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なんだかんだでマルクル先輩との予定が入ってしまった休みの日です。
あれ以降も何度か悪あがきで先輩に「本当に大丈夫なんですか?」と聞いてみたのだが先輩は「問題ない」と言うだけだった。
本当に問題ないのかは分からない。それは、エアリスからの証言を聞いても分からなかったのだから。
余談だがエアリスのことを敬称なしで呼ぶのは、今のところ私と2人のときかエレナを含めた3人の時だけとなっている。
エアリスはそれだけでも十分に嬉しそうではあったが、どこか少し寂しそうでもあった。
学生のうちくらい何も気にせずに堂々と出来たらよかったのだけれどね。
さて話は戻って、予定が入っているのだから起きたのならば着替えてしまった方がいいだろう。
今日はライトブルーのワンピースと五分袖のホワイトのボレロに着替えた。
今回は前回のように、そこまでの警戒は要さないもののやはり学園の誰かに見られれば面倒な噂になることは目に見えているので髪色は変えておく。
グレタが部屋に来て髪をダークブラウンに変えてもらうと「今日はどうなさいますか?」と聞かれ、髪を後ろに編み込んで涼しさが感じられるようにしてもらった。
帽子を被ってもいいのだけれど、どうせ今回は肌を焼かないようにとグレタに日傘を持たされるのが分かっているので帽子の代わりは日傘で十分だろう。
念のために前髪をいつもとは違う風に流しておいて、髪型から察しがつきにくくはしておく。
あとは…目下、私が頭を悩ませているのはあのイヤリングの存在だ。
さて今日くらいはこれを付けて先輩に改めてお礼差し上げた方がいいのかを考えていると、グレタから進言があった。
「こちらは如何でしょう?」
グレタに言われたのは誕生日の日に父から受け取った、母が愛用していたというヘアピンだった。
まぁ今日はこれにしておこうかな、うん。
それにしても、こういう日だけグレタが選んでくれるのは何故なんだろうね?
別にそれが嫌と言う訳でもないので、いいのだけれど。
先輩との約束は前回と同じとだけ言われていたが、つまり昼前にあの噴水広場まで行かねばならないわけだ。
朝の準備を終えて、朝食を頂き暫く暇を潰していれば時間なんて直ぐに過ぎていく。
前回よりも少し早めに目的地に到着するように屋敷を出ようと考えていたので、それに合わせてグレタが見送りをするため玄関までついて来てくれた。
「お嬢様。私が前に言ったことを、覚えておいでですか?」
「ん?ええ、覚えてるわ」
「今日もそちらをお守りいただきますよう、お願いいたします」
「分かってるわよ。それじゃ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
まさか、ここまで言ってこなかったのに出かける前になって言ってくるとは…。
正直、言われるまで忘れていたことは黙っておこう。でも、言われたおかげでちょっと思い出せた。
耳にタコが出来るくらい繰り返し聞かされたはずなんだけど、多分これさえ覚えておけば問題ないだろ。
玄関から出て馬車に1人で乗り込み、窓から流れる風景を眺めて暇を潰す。変わっていく風景からもうすぐ馬車が止まるであろうことを察せた。
御者から声がかかって馬車を降りると「お気をつけて」と言ってくれたので「ありがとう」と返して、どうせ先に待っているのだろう噴水広場へ歩を進めるのだった。
女の子の色めき立ち具合でマルクル先輩が先に来ているかどうか分かるの面白いなぁ。
日傘を少しだけ上げるとネイビーのシャツにホワイトのパンツスタイルの先輩が前と同じ場所で待っているのが見えた。
袖は肘まで折り返されており、時計を気にするような素振りが見えた先輩のもとへ足を止めることなく真っ直ぐに歩いていく。
先輩も日傘をさしていては分かり辛いだろうに私だと気づいて縁から立ち上がると、私の方に歩いて来てくれた。
「今日も早いですね、先輩は」
「そういうお前も、今日は前よりも早いな」
距離が近くなった先輩に第一声でそう言えば、直ぐに言い返されてしまった。
それはそうだろうな。もしかしたら先輩よりも先に来れるかもしれないと考えて、早めに出てきたのだが馬車から降りた瞬間から先輩が先についていることはなんとなく分かった。
「次からはもっと早くに来ますね」
「今のままでいい。待ち合わせが朝になるぞ」
それは…ちょっと早すぎるか。
さて早めに来たとはいえ、昼前なのは変わらないので先に昼食を探しに行こう。
今日は何も考えていないが、今から探していれば昼丁度くらいになっているだろう。
「さてと、先にお昼ご飯食べに行きましょ」
「そうだな。何が食いたい」
言われて私は辺りを見回す。ここらへんは喫茶店とかよりも雑貨屋の方が多い通りなので、とりあえずここから離れた方が昼食は見つけやすいだろうな。
「先輩は何か食べたいものあります?」
「特には」
欲のない人だなぁ。特にないとか言われると困る人は困るんだからな。
まぁ私の独断で決めてしまっても文句はない、ということで。私には前から気になっているものがある。
それがあるのはこの通りではないので、先輩の袖を引いて行きたい方を指差した。
「なら、こっちに行きましょう。前に一度見かけてから気になってたものがあるんです」
「分かった」
先輩と並んでそっちの道に歩いていく。
道中でアンドリ先輩の御眼鏡に叶いそうなお宝はどれかと探しているのだが、今のところいいものは何も見つかりそうにない。
というか私の方は何とでもなるだろうが、このままでは先輩の方が決まりそうにない。
いくつか提案はしているのだが、基本的に返事が適当過ぎてどれにしたいのかが良く分からないでいた。
決める気あんのか、この先輩。
歩いていれば目的のものがある通りにまで出ることが出来た。ここまで来れば直ぐに見つかるはず。
「あった!あれですよ、あれ。あれを食べましょう」
「俺は構わんが…食えるのか?」
「食べられますよ。むしろ食べてみたかったんです」
先輩の疑問も当然のこと。私が指差したのはハンバーガーが売られている屋台の出店だった。
普通のご令嬢が屋台を選ぶとは思わないだろう。
ただ私は夢で、とある前世の記憶を見てからと言うものハンバーガーが食べたくて仕方がなかったのだ。
その記憶とは私が放課後に友人と某ハンバーガーチェーン店に寄って、安いハンバーガーを食べながらしょうもない話で駄弁っている記憶のことだ。
それも1度だけでなく2度3度と何度もそれと似た記憶を思い出す。おそらく学生のうちに何度も通っていたから似たような記憶だったのだと思う。
その記憶を見るたびに朝からお腹を空かして起き、ハンバーガー食べたいと考えていてもなかなか叶わない日々…。
そんな中で見つけたこのハンバーガーの屋台!
これ以外にも私の見たことのない食べ物が売っている屋台はいろいろあるのだが、今日はハンバーガーの方が優先だ。
こればっかりはグレタがいては止められてしまう。
でも先輩となら気にする必要もなく食べることが出来るので、これ幸いと先輩をここまで引き連れて来たのだ。
もしかしたらここにある屋台の全制覇も夢ではないかもしれない!
ハンバーガーは先輩が私の分もまとめて頼んできてくれると言うのでお任せして、私は食べる場所の確保に向かった。
ここの近くに子供たちが遊べるようにと整えられた広場がある。
そこに休憩用として東屋があるのだが昼時だし先客がいるかもな、と考えつつそこまで行ってみれば誰の姿もなかったので遠慮なく腰を下ろした。
先輩には事前に言っておいたし、知っている感じだったので私は待っているだけで問題なし。
日傘を畳んで今日は太陽を遮る雲が少ないから日差しが強いなぁと屋根に遮られている空を見上げた。
「ねぇそこのお嬢さん。1人で来てるの?」
明らかに先輩ではない誰かに声を掛けられて上に向いていた視線を前へと戻す。
そこには先輩とは無縁そうな男2人組が目に入って、これはもしやと衝撃が走った。
「暇ならさ、俺たちと遊びに行こうよ。ここら辺、詳しいんだよね」
「いい遊び場とか知ってるんだけど、どうかな?」
これはグレタが危惧していたナンパ、とかいうやつか!
前世で今のところナンパをされたような覚えはないし、もしかしてこれが私の初めてのナンパなのでは?
すごい!私ってナンパされるんだ!
場違いにも感動のような何かを覚えていると何も発さない私に調子づいた男たちが、距離を詰めて来たのでようやく危機感が湧いてきた。
うーん、どうしよう。グレタから何か言われてた気がするけど、そこまで思い出せてない。
こうなると先輩、早く来てくれないかなと思いつついざという時は魔法で何とかしてしまおうと考えていると急に男たちが揃ってすっころんだので面くらってしまう。
男たちがそのまま身動き取れないように土が動いて絡めとっていくのを見て、私は安堵よりも先に納得を覚えた。
「先輩、遅いですよ」
「悪かったな」
前を見ると紙袋を片手に持っている先輩がこちらに歩いて来ているのが見えた。
男たちが転んだのも先輩のせいだろう。明らかに魔法を使っているらしく、底なし沼に足を取られたみたいな騒ぎ方をしている男たちの横を平然と通り抜けて私に紙袋を渡してきた。
「先輩、あそこまでやって大丈夫なんですか?そこの方々から文句言われても知りませんよ?」
「問題ない。誰なのかの検討はついている」
どうやら知り合い、というわけではないようだが一方的に男たちのことを知っているらしい。
分かったうえで躊躇なく魔法を使っているとなると、問題ないのかな?
いちおう魔法使いが、魔法を使えない一般人に対して魔法で怪我をさせてしまうと罪が重くなってしまう場合が多い。
それでも大概は私もマルクル先輩も金で解決できるだろうが、そんな迷惑を親にかけたいとは思わないのでギリギリまで魔法を使わないでいたのだ。
「話を付けて来るから、先に食べてていいぞ」
「待ってますよ。でも先輩の被害者が増える前に戻って来て下さいね」
「そうならないように気にしてくれ」
また少し離れていく先輩と泥だらけになっている男たちも魔法でどこかに運ばれて行ってしまう。
浮かされて運ばれていく間、不自然なほどに男たちが騒ぐことはなく先輩が何かしたのだろうことは直ぐに分かった。
先輩に限ってやりすぎるなんてことは、ないと思うけど…思わず先輩の心配よりも先に男たちの心配が立ってしまう。
それから僅かな時間で先輩は戻って来たので、哀れな男2人以外に被害者が増えることはなかった。
私が何かしたわけではないけれど原因は私なので、男たちが消えていった方に向かって心の中で合掌を送っておいた。
「ナンパって初めてされましたけど、あんなに行動が早いものなんですね。驚きました」
「驚いてないで、危機感を持ってくれ」
「持ってましたよ!でもグレタに言われてたことは、ちょっと頭から抜けてました」
「なんと言われてたんだ?」
「確か先輩から離れないように、とか言われました。なので私から離れないで下さいね、先輩」
「逆だろ」
それは私が先輩から離れないように気を付けろ、と言いたいのかな。はい、気を付けます。
先輩は呆れながらも私の向かいに座ると机に置いていた紙袋を開いて中から紙に包まれたハンバーガーを1つ私に渡してくれた。
待ってましたー!手に持って紙越しに伝わってくる温かさにわくわく心を躍らせながら、紙の包を解いていく。
前世以来のハンバーガーだ。私だと初めて食べることになる。
開けたはいいがどこから食べようか迷ってしまうな。
「食べないのか?」
そう声を掛けられてから先輩が見ていることに気付いて、私は先輩のことを睨んだ。
「食べますよ!食べますから、ちょっとこっち見ないでください!」
文句をつけてやれば先輩もハンバーガーを紙袋から取り出し始めたので良しとする。
それじゃ、いただきまーす!
思ったよりも開かない口で何とか一口食べてみれば、ギリギリ全部を同時に味わうことが出来た。
美味しい!前世で食べていたチープなものよりも少し豪華なハンバーガーではあったが、それでも私の欲望は今ここに満たされた。
こういうものは今の私1人では頼みづらいし、やっぱ今日は先輩と来れて良かったかもしれない!
「美味しいですよ!これ!」
向かいに座る先輩と味の感想でも共有しようかと顔を上げれば、まだ紙に包まれたままのハンバーガーを片手にこちらを見ている先輩と目が合って表情が固まった。
「何で食べてないんですか…」
「いや、気にするな」
「…じゃあ、なんで見てるんですか…」
先輩が私の疑問に答えることはなく、ハンバーガーの包を開き始める。
私は何故か食べるところから先輩に一通り見られていたらしいことが分かって頬を熱くなるのを自覚していた。
なんで見てるんだよ!口の周りにソースとかついてないよね?
私の後から、ようやく食べるらしい先輩を仕返しの意味でじっと見ておく。
先輩がそんな私の視線を気にすることはなく、私とは違って大きく口を開いてハンバーガーに齧り付く姿はなんか意外だった。
「うまいな」
先輩の質素な感想に私は全く関係ない言葉を返した。
「先輩って大きく口が開けたんですね」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
なんとなく先輩もこういうものを食べるのは初めてなのではないかと考えていたのだが、実はそうじゃないのかもしれない。
先輩から視線を外して自分が持っているハンバーガーを見て、頑張って齧り付く。
今度も小さくしか口は開かなくてもぐもぐと咀嚼しながら、前世の私や先輩ほどはうまくいかないなと少しの食べにくさとそれを上回る美味しさに舌鼓を打つことにした。




