争いと過去
お城の前は確かに騒がしかったですが、いつも通りでした。気のせいだったのでしょうか。けれど深呼吸をしてお城に入ると、やはり、広間はいつも通りではありませんでした。小さな国のあちこちからそれぞれの村の長が、お城の中に駆け込んできたようでした。広間で騒ぐその人たちの声は、落ち着いてはいませんでした。
「争いだ」
「三つの村が滅びた」
「どうにかせねば」
そんな言葉が何度も繰り返されています。そして、繰り返されるたびにより大声に、より切迫した声になるのです。その時、お父様の声がしました。
「静まれ」
決して怒鳴っているわけではありませんでしたが、他の声は一瞬で消えました。そして外から帰ってきた私を見たお父様が言ったのです。
「レイラ、こっちに来なさい」
私はさっきまで泣いていたことを悟られないように前髪で目を隠しながら、誰とも目を合わせずにお父様の方へ行きました。私が行くと、お父様は悲しそうにため息をついてそばにあった椅子に腰かけました。背もたれのない椅子に座るお父様を見たのは、これが初めてでした。
「お父様、何があったの?」
私がそう聞くと、お父様は顔を手で拭きながら話してくれました。
「西の端の空で、竜の争いが起きた。竜の争いは知っているね、レイラ」
私は静かに頷きました。でも、あれはおとぎ話だと思っていました。そんな心の内を読んだかのようにお父様は言いました。
「確かにあれはおとぎ話だけれどね、レイラ。竜の争い自体は、実際に過去に起きていたんだよ」
この言葉を聞いた途端、私は不安でたまらなくなりました。私がお話を聞いて想像していた景色から、お母様の優しい声が消えていきます。そして残ったのは叫び声と泣き声、そしてはっきりとした恐れでした。
「デモンド国王!」
村の長の一人が声を荒げてそう呼びました。その途端に私は我に返りました。お父様を呼んだその人は、他の人を押しのけながら前に出てきました。そしてお父様の前で跪くと、静かにこう伝えたのです。
「呪われた血の雨が既に降り始めています。このまま広がれば、やがて雲海の国にも到達し、我々は滅びてしまいます」
その声に広間は再び混乱に陥りました。けれどお父様はもう静めようともせず、椅子から力なく立ち上がると広間を出ていきました。そして扉の前で、
「レイラ、来なさい」
と呼んだので、私も慌ててお父様について行ったのです。私はお父様の書斎に連れていかれました。そこもお城の他の場所と同じようにほとんどが大理石でできていましたが、机の後ろには壁がなく、かわりに大きなステンドグラスがはめ込まれていました。白い竜の前に何人もがひれ伏している様でした。きっとこの白い竜はクライアでしょう。そんなことを思っていると、お父様がそのステンドグラスの前にある椅子に腰を下ろして深く息を吐きました。私はお父様に、これから私たちはどうなるのか尋ねました。お父様は首を振りながらうなだれました。
「わからん。竜の争いが収まらなければ、私達の国は滅びてしまう」
「そんなの嫌よ」
けれどお父様は何も言いませんでした。いいえ、何か言えないでいるのです。きっと何かを言うために私をここへ呼んだのです。私は一度落ち着こうと、顔を上げました。その時、ちょうど夕日がステンドグラスのクライアの目の場所に入って、まるで炎のように赤く染まりました。それを見た瞬間、あの赤い竜と、テネリの姿を思い出しました。そして、テネリのあの言葉も。私はお父様に聞きました。
「お父様、雲海の国って何?地上の魔法使いからはどう思われているの?」
するとお父様は、何かに弾かれたかのようにはっと顔を上げました。その顔には何かの覚悟があるようでした。
「私は、それを、伝えなければならないのだ」
お父様はそう言うと、立ち上がってステンドグラスを眺めながらぽつりと問いかけてきました。
「お前は、我々がどうしてこの雲海の国にいるのか知っているかい?」
私は雲海の国の歴史なんて知りません。雲海の国の始まりは、そう考えた瞬間、また少年と竜のお話を思い出しました。
「竜の争いを鎮めたクライアが、ここへ来たのが始まりだというお話は、知っているわ」
「ではなぜこの国には竜ではなく、私達がいると思う?」
おとぎ話の抜け落ちた点を私に聞かれても困ります。けれどお父様は私の答えを聞く前に自らこう続けたのです。
「連れてこられたからだよ」
ますます状況がわからなくなりました。私達は連れてこられたなんて、一体全体どういう事なのでしょう。私が首をかしげていると、お父様は少しずつ、私にすべてを教えてくれました。
「私たちの先祖は、罪を犯した。それも、取り返しのつかない罪だ」
お父様はそう言いながらステンドグラスを指さしました。
「竜は、自らは戦わない。自分たちが争えば、血の雨で世界が終わってしまうからね。けれど、何を思ったのだろうか。その昔に、偉大な魔法使いがいた。自分が呪われた血の雨から身を守る術を扱えるのをいいことに、竜達を陥れて彼らを争わせたのだ。彼は巧みに魔術を使い、言葉を操り、竜達に憎しみと恨みを抱かせた。そして恐れという火をつけたんだ。そして竜達は我を忘れて争い、世界のほとんどが滅びてしまった。けれどその時、一匹の竜が現れた。それがクライアだ。レイラも知っているね。クライアは実在していて、竜の争いを鎮めた。そして竜の争いが終わった後、クライアはここに国をつくり、竜達を陥れた魔法使いを捕まえて連れてきたんだ。竜達を陥れた魔法使いの名は、デズローズ。デズローズ・デモンドだ。そう。我々のご先祖様なんだよ」
私は唇をかみしめていましたが、体の震えを止めることはできていませんでした。あの恐ろしい争いの発端は、私のご先祖のしたことで、私はその子孫だなんて、知りたくありませんでした。お父様は私を抱きしめて静かに言いました。
「ああ。辛い事だ。レイラ。でも、これは事実なんだ。受け入れなくてはならないよ」
私は何と答えればいいのわからず、ただひたすらに首を横に振っていました。お父様はさらに続けます。
「クライアはデズローズが二度と悪事を働かせないようにと、彼の魔力を封印し、彼の手下もまとめてここに閉じ込めた。魔力を失ったデズローズはやがて年をとって死んだが、デズローズの一族である私たちは今もこうして生きている。魔界から追放された私たちは、滅ぶまでこの雲海の国にいる運命なのだ」
追放されたなんて、知りたくありませんでした。地上の魔法使いたちが、テネリが、そんな風に私たちを見ていたなんて、知りたくありませんでした。だから魔法使いたちは、私達の国に近寄らなかったのです。だからテネリは・・・。
「クライアは?ねえ、お父様、あのお話が本当ならば、クライアにまた竜の争いを止めさせてよ」
私はお父様に抱き着きながらそうお願いしました。けれどもお父様も悲しそうに首を振るだけでした。
「それはできないよ、レイラ。知っているだろう。何世代も前から、クライアを見たものは誰もいない。どこにいるのか、本当にいるかどうかすら、わからないのだ」
絶望がこんな突然にやって来るとは知りませんでした。私達は本当に滅びるしかないのでしょうか。私はどうすればいいのかわからなくなり、書斎から駆け出しました。広場に集まる村の長たちの間を通り抜けて、外に出ました。後ろで私の名を呼ぶお父様も、王女様、と叫ぶ村の長たちも無視して走り続けました。見張りの人にも呼び止められましたが、私は構わず走り続けました。そして再び東の丘にやって来たのです。涙を流しながら振り返ると、もうほとんど夕日が沈んでいて、まさに真っ赤に染まる雲海の国がありました。でもきっと、呪われた血で染まる雲海の国はこんなに綺麗ではないのでしょう。あのルルがうたれたような、熱くて痛い雨をふらす雲になるのです。あの大理石のお城も、西の夕日の海も、この東の丘も、何もかもがなくなってしまうのです。