82
サマーパーティーの延期があった以外に特に何かあったということはなく、以降は平和そのものな日々を送っていた。
噂もやがては鳴りを潜めていき、最近だと今度こそ間近に迫ったサマーパーティーに話題は移ってしまっている。
人の噂も75日とは言うが、ここだと75日も持たないのが常だな。それはある意味で良いことでもあり、少しばかりの寂しさも感じさるものでもあった。
さて、間近に迫ったと言ったが今日はもうサマーパーティー前日である。
約束通り、店主自ら改めて仕立て直されたドレスを屋敷に届けに来てくれた。何やらお手間を取らせてしまったようで申し訳ないね。
「こちらで御座います」
ドレスはトルソーを使って見栄えよく飾られており、一目見ただけで前回のドレスとの違いは明らかだ。
前回のライトブルーを基調としたドレスは清流を思わせる涼やかさを持った爽やかな印象のドレスだった。
それから一転、今のドレスは同じブルーの系統を使ったグラデーションが見事な綺麗なドレスに様変わりしている。
まるで浅瀬から深海までを切り取ったようなドレスはとても大人らしく、これであれば違和感なくあのイヤリングも似合いそうだ。
「わぁ…とても、素敵ですね。ありがとうございます」
「ラファエラ様のご希望に副えましたようで、幸いに存じます」
「でも、本当にここまでして頂いて…感謝してもし切れませんわ」
「その言葉だけで私どもの苦労も浮かばれるというものです」
店主の表情には苦労したところは一切見られないが、実際は相当な無茶をしたのだろうなぁ。
私の何気ない一言にも全力で答えてくれたことには、本当に感謝しかない。
「このドレスでしたら、あのイヤリングも問題なくお付けになれますね」
「え、あぁ、はい…」
「ラファエラ様、応援しております!」
応援?イヤリングを付けるのを?…あぁ、お礼云々の話か。
ドレスの美しさに見惚れてすっかり忘れていたけれど、そういう話からこうなったんでしたね…。
そこまで応援されるほどのことでも、ないと思うのだが店主の言葉には応援以外の裏は感じられない。
どう答えたものか分からず、とりあえず曖昧に笑い返して返事は濁しておいた。
その後、店主と雑談を交えながも今回の仕立て直してもらった分の清算もきっちりと済ませて店主は晴れやかな笑顔で帰っていった。
ちゃんとしたいい品にはそれ相応の報酬というものが重要だよね。
「お嬢様、今日はお早めにご就寝なさってくださいね」
「分かったわ」
グレタにもそう言われてしまったし、今日は早めに寝られるように動かないとな。
ただその前に、明日には着ることになるドレスが飾られたままの部屋に私1人で訪れる。
蝋燭の灯されていない部屋では月明かりが僅かに窓から差し込み部屋を心もとなく照らすだけなのだが、それでもドレスはどこか光って見えるようだった。
明日はこれを着てあのイヤリングを付けてマルクル先輩に「ありがとうございます」ってもう一度、言うだけ。うん、何も難しいことじゃない…はず。
ドレスにそっと触れて、明日のことに思いを馳せた。不安を感じる必要なんてないのに、どこかずんと心に重いものがのしかかっているようだ。
その重荷を吐き出すようにふぅ、と息を吐いてドレスから手を離すと静かに自室に戻っていった。
翌日は朝一番から屋敷のメイドたちが忙しなくも甲斐甲斐しく私を着飾るために屋敷中を動き回ってくれている。
またもやされるがままの私は、生き生きとしているメイドたちに良かったねなんて他人事のような感想を内心で抱いていた。
今はもうドレスまで着終わってしまって、お次は髪をどうするのかという相談を今まさにグレタとしようとしていたところだ。
「やはりイヤリングが見えるようにいたしましょうか」
グレタに髪を梳いてもらいながら、そう言われた言葉に私は逡巡した。
どうしよう…。やっぱりイヤリングが見えるようにするべきか?いやぁ、でもなんかそれはちょっとぉ…。
散々、頭の中で悩みぬいた挙句に出した答えがこれだった。
「えっと、見えないように…見えにくいようにしてくれる?」
「畏まりました」
いや、だってね。あの先輩にね、見せられればいいだけで何も誰かに自慢したくてつける訳じゃないんだから別にいいと思うんだ。
うん、その通りだよ。自分で自分を納得させることで、心の平穏を保つことにした。
グレタは特に何かを聞いてくることはなく、一も二もなく私の言葉に了解を返し髪を結い始めた。
私の要望通りになるように動いていくグレタの手を鏡越しに見つめている。
ほぇー、見事なものだなぁ。いつもながらに感心しているうちに、もう出来上がってしまったようだ
グレタが後ろで手鏡を持ってくれたので私は鏡合わせの状態から、出来を自分の目で確認した。
「これでよろしいでしょうか?」
「ええ、ありがとう。もう完璧よ」
「お褒めに預かり光栄です」
サイドの髪は垂らしたままで、後ろの方だけで綺麗な編み込みと一緒にうなじが見えるように上の方で一纏めにされていた。
これだと一見しただけでは分からないだろうし、それでなくとも分かり辛い!
流石、私のメイド。完璧な仕上がりだわ。
髪が結い終われば後は化粧を施してもらって、選んだアクセサリーでさらに着飾れば本当の完成となる。
化粧をし終わってから、自分の手でイヤリングを付けてみて妙な緊張感が増したのを自覚した。
ええい!今から緊張しててどうするのか!
とは思うものの、イヤリングの揺れを感じるたびに意識してしまってどうにもならずそわそわとした気持ちが収まることもなかった。
前回と同じ時間ごろになって、一から十までの全ての準備が終了したのだがパーティー会場に向かう時間までにはまだ時間に余裕がある。
それまでは休憩でもしておいて、予定の時間が来てからゆっくり向かうくらいでも大丈夫だろう。
今は抱えた緊張を少しでも落ち着かせるためにグレタに紅茶を淹れてくれるように頼んだ。
サマーパーティーは前回の新入生歓迎会よりも、よりフランクなパーティーの場となっている。
ダンスでの交流を図ることが目的のパーティーではなく立食が出来る場が主を占めており、さらには外にまで出られるようなかなり開放的な会場を用意していた。
それに、なんと今回はパーティー最大の目玉として花火を用意していたのだが重要な人物が2人も欠席では何だかそれも味気ない気がしてしまう。
まぁ、それでも十分に盛り上がること請け合いだろうけど。
生徒会としても、特に大きく動くことはなく各自で時間が来れば適当に始まって自由に食べて飲んで節度を持って騒ぎ楽しむようにといった感じだ。
刻々と迫る予定までの間に私は紅茶を飲みながら、とあることを考えていた。
それにしたって私、マルクル先輩にいつどうやってお礼を言うつもりだったんだ?
言おう言おうという気持ちだけが先行していて、そこまで考えが至らなかった…。どこか違う場所に呼び出す?
いやいや、それこそ難しそうじゃないか?だっておそらく先輩はパーティー中は何かと人に囲まれているだろうと予想出来るからだ。
それでなくとも私以外にも話しかける人は必ずいるはずだ。
それは前回の新入生歓迎会の時、パートナーを務めていたので身に染みて知っている。あれは私が隣にいたから、先輩がそれとなく私に気を遣ってくれていたところもあったと思うし。
あれ?そうなると、まず私が話しかける隙って限りなく少ないのでは?
え、じゃあ私はいつお礼を言えばいいんだ?…まさか、ここでつまずくとは思わなかった。
挨拶くらいはしに行く予定ではあるが、その流れで私が言えるとも思えないし…詰んだ。これは確実に詰んだ。
いざと行動した瞬間から暗雲どころか雷まで轟いてきそうな先行きの悪さに気付いて、思わず眉間に皺を寄せる。
無理という言葉が頭の中に広がっていく最中にグレタから呼ばれて慌てて表情をもとに戻した。
「もうそろそろお時間で御座います」
「分かった、それじゃ行きましょうか」
会場までは今回は私1人で向かうことになっている。
ただドレスでの馬車の乗り降りが1人だと大変なため、グレタもお供してくれることになっていた。
私がパーティーに行っている間、馬車の中で待たせてしまうことになるのが心苦しいので時間になるまでは自由にしてていいからねと言えば「私のことはお気になさらず」と躱されてしまった。
グレタは真面目だなぁ。
そんなわけでグレタにエスコートされ馬車に乗り込むと、早速パーティー会場まで向かうことに。
道中はさっきまで考えていたことの全てから逃避して、何の関係もない話をグレタとして時間を潰した。
誰かと話していると時間はあっという間に過ぎていくもので、会場までも同様にあっという間だ。
思っていたよりも早い到着ではあったが、今回の私はむしろ全体的には遅めの到着となっていることだろう。
こういう日は極端に早く来るか、それとも遅く来るかことで混むことがなくて楽なのだ。
中途半端な時間に来るのが一番、混むからそれだけは避けた。なのでスムーズに受付を果たし会場入りをすることに成功。
実際の開始時刻までには、まだ時間があるはずだがもうかなりの人数が集まっている。
皆、こういう時ばっかり早いんだからぁ。私はそんな早く来てもすることないからさ…。
さて、来たからにはまず生徒会役員として先輩方へ挨拶しに伺わなければ。
いちおう今、来ましたーくらいな報告もついでにしなければならないので多分どっかで先輩たち固まってくれてるんじゃないかな。
まぁ先輩たちが固まってくれてると有難い反面、私は言いたいことが言い出せないので悩みどころではあったりする。
ともかく探しているうちに先に友人たちの姿を見つけたので、先輩たちの姿を見なかったと聞いてみた。噂好きな友人たちのお陰で有力な情報を得られた私はその場は一旦、友人たちと別れまた会場の中を探し回る。
やっと見つけられたワインレッドのタキシード姿のアンドリ先輩とマゼンタを基調とした品のいいドレスを身に纏ったリュドミラ先輩の2人を見つけることが出来た。
「御機嫌よう。アンドリ様、リュドミラ様」
「わぁお!なんか久しぶりだねーそれー」
こら!久しぶりとか言うんじゃない!
私が丁寧な言葉づかいで話していることに正直な感想を漏らしたアンドリ先輩を睨むことも出来ないので、ただ笑顔を向けた。
するとアンドリ先輩の隣にいたリュドミラ先輩が私のフォローをしてくれる。
「御機嫌よう、私の可愛い子。貴方はどんな時でも素敵よぉ」
「リュドミラお姉様も今夜は一等に麗しくていらっしゃいます!」
私が思わずリュドミラ先輩に抱き着きにいけば、それを自然と受け止めたリュドミラお姉様はまるで聖母のようでした。
アンドリ先輩は本音が漏れたこと、反省してください。
満足いくまでリュドミラお姉様を堪能してから離れ、ようやくこの2人以外のもう1人の先輩の姿がないことに気付いて首を傾げた。
「マルクル様はいらっしゃらないので?」
「んー、あいつねー…」
おや?何やら訳ありなご様子で?
アンドリ先輩が難しい表情を浮かべ、リュドミラ先輩までもが頬に手を当て困ったような表情を浮かべたことに私はごくりと唾を飲み込んだ。
一体、何があったというのだろうか。




