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「もう行ったから出てこい」
「本当ですか?私のこと騙してません?」
「騙す必要がどこにある」
それもそうか…。
日傘を少し上げてマルクル先輩の背中からひょこりと顔を出した。
先輩の前には誰も立っている様子はなく、周辺にもそれらしい人は見られない。
ただ人の波が流れていく雑踏の光景があるだけだったのを確認してから、ようやく息を吐いた。
背中から出て来て横に並ぶと早速とばかりに私は先輩に噛みつく。
「ちょっと先輩、私のことちゃんと守ってくださいよ!」
「別に悪漢というわけでもないだろ」
「そうですけど!でも、でもー!」
「だから、言い触らすなとも言っておいた」
そうだけどー!くそぅ、何を言っても先輩に淡々と返される。しかも私はそれ以上に言い返す言葉を持ち合わせていない。
もう、こうなったらやけ食いじゃー!
「はやく行きましょ!」
先輩の腕をいきなり掴んで引きずるつもりで先を歩き出したのだが、歩幅の差で直ぐに追いつかれてしまう。
少しも引きずれなかった…面白くない。
むくれながらも腕を離し、最初に向かったのは言われた通りのショコラ店だった。
ここを最初にした理由としてはお薦めされたことも理由の1つではあるが、私の門限の問題も関係している。
そのショコラ店がある場所から私の馬車が待機している場所までは距離があり、他を見てからだとショコラ店に寄れない可能性があるのでこうして最初に来ているわけだ。
せっかく奢りが確定しているのに、そんなことはいただけない。
お店の前に着くとまず可愛らしいよりも落ち着いた雰囲気のある黒を基調とした外観に目を惹かれた。
今の客の入りはそこそこと言ったところ。混んでいるわけではなさそうで良かった。
客層はやはり女性の方が多いように見えたが、男性の姿もちらほらと見かけることが出来る。
さてお店に入ってしまえば日傘と言う盾が無くなるのでその前に、前髪を少しばかり整え直しておこう。
日傘を畳んでお店に入ると真っ先にショコラが並ぶショーケースが目に入った。
他にもケーキや焼き菓子などのショーケースもあってそのラインナップの豊富さに心を高鳴らせる。
「いらっしゃいませ」
スイーツショップにしては珍しく男性の店員に迎えられたのを先輩が代表して応対してくれていたので、私はショーケースの中身に完全に目を奪われていた。
「おい、行くぞ」
「ぇ、はい」
先輩に声を掛けられてから、ようやく意識が先輩の方に戻した。
先に歩いて行ってしまった先輩の後を追うと、カフェスペースのような場所につく。
そのうちの木のパーテーションで仕切られた席に店員が案内してくれたので私たちは向かい合って腰を下ろした。
店員が一礼して去っていくのを見送ってから私は先輩に視線を戻す。
「で、もう頼んでいいんですか?」
「大丈夫だ」
わーい!机に供えられていたメニュー表を手に取って、いちおう先輩も一緒に見れるように横にして置いた。
ただ先輩は甘いもの自体が苦手なので、あまり乗り気ではなさそうだ。捲るスピードは私の自由にさせてもらっている。
「ここケーキもあるんですね。でもショコラの方を専門としてるわけですし…どうしましょうか?」
「自由にしろ」
先輩は本当に心底、興味がなさそうだなぁ。さて、どれにしよっかなぁ。
ぺらぺらと捲りながら、ここはやはり初めて来た訳だし大見出しになっているものが分かりやすくていいかと最初のページに戻った。
そこにはフォンダンショコラとお薦めのショコラ3点がセットになっているものがあったので、これに決めることにする。
さて肝心の先輩はどうするのかな?
「先輩、何頼みますか?」
「いらん」
「まぁそう言わずに…じゃあ先輩は、ザッハトルテとかにしときますか」
「勝手に決めるな」
ザッハトルテは冗談です。でも、せっかく先輩も来たというのに何も頼まないのはどうかと思う。
それに先輩のお宝を決めるためにこうして来ているのだから、先輩が味見をしないでどうするのか。
私の頑張りの結果、私とは違う種類のショコラを3個だけ頼むことにした。ちなみに私のチョイスで先輩でもなんとか食べれそうなものを選んでおく。
呼べば先ほど案内してくれたのと同じ店員が来て選んだものを頼んでしまえば、あとは持ってきてくれるのを待つだけだ。
「こことか、いいじゃないですか」
「…まだ1つ目だろ」
先輩は我が儘だなぁ。
「もう少し興味持ってくださいよ」
「お前が代わりに持ってる」
いや確かに今の先輩と比べるまでもなく、はるかに私の方が興味の度合いは高いでしょうけど。
極端に興味が持てていない先輩に私も何とも言えず、諦めて先に運ばれてきた紅茶で喉を潤す。
うん、紅茶も美味しい。先輩も紅茶の味は気に入ったようで黙々と飲んでいた。
そう間もなくケーキとショコラも運ばれてきて、それぞれの前に置かれてから私は最初にフォークを手に取った。
先輩は運ばれてきたというのにまだ紅茶を飲んで、ショコラには目もくれない。
もう先輩は放っておいて先に食べよ。
フォンダンショコラを食べる前に最初にやることと言ったら、中のチョコが流れるのを見ることだと思う。
フォークで遠慮なくケーキを割れば、とろっと溶けた温かいチョコが流れ出てくる。
一口分を切り取ってから流れ出たチョコをケーキで掬い取ってから頬張ると、口内に濃厚なチョコの味が広がって頬を緩めた。まるで幸せの味がするぅ。
さすがショコラを1番の売りにしているだけあって、フォンダンショコラも格別に美味しい。
暫くフォンダンショコラを食べ進めていたのだが、全く食べる様子の見られない先輩に仕方なく声をかけた。
「…それで先輩。いい加減、食べないんですか?」
「ん?あぁ…いるか?」
まだ一口も食べてないですよ、先輩!
せっかく先輩のために選んだのだから1つくらいは食べさせよう。そうなると、どれなら食べられるのかと言う話になってくるのだが。
「どれなら食べられるんですか?ちなみに、それがお酒入ってるやつで、それがナッツ入りで、それが普通にガナッシュが入ってるやつです」
指を差しながらどれがどれかを説明すれば無言でガナッシュ入りのものを手に取って私の皿に追加した。
極力、チョコの塊を避けようという意思を感じる。
増えた分には私は嬉しいので先輩に食べるように言ってから私は先にフォンダンショコラを食べ終えてしまうためにフォークを持つ手を動かした。
先輩は何も言わないまま緩慢な動作でお酒入りのショコラを手に取ると一口で食べてしまう。
飲み込むまでを待ってから食べた後も表情が変わらない先輩に感想を聞いてみた。
「どうでした?」
「思ったよりは食える」
何だその感想は。あまり褒めた風の感想でないような気がする。
こうも先輩が乗り気でないと、やはりここは候補としてはやめておいた方がいいかもな。
私もショコラを手に取り食べてみた。当然のように美味しい!
とりあえずここはレリオ様の奢りなので、遠慮なくお土産まで頂いていこう。
何とか先輩も食べ終われば時間も惜しいので早くにここを出ていくことにする。
先輩が店主に話をつけてくると言うので、その前にお土産を頼んでおこうと先輩の袖を引っ張ってショーケースの上にあったギフトセットを指差した。
「先輩、あれです。あのクッキーと紅茶のセット。あれもレリオ様にツケておくのです」
「分かった、分かった」
残念ながら今回はこの後もまだ歩き回る予定なので、ショコラは断念した。
先輩にお土産の件を伝えることも出来たので、私は先輩から離れて自由に店内を見回すことにする。
まだまだ、いっぱいあるなぁ。
メニュー表を見ていても思ったがショコラだけでも本当に豊富なラインナップだ。
まるで一種の宝石のように輝くショコラは見ているだけで楽しい。今日、お土産として持って帰れないのが残念だ。
ここを出たら、元の通りに近づいていきながらレリオ様から教えられたお店を順に巡っていくことになるだろう。
もしかしたら次に行くお店で早々に決まってしまうかもしれないが、あの先輩がそんな順調に決まるものか?
「終わった」
「はいはい。それじゃ行きましょうか」
先輩の手には私が頼んだものが入っているのだろう紙袋を持っていた。
「自分で持ちますよ?」と言っては見たが先輩から渡されることはなかったので、大人しく任せておく。
お店を出て先輩に付いていけば次のお店までは直ぐに辿り着くことが出来た。
ここはまた、格好いい感じのところだなぁ。
私とは縁が遠そうな店構えに若干、気後れしていたが先輩は躊躇いなく入っていくので私も後に続いた。
レリオ様に紹介してもらったお店も数はそう多くない。ここからは本格的に決めにかかるために少しお店にお邪魔させてもらって見ていくことにしたのだ。
というか、こうしないともう決められない気がする。
先輩とあれこれ話し合いながら、ようやく4店舗目に入ったところでマルクル先輩のお宝を決めることが出来た。
これからは帰ることを優先にして道を歩いていくことになる。
「先輩は今後、こういうことは引き受けない方がいいですね」
「あいつの肩を持った奴は誰だったか…」
「それは今日、付き合ってあげた分で帳消しです」
門限までには余裕と言うほどのことはないが、普通には間に合うことだろう。
急ぐこともなく先輩とお喋りしながらゆっくりと歩いて戻っていく。今日はもう先輩が誰かに呼び止められるようなこともなかったので、私の乗る馬車まで先輩は無事に私のことを送ってくれた。
御者からは「お待ちしておりました」と言葉を貰い私はそれに礼を返す。
先輩にエスコートされ馬車に乗り込んだところで、先輩が持っていた紙袋を私に渡してくれた。
「持っててくださってありがとうございます」
「気にするな。じゃあな」
「はい、先輩もお気をつけて」
「ああ」
先輩の返事があってから、先輩が外から馬車の扉を閉めてしまったので外とは切り離されてしまう。
少ししてから動き出した馬車の窓から先輩に手を振れば、振り返すことはなかったが不器用に片手を上げてくれたのが面白かった。
クスクスと笑いながら先輩から受け取った紙袋をするりと撫でる。
クッキーと紅茶のセットを頼んだんだよね。窓から先輩の姿が見えなくなってしまったので窓から目を外して紙袋からお土産を取り出した。
それは確かに私の頼んだものはあったのだが、見覚えのないものがついていることに気づいて首を傾げる。
――何だろう、これ。
括られているリボンに封筒が挟まっている。
挟まっているだけだったので手に取れば直ぐに中身が何か確かめることが出来るだろう。
中身を検める前に外から触ってみれば、何やら固い感触のものが入っていることが分かった。
ただのスイーツショップに行って、封筒に入った手で割れないほど固いものってて本当になんだ?
さらに首を傾げながらも今度こそ封筒を開けて中身を取り出せば、どうやら小さいスプーンが固い感触の正体のようだった。
これは、ティースプーンかな?柄のところでウサギが跳ねている銀色の可愛らしいティースプーンだ。
他には何も入ってないのだろうかと封筒の中を覗いてみれば、スプーン以外にも1枚の紙が入っていた。
なになに…貴方と一緒に心温まる時間を、とな?
どうやらギフトセットに追加料金を払えば付けられるものらしく、ウサギ以外にも別の種類があるみたいだ。
こんなものがつけられるとは、知らなかった。
私の知らぬうちにこんな特典を先輩はつけておいてくれたらしい。わざわざこんな可愛らしいウサギまで選んで。あの先輩が。
「ふふっ。…可愛いウサギ」
すっかり見目麗しいショコラたちに気を取られていて気づかなかった。
先輩はこのウサギのティースプーンを選ぶのに何か考えていたのだろうか。
あの先輩のことだから適当に選んだ気しかしない。でも、わざわざ特典がつけられると店員か誰かに聞かされてその選択肢を選んでくれたこと自体が不思議な気分だ。
うん、これは素直に嬉しい。
ウサギを指でなぞっていると自然と笑みが浮かんでくる。
それにしても先輩ったら自分のことを決めるのはあんなにも時間がかかったのに、こういうの決めるのは早いんだなぁ。
ティースプーンを封筒の中に大事に戻してからギフトセットと一緒に紙袋の中へと戻す。
今度このクッキーを食べるときに、紅茶に添えるスプーンは必ずこれを使ってもらおう。
紅茶のカップに添えられた可愛いウサギのティースプーンを想像して、楽しみが増えたと1人で気分良く笑っていた。




