燃ゆる眼
声を押し殺して涙を流すテネリの手を、私は決して離しませんでした。どんな過去を残そうと、どんな未来が待っていようと、私たちは進まなければなりません。でこぼこした道を躓きながら私たちは必死に進み続けました。追手が来るのも時間の問題でしょう。きっと今頃、先程まで私たちが隠れていた場所を彼らが調べ、少年と少女と竜一頭が忍び込んだことに気がついているはずです。一度振り向いて後ろを確かめようとしました。けれど後ろを向いた途端に私の視線は前へと流れたのです。細く乾いた息をする音が、聞こえたからです。私は思わずその方向を見ていました。そこには、大きな大きな白い竜が、まるで、岩のように横たわっていたのです。けれどそこにいたクライアの姿は、お話に登場する姿からかけ離れたものでした。美しいはずの白い体はくすみ、汚れと苔がはびこっていました。炎が燃えるような真っ赤な瞳も失っており、両の瞳は閉ざされたままです。翼は折れ、鱗も所々が剥げていました。
「なんてことを・・・!」
思わず私はクライアに駆け寄りました。テネリも慌ててローブから炎の花を引っ張り出しました。
「クライア、クライア」
私とテネリが必死になってそう呼びかけると、しばらくの沈黙の後、地面が揺れました。クライアが、顔を上げたのです。そして、その姿からは想像もできない程穏やかで静かな声が響きました。
「懐かしい匂いだ。とても、懐かしい」
テネリが炎の花を両手に差し出しながら言いました。
「炎の花です。どうかこれを食べて、僕たちを助けてください」
クライアは大きな顔をテネリの差し出した手の方に向けましたが、炎の花を食べようとはしませんでした。
「懐かしい匂いだ。とても、懐かしい」
クライアは同じ言葉を繰り返します。
「ああ、懐かしい。会いたかったよ、ルル」
テネリは炎の花を手にしたまま、呆然と立ち尽くしていました。再び大地が震えます。クライアが更に頭をあげたのです。
「いいや、違う。お前はルルでは無いね。隣からデズローズと同じ匂いがする。けれど、デズローズのよりも希望が寄り添っているようだ。それに、どちらも若々しい。絶望に満ち満ちているが、命は若葉のようだ」
私は古の木にそうしたように、クライアの前で跪きました。
「私はレイラです。レイラ・デモンド。デズローズの子孫です」
するとクライアはなぜか、満足したかのように頷きました。
「そうか。そなたは彼の子孫なのか。では、そちらはルルの子孫だね」
「はい」
テネリがそう言った時、クライアが微笑んだ気がしました。けれど、その瞬間、私たちの目の前に置かれていた炎の花が燃え上がったのです。それは一瞬でした。摘んできたあの炎の花は、あっというまに黒焦げになりました。振り向くと、そこにはデズローズの崇拝者たちが私たちに手をかざして立っていました。
「誰だ!お前たちは!」
一番背の高い魔法使いが言いました。テネリはすぐさま手にしていた残りの炎の花を背中に隠しました。けれど、たった二輪しかありません。これではクライアに力を与えるには不十分です。一体どうすればいいのでしょう。テネリはともかく、魔法を使えない私には戦う術などありません。せめて、クライアの力が多少なりとも戻ってさえいれば。
「ここで何をしているんだ」
別の魔法使いがそう言いながら、じりじりと私たちに詰め寄ってきました。次の瞬間、六人いた彼らのうち二人がどこかへと吹っ飛びました。デーラが突進したのです。
「うわあ!はやく、こいつをどうにかしろ」
一番背の高い魔法使いが再びそう言いました。残された魔法使いは暴れるデーラに向けて次々に魔法を放ちました。
「レイラ、これを頼んだ」
テネリは私に炎の花を押し付けると、笛を口に咥えてデーラの方へと駆けていきました。ぴーっという音がすると同時に、デーラに向けて放たれた呪いや刃が砂のように消えていきます。
「くそ。この笛使いが!」
「こいつは俺が始末する。お前らはそっちをやれ!」
そう声が聞こえると、テネリやデーラの戦いの場から、二人が私の方へと駆けてきました。けれど私の姿を見た魔法使いが急にぴたりと動きを止めました。そして、もう片方の魔法使いに怒鳴ります。
「おい!まて!」
その声でもう片方の魔法使いは止まりました。呼び止めた魔法使いは、私のことをまじまじと見つめます。
「その瞳。その髪色。おい、雲海の民だ。デズローズ様の子孫だ!」
その声が洞窟に響くと、他の魔法使いたちも戦うのを止めました。彼らの視線が私に注がれました。背の高い魔法使いがローブのフードを下ろしました。褐色の肌をした屈強そうな顔立ちの男性でした。彼は、おお、と感嘆の声を上げると私の前で跪きました。
「あなたは、もしや、デズローズ様の子孫では・・・?」
再び、古の木の前で私に絡みついた鎖が現れました。それと同時に、再び、古の木が放った言葉が聞こえてきました。けれども今度は、クライアの声でした。
燃ゆる眼は善と悪
されど彼らは共にあり
終わりを告げる その時に
再び彼らは共にあり
「なぜ雲海の国の民の方が、その花を・・・」
その瞬間、私は自分が何をすべきかを、急に理解しました。手の中で温かく煌めく二輪の炎の花を握りしめ、私は顔を上げました。
「そうよ。私はデズローズの子孫、レイラ・デモンドよ」
魔法使いは雷に打たれたかのような顔をしました。
「なんと・・・」
「何度だって言うわ。私はレイラ。レイラ・デモンドよ。そして、彼は、テネリ」
テネリの名を呼びながら、手にしていた炎の花の一輪をテネリに投げました。そして、手元に残った一輪を口に押し込み、そして胸元からあの夕焼けウナギの体液が入った小瓶を掴み取り、思い切り地面に叩きつけたのです。夕焼けが爆発したかのような光があたりを照らしました。魔法使いは思わず目をつむり、そのすきを見て私はテネリの方へ駆け寄り、炎の花を飲み込んで彼らに言ってやりました。
「ルルの子孫よ」
体の中心が熱くなりました。そうです、ナタシアが言っていました。炎の花は夕焼けウナギが食べるから価値があると。私たちが食べると燃えてしまうと。でも、それでいいのです。燃ゆる眼は善と悪。善が竜の争いを止めようとしたルルであるならば、悪は竜の争いを企んだデズローズです。そして、テネリはルルの、私はデズローズの子孫です。私の体は真っ赤な炎に包まれました。けれどもう不思議と熱くありませんでした。苦しくもありません。ただ、体の感覚がありませんでした。それもそのはずです。私は、クライアの片目になったのです。テネリも後に続きました。炎の花を食べて燃え盛る彼を、クライアはもう片方の目に取り込みました。燃ゆる眼は善と悪。雲海の国に連れていかれる前までは、私たちは確かに共にありました。テネリと私が、クライアの眼になったのです。
クライアの体が光を取り戻していくのを、私にはなぜかわかりました。
「うわあああああ」
魔法使いたちは叫び声をあげながら散り散りになって逃げようとします。けれどもクライアは地面を揺らしながら立ち上がり、不思議な声で吠えました。すると、魔法使い達がその場で崩れ落ちました。クライアの一部になった私には、彼が魔法使いたちの魔力を奪ったのだとわかりました。魔法使いだった彼らは、自らの魔力を失った事に気がつくと、六人のうち二人は絶望し、一人は泣きわめき、二人はがくがくと震えだしました。背の高かったあの男は怒りの声をまき散らしながら、洞窟を抜け、呪われた血の雨が降る方へと自ら飛び込んでいきました。クライアが心に話しかけてきます。
「さあ、二人の子ども達。私は竜の争いを終わらせよう」
クライアは両の翼を広げ、大胆にも洞窟そのものを突き破りました。その途中、クライアの声が心に響きました。
「だから君達は、この争いを、終わらせておくれ」




