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ソフィーが来るのは今日の昼過ぎ。
その日が来るとより上がる心拍数に私は落ち着かない気分を味わっている、かと思いきや何故か屋敷全体のどこか重い雰囲気に私は自分が思っていたのとは違う落ち着きのなさを覚えていた。
重い、というか痛い…。なんだろう、この感じどこかで…と考えてソフィーがいた頃の教室の雰囲気に似ていることに気づいてしまう。
気づいた時には流石に眉を八の字に下げて情けなく笑うことしか出来なかった。
この屋敷にいるメイドたちは皆、優秀な者ばかりなのでソフィーのことを追い返すような真似はしないだろう。
それでも今回、この来訪だけは手放しで歓迎とはいかないようだ。
グレタが事情を知っているのなら他の者が知らないはずもなく、今日来る誰かさんが私にとっての敵だというのが私以外の共通認識らしかった。
私がいくら無事と言っても、害したという事実だけで許せるものではなく主人である父もソフィーのことを良く思っていないということで風向きは大分悪い方向に吹いている。
今から私が何か言っても彼女たちの悪感情を余計に煽る結果になりそうで怖かったので、私からはいつも通りおもてなしをしてくれるようにだけ頼んでおいた。
せっかく来てくれるソフィーには申し訳なさを感じつつも、どうかこの空気感に気付くことがありませんようにと話し合いが無事終わりますようにとをひたすらに祈っておこう。
今か今かと窓の傍に寄ったり椅子に座ったり、やはり落ち着くことなど出来るはずもなく部屋の中を当てもなくさ迷い歩く。
私から話しかけた方がいいのいかな?それとも相手の言葉を待った方がいい?
ぐるぐると考えているうちにノックがあって、グレタから「ソフィー嬢が来られました」と告げられた。
私のことを呼びに来てくれたグレタの気が万が一にでも変わらないうちに、素早くドレッサーの鏡で身嗜みを整えてから部屋を出る。
直ぐに出れば「こちらです」とグレタの先導され裏庭に出た。
父に指定された場所、裏庭にある東屋はある意味で誰からも見える位置にある場所だった。
父は同席こそしないものの今日一日は屋敷におり、現在は裏庭が見える一室にてそこで何やら忙しそうに仕事を行っていることだろう。
というか裏庭に面した窓がある部屋からは角度の違いはあれど、東屋の様子はよく見えるはずだ。
それにグレタには私の傍に控えるように父からの命令が下されており、多少は離れるものの一定以上は離れないようにとも言われていた。
別に私もそれに異議を唱えやしないが、何だか話しづらいなぁ。
裏庭に出れば、直ぐにソフィーの姿を見つけることが出来た。立ったままで私のことを待っていたらしいソフィーの傍には一人の男性がグレタと同じように傍に控えている。
私が彼女を見つけたということは相手にも私の姿は見えているということで。
ソフィーは私の姿を認めるとゆっくりと頭を下げた。
「ラファエラ・マルティネス様。この度は幾重にも及ぶ多大なるご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ありませんでした」
少し精彩を欠いた様子のソフィーの姿とごく丁寧な言葉遣いに、また私の知らない人物を見ているようだった。
何度も思ったことだが、どれが本来の彼女だろうか?
返事も忘れて少し離れた位置で呆然と立ちつくしてしまう私に不安を感じたのかソフィーは頭を上げ、不安げに私のことを見上げた。
「あの…やっぱり何かおかしかったですか?ごめんなさい、まだ習ってる途中で…」
「いえ!何も問題ありません!その…随分と様子が変わっておられたので少し驚いてしまいまして」
容姿が特に変わったという訳ではない。
相も変わらず美少女然としていて、今はそこに儚さが加わったような印象だ。
教室で見ていた元気印な印象とも、私と二人きりの時に見せたあの末恐ろしいような雰囲気ともまた違う。
憑き物が落ちたかのようではあるがその表情は晴れやかとも言い難く…とにかく今の彼女は吹けば飛んで行ってしまいそうな、そんな脆さを感じさせた。
ここに来るまでに彼女の中でどんな心境の変化があったのだろうか。
習っている途中だと言った丁寧な言葉遣いは、ふとすれば少しだけその仮面が剥がれ以前の口調をのぞかせる。
私としては畏まった口調で堅苦しくいられるよりも、その方がいいのだけれど。
「あまりご無理をなさらないで。貴方の話しやすいように話してくれる方が嬉しいわ」
「お気遣い、痛み入ります」
あのソフィーが私に普通に微笑みかけた、だと!
僅かではあるが上げられた口角に、私は表情には出さずとも驚いていた。
来た時から睨まれることもなく、私に真っ直ぐな視線を向ける彼女に合わせて私も見返しているのでこんなにもまともに彼女の瞳を見たのは初めてかもしれない。
ブラウンの瞳に濁りはなくただやはり、最初に感じた印象と変わらず精彩を欠いているように思えた。
「遅れましたが、今回はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ。お呼びたてするような真似をしてしまって…ご迷惑ではありませんでしたか?」
「そんなことは!決して!」
ソフィーとまともに会話が出来る。しかも続いている。
ただそれだけのことにここまで感動する日がこようとは…。
立ったままだった彼女を東屋の方へ先に案内し座ってもらう。
その対角、正面に私も座ればメイドが直ぐに二人分のお茶を持って屋敷の方からやって来て置いていく。
ソフィーの傍に控える男性は格好から察するに彼女の執事か何かだろう。
席には座らず、グレタと同様それぞれの主人の傍に静かに控えていた。
「何の手土産も持たず申し訳ありません。可能であれば、ラファエラ様の怪我も治させて頂きたかったのですが…」
「承知しております。父との約束ですので、お気になさらないで」
眉を下げ、改めて私に謝罪の言葉を繰り返した。
彼女に謝らせてばかりなのは心苦しいものがある。時間も限られていることだし話題を変えてしまおう。
「その…ソフィー様。お聞きしたいことがあるのですがよろしいですか?」
私の少し急な話題転換にもソフィーは「勿論です。全て隠さずお答えいたします」と約束してくれた。
「ソフィー様が私の名前を間違われていたことには、何か理由がおありなのですか?」
私は嫌われていたとはいえ生徒会所属ということもあり周りにはそこそこに名が知られていると思っていたし、同じクラスでもあったことから名前を憶えていないというならばまだしも間違えることはなかなかに少ないのではないだろうか。
あの時叫んだ名前はただ単に覚えていないというものではなく、確実に私のことをその名前だと認識しているのだと感じさせた。
私に似た人物があの学園にもう一人いることもないし、誰かと間違えている可能性は低いだろう。
「そうですね」
答えてから一拍、入れた後ソフィーは語り始める。
「それは私が小さな頃から見ていた夢に関係があります」
「夢…」
それはマルクル先輩も言っていて、私が最も気になっている話題だった。
知らず知らずにゴクリと生唾を飲み込み彼女の話に耳を傾ける。
「私には小さな頃から繰り返し見る夢があるんです…」
『その女の子はどうしてか今の私にそっくりの容姿をしていて、名前も私と同じ“ソフィー”と名付けられていました。
その子は平民の出ながらも魔法を扱えて、なんと治癒の奇跡を持っていました。
そのおかげか、そこで過ごすご近所さんや子供たちから慕われ好かれ日々の生活は大変ながらも幸せな毎日を送っていました。
そんなある日、女の子の噂を聞きつけた貴族様がその子のことを保護しに来たのです。
女の子は連れていかれ学園に通うようになりました。
学園で彼女は平民の出ということで虐められ蔑まれ、大変に苦しい思いをしていました。
それでもせっかく入れたのだからと懸命に学園生活を送る女の子はある日、運命の人と出会うんです。
その運命の人は日によって姿を変えました。
王子様に学園の上級生から下級生、はては教師に至るまで。
どの方とでも女の子は恋に落ち、最後には悲しい別れもあれば幸せな結末を迎えることもありました。
これも日によってその結末を大きく変えさせました。
ですがそのどれにも、貴方に似た違う誰かが女の子の邪魔をするのです。
そのせいで女の子が死にかけることまでありました。でもそんな障害も乗り越えて女の子は誰よりも、誰もが羨むような幸せを手に入れました。
その夢で私はその女の子に入り込んだかのようで、彼女が幸せになれば私も幸せで不幸を感じれば私も不幸せに感じるほどに夢の中に入れ込んでいたのです』
「小さな頃は気付きませんでした。でも成長していくにつれ夢の中の女の子に似ていく容姿に、もしかしてと期待して。ある時、奇跡を使えるかどうか物は試しとばかりに見よう見まねでやってみたら出来てしまいました。そこで私は重大な勘違いをしてしまったんです。私が見ていた夢は未来に起こり得る出来事だったんじゃないかと」
そこでソフィーは僅かに視線を下げた。
「実際に保護が来て、いざ学園に通ってみれば初めて見た貴方の容姿が本当に瓜二つで…。他の方も同様でした。だから疑うこともせず、私は盲目的に信じてしまったのでしょうね。ラファエラ様の名前が違うことにも気づかずに…」
長々と語られた内容は凡そ私の予想にも被るものだった。
乙女ゲームをやった記憶はないので詳しくは分からないが、要は少女漫画のゲーム版だ。
好きな相手と結ばれるまでに障害役がいるおかげで話がより盛り上がる。
彼女の夢の中で私はそういう役割の子に、容姿がとても似ていたのだろう。なんで悪役なんだ、とか文句を言っても仕方がないことなので諦める。
ソフィーは「馬鹿ですよね」と自嘲気味に笑ったが、私はそれに返せる言葉を持っていなかった。
思わず閉ざした唇をぐっと嚙みかけて寸前で耐える。
彼女の見ている夢は私の見ているような前世の記憶とは、また違うものだと思う。
なんとなくだがそっくりな人物ばかり出て来る乙女ゲームの画面をずっと見させられて自分も似ているものだから主人公に過剰に感情移入してしまったような、そんな感じだ。
心の中の私がため息を吐く。彼女が私と同じではなかったことに残念に感じていた。
何故かと考えて、理由は直ぐに分かった。
私は彼女にこの前世の記憶を分かち合える、仲間になってほしかったのか。
別にこの前世の記憶を負担に感じたことはない。
ただなんとなく、せっかく思い出したこの記憶を誰にも話せないことに一抹の寂しさのようなものを感じていた。
そうか、そうだったのか。
それに思い至って、彼女に勝手に期待していた私に気付いて反省した。
「…そうでしたか。それは、何とも不思議な夢ですね」
「本当に。夢はただの夢なんです。誰に何を言われてもあんな夢、信じるべきじゃなかった…」
漸く口を開いた私は無難な言葉を言うことしか出来なかった。
そんな私の反応の悪さにも彼女が気にした風はなく、深い後悔を滲ませて少し声を潜める。
もしかして彼女は今回の一連の出来事を取り返せないような過ちのように感じているのではないだろうか?
そこまで重く捉えるようなものではないと私が言っても、彼女はそのままの意味で受け取ってくれるかどうか…。
今は先に聞きたいことを全て聞いてしまおう。
「もう一つお聞きしても?」
「はい」
「では、マルクル様に固執していらしたのにも何か理由が?貴方の話を聞いていると、他にも殿方は夢に出てきてらっしゃるのでしょう?」
今ここでは口には出さないが、彼女の夢の中には王族が出てきていたはずだ。
所謂、攻略対象として選ぶのであれば王族の方が好条件ではないだろうか。
それがうまくいくかはどうかは、さておき。
彼女は私の疑問に間を置かず答えた。ただ瞳の色だけは先ほどまでよりも、暗い影を落として。
「あの方に固執したのは、母を…病気の母を唯一、治せる可能性があったからでした」
「お母様を?自分の奇跡は?」
「治せませんでした。何度も、何度も何度も試しました。でもダメだったんです。どうも私の治癒は病気には効かないようで…あはは、そりゃ無理ですよね」
ただ感情の失せた笑いが空しく響く。
「あの方との夢でだけ、私の母が助かったという出来事がありました。あの時の私にはもう、これしか縋るものが残されていないと思い込んでいたんです」
「…」
「だから付きまとって、なんとか私のことを見てもらおうと必死で…なんでも話しました。あの方の興味を惹ければなんでも良かったんです。いつからか私の行動に付き合ってくれるようになりましたが、あれは今にして思えば監視だったのでしょうね」
形だけの笑みを浮かべる彼女の姿に、私は目を伏せてしまいそうになるのを堪えて彼女を見つめ続けた。
せっかく授かった治癒の奇跡も大切な人を救う手立てにはなり得ず、これでは役立たずと否定したくなる気持ちも分からないでもない。
ソフィーが応接室で叫んだ強い否定の言葉を思い出す。
彼女が初めて自分の奇跡に気付いた時、彼女は真っ先に愛する母を治そうとしたはずだ。
その奇跡を以てしても彼女の望む奇跡が訪れなかったと理解した時、彼女の中にはどれほどの絶望が渦巻いたことだろうか。
「それでは今、貴方のお母様は王宮の方で療養を?」
「いえ、亡くなりました」
ソフィーの調子はそれでも変わらないままで、そのことに私の方が何故だか涙が出そうだった。




