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雲海の国  作者: 赤亀たと
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王女とおとぎ話

 雲海の国の民は、地上の魔法使いと関わることはありませんでした。

 地上の魔法使いはよく、雲の近くを箒や魔獣に乗って通り過ぎますが、この雲海の国がある雲にだけは、どうしてか決して近づこうとしませんでした。ただの雲と雲海の国が潜む雲との見分け方は、簡単でした。その雲に白びかりするお城があるかどうかを確かめればいいのです。そのお城にはいつも、白い竜が描かれた旗がはためいています。その竜は雲海の国の象徴で、クライアという名前でした。クライアはとても美しく強く、賢い竜です。その真っ白な体は一点の曇りもなく、まるで真珠のように滑らかです。赤い瞳はルビーに炎を注いだように輝き、何でも見通してしまうと言われています。けれど誰もその姿を見た事がありません。それもそのはずです。クライアはおとぎ話に出てくる竜だからです。


 対して雲海の国にいる私達も、地上へ降りる事はありませんでした。それどころか、この国の王女である私は、自分の家であるこのお城の中だけで一日を過ごします。たまにお城を抜け出して、雲海の国を探検することもありましたが、これは内緒です。そして、夜にはお母様にお話をねだるのです。私はどんなお話の中でも、少年と竜のお話が一番好きでした。一日が終わると、昼間の陽だまりでこしらえたベッドでお母様が来るのを待つのです。月明かりのベッドも素敵だけれど、私は陽だまりのベッドの方が好きでした。金色がかった白い光が広がる丸いベッドです。そこに寝転ぶと体が軽くなります。お日様の光が体に流れ込んでくるのが心地よくて、昼間にお城の中庭で風の子達とかけっこをした疲れも消え去ります。特別なのはベッドだけではありません。私の部屋は色んな宝物でいっぱいです。流れ星のしっぽはいつだって天井で踊っていますし、海にいるクジラから、雲に乗って届いたサンゴのお人形や真珠の髪飾りは、霧で作った箱にしまってあります。羊雲で作った特大のソファも、雷雲のオルゴールもあります。大理石でできたお城は雲に溶け込むように真っ白ですが、それぞれの部屋の中は、こうしていろんなもので色とりどりなのです。私が流れ星のしっぽを眺めている時、部屋の扉が開いてお母様が入ってきました。

「レイラ、もう寝る時間よ」

「いいえお母様、お話の時間よ。お願い、少年と竜のお話を聞かせて」

 水色の寝間着を着たお母様に私がすかさずそうねだると、お母様は微笑みながら私のベッドに腰掛けました。お母様は紺と銀色に光る髪を耳にかけて、言いました。ちなみに、私達の髪と瞳の色は光の具合によって変わりますが、それ以外は他の魔法使いと変わりありません。もちろん魔法は使えませんが。

「レイラは本当にこのお話が大好きね。いいわ。話してあげましょう。」

 お話の内容は、こうです。



 今からずっと昔、まだ雲海の国ができる前から、魔界にはたくさんの魔法使いや魔女が住んでいました。魔界にはいくつもの村や町がありますが、そのひとつである緑の村は特別です。民族や生まれ故郷は関係なしに、様々な魔法使いや魔女が住んでいるのです。だから杖を振って魔法を使う者もいれば、呪文を唱える者、念じる者もいます。箒で空を飛ぶ者もいれば、魔獣にまたがる者、あるいは何にも無しに飛ぶ者だっているのです。また、緑の村は文字通り、緑一杯で自然豊かでした。草木は歌い、花は踊ります。獣も魔獣も皆仲良く、木漏れ日の中で戯れ、妖精たちと追いかけっこをするのです。そんな素敵で平和な村に、一人の少年がいました。名前はルル。ルルは農家の少年で、たくさんの生き物を飼っていました。六頭のウシと三頭のヒツジ、五羽のニワトリと八羽のウサギ、それから小さな竜が一匹と、ペガサスとユニコーンを一頭ずつです。ルルの飼っていた竜は、とても美しいサファイアブルーでした。体は小さいですが、とても勇敢でいつもルルを守ってくれます。この竜の名前は、サイルです。

 ある日、ルルはいつものように帽子をかぶってサイルに乗り、魔界の空を飛んでいました。すると、西の果ての空が赤い事に気がつきます。それもただの赤ではありません。どす黒く、重苦しい赤色が、まるで血がにじむように雲を染めていくのです。実際に、それは血でした。竜の争いです。竜の炎と血が、雲を赤く染め、呪われた血の雨を降らすのです。ルルは恐ろしくなって引き返そうとしましたが、もっと恐ろしい事に気がつきました。なんと、さっきまでずっと先の西の雲だけが赤かったはずなのに、自分の頭の上の雲も、既に赤く染まっていたのです。西の空から東の空、いえ、北も南も見渡す限りの空が赤い雲に覆われています。ルルはサイルに家に戻るよう言いました。サイルもそれに従って全速力で家に向かいましたが、彼らの飛ぶ空にもいよいよ呪われた血の雨が降り始めました。それは焼けるように熱く、刺すように痛い雨でした。サイルは竜の丈夫な皮膚で守られていたので平気でしたが、ルルには肌を守るうろこがありませんでした。なのでルルは歯を食いしばって耐えました。それでもあまりの激痛にだんだんと意識が遠のいていきます。やがて、空から何かがぼたぼたと落ちてくるようになりました。竜です。戦いで死んだ竜が、死骸となって空から無数に落ちてくるのです。その惨い姿を目にした途端、ルルは呪われた血の雨の熱さも痛みも忘れて、涙を流しました。気高く、優しい竜達が争うなんて、今までなかったのに、それが今はどうでしょうか。互いに噛みつきあい、炎を浴びせ、叫び、もがき、苦しみ、大地も大空も、憎しみと悲しみと怒りと恐れで満ち溢れています。安らぎも喜びも優しさも、行き場を失っていました。気がつくとルルは大声で叫んでいました。

「お願いです。偉大な竜よ。どうかもうやめてください。お願いだから、もう傷つけあうのも、殺し合うのもやめてください」

 ルルはあらん限りの声でそう叫び続けましたが、戦いの音で簡単にかき消されてしまいました。ルルは泣きながらサイルの背中に顔をうずめました。もう何も見たくありませんでした。何も聞きたくありませんでした。

 しばらくして家に着くと、ルルは呆然としました。呪われた血の雨に打たれた動物は死に、家も壊れてルルの家族も、他の魔法使いたちも倒れていたのです。ルルが生きていられたのは、彼が帽子をかぶっていたからでした。それは、竜の皮でできた帽子でした。それでもルルの腕や足はただれ、血がにじんでいました。これこそが、竜達が争わない理由でした。竜が争えば世界が終わってしまうのです。大地も大空も焼き払われ、その血に触れたものは苦しみ、放っておけば命を落とします。ルルはどうすればいいのかわからなくなって、立ち尽くしました。体中がとても痛くて、けれど心の方がもっと苦しくて、やるせなくなったのです。そんなルルを救ったのは一匹の竜でした。突然ルルとサイルの前にそっと舞い降りた真っ白な竜は、不思議なことに体のどこも汚れていなかったのです。そして竜はその赤い瞳で空を見上げ、金色の炎を吐きました。ルルはその体に飛びついて、必死に頼みます。

「お願いです。どうかもうなにも傷つけないでください。これ以上は何も燃やさないでください。何も殺さないでください」

 けれど次に降ってきたのは赤い血の雨ではなく、金色の光の雨でした。それはとても温かく、痛みを和らげるものでした。赤く染まった雲はみるみるうちに金色に染まり、竜達の争う音も次第に消えていきました。ルルは驚いてその竜を見上げました。竜も顔を下ろしてルルと目を合わせました。

「あなたは、彼らとは違う竜なのですか?あれだけ戦い続けていた竜が、鎮まっていく」

 ルルがそう聞くと、白い竜は首を振りました。

「安らぎも喜びも優しさも、行き場がないだけで、それぞれの竜達は、どんな時もそれを秘めている。憎しみや悲しみや恐れが、閉じ込めてしまうだけなのだ」

 そう言うと、白い竜は深く頭を下げました。

「私に名前を」

 ルルは今や、赤でも金でもなく、元の美しい透明の雨に打たれながら帽子を取りました。そしてひざまずくと、その竜の顔のそばでこうささやいたのです。

「クライア。君は、クライアだ」

 そう言った瞬間、クライアは勢いよく空へ空へと飛んで行きました。彼が去った後、ルルは地上を見て驚きました。赤黒く枯れ果てた大地が再び緑であふれていたのです。地平線の果てには一本の立派な木がありました。その木の根はルルの足元を通り過ぎて、さらに海底をも超えていきました。竜達も今は互いの傷を労わり、住処へと帰っていきます。

 一方、クライアは雲の上にたどり着きました。これこそが雲海の国の始まりなのです。地上で生きていたルルもサイルも、年を取ってやがては死んでしまいましたが、クライアはこの世に生きる者が安らぎや喜びや優しさを持ち続ける限り、たとえそれが内に閉じ込められていようとも、存在している限りは生き続けるのです。


 私は天井を見上げながらお母様に言いました。

「竜に聞いたら、そのお話が本当かどうかもわかるのに」

 お母様は、そうね、と笑いながらベッドから立ち上がりました。そして、部屋から出る直前でこう言うのです。

「レイラ、このお話は昔から伝わるものよ。いつだって大事に心にしまっておきなさい」

 私は黙ってうなずくと、心地よいベッドで眠りにつくのです。


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