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控室で待っている間、ここまで来てやっと「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません…」と学園長がこの部屋を訪ねて来た。
久しぶりに見たなぁ。この学園にも、いちおう学園長が存在している。
しかし普段、学園にいるよりも方々を駆け巡っていることの方が多い学園長なので今回もいないものと思っていたが挨拶のために急ぎ戻って来て着いたのが今だったらしい。
兄弟の他にマルクル先輩も含めて暫しの歓談があった後、学園長は結局ここに居座ることはなくまた忙しそうに秘書を連れて学園から出て行ってしまった。
「あの人、いつもあんな感じなのか?」
「むしろ学園長はいないものだと思ってくれ」
レリオ様の素朴な疑問にマルクル先輩が辛辣な答えを返していた。
それでいいのか、学園長…。
学園長のおかげで時間もいい具合に過ぎたので、そろそろ自分たちも教室に戻ろうということになり講堂から出た。
騎士たちとは講堂を出たところで別れると、4年の教室が一番近かったこともあり早々に別れる。
続いて3年、最後に残ったのは私たち2年生だけとなった。
もう一つ階段を上ると先にイリーナとプルーストとは別れてしまう。
上った階段からだと私の教室までが最も遠かったので、残ってしまうのも必然のこと。
もう少し歩かなければならなかったので「行きましょうか」とエアリス様に声を掛ければ大人しく私の後をついて来てくれた。
いちおう自習中ということもあって特に何か話をするようなことはせずお互いに無言で歩いていたのだが、それが気まずくなったのかエアリス様が声をかけて来た。
「ねぇ、一つ聞いてもいいかな?」
「はい?なんでしょうか?」
唐突な質問の言葉に先を歩いていた私は一度、足を止めて振り返る。
相手も私の動きに合わせてその足を止めると、彼は何故か私の方を見ていた。
てっきりまた何か気になるものでも見つけたものだから、質問をしてきたのだと思っていたがどうやらそういう感じではなさそうだ。
少し惑うように泳ぐ視線に私は小さく首を傾げた。なんだろう?
どうにも私に対して向けられているその視線の意味が分からず、まさか何かしてしまっただろうかと内心で不安を感じ始めたころ。
ようやく決心がついたらしいエアリス様は私にしっかりと視線を合わせて口を開いた。
「3の暦に、ピンクの花びらが舞う学園の並木の下で僕と会ったこと覚えてる?」
3の暦に?学園の並木の下で?私とエアリス様が会っている、だって?
身に覚えのない出来事に否定の言葉を口にしようかと思ったが、直ぐに言うことは躊躇われて少しばかり過去を思い返してみる。
正直ピンクと言われるとソフィーの印象が強すぎてなぁ。
でもピンクの花びらが咲いている期間なんて10日ほどのことしかないわけだし、そんな印象的な出会いなんて…。
――…いや、まてよ。あった、確かにあったぞ!
薄れかけていた記憶を最初の方まで掘り起こして、とある一つの記憶に思い当たる。
そう、あれはソフィーが学園に来た日の朝のこと。
たしか私は、日の光を受けてきらきらと輝くハニーブロンドの髪の少年と会話をしたはずだ。
その朧げな記憶の中の男の子の姿と今、目の前にいる少年の姿がどうしても重なる。
これを偶然の一致で片付ることは難しく、エアリス様本人が会ったと言っているのだから他人の空似という訳でもないのだろう。
どう考えても同一人物だ、これ!この結論に至って私は愕然とした。
本当にソフィーのことが強烈すぎて忘れていたけれど、気づいてしまえば間違いないと確信できる。
辛うじて叫びそうになることを堪え、私は顔色を赤やら青やらに変える羽目になってしまった。
そんな私の様子を不思議そうに見つめるエアリス様に対し、誤魔化すようなことは考えられず私は途切れ途切れに彼の言葉を肯定した。
「は、い。たぶん、会ってます、ね…」
「やっぱり!最初に会った時からそうだと思ってたんだ」
「あっそうだったんですね。私、全然気づかなくて…申し訳ありません…」
あの日に自分が行っていた言動を徐々に思い出して来て恥ずかしいやら全く気付かなかったことに対する申し訳なさやらで今、熱いのか寒いのかがよく分からなくなっている。
私が僅かに顔を伏せて謝ったことで、エアリス様は慌てて私の言葉を否定した。
「謝らないで!あの日に一度、会っただけだし。覚えてなくても仕方がないよ」
「ですが…」
「本当に気にしないで。それに、こうして思い出してくれたでしょ」
思い出したはしたが、相手が覚えていたのに私が覚えていなかったという事実が私を苛む。
ただ私が気にしていることをこれ以上に悟られることは私の本意ではない。
「それよりも、ね」
伏せていた顔を上げるてみるとエアリス様は制服のポケットに手を突っ込んで何やら取り出した。
四角く畳まれた布を取り出すと私に差し出す。
「これ、あの日に貸してくれたハンカチ。どうしても君に返したくて」
それは私が花びらを包んで彼が持ち帰れるようにと渡したハンカチだった。
すっかり上げたものだと思っていたから、まさか返ってくるとは思ってもみなかった。
「ありがとうございます。わざわざ…」
受け取らない理由もなく固辞するのも違うだろうと思い、素直に受け取ればエアリス様は嬉しそうに笑った。
「ううん。僕の方こそ、ありがとう」
「私がお礼を言われるような事は、何もおりませんわ」
「そんなことないよ。僕が花びらを持ち帰れうように、それを渡してくれたでしょ」
渡したというか、押し付けたに近かった気がするけれど…。
受け取ったハンカチを見つめて、あの時に私が自分で言った言葉を思い出す。
「そうだ、何かお願い事はされましたか?」
「ん?ふふ、秘密」
エアリス様は無邪気に笑って唇の前に人差し指を立てた。
その言い方だと、何かお願い事はしたということかな?
隠されると気になるものだが、こういうことを聞くのは野暮というものだろう。
私も小さく笑い返すだけにして口を閉ざした。
「そういえば、あの日みたいに喋ってくれないの?」
「え」
その言葉に私はうまく言葉を返すことが出来ず笑みの形を象ったまま固まってしまう。
いや、うん。言っていることは分かる。
あの日の私は、もう会うこともないだろう男の子に対して大分砕けた口調で話してしまっていた。
相手が誰なのかも把握していなかったしもう一度、出会うことになるだなんて想像すらしていなかったのだから。
それがまさか、こんな出会い方を果たそうなどとは。
これが分かっていれば私は、あの日あの時からもっとちゃんと畏まった口調で話していただろうに。
なぜ!私はあんなに砕けた口調で接してしまったんだ!
後悔して嘆いても、過ぎた時が戻ることはない。私は目線を逸らして情けない笑みを浮かべた。
「あのーそのー、そんな恐れ多いことはー」
「僕はあの時みたいに話してくれる方が嬉しいんだけど…」
「いやでもそのー」
結局うまい返しも思いつかないまま言い訳がましくエアリス様の言葉を躱し続ける私に彼は一瞬、言葉を止める。
眉尻を下げてしゅん、と見るからに悲しそうな表情を見せたエアリス様は僅かに私を見上げるようにして視線を合わせた。
「ダメ、かなぁ?」
私の情に訴えかけてくるようなその表情は見事、私の良心に突き刺さった。
どうしてなのか…私は何も悪いことしていないはずなのに、何だか私が悪いことをしているような気がしてきたぞ!
でも窺うような視線で見つめられているうちに、段々と断り辛くなってきてしまった私は僅かに眉間に皺を寄せた。
正直に言おう。私はこの手の目線に弱い。
だったら目を逸らして無視すればいいだろうとは分かっているのだが、それが出来たら私は今ここまで悩んでいない。
心の中ではもうすでに答えは決まっているのに、わざとらしくも悩む素振りを見せてからぎこちない笑いを返した。
「そう、ね。別に大丈夫だけど、2人の時だけでいいかしら?」
言い方さえもぎこちなくなってしまったが、これが今の私に考えられる最大の譲歩だった。
さすがに友人たちに対しても猫を被っている私が、こんな風にエアリス様と堂々とおしゃべりすることは躊躇われる。
というか、出来ない。
そんな私の譲歩にもエアリス様は随分と嬉しそうに笑って大きく頷いてみせた。
「うん、嬉しいよ!実は兄さんたちの関係が少し羨ましかったんだ!」
「そうだったのね。でも、私なんかでいいの?」
「なんか、じゃないよ。君がいいんだ」
まさか、ここまで喜んでくれるとは…。
マルクル先輩とレリオ様の関係を羨ましく感じていたとは言ったが、本当に私なんかでいいのだろうか。
エアリス様は私が良いとは言ってくれたが、いまいち私には自信が持てない。
私とマルクル先輩とでは何から何まで違うのだし、正直こうなるまでは彼と距離を保とうとまで考えていた私である。
そんな風に喜ばれてしまうと私の中の罪悪感がふつふつと刺激されてしまう。
なんというか、これはもう…うまく距離を置くとか考えている場合じゃないなと。
そう、思ってしまったのだ。
「そうだ!ハンカチの中にねちょっとした贈り物を挟んであるんだ。よかったら受け取って」
「贈り物?なにかしら?」
「それは、あとでのお楽しみ」
ハンカチが返って来ただけでも驚きなのに、まさか贈り物まで受け取ってしまうとは。
挟んであると言ったが、何があるのだろうか?
後でと言われてしまったのでダメもとでエアリス様に聞いてみる。
「今、見ちゃだめなの?」
「それは僕が恥ずかしいからまた後で、ね」
そう言われてしまっては強硬してみたくもなるが、そこまでするのは可哀想か。
「ありがとう、また後で見るわね」
礼を言うにとどめてハンカチを鞄の中に大事にしまう。
さてこんな廊下の往来ではあったが予定よりも大分、時間を取られてしまった。
もうそろそろ教室まで行かなければ、もしかしたら教師が探しに来てしまうかもしれない。
「それじゃ、行きましょうか」
「うん、ごめんね。時間取らせちゃって」
「大丈夫。それに、きっと必要なことだったのよ」
私の言葉にエアリス様はほのかに首を傾げる。
そんな彼の疑問に答えるように、私はニッと笑ってから彼と自分を交互に指差した。
「貴方と私が、お友達になるために」
それだけ言って私は前を向いてしまったのでエアリス様がどんな表情を浮かべていたのか定かではない。
自分で言っておいて照れているようでは世話ないなとは、自分でもそう思う。
ただ相手がなんとなく喜んでくれればいいなと思うと、口をついて出てしまっていたりするので自分ではどうしようもないのだから仕方ない。そう、仕方ないことなのだ。
「そっか…そうだね!」
背後からこれまた嬉しそうな声で私に同意を返したエアリス様に私もまた小さく笑ってから、今度こそ教室に向けて一歩を踏み出した。
予定よりも遅くなった理由をもし聞かれたなら、少し校舎の中を案内していたとでも言っておけば問題ないはずだ。
エアリス様は聞きたかったことが聞けたからか、合図もなしに歩き出した私に何も言わずついて来てくれている。
後ろから聞こえる足音が何だか軽快でようで、今の機嫌がとてもよさそうなことは直ぐに察せられた。
元から教室までそこまで距離が残っていたわけでもないので、お互い無言で歩いていれば教室まではあっという間だった。




