫌いになったわけではなく、その……私は君のことが……」
「ヴァルスゥ!!」
会場を後にしようとすると、背後から国王陛下の叫び声が聞こえてきました。
どうやら怒りに触れたようで、ぐぇっという悲鳴と殴られたような声が聞こえてきます。あたりも騒然としていますが、もう何も気にすることはありませんでした。
そして庭園で私はゆっくりと月を眺めていました。
ああ、綺麗な満月。
本当ならヴァルス殿下と一緒に見ている頃でしたが、婚約は破棄、まあすっきりしましたが、これで縁談をやり直すことになるでしょうね。ここにはこられなかった両親にはなんと言えばよいのやら。
「ヘルミーナ様」
と、背後から声を掛けてきたのは、先ほどクスクスする役をしていたレナさんでした。今更何の用なのでしょう。私は少しだけ顔をしかめながら振り返ってみると、そこにはレナさんと、レナさんとよく似た少年が立っていました。
「ほら、練習した通り」
「わ、わかっているよ、姉ちゃん。いやお姉さま」
緊張したような表情を浮かべて、少年はこちらにやってきます。まっすぐな緑の瞳、整った顔立ちに、無理をして買ったのであろう礼装。そして震える手で手紙を取り出し、私に頭を下げながら差し出しました。
「ずっと好きでした! 貴女のような素敵な女性はほかにいません! どうか、私と婚約してください!」
まさか、婚約破棄されたその日に告白されるとは思いもしませんでした。レナさん、もしかしてこれを狙って殿下をはめたんじゃないでしょうね?
そうだとしたら相当の悪女ですが……。
しかし少年のほうからは誠意が感じられます。それに純粋な愛も感じられます。が。
「うーん……『今は』お断りします」
私はそう告げました。ガァンと衝撃を受けたように少年は顔を上げ、泣きそうになりますが、私は続いて言いました。
「お姉さんの力を借りて告白をするなど、そんな弱い方とお付き合いするわけにはいきません。ですが、そうですねぇ。それでも自分の力で家に乗り込んできて、何度も愛の告白してくださったら考えるかも」
「……わかりました! ありがとうございます!」
そう言って、少年はそのまま走り去っていきました。その表情は爽やかで、とても愛らしい人です。
「あーあ、振りましたね」
「振ったわけではありません。今は私にふさわしくないと言っただけで……いつかは大きな方になられると思いますよ。私にふさわしい、ね」
私は腕を組んで少年の走り去っていった方向を見つめました。きっと彼は強くなると思います。
「そうですか、それならば私はよかったと思います。ありがとうございます、そして申し訳ございませんでした、あのような無礼を」
「いいんですわよ。代わりに良い縁談を持ってきてくださったのですから。両親も納得してくださると思います。それに悪いと思っていないでしょう?」
「はい、私はただ後ろでクスクスするだけの役ですので」
「悪女ですわねぇ。聖女の名を返上したほうがいいんじゃないですか?」
「あはは、確かに」
本当、この娘はどこまで本気なのかわかりませんわね。敵に回すことだけはやめておきましょう。しかし、仲良くなれる気がするので、この後二人で飲みあいました。そこへ殿下が泣きついてきましたが、警備の人に連れて行ってもらいました。
そしてしばらく経って、わたくしの元に彼がやってきました。もちろん私は、彼が持ってきた指輪を受け取ることにしましたとも。