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雲海の国  作者: 赤亀たと
2/16

王女のおでかけ

 次の朝、私はいつものように起きて髪をとかすと服を着替え、自分の部屋を出ました。大理石のお城は床がひんやりとしていて裸足で歩くととても気持ちいいのです。

「まあ、レイラ様、どうか靴下をお履きになってくださいな」

 階段を下りる途中で給仕にそう注意されてしまいましたが、彼女は私に追いつけやしません。

「嫌よ、靴だって履きたくないもの」

 そう言うと私は裸足のまま階段を駆け下りて、広間に出ました。朝食は広間の向こうにある部屋で食べます。給仕がもう追ってこないとわかると、私は堂々と歩いて朝食を食べる部屋に入りました。大理石のテーブルを囲んでお父様とお母様、そしてお婆様がいました。

「おはようございます。お父様、お母様、お婆様」

 挨拶をしてから席に座ると、給仕たちが朝食を運んできてくれました。中には先程私に靴下を履けと注意してきた人もいて、私を追いかけたせいで息を切らしたのを必死に隠そうとしていました。その姿がおかしくて、こみあげてくる笑いをこらえるのが大変でした。その口元を隠すようにクリームを塗ったパンを食べていると、お父様がふと顔を上げました。

「そうだ、レイラ。この前、勝手に城の外に出たそうだな」

 さっと血の気が引くのが自分でもわかりました。私は手に持っていたパンをお皿において頷きました。隠すつもりはありましたが、嘘をつくつもりはありませんでした。

「ごめんなさい」

 あの日は確かに誰にも見られなかったのに、と思いながら私は謝りました。お母様は心配そうにしていますが、お父様はじっとジャガイモのスープを見つめたまま何も言いませんでした。その沈黙に耐えられなくて、私は口を開きました。

「でもお城の中はもう退屈なの。それに私、来月で十二歳よ?自由にお城の外に出るのくらいは、許してほしいわ」

 それでもお父様は何も言ってくれませんでした。お母様は不安げなままで、お婆様は紅茶を飲んでいます。私はもう一度お父様に言いました。

「ねえ、どうして外に出てはいけないの?雲海の国の人はみんな親切で優しいわ。この国だったらどこにいても安全だって言ったのはお父様の方じゃない」

 お父様は顔を上げると、まっすぐに私の目を見て言いました。お父様の目は何層にもガラスが重なっているように、奥深くまで透き通っていて、何かを貫くように光ります。

「ああ。安全だ」

 顔の前で両手を組みながらお父様は続けました。

「だがレイラ、お前は地上にまで降りるだろう。あそこはまるで違う世界なのだ。我々が行ってはいけない場所なのだよ」

「地上には行かないわ。約束する。だから雲海の国の中だけならいいでしょ?お願い」

 私が身を乗り出してそう言うと、反対にお父様は、大理石の椅子の背もたれに寄りかかりました。そして一息つくと、しばらく黙ってから頷いてくれたのです。

「わかった。いいだろう。そのかわり、城を出る時には私かお母様に言いなさい。約束だ」

 私は嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。ようやく自分の好きな時に好きな場所に行けるのです。もちろん雲海の国の中だけですが。それでも十分です。そうと決まれば今日の予定はもう決まりです。この国を好きに見て回るのです。今までは城の人にばれないかとびくびくしていましたが、今日からは胸を張って出かけられるのです。

「ありがとう、お父様!」

 残りのパンを詰め込むと、私はお行儀なんて忘れてミルクで流し込み、席を立ちました。さっそくお出かけの準備です。けれど部屋から出る直前でお父様が咳払いをし、私を呼びとめました。

「それからレイラ」

 私がきょとんとして振り返ると、お父様が私の足元をじっと見つめて、視線を私の目に戻して言いました。

「靴下は履くこと」

 私はスカートの裾で素足を隠しながら、はい、と返事をして部屋に戻りました。


 衣装ダンスから夕日の糸を織り込んだ布の鞄を引っ張り出して、その中に水晶のナイフ、どこからか飛んできた風船で作った水筒と、果物を入れました。靴下と靴を履けば、もう準備は万端です。

「お母様、行ってくるわ」

 朝食を終えて部屋から出てきたお母様に、すれ違いざまそう言って私はお城の門を抜けました。

「レイラ様、お出かけですか?」

 門のところで見張りにそう言われましたが、私は胸を張ってこう言いました。

「ええそうよ。でも止めないでね。お父様からもう自由に外に出ていいって言われたんですもの」

 見張りは少し焦りながら聞いてきました。

「けれどもお供はお連れにならないのですか?あなた様は王女様であられるのですよ」

「大丈夫よ。出歩くのは雲海の国だけだもの。安全でしょ?」

「それはそうですが・・・。私でよければお供いたしましょうか?」

 見張りがいよいよおろおろし始めました。私よりもずっと背が高くて強そうだったので、その様子が少しおかしくて私はつい笑ってしまいました。

「ありがとう。でも平気よ。そうだ、あなたはお魚好き?」

 急にそう聞かれた見張りは、きょとんとした顔のまま頷きました。今まではお城の人に出かけているがばれないように、秘密の外出は短時間で済ませていました。けれどもう、私は好きなだけ見て回ることができるのです。なので、一度も行った事のない西のはずれの海まで行くつもりでした。雲海の国の海は地上の海とは違い、海水はありません。代わりに透き通った空が波打っているのです。私が海辺を想像していると、見張りが続けました。

「はい。私の実家は雲海の国の西にあります“夕日の海”で“黄昏貝”と“夕焼けウナギ”を育てていますので」

「あら、いい偶然ね。わかったわ。それならお土産にそれを持ってきてあげる。だから私のことを心配しておろおろしそうな時は、“黄昏貝”と“夕焼けウナギ”の事を思い出して、楽しみにしててよ」

 そう言い残すと私は彼の返事も聞かずにお城の敷地を出て、大理石の階段から雲の上に降りました。硬い大理石とは違って、雲は柔らかく息をするようにゆったりと動いていました。けれど大理石のようにひんやりとしています。ああ、素足でこの上を歩けたらいいのに。私はそう思いながら手で雲を愛でました。それから再び立ち上がり、気の向くまま風の向くまま雲海の国を歩き回りました。

「まあ、レイラ様じゃありませんか」

 豆売りのおばさんが赤と黄色に光る髪をたなびかせながらやってきました。

「なんて美しくおなりになったのでしょう。今日はお散歩ですか?いいお日よりですもんね。ああ、どうです、私共が手塩にかけて育てた豆を一袋いかがですか?大丈夫、巨人に出くわすことなんてありませんから。奴らがいるのは地上か別の雲の上ですからね。あ、それよりも豆のスープの方がよろしいですか?」

 早口で話し続けるおばさんに、正直私はどう応えていいかわかりませんでした。急いでいるからと言って、その場を切り抜けましたが、お城の正面は賑わっていて、息をつく暇もありませんでした。こっそり抜け出す時はいつもお城の後ろから出ていたので、お城の前の景色を見るのはこれが初めてでした。何とかその賑やかな場所をでて、開けた場所で息をつきました。そっと流れてきた雲が頬を撫でます。


 とてもいい匂いのする雲でした。きっと今年の夏は、いい夏になるでしょう。


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