夕焼けウナギ
その日から私は好き勝手に雲海の国を探検しました。今まで何度か来たことはありますが、こんなに自由に、人の目を気にせずに探検できたのはこれが初めてでした。見張りの人の実家だという“黄昏貝”と“夕焼けウナギ”を育てる夕日の海の人とはあっという間に仲良くなりました。私はそこで初めて、料理される前の黄昏貝と夕焼けウナギを見ました。黄昏貝は海水の中で金色に輝いていて、その身は透き通った黄金色でした。夕焼けウナギは思ったよりも色鮮やかではありませんでした。黒っぽくてぬるぬるしています。なので初めはどうしてこれを“夕焼けウナギ”と呼ぶのか理解ができませんでした。私がそう言うと、隣にいた男の人が黒い布を持ってきて、ウナギのいた水槽に覆いかぶせました。するとどうでしょう。水槽の水がじわじわと夕焼け色に輝きだしたのです。
「このウナギはね、急にあたりが暗くなったり、身に危険を感じたりすると、特別な体液を出すんですよ。それがあたりの水を夕焼け色にするんです。この体液は万病に効くし、どんな怪我もすぐに治すっていうことで、私らだけでなく薬屋も育ててるんです」
夕焼けを液体にしたような水槽に手を突っ込みながら男の人は言いました。私は不思議に思って彼に聞きました。だって、暗闇で光ったりしたら他の魚に食べられてしまうではないですか。この質問で男の人は私を世間知らずだと思ったのでしょう。少し驚いた顔をしました。それでもすぐに優しく微笑んで、こう教えてくれました。
「はい。暗いところで光ると、敵に居場所を知らせる事になってしまいます。けれどこのウナギはきちんとそれも理解しているんです。彼らはさらに強い光を発することができるんです」
それを聞いて私は手を叩きました。
「そうか!それで相手の目をくらますのね!」
男の人は満足そうに頷いてくれました。実際に男の人がウナギをつつくと、水槽どころか夕日の海全体がまばゆく照らされました。たった一匹でこんなに光るのなら、群れで光る時には夜なんてなくなってしまうでしょう。お仕事の邪魔になるので毎日は遊びに行けませんでしたが、遊びに行った日には黄昏貝や夕焼けウナギ、はたまたそれ以外の貝や魚のことについても教えてもらいました。私に教えてくれる男の人は、ナタシアという名前でした。そしてナタシアから貝や魚を売ってもらい、お土産として見張りの彼にあげるのです。
ある日私が西の海に行くと、ナタシアはちょうど夕焼けウナギにご飯をあげていました。
きらきらと光るエサを食べようと、夕焼けウナギたちは水面にたくさんの顔を出していました。
「わあ、すごい数。一体何匹いるの?」
私がナタシアにそう尋ねると、彼は首をかしげました。
「正確な数は私にもわからないんですよ。でも百、いや、千はいますね。でも雲海の国のあちこちでたくさん育てているから、この国にいる夕焼けウナギの数は途方もないですよ。あ、レイラ様もエサをあげてみますか?」
ナタシアはそう言いながら、私に夕焼けウナギのエサを分けてくれました。それはとても細かな粒で、ひとつひとつが金色に輝いていました。それに、なんだか甘い香りがします。これは一体何からできているのかとナタシアに聞くと、彼はまじめになってこう言ったのです。
「いいですか、このエサはとても貴重なんです。夕焼けウナギよりも貴重ですよ。でも、夕焼けウナギが食べないと意味がない。私らは間違っても食べちゃいけません。食った瞬間体が燃え上がってしまいますからね。これは、雲海の国の南の山で捕れる、“炎の花”の花びらを乾燥させてすりつぶしたものなんです。あの伝説のクライアが食べていたのと同じ花と伝わっています。これは本来地上にある一か所にしか生えていないんですがね、なにしろこの国を造ったのはクライアですから。自分が食べるものだからと、この国にも咲くようにしたんでしょう。そしてクライアがいなくなってからはその南の山にある小川にすむウナギがこれを食べ始めたんです。人間は食うと燃えちまうが、ウナギたちは大丈夫なんです。炎の花の花びらは軽いですからね。風で簡単に流れて、小川の水面を埋め尽くすんですよ。そしてこの“夕焼けウナギ”が生まれたんです」
私はその話を聞きながら、手にしたエサをまじまじと眺めました。きっとこの甘い香りは花の香りなのでしょう。私はナタシアの話に感心しながらそのエサを水面にまくと夕焼けウナギが、待ってました、と言わんばかりに食いつきました。その必死さが少しおかしくて、飛んできた水滴を拭いながら笑っていると、ナタシアが懐から小さな瓶を取り出しました。人差し指くらいの長さの瓶で、その中には水のように透明で、けれどもねっとりとした液体が入っていました。ナタシアはそれを空にかざしながら言いました。
「これが、夕焼けウナギの体液ですよ」
それから彼は私の目の前でそれを軽く揺らすと、途端に自分の上着であたりの光を遮りました。すると、以前見せてもらった時のようにあたりが夕焼け色に優しく輝いたのです。
「夕焼けウナギに刺激を与えた時ほどは光りませんが、振れば暗闇を照らすくらいの光は放つんです。でも気を付けてくださいね。それでも落とすとそれなりの光を発しますから。しばらくは目がちかちかしちまうくらいです。まあ、頑丈な瓶ですから、たたき割らない限り割れないですけれどね。これがこの雲海の国の特産品、夕焼けウナギの体液ですよ。といってもまあ、私らは地上の魔法使いと関わることはございませんから、出回るのはこの国の中だけですがね。何しろ私たちは魔法が使えませんから。月の光に人魚の鱗を混ぜると竜になるとかいう輩もおりますが、これでも使わないと、竜になるどころか、傷も病も治せませんからね。」
ナタシアはそう言うと私にその瓶を渡してきました。
「前にも言った通り、これはどんな病も傷も治してくれます。どうぞお守りに持っていてください」
私はそんな高価なものは受け取れないと言いましたが、ナタシアはお金はいらないから私に持っていてほしいと聞いてくれませんでした。どうしようもないので私は心からのお礼と交換に、その夕焼けウナギの体液が入った小瓶を受け取りました。それ以降、私はそれをお守りとしていつも持ち歩くようになりました。