時計台の中
時計台の中にも何人かの魔法使いがいました。とんがり帽子を被った人いれば、何も被っていない人もいます。入り口の横にいた二人の老いた魔法使いは、何やら小さな瓶を覗きあってひそひそと話していました。
「どうじゃ。月の光にもう少し人魚のうろこを混ぜてみましょう」
「いえいえ、人魚のうろこより小人の爪の方がいいじゃろうて」
「何をおっしゃる。ええい、グダドダデンダ・シャデデンダ!」
「ああ!何を勝手なことを!身を守りたければ、わしの言う事を聞きなさいと言うたのに」
呪文を唱えられた魔法使いは、瓶を眺めてがっくりしていました。私は何が何だかわからずにその場を通り過ぎ、テネリの後を追いかけました。テネリは懐から笛を出して、ぴーっとひとつ吹きました。するとどうでしょう。私達の体がふっと浮き出したではありませんか。私はテネリの手をぎゅっと掴んでそのまま時計台のてっぺんまで浮かびました。そこには時計の歯車があり、中心には金色の大きな薄い円盤が浮いていました。私はテネリに捕まったままそれを覗き込みました。これが魔界の地図かと思いましたが、円盤の中には何も描かれていませんでした。
「テネリ、地図はどこなの?」
私が尋ねると、テネリが指さしたのはやはり円盤でした。何か魔法をかけると地図が浮かび上がるのでしょうか。いろいろと考えを巡らせていると、テネリがひょいっと円盤の上に乗ったのです。そして驚く間もなくぽちゃんとその中に落ちてしまいました。私は慌てて天板を覗きましたが、そこには金色の波紋が広がるばかりで何もありませんでした。
「ああ、テネリ!」
どうすれば良いのかわからず大声で叫んでいると、下から声が聞こえてきました。先程の二人組の魔法使いです。
「上にいるお方、何かありましたかな?」
青いローブを着たおじいさんがそう尋ねてきたので、私はフードを深くかぶりながら言いました。
「円盤に、この金色の円盤に、男の子が落ちちゃったんです!」
するとおじいさんは隣にいた長身の赤いスーツの魔法使いと声を合わせて笑い出しました。
「心配なさるな、お嬢さん。お嬢さんもその円盤の中に入ってみるとよい。まあ、それは円盤ではなく、扉じゃがな」
おそるおそる円盤に手を突っ込んでみると、手が奥深くまで入っていきました。下の方からあの二人の魔法使いが穏やかに笑う声が聞こえました。ふと、“雲海の国の民”、“竜”という言葉が聞こえた気がしましたが、私は覚悟して目をつむり、息を止めてその円盤の中に身を投げたのです。ぽちゃん、という音と同時に、私は木でできた床の上に立っていました。顔を上げて辺りを見回すと、そこはとても大きな広間で、壁一面に地図が描かれていました。
「あ、レイラ!遅いよ!」
背後からテネリの声が聞こえて振り返ると、壁に立てかけられた梯子にテネリがいました。私が駈け寄ると、テネリは持っていた笛で地図の一点を指しました。
「見つけたよ。ここが太古の森だ。ここから少し離れているけれど、デーラに乗って行けば半日で着くよ。でも太古の森について古の木を探すには歩かなくちゃいけないよ。何しろ空から見下ろしても同じ緑の葉っぱを茂らせているからね。どれが古の木なのかは幹を見ないとわからない」
テネリはそう言いながら懐から一枚の白い布を取り出しました。そして太古の森の地図にかぶせると、ぴったりと張り付けて再びはがしました。そこには太古の森の地図が描かれた布があったのです。テネリは布にきちんと地図が写されているかを確認すると、それをまた懐に戻して広間の中心に戻っていきました。その途中、壁にかけられた絵を見て、私ははっとしました。
「どうかしたの?」
テネリが怪訝そうな顔をしましたが、私はその絵に釘付けになっていました。だって、その絵には先程私に声をかけてくれた、あの二人組の魔法使いが描かれていたのです。青いローブと赤いローブを身に纏ったあの魔法使いです。肖像画に描かれているという事は、まさかあの二人は・・・。私が震える指先で絵をさしながらテネリにそう言うと、彼は噴き出しながらも驚きました。
「その二人はまだ亡くなっていないよ。でも、とにかく優れた魔法使いで、この絵描きの方が先に亡くなってしまいそうだったから今描いてもらったんだ。この絵描きは最高の腕だからね。でもこの二人にあったなんて、本当?」
テネリの問いにはっきりと頷くと、彼は目を丸くしました。
「だとしたら物凄いラッキーだよ」
そしてテネリは声を潜めて付け足しました。
「デズローズ以来の偉大な魔法使いなんだ」
ここから出る時にまだいたら教えてとテネリは言い、私はその絵を横目に出口へと向かいました。けれども今度は、テネリがふらりと壁際に行ってしまいました。それから壁に描かれた地図にそっと右手を添えたのです。そこには、緑の村、という文字が記されていました。テネリが住んでいた村です。テネリはその地図に描かれた山や川、集落を愛おしそうに指でなぞりながら話してくれました。
「この山はね、グラパゴロフっていう名前がついているんだ。僕の家はこのグラパゴロフの麓にあるんだ。よくウシやヒツジをこの山に連れて行って、日向ぼっこさせたり草を食べさせたりしたんだ。それからその横を流れる白水晶の川で、幼馴染のデドンと釣りをしたよ。デドンはいつも左腕に、水色の宝石でできたナイフを携えていたんだ。それで、釣った魚をあっという間に捌くんだよ。凄く上手なんだ」
テネリの声がだんだんと震えていきました。
「竜の死骸が、デドンの家に落ちたんだ。いつもは川に行っていたけれど、その日は空が騒がしかったから、デドンも家にいたんだよ。僕が逃げる時、デドンのあのナイフが付いた血だらけの腕が、瓦礫の下に見えたんだ。僕の親友だよ。なのに、助ける事もできなかった」
テネリは唇をぎゅっとかみしめましたが、あふれる涙を止めることはできていませんでした。それでもテネリは続けます。
「母さんも、落ちてきた竜が吐いた炎で焼かれたんだ。何もしていないのに、争いで我を失った竜が、母さんを焼いたんだ。僕の目の前で。母さんは優しい人だった。いつも静かに笑っていて、僕らを見守ってくれた。それでも強くて、育てている動物が病気になった時や怪我をした時にはつきっきりで看病するんだ。疲れた顔一つ見せないで。それに、僕がデドンと釣り上げた魚を、おいしく料理してくれるんだ。なのに、殺されてしまった。母さんが焼かれるときのあの叫び声が、ずっと耳に残っているんだ」
テネリは涙を流しながら緑の村の泉の端を指さしました。
「ここで」
テネリは言いました。
「ここで、父さんと別れたんだ。竜の争いさえなければ、今日も一緒にいられた。竜の争いさえなければ、母さんだって、デドンだって死ななかった。竜の争いさえなければ、緑の村の人も、他の村の人も、みんないつものように一緒にいられたんだ」
それに、とテネリは加えました。
「竜たち自身だって、きっと、そうだよ。今日もみんなと、一緒にいられたはずなんだ」
それからテネリは涙を拭くと、顔を上げてふっと微笑みました。
「だから、竜の争いを止めないと。レイラ、デーラに乗って行こう」
私は慌ててテネリのもとへ駆けましたが、そのテネリの姿がとても悲しそうで、ただただそっとしてあげたい気持ちで一杯でした。きっとテネリは悲しみたいはずです。落ち込みたいはずです。泣きたいはずです。叫びたいはずです。心の中では心の底からそう思っているのに、頭ではそうしてもどうにもならないとわかっているのです。だからテネリは、微笑んでいるのに、歯を食いしばって耐えているのです。あのぎこちない悲しげな微笑みも、竜の争いさえなければしなくて済んでいたと思うと、私の胸は張り裂けそうでした。




