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「おや、早かったね。もう少しゆっくりしてきても良かったのに」
「そこまでの時間は取れませんので」
「そうかい。あぁそうだ、クラウス。サマーホリデーに入ったら少しだけレオナルドに付き合ってやりなさい。譲歩はさせたから」
「分かりました。ありがとうございます」
マルクル先輩はサマーホリデーに入ったらレオナルド様の用事に付き合わなければならないらしい。何があるんだろうね、一体。
今、話に出て来たレオナルド様の姿はここにはなくどこか別の場所にいるようだ。
先輩とフィリップ様が話しているのを横でただ聞いていると、ふいに私に視線を向けたフィリップ様が柔らかく微笑む。
「巻き込んでしまったようで、申し訳ない。また後日、そちらの屋敷に茶菓子でも贈らせていただきます」
「お気遣い感謝いたしますわ。ですが私の方こそ、盗み聞きのような真似をしてしまい申し訳ございません」
「それこそお気になさらず。どうか、末永くクラウスのことをよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
フィリップ様は随分とマルクル先輩のことを気にかけているようで、何だかお願いまでされてしまった。
いろいろと迷惑かけてしまっているのは私の方なので、むしろ私の方こそって感じだ。
それにしても茶菓子を贈ってくれるそうなので、楽しみに待っておこーっと。
私も同じように微笑み返していれば、フィリップ様は私から視線を外して隣で眉を顰めている先輩に視線を戻した。
「クラウス。俺はね、本当はこんな可愛い妹が欲しかったんだ」
「いきなり変なことを言わないでください」
んん?何でいきなりそんな話が出てきたんだ?
今の会話の流れで、どうしてそうなったのかかが分からなくて私は小さく首を傾げる。
フィリップ様の発言に頭が痛いとばかりに先輩はこめかみをさすり、長男の発言を咎めていた。
「下は不愛想な野郎ばっかで、本当に何度そう思ったことか…」
「お願いですから止まっていただけますか」
「よしクラウス。俺は応援しているからね」
「俺の話を聞いてください」
「大丈夫。同意も得たし、いける」
「いけません」
なんだ、なんだ?なんだか先輩とフィリップ様で言い合ってるけど、あまり理解が追いつかないでいる。
同意ってなに?私の?
私の頭上でテンポよく交わされている会話だが、内容はかみ合っているようで全くかみ合っていない。
流石のマルクル先輩も実の兄であるフィリップ様にはあまり強く出れないようで、押され気味な様子の先輩を珍しいものを見るように眺めていた。
そのうちにどこか別の場所にいたらしいレオナルド様がっやって来て、暴走状態のフィリップ様の襟ぐりを後ろから引っ張る。
「ぅぐっ!」
「遅いと思ったら…こいつは俺が回収していこう。またなクラウス」
首根っこを掴まれたまま引きずられていくフィリップ様が若干、青い顔をしているように見えたのは気のせいということにしておこう。
フィリップ様が去った後には静寂が訪れ、私は遠くなっていく兄2人の背中を見送りながら先輩に声を掛けた。
「なんだか嵐が去った後のようですね」
「…本当にな」
疲弊しているらしい先輩から、1つため息が零れ落ちた。お疲れ様です。
お叱りを受けている時でさえ、表情が変わらなかったというのにね。
「ところでフィリップ様が言ってた同意とかって何のことですか?」
「気にしなくていい」
えーそうかなー?でも、もし私が何か知らないうちに同意してたとかだったら怖いから気にしないでおこう。
責任取れないなら、知らぬ存ぜぬを貫き通した方がいいよね。
運動場までは、もう少し距離がある。
私はリョウに任せて来てしまった天幕まで早く戻らねばならないし、マルクル先輩は最終競技でもある学年対抗リレーが迫っていることだろう。
ゆっくりもしていられないのだが先輩が急ぐ気がなさそうだったので、のんびりと歩いて戻っていると遠目に見た運動場には何の競技も行われていなかった。
「あれ?もしかして先輩待ちですかね?」
「いや…そういう感じでもなさそうだ」
これは何かあったのだろうかと察して2人揃って天幕に行くことに。
なんで私がいないときに限って、こうやって何かが起こるんでしょうね?不思議だなぁ。
見えて来た天幕にリョウの姿はなく、代わりに私たち以外の生徒会役員が勢ぞろいしていた。
「うわ!ほんとに来た!」
「何かあったか?」
驚いた後で慌てた様子のアンドリ先輩がマルクル先輩に詰め寄ったので、私は巻き込まれないよう一歩だけ身を引く。
他の皆も駆け寄ってきたが一様に落ち着きがなく、どこか不安そうな表情を浮かべているようにも見えた。
「あったも、あったよ!そもそもお前、午前中は行方知れずだったろー!」
「で、何があった?」
「それがねぇ、予定より早く陛下がご到着されたらしくて」
「丁度、騎馬戦をご覧になった後でお前のことを名指しでお呼びなんだよ」
なんと!アンドリ先輩がマルクル先輩を指差してそう言ったのだが、指差された本人よりも隣で聞いていた私の方が驚いてしまった。
「今の状況は?」
「とりあえずは最終競技に入る前の短い休憩ってことで、今は中断してる」
「なら行くか」
呼ばれているのがマルクル先輩だけなのだから、私たちがついていく必要はないと思うのだが会長を単身で行かせるのも体裁が良くないので取り合えずついていくことに。
マルクル先輩を先頭に真っ直ぐに陛下がいらっしゃる一室に向かっていた。
その道中で私はアンドリ先輩にこそっと話しかける。
「何だか私が離れている間に申し訳ないです…」
「ん、まぁ仕方ないよ。むしろ今回はレリオが代わりにいてくれて助かった。俺に伝言してくれた後で、先に陛下の方に向かうって言ってくれてさー」
「そうでしたか。私はレリオ様には感謝せねばなりませんね」
どうやらリョウは時間稼ぎにか、実の父に会いに行ったようだ。もしかしたら、エアリスも行ってたりするかもしれないな。
「そういやレリオに天幕のとこで待ってりゃ、2人とも来るって言われたんだ。ホントに来たから、ちょっとびっくりしちゃったー。もしかして2人で一緒にいたのー?」
「たまたまですね。本当に、偶然」
まぁ確かに私は戻りますけど、先輩が来るかは分かんないじゃないですか。
どういう経緯があったかは言いにくいことなので、適当な返事で押し通すことにした。
それにしてもリョウには私のいない間の留守を頼んだだけだと言うのに、私の間の悪さに巻き込んでしまったようで何だか申し訳ないな。
少しばかり親子の団欒を楽しんでいておくれ。
陛下のために用意された一室は上階にあるので校舎の階段を上っていくと、とある一室の扉前に騎士が護衛している部屋を見つけた。
わぁ、あそこだけ物々しくて近寄りたくない。
でも近寄らざるを得ないのが、世知辛いところだ。本音はやだなぁって思ってます。
そんな文句を言える訳もないので、マルクル先輩が騎士と話をしているのを黙って見守っている。
名指しで呼ばれたマルクル先輩と違い私たちはついてきただけなので最悪、入室が許可されないことだろう。
私はそれでもいいですよ、と考えていたのだけれど流石は我らが陛下。快く私たちの入室も許可してくださいましたよ。
いざ本当に対面できるとなると心の準備をさせてほしいところだが、それも十分でないまま扉は開かれ私たちは中に入ることとなった。
部屋の中には椅子に腰かけている陛下と、それを守護するように傍に控えている騎士が2人。
その向かいにはリョウと私の考えていた通り、エアリスの姿もあったのだが、この状況で気軽に声を掛けられる筈もない。
私たちは陛下の正面、離れた位置に並ぶと揃って最敬礼を行った。
「遅れまして誠、申し訳ありません。マルクル公爵家が三男、クラウス・マルクルただいま参上いたしました」
マルクル先輩の言葉に私たちが続くことはなく、ただ陛下の言葉を待つ。
この場は同席しているだけで、奇跡みたいなものなので無駄に口は開かないことが賢明だ。
「よいよい。全員、面を上げよ」
陛下に言われてから最敬礼はやめたものの、私は直視は避けるように伏し目がちに構えていた。
大抵、陛下のことって式典や国を挙げての祭りごとくらいでしか見ることがなく今みたいに対面よりも見上げる形の方が多いため非常に緊張しています。
堂々と見ることも失礼には当たるので気を付けているだけなのだが、それでも窺い見れる陛下のご尊顔は以前に拝見した時とあまりお変わりなくご健勝そうな様子に安心感を覚えた。
それにしても本当にこんな一室で、この距離で対面しているという事実があっていいのだろうか?
しかも私たち今、運動着だよ?後で文句、言われたりしないよね?
こんな今更なことが気になってくるくらいには、私はこの場で黙って静かにしている以外にすることがない。
「儂の倅が世話になったな。まぁ其方には苦労を掛けた」
「勿体なきお言葉。陛下のご子息であらせられますエアリス様と剣を交えることが出来ましたこと、私の一生の宝とさせていただきます」
「はっはっはっ。流石、マルクルのとこの子だの」
はぇー。よくもそんなに滑らかに言葉が出てくるものですねマルクル先輩。
名指しで呼ばれたと聞いた時は何を言われるのかと思っていたが、まさか労うためだけに呼んだんですかね。
これ本格的にマルクル先輩以外の私たち、いらなくない?
快活に笑った陛下は、そこそこお年を召されているはずなのだがそんなことを感じさせないほどに元気なお方だ。
そんな陛下に無遠慮に声を掛けたのは実の息子であるリョウだった。
「それで陛下。本来の予定よりも早いご到着だそうじゃないですか。それで、いきなり彼らを呼び立てるような真似はどうかと思いますよ」
「お主は相変わらず儂に冷たいのぉ。父とは呼んでくれぬのか?」
「ははは、ご冗談を。陛下は国民の父であらせられるお方ですからね。たとえ血が繋がっていようとも、そのように呼ぶなど恐れ多い」
「子供の頃はもう少し可愛げもあったのじゃが、反抗期というやつかの…」
リョウはその言葉には何も答えず、表情を変えないままで陛下から顔を逸らした。
あからさまに嫌っていることがよく分かる。
何がどうしてそこまで嫌っているのかは分からないが、リョウのその態度を許している辺りに陛下の器の広さと家族の情というものが感じられた。
それ以降リョウと陛下の顔が合うことはなく、陛下はリョウの隣にいたエアリスに視線を移した。
「エアリスよ。あの試合、勝ちはしたが悔しい勝利であったな。だが、どんな形でも勝ちは勝ちじゃ。結果をしっかりと受け止めよ」
「…はい、父上」
あ、リョウがあんな感じだからエアリスもそうなのかと疑っていたけれど普通そうだ。
それにしても、やっぱりまだ気にしているようだなぁ。陛下の仰ることはごもっともだと思うし、私もそう思う。
あとはエアリス自身がそれを受け入れることだ。
「さて2人が世話になったでの、親としてその礼を言いたかったのじゃ。クラウスよ、これからも倅らのよき友であってくれ」
「はい、謹んで拝命いたします」
その言葉に陛下は深く頷いてからマルクル先輩の1歩後ろに控えていた私たちに目を向け言葉を続けた。
「其方らも、よろしく頼む」
その言葉に私たちは揃って返事を返すだけに終わった。
扉から入って来た1人の騎士が敬礼をしてから、陛下の傍にいた騎士に何やら耳打ちをする。
そのすぐ後に耳打ちされた騎士から「そろそろです」と陛下に声が掛けられたことで、時間が迫っていることが分かった。
「あい分かった。此度は良い時間を過ごさせてもらった、感謝する。儂の見送りはせんでええから、今日この日を楽しみなさい。ではの」
「は、道中お気をつけて」
騎士を伴って部屋から出ていく陛下を見送って完全に扉が閉じられてから数秒。
やっとまともに息を吸えるようになった気がした。
脱力してへたり込みたいのを堪えて胸に手を当てると深い呼吸を数度、繰り返す。
「だぁはー…。つかれたー」
「一生に一度の体験でしょうね…」
「というより、二度となくていいわ」
アンドリ先輩とプルーストから漏れた言葉に全力で同意だ。私も最後に言葉を付け加えてから、気を張っていた肩を落とした。
あー時間にすれば大したことはないはずなのに今日で1番、疲れた気がする。




