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朝になれば自然といつも通りの時間に目が覚めてしまった。
まだ日の昇り切っていない薄暗い部屋でそっと起き上がり、まだ寝ているリュドミラ先輩とイリーナを起こさないように静かにベッドから離れた。
窓を開けてバルコニーに出ると、まだ夜明け前の冷えた空気を肺いっぱいに吸い込む。
冷えた空気が体を巡って、まだ少し残っていた気怠い気持ちが抜けていく。
そうやって暫くの間、バルコニーから遠くに見える湖を飛び立つ鳥を眺めて過ごしていれば段々と肌寒さを感じてきて部屋に戻った。
まだ起きる気配のない2人を起こさないように、気を付けて部屋を出る。
自分に与えられた客室まで行き、ホワイトのワンピースに着替えて自分で化粧をするためにドレッサーの前に座った。
あまり自分でやる機会がないだけで、出来ないことはない。何だったら、私の化粧の腕前はグレタ仕込みなので自信があるくらいだ。
と言う訳で軽く化粧をしてから、髪をどうしようか考えて櫛で梳いて軽く整えるだけで下ろしたままにした。
鏡で変なところがないかを確認してから、客室を出て階段を降りていくと使用人に慌てて駆けよられる。
「気づくのが遅れてしまい申し訳ありません。私どもで何かお手伝いできることは御座いますでしょうか?」
「大丈夫よ、気にしないで」
そう言えば普通は使用人に手伝ってもらうんだったか。私1人でも出来るものだから、そんなこと忘れてたや。
グレタは私の行動に慣れているから、私に合わせてくれているんだよね。いつも感謝しております。
手伝いの代わりに紅茶を淹れてくれるよう頼んで、それを飲みながら別荘にあった本を借りて読んでいる。
そのうちにリュドミラ先輩が起きて来たのに、声をかけられてから気づいた。
「あらぁ、おはよう。早いのねぇ」
「おはようございます。早く起きるのが癖になってまして」
「そうだったの」
早く起きるのに慣れてしまってからは、体が自然とその時間に起きるようになってしまったのだ。
まぁ別に早起きが苦というわけでもないから、いいんだけどね。
まだ寝間着の状態のリュドミラ先輩と暫し話していると、そろそろ朝食も出来たそうなのでイリーナも起こして来て食べようかと言うことになった。
リュドミラ先輩は着替えてくると言い、イリーナを起こす役目は私に任されたので快く引き受ける。
使用人を数人、引き連れて私たちが寝ていた部屋へと行くとまだ気持ちよさそうに寝ているイリーナの姿を見て起こすのを躊躇われるた。
でも、起こさなきゃいけないよね。ベッドに座ってイリーナの肩に手を置く。
「イリーナ、朝だよ。起きて」
寝ている肩を優しく叩けば、割とすんなりと目が開く。でも、まだ起き切っていない様子だったのでイリーナの肩を叩くのは止めず声をかけ続けた。
「おはようイリーナ。ご飯、食べましょ」
「ぅう~ん…うん…」
パチパチと瞬きを繰り返すイリーナはもう寝ることはないだろう。だが、完全に覚醒するまでには時間がかかりそうだな。
後のことは連れて来た使用人たちに任せてしまって、私は先に戻ることにする。
戻ってみれば着替え終えたリュドミラ先輩が私のことを手招きした。
「良かったら、貴方の髪を結ばせてくれないかしらぁ」
「是非、お願いします!」
リュドミラ先輩が手ずから私の髪を結んでくれるなんて、なんて贅沢!もうどうなっても構いません!
私はリュドミラ先輩の前に置かれた椅子に座り、大人しくされるがままになっていた。
髪が完成した頃に、まだ覚醒から程遠いけれど使用人たちにより着替えを終えたイリーナが降りて来たので朝食を頂くこととなった。
今日はアンドリ先輩たちが訪ねて来る日だそうだし、おそらく昼前には来ることだろうと予想している。
昨日は行かなかった湖へ遊びに行こうかと話をしながら美味しいオムレツに舌鼓をうつ。
そんな和やかな朝の時間は入って来た使用人がリュドミラ先輩に耳打ちしたことで遮られた。
使用人に先に指示を出してからリュドミラ先輩は持っていたカトラリーを置くと、困ったように眉尻を下げる。
「ごんなさいねぇ。エヴたちがもう来ちゃったみたいなの」
いや、早いな!昼前かと思ってたら、普通に朝に来やがったぞ!
口の中のオムレツを飲み込もうとしている間に、リュドミラ先輩の話が続く。
「とりあえず、ここに通してしまうわねぇ」
「分かりました」
とか、なんとか話しているうちにもうダイニングへ続く扉が勢いよく開かれた。
「おはようリューダ!今日も一段と麗しく美しい君に昨日から会いたかったー!」
「あらあらぁ、早すぎるわよエヴ」
うーむ、早い。早すぎる…。この時間に来たということは深夜くらいから出発してないと、この時間に着かないはずなんだけど…。
アンドリ先輩の開け放った扉から遅れて、マルクル先輩とプルーストも姿を現した。
なんかマルクル先輩は若干や不機嫌そうに見えるのは気のせいかなぁ。
「おはようプルースト。早かったわね」
「おはよう。そうだね、僕もこんなに早く来るとは思ってなかったよ」
そう言って現在、上機嫌なアンドリ先輩の方を見やったプルーストの目が奴が諸悪の根源だと語っているようであった。それならマルクル先輩の不機嫌の原因も察せると言うものだ。
「まだイリーナは起き切ってないわよ」
「うん、そうみたいだね」
「残念だったわねぇ」
「そうでもないよ」
あっそ。茶化しにいった私が馬鹿だったよ。
馬に蹴られる前に口を閉じて、止まっていた朝食を再開させる。
余っていた席に彼らもそれぞれ座ると丁度、私の向かいに座ることになったマルクル先輩に挨拶をした。
「マルクル先輩、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
「アンドリ先輩に巻き込まれたみたいで、災難ですね」
「本当にな」
いやー本当にお疲れ様です。座った3人の前にも私たちと同じように朝食が出され、大人数で朝食を頂くことになった。
「食べてないんですか?」
「まともには、食べてないな」
それは、それは。本当にご愁傷様です。
一体、何があったのかの詳しい話を聞くのは食事を終えてからにしよう。今から聞けば朝食がこれ以上に長引きそうな気がするから。
ということで朝食を皆が食べ終えたあたりで、やっと覚醒しきったらしいイリーナが新しく3人も増えていることに首を傾げていた。
その話はリビングの方に移動してからということで、ぞろぞろと場所を移してからようやく説明が入った。
まぁ分かっていたことだけど、やはり原因はアンドリ先輩のようだ。
どうやら昨日の日付を跨いだ時点で、もうこちらに来ようとしていたらしい。
「いやだって日を跨いだってことは、もう許されるでしょ?」
などと意味不明な供述をしており…これに対して何をとち狂ったことを言っているんだと、止めに入ってくれたのがマルクル先輩だったようだ。
そんなことが昨日の夜からあって長い攻防の末、せめて朝になるようにと頑張ってくれたそうな。
「いやいや、そんな長い攻防なんてなかったよ?だってこいつ滅茶苦茶、暴力に訴えて来たから俺なんか気絶させられてるからね?暴力の権化じゃん。怖くない?」
そんなこと言ってないで、アンドリ先輩は反省をしてください。またマルクル先輩の怒りを買いますよ。
一通りの話を聞いた後、アンドリ先輩はリュドミラ先輩に叱られることになった。当たり前ですね。
私たちが何かを言うよりも、そっちの方が話を聞きそうなので後のことはリュドミラ先輩に任せることにした。
まだ湖まで出かけられる準備も出来ていないので、今しばらく別荘でゆっくりとすることに。
湖の方で昼食を食べられるようにと不足なくいろいろな準備を、使用人たちがせっせと進めてくれているので私たちはそれを待つだけだ。
私は暇つぶしにマルクル先輩にボードゲームを挑んでいたのだが、これが全く勝てない。腹立つ。
なので、イリーナと喋っていたプルーストを連れて来た。今ここで勝ったら誰よりも輝くぞ、プルースト!
イリーナの応援も受けて挑んだプルーストであったが、惨敗とは行かずともあと一歩足りないような悔しい敗北に終わった。
そこで説教が終わったらしいアンドリ先輩とリュドミラ先輩の2人も合流して、今度はアンドリ先輩にバトンを渡す。
もうマルクル先輩対私たちみたいになってるけど、こうなったらマルクル先輩が負ける姿を見たいだけなのだ!
そんなわけでアンドリ先輩が意地悪く頑張ってくれたけど、僅差で負けた。ぬぁー、腹立つ!
ボードゲームに熱中しているうちに準備が完了したらしく、少し早いがもう湖の方まで行ってしまうことになった。
準備された荷物は全部、男子組に任せて私たち女子組は小さな鞄に日傘をさして先を歩く。
日傘同士が当たってしまってちょっと邪魔くさいので、真ん中にいたイリーナは持ってきた日傘を畳んで私と相合傘をすることにした。役得だぜ!
湖が見えてくると近くに寄って行って湖面を覗く。揺らめく湖面が日の光を反射して、きらきらと輝くので目に眩しい。
「大きい湖ですね」
「本当ねぇ。ボートもあるのよぉ」
「ボート!乗りたい!」
ボートは、私は良いかな。別に乗り物酔いが嫌とかでなく、ただ単に興味が出なかった。
一方では荷物を置いて落ち着ける場所を作っていた男子組に呼ばれたので、湖から離れる。
「よし!んじゃ、解散!」
それだけ言って静止の言葉を聞く前にリュドミラ先輩を連れて、どこかへ行ってしまったアンドリ先輩のことはもう諦めた。
まだ昼食を食べるにも早い時間なので、遊びにいっても特に文句はない。
「イリーナも行って来ていいわよ」
「いいの?」
「大丈夫。ここは私とマルクル先輩で見てるから。プルースト、イリーナのこと任せるわ」
とまぁ、さりげなく私から背中を押してやればイリーナはほんのり頬を赤くさせて「ありがとう」と言ってからプルーストと遊びに行った。
プルーストは私に感謝してほいし。そしてイリーナには、存分に楽しんできてほしい。
「俺もか」
「先輩もですよ。何か文句でも?」
「いいや」
ないなら結構。マルクル先輩が芝の上に敷かれたシートの上に座ったので、私もミュールを脱いで素足になってから横に腰を下ろした。
「先輩、紅茶飲みますか?」
「頼む」
私の分も淹れるついでにとマルクル先輩にも聞いてから、紅茶のセットが入ったバスケットを開く。
中にはポットやカップなどの他に、何やら布の掛けられて正体の分からない何かがあった。
何だろうと布を退けてみると中には昨日、私たちが作ったクッキーが入っていたことで今になって存在を思い出した。
「そういえば、昨日クッキーを作ったんですよ」
返事がない先輩の方を見てみれば、何やら興味がなさそうにこちらを見ているだけだった。
「せっかくですから、1枚くらい食べときません?」
ここで『いらない』と直ぐに断らないあたり、先輩は優しいよね。乗り気ではなさそうだが、私は適当に1枚だけ取り出して先輩に差し出してみた。
適当に取ったそれは、形的に私の作ったやつっぽい。まぁそこまで、わざわざ言わないけど。
先輩に食えとばかりに差し出すが、一向に受け取る気配がないな。甘いもの苦手ですもんね、仕方ない。
ちょっと残念な気もするけど無理強いするものでもないと思い、手を引っ込めようとしたところで腕を掴まれ動きが止まった。
「別に無理しなくてもいいですよ?」
「いや…別に、食えないことはない」
そりゃ、そうでしょうけど。そんなとこで意地を張らなくとも…。
でも先輩が自分から食べると言ったので、その1枚だけ手渡した。一息に食べて、咀嚼して飲み込んでから先輩が無表情で感想を言う。
「…うまい」
表情が美味しいって言ってないんだよなぁ。でも不味いとも言っていないので、不味くはないのだろう。
苦手なものでも食べてくれたことが嬉しかったので、私としては満足です。
「有難うございます。今、紅茶入れますからね」
先輩が苦手なものを頑張って食べられたご褒美に、私がとびきり美味しい紅茶を淹れてあげましょう。
だから、ちょっと待っててくださいね。




