7
会場に着くとマルクル先輩にエスコートされ、まずは控室に通された。
ここで会場スタッフが呼びに来るまで待機することになる。控室にはもう、私たち以外の四人全員が揃っていた。
「まぁ、とても綺麗よ」
「可愛い!すっごく可愛い!」
リュドミラ先輩とイリーナが控室に入って来た私に気づくと一も二もなく褒めてくれる。
さっきの先輩よりも早いな。
先輩を横目で見てみると何が言いたいとばかりに軽く睨み返された。
その反応に思わず笑ってしまって二人には訝しまれたが「なんでもない」と誤魔化しておいた。
「ありがとう。リュドミラ先輩もイリーナもとてもよく似合っていて素敵です!」
リュドミラ先輩はライトグリーンに綺麗な刺繍が施されたドレス。
イリーナはオレンジを基調に差し色でホワイトを使ったドレス。
どちらも二人のために誂えられただけあって本当によく似合っていた。
「クラウス遅かったじゃーん。なんかあったー?」
「なにかあると思うか?」
男三人はそう変わらない。同じブラックでも多少違いがあるので、その違いはあれど燕尾服はドレスよりも遊びが少ないのが少し寂しいところだと思う。
「三人とも何か飲む?」
気遣いの出来る男、プルーストが私たちに優しく声をかける。
こういうところで差が出るんだぞ、そこの男子二人。
私たちはプルーストの言葉に甘えてそれぞれ飲み物を頼むことにした。
馬車の中でお喋りしすぎたかもしれない。言われてからなんだか渇きを覚えて喉をさする。
頼んだものはすぐにスタッフが持ってきてくれた。プルーストがそれを受け取って私たちに手渡してくれる。
私が頼んだのはフレーバーウォーターだ。
受け取ったグラスを傾けて透明な液体を流し込めば、フルーツの風味がふんわりと鼻を抜けほんのりと甘い冷えた水が喉を潤してくれた。
私たちだけで談笑していると男同士の話し合いを終えたらしいマルクル先輩とアンドリ先輩も集まってくる。
そのままみんなで他愛もない話を続けているうちにノックがあり、ようやく歓迎会が始まろうとしていることを知った。
マルクル先輩の手を借りて立ち上がり控室を出るとスタッフに先導され、大きな両開きの豪奢な扉の前までやって来る。
分厚い扉の先は全学年の生徒が揃っているにも関わらず静かで、私たちの登場をじっと待っていることが窺えた。
スタッフの「準備はよろしいでしょうか」の声に緊張が走って一瞬強く先輩の手を握ってしまえば、先輩が少し身を屈めて私の耳元に口を寄せた。
「馬車での自信はどうした?」
むかっ!
こういう時は素直に慰めるとか元気付けるとかするもんじゃないんですか!
反射的に先輩を睨めば思ったよりも近かった先輩の顔がふっと綻んですぐに離れていった。
スタッフに「大丈夫です」とだけ返すと先輩は背筋を伸ばして前を見て、もう私を見ることはなかった。
いつの間にか緊張も忘れて、もとの私に戻っている。
何だか先輩にしてやられたみたいで癪だが、ここは素直に感謝すべきだろう。
聞こえているかどうか分からないが小さな声で「ありがとうございます」とだけ呟いた。
私も先輩と同じように前を向いていたのでその時先輩がどんな表情を浮かべていたかは分からない。
扉が開けば全学年からの拍手で迎えられ耳が痛かった。
それでも耳を塞ぐことは許されずあくまで悠然とした態度で鷹揚とした笑みを浮かべて、この拍手の雨を受け取らねばならない。
ダンスエリアの中央に通ずるように空けられた人の生垣の間を順番に通っていくことになる。
最初はイリーナとプルーストから。
少し緊張は見えるが問題なく二人、足並みを揃えて歩いていく。
続いてリュドミラ先輩とアンドリ先輩だ。
逆にこの二人は微塵も緊張が見えず腕を組んでの登場にアンドリ先輩の同級生らしき男子の揶揄する声が聞こえてきた。
そんな声にも手を振って対応している二人はやっぱり大物だと思う。
最後を飾るのは私とマルクル先輩。
扉を開けてくれたスタッフから合図があり先輩にエスコートされて一歩を踏み出す。
拍手鳴りやまぬ中を歩いていると道中に居た幾人かの女生徒がマルクル先輩を見て顔を赤らめているのが見て取れた。
そこまで距離もない道をただ歩いているだけで人を魅了する辺りさすが先輩としかいいようがない。
先に行った四人が待っている所まで進み出ると音楽が鳴り始めた。
私たちはそれぞれ向かい合ってスローワルツを踊り始める。
これが始まりの合図。私たちが中央で踊り始めたのを機に周りも徐々に参加し始めてやっと新入生歓迎会の開始となるのだ。
何か特別なイベントがあるわけではなく、ただ好きに踊って喋って楽しむだけの歓迎会。
かなり広い会場を用意しているので立食形式の軽食も中央のダンスエリアからそれなりに離れたところに用意されている。
一年生諸君は最初は戸惑うことになるだろうが周りの楽しそうな空気に感化されて自らも動いているうちに、上下左右に良い関係が作れていてこの先の学園生活を円滑にすすめるための礎が築けているというわけだ。
「二曲目はどうする?」
「やりません。絶対にやりません」
一曲目も終わろうかというころ、先輩から問われて私は断固として拒否の姿勢を見せた。
先輩も私の拒否に異論はなく一曲目が終わると同時に私をエスコートしてダンス地帯から抜け出させてくれた。
すぐ横を見るとイリーナとプルーストも抜け出してきている。
唯一、アンドリ先輩とリュドミラ先輩だけはまだ踊っていて二人だけの世界を形成しているようだった。あれには誰も近寄れまい。
「ふぅー緊張しちゃった…」
「お疲れ様イリーナ。あっちで少し休んでくるといいわ」
「あれ?一緒に行かないの?」
イリーナの言葉に私は遠慮して立食エリアに行く二人を見送る。
「行かないのか?」
「一曲踊ったくらいじゃそこまで疲れませんから。先輩にお供いたします」
先輩に何か用事があれば、の話だけれど。
「なんなら私を放って、違う人と踊ってきても構いませんよ」
「…ないな」
「ないですかね?先輩と踊りたい人たくさんいると思いますけど」
雑踏に紛れているのと音楽にかき消されるので口調はいつも通りだが私たちにしか聞こえないくらいの音量で話している。
顔だけは見事に笑みの形に保っているので全くもって怪しまれていない。
むしろ羨望の視線が私に突き刺さるようだ。
邪魔にならないよう人の波から離れたところで形だけ飲み物をスタッフから受け取る。
飲まないで手持無沙汰気味に持っているとマルクル先輩に絡んでくる人がいた。
「あれ?こんなところにいたんだ」
その声が聞こえた瞬間、先輩は多少強引に私の腕を引っ張って自分の背中に私を隠した。
そのせいで飲み物が零れるかと思った。
先輩の広い背中越しでは誰が話しかけてきたのか分からなかったが、声には常に蔑みのようなものが滲んでいる気がして思わずゾッとする。
「なんだよ、隠すことないだろ?挨拶もさせてくれないのか?」
「する必要はないな。さっさと消えろ」
「冷たい奴だ」
先輩の声は聞いたこともないほどに冷たかった。
もしかして、この人が前に言っていた『嫌っている』という人だろうか。
実際、このやり取りを耳にすると“犬猿の仲”とか“水と油”とかそういう言葉が浮かんでくる。
相当に相性が悪いのだけは初見でもよく分かった。
「まぁいいか。またね、お嬢さん」
もしかしたら最初からそこまで興味がなかったのか一言二言、言葉を交わすだけで諦めた男は最後にマルクル先輩ではなく何故か私に声をかけて去っていったようだった。
私は挨拶を返すべきか迷ったが、その人が見えなくなるまで先輩が私を背中から出そうとしなかったのでやめておいた。
「…大丈夫か」
「えぇ」
先輩の問いかけに私はようやく先輩の前を見ることが叶ったがそこには当然、誰も立っていない。
こんな場に珍しく先輩は厳しい表情を顔に浮かべていて私はただ頷くことしか出来なかった。
そのあとは特に何があるわけでもなく次々訪れる先輩の友人たちに、先輩が最初のような過剰な反応を見せることはなかった。
社交辞令的に時折ダンスに誘われるのだが私が断るよりも前に先輩が誘った本人を追い返してしまう。自分で断れるのだけど…まぁいっか。
マルクル先輩と友人方の話を聞いていると、どうやら歓迎会が終わればどこかに集まって二次会的なものをするらしいことが窺えた。
誰が追加でこいつが来られないと話していたので頭の中で凡その人数を数えていると、どうやら一クラス分くらいにはなりそうだ。
そっかー、男の子はそういうのするんだなぁ。
私はすることはないだろうけれど、なんだかいいなぁと先輩を見ているとその視線に気づいた先輩が何を勘違いしたのか「お前は帰すからな」と言った。
「帰りますよ。でもこういうお祭りごとの後って一人になった途端寂しくなりません?」
「そんなものか?」
「まぁ…そうですね。そんなものです」
大人数で集まるのが特別好きというわけではないのだが、この空気感に一度慣れてしまうと帰った時の静寂が逆に気になるとかそんな感じだ。
そんな余韻は私の場合、すぐに薄れてしまうけど。
「そっちは友人とかいいのか?」
「ええ、友人たちは私より大事なことがあるようなので」
ちらほらと見かけてはいた友人たちの姿。ダンスエリアで踊るのに夢中なようで私の方にくる気配はなさそうだ。
それよりも私は気になっていることが一つある。
「ソフィー嬢うしているでしょうか?」
「どうだろうな」
先輩はさして興味なさそうだ。
私の気にしすぎかな。なんにせよ彼女なりにこの歓迎会を楽しんでくれているといいのだけれど。
彼女も今年入学してきた一年生と立場はそう変わらないはずだ。
会場までは寮住まいの者たちのために大型の馬車が何台も用意されていることだし乗り遅れることがない限りはちゃんと来れていると思う。
「気にしすぎだ。そう背負い込むことはないだろう」
「そうなんですけど…」
いかんいかん。表情が曇りそうだ。
持っていた飲み物に口をつけて少し飲み込むと、もうぬるくなってしまっている。
始まってからそこそこの時間が経過していることだし仕方がないか。
今のところは何の事件もなくみんな楽しそうにしているのを雑談に応じながらそれとなく眺めていた。
なにか起こった場合、すぐに対処しなければならないので私たちは楽しみつつも生徒の動向に目を光らせなければならない。
長いことここに留まっていたが見える光景に変化が見られなさそう、ということでそろそろ移動することにした。
私はぬるくなった飲み物を近くのテーブルに置いてその場を離れる。あとでスタッフが回収してくれるだろう。
音楽は絶えず続いているが今は踊っている人の方が少なそうだ。
立食エリアに人が集中しているのを見てあそこに行くのは避けようということになった。多分、私たち以外の役員が誰かしらいるだろうから任せることにしよう。
そうなると立食エリアとダンスエリアの間を通り過ぎてこことは反対側に行くことになるか。
大体の移動先が決まったので意を決して人波に身を投じた。私たちが通ると多少避けてくれるがそれでも動きにくいのに変わりない。
不自然にならない程度にあたりを見回しながらだと自然と歩む速度も緩やかになる。
丁度ダンスの輪から抜けてきたらしい友人と目が合ってしまって足を止めざるを得なくなった。
先輩にも止まってもらって挨拶を交わしていると後ろで可愛らしい小さな悲鳴が聞こえてドタンッと騒々しい音が続く。
何事かと振り返ろうとして後ろから上がった甲高い悲鳴に一瞬動作が止まった。
さっきまでなにもなかったのに、なんで今!
急いで振り返ると先輩が片足を後ろに下げてどこか唖然とした表情で自分の斜め下を見ていた。
下に何があるというのか。
その視線の先を追っていくと、そこには品のいい明るめのレッドのドレスが床に広がっているのが見えた。
あれ?あの分かりやすいピンクヘアにはなんだか見覚えがあるぞ?
先輩に何があったのかを聞こうとして視線を戻す途中で、先輩の燕尾服が赤く濡れているのが目に入る。
すわ、本当に事件かとも疑ったが甘い匂いが鼻を掠めたことで、それがジュースであることはすぐに分かった。
何故先輩がジュースを浴びているのか、彷徨わせた視線の端に床に落ちて割れたグラスを発見。
グラスに伸びている手の先にはピンクヘアの慌てた顔をした少女が先輩を見つめていた。
なんとなく、なんとなーく読めてきたぞ。
とにかくこの事態を早く収めなければと私と先輩は動くことにした。




