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「この度は、お誕生日おめでとうございます。お初にお目にかかります。ラファエラ・マルティネスと申します」
先輩が手に持っていたグラスを受け取ってくれたので、私は夫人を待たせることなく完璧なカーテシーをしながら挨拶することが出来た。
「初めましてラファエラ侯爵令嬢。私はセリア・マルクルよ。今日は貴方が来てくれて本当に嬉しいわ」
「いえ。私こそ、こんな素敵なパーティーにご招待いただき有難う存じます」
「楽しんでくれているようであれば、それで何より。そこの愚息が何か迷惑を掛けたりしなかったかしら?」
「決してそんなことは。私には勿体ないほどに素晴らしい方ですわ」
夫人は視線だけをマルクル先輩に向けると、形だけの笑みを浮かべた。当の先輩は夫人の視線に特に反応をすることはなく、また口を開くこともなかった。
「妻の誘いを受けてくれてありがとう。私はルイス。君のお父さんとは、いちおう旧知の仲なんだ」
「まぁ、お父様と?」
「あぁ。あいつとは学院に入った時期が同じでね。とても優秀な男だったよ」
へぇー、こんなところで父の話が聞けるとは思わなかった。私は父が学院の出だったことも知らなかったので、少し興味が湧いてしまう。
「今回もあいつは来ないだろうと分かってはいたけれど、君が来てくれたからね。私も嬉しい」
「私では父の代わりにはなれませんが、マルクル公爵にそう言っていただけて喜ばしい限りです」
「代わりだなんて。ラファエラ嬢が来てくれた方が場が華やかになるし、妻も喜ぶさ」
夫婦ともども私が来たことを歓迎してくれているようで安心した。されてないよりは、されてる方が無論いいだろう。
他にも父の話を聞けたりしないかな、なんてちょっとばかし期待していれば夫人が公爵に声を掛けた。
「ちょっと貴方。私のお客様なのよ」
「すまない。少しはしゃいでしまった」
夫人から鋭い目つきで見られても公爵は眉尻を下げるだけで穏やかに笑っている。こんなやり取りでも、この夫婦が十二分に仲良さそうなことが窺えた。
夫人が一度、目を閉じると今度はとても優しい目つきで微笑んで私に視線を合わせる。
「そうだわ。素敵なプレゼントをありがとう」
夫人が私に見えるように右手の人差し指に嵌められた、ルビーの指輪を見せてくれる。
そこで思ったのだが、もしかして今日のお召し物ってこの指輪に合わせて用意されてたり…いや、気のせいだよね。うん。
「マルクル公爵夫人のお気に召したのでしたら、幸いですわ」
それにしても私が考えていたよりも赤が似合う人で良かった。
ルビーの指輪もまるで最初からそこにあったのではというくらい、夫人の指に自然とはまっている。
「クラウスと一緒に買いに行ってくれたのよね」
「はい。クラウス様が悩んでおられるようでしたので、微力ながらお手伝いさせていただきました」
「そうなのね」
夫人が何やら訳知り顔で先輩の方を見やれば、先輩が居心地悪そうに視線を逸らしていた。珍しい。
流石の先輩もご家族の前じゃ形無しってことですか。これは面白いかもしれないぞ。
「久しぶり、ラファエラ嬢。私が贈った茶菓子は気に入ってくれただろうか?」
「フィリップ卿。お久しぶりで御座います。贈っていただき有難う存じます。大変、美味で御座いましたわ」
「そう、良かった。あ、それとそんなに堅苦しくなくても大丈夫だよ。疲れるでしょ?」
まぁ、疲れないことはないけど。そんな気軽にしていいものか。
さっきまでは先輩目当てのご令嬢たちに睨まれ、今はそこにフィリップ様の分まで加わっているのだからそれはもう針の筵だ。
フィリップ様はまだ婚約なんかの発表をされておらず今、最も狙い目というやつなのだと聞いたことがある。
その為、ご令嬢の視線が何より怖くなるのは今だと先輩よりもフィリップ様と言う訳だ。
そもそも私じゃ釣り合わないだろうから、安心してくださって構いませんよ。本当に。
「そうだわ。だったら私のことをセリア、と名前で呼んで頂戴な」
いや、何故!?夫人がそんなことを言ってくるとは思わず、私は答えに困ってしまう。
ただ期待するように見つめて来る夫人に対して、私が取れる選択肢なんてこっちしかないじゃないか…。
「セリア、公爵夫人…で、よろしいでしょうか?」
「そうね。今はそれでいいわ」
今は、ってなんだろうね?分かんないけど、聞くのが怖いから良しとしておこう。
「なら私も「貴方はダメよ」え、なんでだい?」
夫人が公爵の言葉を遮り「それはまだ早いわ」と言っていたが所々、私に分からない会話があるのは仕方ないことだと思うことにした。
他所様の家の会話って独特で分かんないときが、たまにあるよね。
「ねぇ、クラウスとこれを選びに行ってくれた時の話を聞きたいのだけど。いいかしら?」
それに私が首を縦に振る前に、今まで隣で頑なに黙っていた先輩が口を開いた。おかげで私は答える機会を失ってしまい、口を噤む。
「母上。これ以上は他の方を長くお待たせしてしまうことになりますよ」
急ですね、先輩。
どうしたのだろうと思い横目で先輩の方を見てみれば今の先輩は夫人から目を逸らさず、まるで挑むような強い目つきで夫人のことを見ていた。
「あら?急にどうしたの、クラウス?まだ少ししか話していないわよ」
「そうだよ、まだクラウスとのことを聞けてない」
「そうそう。私も聞きたいなぁ」
夫人の言葉に便乗する公爵とフィリップ様の流れに私はそこまで聞きたいものかね、と首を傾げそうになってしまう。
あ。でも先輩の学園生活とか家族なら気になるものかもしれないな。だとしたら、納得です。
先輩は自分からそういうこと話さないだろうしなぁ。
「それを聞いてどうするんですか。せっかく母上の誕生日を祝いに来てくれた方たちを待たせるわけにはいかないでしょう」
「…もしかして、何か聞かれたくないことでもあるのかしら?」
「いいえ、何も。ただこれ以上は彼女に負担をかけてしまうことにもなりますから」
「そういうことなら分かったわ。なら、日を改めることにしましょう」
何故か母と子でバチバチとし始めた状況に私は完全に置いて行かれてる気分だった、何だってんだ、この状況は。
ただ最終的に先輩の言い分を聞くことにしたらしい夫人は、わざとらしいため息を吐いて見せる。
それにしても、さっき日を改めるとか言わなかったか?
「また貴方のことを私のお茶会に誘わせていただくわ。その時はまた来てくれるかしら?」
「それはいいね。私も話を聞きたいし」
「あら、もしかして参加するつもり?」
「ダメかい?」
「いいわよ」
私は良くないですねえ!
なんか今度は夫人が主催のお茶会に面と向かって誘われてしまったし、それには公爵も参加なさるつもりのようだし…。
私にその場はとても荷が重いかと!しかもフィリップ様まで手を挙げて、参加を申し出ていた。
美しく微笑む夫人と穏やかに笑う公爵、柔和な笑みを浮かべるフィリップ様に一斉に見られてしまっては私の心は自然と諦めの方向へと舵を切る。
「是非。お誘い頂けましたら…」
「もういいでしょう。早く他の方のところへどうぞ」
さっきから先輩が私の言葉を物凄く遮ってくるんですけどー。
別に私としては返事を有耶無耶にしたい気持ちもあったので、それが困ると言う訳ではない。
「必死だなぁ」
「そうね」
「クラウスも、そういう年頃か」
「お願いしますから、もう行ってもらってもよろしいですか?」
フィリップ様の言葉に同意する夫人。公爵だけは先輩の成長を喜んでいるようであった。
先輩のお願いに、ようやく夫人たちが目の前から去っていくのを見送る。
隣の先輩は物凄く疲労困憊と言った感じで、心なしか目から生気が失われているように見えたのは気のせいではないだろう。
「そんなに、聞かれたくないんですか?」
「碌なことにならんのは目に見えてる。お前も誘われても絶対に乗るなよ」
「それは…難しいのでは?」
「なら俺に言え。必ずもみ消す」
これは必死ですわ。先輩も人の子なんだなぁ、とか変な感想を抱いてしまった。
別に悪い風に言うつもりはないのだけど、そもそも自分のあずかり知らぬところで勝手に語られていること自体が嫌そうだな。
先輩はもみ消すなんて物騒なこと言っていたが、なんかあの人たちなら先輩の目も掻い潜った方法でやって来そうな気もします。
これ以降はもう一度、夫人が訪ねて来ることはなく比較的穏やかに残りの時間を過ごすことが出来た。
私はグレタとの約束もあるので、少し早めにお暇させていただくことにする。
先輩もその事情は理解してくれているので、問題ない。ただ私が夫人に別れの挨拶をしに行かねばと伝えれば、先輩が断固として拒否の姿勢を見せた。
挨拶しなくて大丈夫なのかと躊躇う私を強引に夫人たちから離れるように誘導し、かつ夫人たちに察知される前に大広間を出ることに成功。
結局きちんと挨拶が出来ぬまま馬車に乗せられることになり、私は向かいに座る先輩を見やった。
「先輩。夫人にはどうぞよろしくお伝えしておいてくださいね。私は何にも悪くないんですから」
「分かってる。安心しろ」
絶対、先輩が避けたかっただけだよね?これ。
まぁ私も余計な緊張を背負わなくて良かったのだから、これ以上の文句はなしとしよう。
帰りも先輩が送ってくれるというので一緒に馬車に乗り込み、行きと同じ道を辿って私の屋敷まで戻ることに。
今からだとギリギリ日を超える前に帰れるかもしれないな。
それにしても最初の内は不安と緊張で、本当に情けない姿を先輩に見せてしまった。
なんとなく眺めていた窓から見える景色が見慣れた場所ばかりを映すようになってくると、帰って来たのだという実感が湧いてくる。
やがて私の屋敷の前まで来ると馬車はゆっくりと止まった。先輩にエスコートされて外の地に両足をつけてから、先輩の方を振り返る。
「先輩、今日は本当にお世話になりました」
「気にするな。俺も身内が迷惑をかけたようで、すまない」
「それこそ、気にしないでください。存外、本当に楽しめましたから」
あの賑やかな家族の会話の中に、一時的にでも私が混ざれたようで悪くなかった。
私と父ではそこまで賑やかに、というのも難しいのであれはあれで楽しいものなのだと思える。
さて今はサマーホリデーに入っているのでまた学園が始まるまでは本来、先輩と顔を合わせることはなかったりする。
そのはずなのだが…リュドミラ先輩の避暑地に先輩も遊びに来ることが確定しているので、また数日後には顔を合わせることが決まっていた。
「次はリュドミラ先輩の避暑地で、会いますね」
「そうだな」
また少しすれば直ぐに会うことになるんだ。それがなんだか不思議に思えてクスクスと笑ってしまう。
「ふふっ。そっか。それじゃ、また」
「あぁ。またな」
こんな時間に長く引き留めてしまうのも、悪いので早々に別れを告げる。
私が屋敷の中に入らない限り、先輩も戻らないつもりだろう。だからそれ以上、余計なことは言わず直ぐに私が帰って来たと分かって瞬間に開けられていた門を通り抜けた。
夜間の警備をしてくれている人の後についていき、屋敷の玄関前まで来たところで少し遠くなってしまった先輩に小さく手を振った。
それが先輩に見えていたかどうかは、分からなかった。
扉が開いたのに気づいて直ぐに前に顔を戻してしまったので、先輩が何か反応を返していたとしても分からない。
まぁ、そこまで気にすることでもないだろう。また会うことになるんだし。
屋敷に入れば起きていたグレタに迎えられることになった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「遅くまでありがとう。グレタ」
どうやら朝に頼んでいた軽食の用意は既に済んでいるらしいが、先に入浴を済ませてしまいたかったので浴室がある方に足を向けた。
「お嬢様。パーティーは如何でしたか?」
グレタが自分から、そう聞いて来るのは珍しい。私は一旦、足を止めてから今日1日を振り返る。
「そうね…。うん、楽しかったわよ!」
「そうでしたか。それならば、よう御座いました」
グレタにはいっぱい心配をかけてしまったからね。でも今の私の言葉に嘘がないと分かったからか、グレタはふっと笑みを浮かべた。
数日後、今度はリュドミラ先輩の避暑地へとお邪魔することになる。
その日は今日よりも気兼ねなく楽しめること間違いなしなので、今から楽しみだ!




