終わりと絶望と切望
クライアに比べればちっぽけなデーラも後からついてきます。私はクライアの言葉の意味を考えながら、彼の眼として先を見つめました。
空へ飛び立とうとしたクライアでしたが、やはり力が足りないようです。何度か地面に体を擦りながら、ようやく空へと昇りました。しかし、そこには絶望の前兆があるだけでした。太陽が傾き、世界が赤く染まっています。呪われた血の雨を降らす雲が広がり、世界が赤く染まっています。夜が来る。血の雨が降る。もう私たちには、絶望しか残っていないのかもしれない。私はそう感じて、その光景に、生きる意味すら見失ってしまいました。ついに血の雨が降り始めました。そしてそれはすぐに音を立てて地面に落ちてきています。クライアにはもちろん、目になった私たちにも当たります。刺すような痛み、焼くような熱さ。けれども心の苦痛は、それをはるかに超えました。こんなにも残酷なことが、この世で起こるとは。あちこちから竜の争う音や、叫ぶ声が聞こえてきます。
ふと、天空から、一匹の竜の叫び声が聞こえてきました。緑の竜が真っ逆さまに落ちていきます。その竜は息も絶え絶えでした。美しい青色の瞳は片方つぶれており、右肩から左腰に掛けてざっくりと切れていました。きっと他の竜に鋭い爪で引き裂かれたに違いありません。次の瞬間、風を切る音と同時に青い竜が降りてきて、狂ったようにその竜に噛みつき始めました。あまりに恐ろしい光景でした。これが、デズローズが、その崇拝者の魔法使い達がかけた呪いの力でしょうか。我を忘れ、怒りと憎しみ、あるいは恐怖が、瞳の中でのたうっています。命が命に奪われる悲しい光景。緑の竜は、もう逃げる気力すらないというのに、青い竜はその竜を傷つけ続けます。その時、クライアの前を小さな影が横切りました。デーラが青い竜を横から突き飛ばしたのです。
「デーラ!」
テネリが心の叫びをあげましたが、青い竜がデーラに噛みつき、デーラのあげた叫び声でかき消されてしまいました。デーラは何とか相手の牙から逃れましたが、青い竜は戦う事を止めようとしませんでした。青い竜の方が断然大きく、デーラの方が劣勢でした。クライアの体を通じて、テネリの震えが伝わってきます。テネリも怖いのです。悲しいのです。怒っているのです。けれどもデーラを助けたければ、争いを止めるしかないのです。竜であるデーラを傷つけようとしているのは、その青い竜だけではないのですから。私達は二匹の竜が争う音を後ろにしながら、クライアの体と共に飛びました。目の間で争い合う竜達の間を縫うように飛び、クライアは赤い血の雨の中を進み続けました。激痛に体をよろめかせながらも、飛び続けます。
そして、竜達の争いが最も激しい空へとくると、クライアは大きく息を吸いました。そして、大気はおろか、大地を、世界をも揺るがすほどの咆哮をあげたのです。その咆哮で、竜達を包んでいた邪悪な皮を剥がれ、吹き飛ぶのが見えた気がしました。竜達の争いが次第に静まっていきます。
しかし、クライアの力はそこで尽きました。最後のひと雫の光を放ち、太陽が沈んでいきました。彼はそのまま、ひゅうひゅうと風を切って、真っ逆さまに大地へと落ちていったのです。
気がつくと、私は草原の上にあおむけになって倒れていました。私とテネリは元の姿に戻っています。しかし、クライアは大きなその体を地面に横たわらせ、死んでいました。今や太陽は完全に沈み、辺りは真っ暗でした。竜達の争う音はなくなっていました。あたりは静まり、そして、ぽつぽつと雨の降る音だけが聞こえていました。私にもその雨粒が当たりました。当たると同時にあの痛みと熱さが体を貫き、私は思わず叫んでしまいました。
「レイラ!」
私の叫び声を聞いて、テネリが駈け寄ってきました。
「テネリ!」
私が彼の名を呼ぶと、テネリは返事もせずに私の腕を掴み、走り出しました。嫌な予感がします。この予感は当たらないでほしい。そう思っても現実は変わりませんでした。テネリが足を止めた先には、深い傷をおったデーラがいました。腹が裂け、大地に血だまりを作っています。
「デーラ、デーラ」
テネリが縋るようにそう叫ぶと、デーラは弱々しく尻尾をあげました。
「いいんだ、デーラ。無理するな。今なんとかしてやるから。だから、死なないで。死なないで。お願いだから、死なないで」
涙を流しながら、テネリはデーラを撫で続けました。この時、私は自分の愚かさを呪いたくなりました。あの洞穴で夕焼けウナギの小瓶を叩き割らなければ、まだ持ってさえいれば、デーラはもちろん、この場にいる竜達を癒すことができたかもしれません。なんて馬鹿だったのでしょう。もうやめて。もう一滴たりとも降らないで。誰も傷ついてほしくなかった。誰も殺されてほしくなかった。その願いがどうしようもなく強いのに、簡単に、無残に、踏みにじられた気がして、やるせなくて、どうしようもありませんでした。テネリや私の泣き声は、呪われた血の雨の間を縫って、静かな世界に響きました。しばらくすると、別の泣き声も聞こえました。竜の泣き声です。子どもの竜でした。もう動かない母親の隣で、空に向かって泣いていました。その竜に続くように、あちらこちらで竜が泣き始めました。暗い世界は泣き声で包まれました。わずかな雨音と、溢れかえる泣き声で、世界は静まり返りました。竜の争いは終わったのです。終わったというのに、残ったのは、絶望です。
頬を流れる熱い涙を何度も拭いながら、私は赤黒い雲を睨みつけました。そして、そこに最後の絶望を見たのです。白光りするお城をのせた白い雲が、赤黒い雲に飲み込まれようとしています。
「そんな・・・」
かすれた声で叫んでしまいました。お母様が、お父様が、お婆様が。嫌だ。嫌だ。止めたのに。竜の争いは止めたのに。物語のように金の炎をはき、癒しの雨を降らせてくれるクライアはもういません。
「レイラ、君ももう行きなよ」
涙を拭いながらテネリが私に言いました。
「僕はデーラと一緒にいる。君は家族の所へ行って。大事な人の所へ行くんだ。会ったことはないけれど、素敵な君の家族も、きっと素敵なはずだ。誰がなんて言おうと、君は、本当に素敵な人だよ。さあ、行って」
そして、彼は震える声で微笑みました。
「雲海の人に会えてよかったよ、ありがとう」
こんな時まで。心がそんなに砕け散っているのに、テネリは、この人は、どうして、こんなに誰かを思えるのでしょう。再び、竜の争いは終わったのに、と追い打ちをかけてくるような絶望を恨む気持ちが沸きました。しかし今度は、心のどこからか別の声がします。この争いを終わらせるのは、レイラ、お前自身だと。クライアが飛び立つときに言っていました。竜の争いは終わらせるから、私たちはこの争いを終わらせろと。この争いとは、一体何なのでしょう。竜の争い以外に何が争えるというのでしょう。今にも呪われた血の雨の雲に飲み込まれようとする真っ白な雲海の国を見あげました。ふと、何かが顔に落ちてきました。何かの雫です。呪われた血の雨かと思いましたが、痛むことはありません。手で拭うと、それは金色に輝いていました。夕焼けウナギの体液です。きっと、雲海の国から落ちてきたのでしょう。この時になってようやく、私はクライアや古の木が言っていた本当のことを理解しました。まだ争いは終わっていないのです。最初の竜の争いが起きた時に、その争いははじまったのです。そして、この竜の争いが終わった時こそ、その争いも終わらせる時なのです。デズローズによって引き起こされた竜の争いにより、それまで皆一つだったのに、雲海の国の民と地上の魔法使いとに引き裂かれました。そしてお互いに大地と空とに境界線を引き、それ以降、ずっと争いは続いていたのです。だとしたら、今こそ雲海の国の民と地上の魔法使いとが再び一つになるのです。そのためには、それを知らせるために雲海の国に行かなければなりません。私は必死になって辺りを見渡しました。どうか、私を雲海の国まで届けてくれる竜がまだいますようにと。私はテネリの方へと駆けだしました。
「テネリ、私を雲海の国へ連れて行って。雲海の国には夕焼けウナギがいるの。あなたが雲海の国に来た時、私が薬を使ったでしょう。雲海の国から夕焼けウナギを解き放てば、きっと金色の癒しの雨を降らすことができるわ。だって、夕焼けウナギは炎の花を食べているんですもの。デーラも、他の竜も、魔法使い達も助けることができるわ」
息も切れ切れにテネリにそう言うと、彼は最後の力を振り絞って立ち上がりました。痛々しい姿であるにも関わらず、テネリは諦めを捨て去った声で言いました。
「わかった。君を雲海の国に連れて行ける竜を探そう。魔法使いにも声をかけてみる。僕は竜だけれど、箒や絨毯を持っている魔法使いもいるんだ」
そして私とテネリは必死に走り、まだ飛べそうな竜や、力を貸してくれそうな魔法使いを探しました。
「お願いです!私を雲海の国へ連れて行ってください!お願いです!空を飛べる人はいませんか!」
大声で呼びかけると、茂みや瓦礫に避難していた魔法使い達が現れました。けれど誰も彼も傷だらけで、誰も彼もが私に憎悪の目を向けていました。一人の魔法使いが言います。
「雲海の国の民め。自分だけ助かろうってのか」
その憎しみの言葉を始まりに、辺りにいた魔法使いたちが一斉に私に怒りを向けてきました。呪われた血の雨が降るここでは、私を守ろうとしてくれる人はいませんでした。投げつけられる石も、体を傷つけていく呪いも、私は一切避けませんでした。やはり雲海の国の民と地上の魔法使いとがわかり合う事は出来ないのでしょうか。
「お手伝いしましょうぞ」
「何を言う、わしがこの子を連れていく」




