43
私の部屋に遊びに来た友人はスマホの画面に夢中で、かくいう私も現代人らしくスマホを弄っていた。
『ねぇ、また乙女ゲーム?』
沈黙が暇になった私はなんとなく友人に声をかける。
『んー?ちがうよー。これね、悪役令嬢転生ものの恋愛小説よんでてー』
『あく…なに?』
奇々怪々な呪文を呟いた友人に聞き返せば、これまた有難いことに丁寧な説明をしてくれた。
曰く乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった主人公が先に待つ滅びの運命に抗うため奮闘しつつも本来、好かれるはずのない攻略対象たちから恋の矢印を向けられるものらしい。
これも一概には言えないが、大体はこんな感じだと教えてくれた。
『他にもね!』と話は続くが、またそこからは興味がないので適当に聞き流しておく。
悪役令嬢にねぇ。そんな面倒なこと私は御免被りたいものだ。
なんか知らん間に、友人の話が悪役令嬢だけに留まらなくなっていて押され気味の私は小さな声で『もう続きを読んでもらっていいですよ…』と友人の興味を必死に逸らそうとしていた。
結局、無駄だったわけだが…。
うーんうーん、とうなされながら目を開ける。すっと起き上がって直ぐに、こう呟いた。
「遅い…」
乙女ゲームだけじゃないんだ。転生ってのがあるんだね。
そうなると私もある意味、転生者ってやつになるのか…。
前世の自分が死んだときの記憶なんてないし、そういう自覚はなかったなぁ。
じゃあもしかしてソフィーの場合は乙女ゲームの悪役令嬢とやらに転生してなくて、ちゃんと主人公に転生してみたっていう方が近かったりする?それとも私が本来は悪役令嬢とやらに転生してたとか?
でももう全てが終わった後だからどうでもいいんだよなー!
絶妙にタイミングの読めていない時期に思い出した前世の記憶に対して文句をどこにつければいいのか分からず押し黙る他なかった。
神様とかに文句付けたらいいかな?…もういい、全てを忘れよう。
今日も今日とて新しい朝が来た。
5の暦に入ってからというもの環境ももとに戻り、心穏やかな余裕のある毎日を送っているかと思いきやそうもいかないのが生徒会役員として辛いところ。
6の暦に控える大きな行事に向けてそろそろと本格的な準備を始めていかなければ間に合わなくなってしまうので、私たちにまたしても忙しい日々が戻ってこようとしていた。
さてグローブを既に必要としなくなり、はや数日。
初めて前世の記憶を思い出してから2つの暦が過ぎていた。
これも相変わらずで、今日みたいな微妙に役に立たない記憶を思い出すばかり。
やはり今の私に何か影響を及ぼすようなことはなく、取り留めない記憶からはその少しの退屈が平和という言葉を体現しているかのように感じられて。
今の私の人生も波瀾万丈とかでなく、あんな風にひたすらに平和であればいいと願うばかりだ。
それにしても前も今も変わらず私は、友達が少ない。
今のところ前世の記憶の中に出て来る友人が乙女ゲーム趣味の一人だけなんだが、どういうことなの?
何だったら今の方が確実に多い。前世と違って少しの不自由さがある代わりにそこだけは有難いことに恵まれたということだろうな。
制服に着替えてからカーテンを開けてドレッサーの前に座って髪を梳く。
いつもの朝のルーティーンをこなしている間にも私には一つ引っかかっていることがあった。
朝の身支度に使うジュエリーボックスとは別のボックスに大事に仕舞ってある、マルクル先輩から貰ったアイオライトのイヤリング。
結局、あの日あの後に私はうやむやのまま先輩から逃げてしまってちゃんとしたお礼を言えていないのだ。
言おう言おうとは思っているのだが時間が経つにつれなかなか言い出しづらくなり、もう結構な日数が経ってしまっている。
もういいんじゃないかな?いやでもなー、と悩みながらも変わらない毎日を過ごしてしまっていた。
部屋にノックの音が響く。
グレタに返事する前に寄っていた眉間の皺を指で伸ばしてから、グレタに返事を返した。
時間は飛んで早、放課後。
語るべきことのない平和な毎日なのは、とてもいいことだと思いました。
生徒会室の扉前にて形式的にノックをしてからドアノブを捻って開かない様子に、少し遅れてから鍵がかかっていることに気付く。
マルクル先輩が問題なく顔を出せるようになってからは当たり前のように開いていたので油断した。
誰か私のノックを返してほしいなんて、理不尽な主張を頭の中で考えながら鍵を使って扉を開ける。
鞄を置いて他の皆が来るまで待ってても良かったのだが、なんとなく今日から進めると言っていた6の暦に控える一大行事“魔動祭”の準備のための資料を持ち出して来て一人で眺めていた。
魔動祭とは、前世で言うところの体育祭と同義である。
ただ決定的に違うところを上げるとすれば、私たちが魔法使いであるということくらいなものか。
魔法使いが行う体育祭が普通のもので終わるはずもなく、当たり前のように魔法を前提とした規模になってくる。これが魔動祭となるわけだ。
貴族ばかりが集まるこの学園で行われる体育行事ではあるがお上品なもので終わると思うことなかれ、これがなかなかの盛り上がりを見せるのだなぁ。
学年対抗とはいえ白熱した戦いぶりを見せる生徒たちの様子に、普段見ることの出来ない自分の子供たちの姿が見られるとあって観覧に来られる保護者の方々からもご好評をいただいております。
私は1年生の時以来か。
またこの年が巡って来たかと思うと楽しみではあるが、今年は生徒会としての役割もあるので今から少し不安なような。
魔動祭の種目決めも生徒会に一任されているので、おそらく今日はそれを決めることになるだろう。
ある程度、定番というものが決まっているのであとは少し変わり種を1、2個選べばプログラムを組む段階に進めるのだが。
私は役員から挙げられた種目が、まとめて書かれた紙を眺めていた。
「二人三脚にパン食い競争?いやぁーないでしょ…」
パン食い競争って…一体誰が出した案なのか。
貴族のご子息ご令嬢方がパンを咥えて疾走する姿を想像して自ら首を振った。
いや、ない。改めて考えなくとも、ないわ。まぁ選ばれることはないだろうな。
それよりもこの世界にパン食い競争という概念があったことの方が驚きだ。
一通り目を通し終えたあたりでイリーナとプルーストが揃って生徒会室にやって来た。
先輩たちはいないがただ待っていても無為に時間が過ぎるだけなので、出来る雑務はやってしまおうということになった。
世間話も交えつつ順調に処理していればそこそこに時間も過ぎていたようで、遅れてやって来たのはアンドリ先輩とリュドミラ先輩だけだった。
「連絡もなしに遅れてごめんねー。今日はクラウス来れないからー」
「前に少し話があったと思うけれど、王族の一時編入の件で私たちも呼ばれてねぇ」
なんと!立ち消えになっていなかったとは。
まぁソフィーのことはあったが問題ないと判断されたということだろうか。
彼女のあれは情報が洩れているというよりも、あくまで夢の中での話だったわけだし。
そう考えて一人、納得した。
しかし、もうないと思っていたことが本当はあったというのは少し面倒に感じるのは何故だろうか。
しかも時期的に魔動祭の準備と丸被りで非常に厄介だ。
マルクル先輩が今日来れないことを鑑みても、ほぼほぼ決定事項と見ていいだろう。
「明日はそのことで多分、なんかあるんじゃないかなー」
明日には何らかの情報が聞けるらしい。
ということは今日中にでも種目だけでも決めておいた方がいいだろうな。
会長不在ではあるが、先輩方もそのつもりらしく来て早々に会議が始まった。
決め方としては候補として挙げられている種目の中から3つ選んで投票し、得票数の多いものから決定としていく方式だ。
実際に必要になる種目数は2つなので上位2つを入れることになる。
「さて皆、どれが良いか決まったー?」
アンドリ先輩の言葉に全員が頷く。選んだ種目に対してそれぞれ手を上げることになった。
私は変わり種の中でも無難な競技を選んで手を上げたのだが、予想外なことにパン食い競争に3人も手を上げたことだった。
いや、なんで!まさかの事態に内心で動揺する。
最終的な結果は、パン食い競争と借り物競争で種目が決定してしまった。うそでしょ!
「よっし!これでけってーい!ところでさぁ…」
そこで一度、言葉を切ったアンドリ先輩はパン食い競争と書いてある文字を指差しながら首を傾げた。
「パン食い競争ってなに?」
「え!知らずに手を上げてたんですか?」
何も分かっていないのに手を上げるだなんて、何を思ったらそんな考えに至るのか…。
保守派の私が心の中で苦言を呈している。
アンドリ先輩はからからと笑って頭の後ろに手を添えた。
「いやぁ、なんか分かんないからいいなぁーって!」
「えぇぇ…」
なんだその理由は?もしかして手を上げていた他2人もそんな理由なのか?
これは急ぎあと2人にも事情聴取を行わねばならぬ!
まずは、リュドミラ先輩。
「私も似たような理由よぉ」
次、イリーナ。
「パンって美味しいから皆、食べられたらうれしいかなって!」
とまぁ、理由らしい理由があるのはイリーナしかおりませんでした。
3人とも共通して何をやるのかは分かっていないまま手を上げたらしく私は頭を抱えそうになった。
ノリと勢いで動くことの方が多いアンドリ先輩を止められそうなリュドミラ先輩は今回、アンドリ先輩の味方側にいる。
ばっさりと切って捨ててくれそうな頼りのマルクル先輩は今日に限って欠席だ。
止める側にいたのは私とプルーストだけなのだが、私たちに止められる筈もなくプルーストに関しては早々に諦めたようだった。
「大丈夫。何とかするよ、アンドリ先輩が」
どうやら責任の所在は全てアンドリ先輩に押し付ける気満々らしいプルーストに私も同意することにした。
まぁそうすればいっか。
「でさぁ、話は戻るけどこれって何?」
私以外の全員が揃って首を傾げている。
ん?何かおかしくない?ていうか、これ提案したの私じゃない?
なんかいろいろあったせいですっかり忘れてたけど、たしか適当に案出した気がするわ。
元凶、私だった…。少し前の私に言えるものなら言ってやりたい。
その案を今のうちに消しておけ、と。後悔先に立たずってこんなことを言うのかな?
私の中での変わり種の種目と言えば、前世からの記憶ですっかりパン食い競争と玉運びに決まっていたものだから何も疑問に思わなかった。
「たしかマルティネスが上げた案じゃなかった?」
目ざとくも覚えていたらしいプルーストの指摘を受け私の肩が僅かにピクリと反応する。
さて前世の記憶そのままで話していいものかどうか迷った挙句、そのまま話すことにした。
変に作り上げてもうまいこと言えそうにないしね。
「えっと、本でたまたま…本当にたまたま読んだんですけど。高いところにぶら下げられたパンを跳んでゲットしてゴールに行くっていう、割とシンプルな競技でして…」
「へぇー飛ぶんだ。いいんじゃない?」
いいのか?今の説明で良いところあったか?
何故かアンドリ先輩の乗り気な様子に私は置いてかれている。
「パンはなんでもいいの?」
イリーナも期待の眼差しで私のことを見て来るし、何だか居た堪れない…。
「あんまり、固くない方がいい…かな?」
「うーん、クロワッサンとかかなぁ?」
「どうだろう…」
ここにはアンパンなんてものないものね。
しかしクロワッサンが吊り下げられたパン食い競争なんてシュールで嫌だなぁ。
「この際、パンに拘らなくともいいんじゃないかしらぁ」
「そう、ですね。ご褒美的な意味合いもありますし」
「そっか!ならわたしはお菓子がいいと思う!」
リュドミラ先輩の言葉に乗っかる形でパンの追及からはなんとか逃れられたぞ。
でも、これだと前提から崩壊してしまっているような…。
私がそう思っているのと同じことを思っていたらしいプルーストが声を上げる。
「でもそれだとパン食い競争じゃなくなりますけど」
「じゃあ、名前の方を変えればいいだろ!よっし、適当にトレジャーハントに変更っと」
あ、パン食い競争がトレジャーハントに置き変わった。
新しく書き換えられた文字を見て、ほんの少し安堵したようなやっぱり不安なような…。
次々と決まっていくトレジャーハントの内容を聞いていると、もはや原型が残っていないことに私の手から完全に離れていったことを悟った。
イリーナはより乗り気な様子だし、リュドミラ先輩は何も言わず穏やかな笑みを浮かべていてプルーストは流れに身を任せている。
どうなるかは分からないが、アンドリ先輩が珍しくやる気なので何とかするだろう。
私も諦めて流れに身を任せることにした。




