表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/112

35


なんだ今のは?!

あれが死の間際に感じることが出来るというスローモーションの世界とかいうやつか!

ええいそんなことはどうでもいい!!

マルクル先輩が私の視界から消えた瞬間から、さっきのように世界をスローに感じることはなく視界は下から上へと風景をすごい速さで流れさせている。

今の私は窓から応接室を追い出され何の覚悟もないままに自由落下を行っているが、もちろんそれは自らの意思で行っているわけではない。

どんどんと迫りくる地面という存在感に焦ってばかりで、うまく魔法が使えないでいる。

どうする?このままじゃ間に合わない。

間に合わなければ…なんて考えに結論が出るよりも前に、だいぶ遠くなった空に地面との接触が脳を過って恐怖に目を瞑った。

碌に身動き出来ないくせに体だけは、しっかりと強張って身を固くさせる。

すると、どうしたことか。

背中に感じていた物凄い風圧が一気になくなり、落ちている最中だというのにふわりと体が浮きあがった。

優しく降りていく感覚とやがて背中に感じる固い感触に、ゆるりと目を開ける。

手を少し動かして自分の下を触れば確かな地面の感触を感じて、そこで自分の無事をはっきりと自覚した。

遠くから教師の声が聞こえるが、それに返事を返す気力は今の私にはない。

いつの間にか止めていたらしい呼吸を再開させる。少し早い呼吸を繰り返しながらも徐々に体を脱力させていった。


――あ…。


極度の緊張から解放されたからか途切れそうになる意識の中で、上から誰かが飛び降りて来る影が見えて危ないなぁなんて呑気なことを考えて間もなく私の視界は黒く塗りつぶされる。

完全に意識が途切れる前、聞いたことのある猫の声が私の耳を掠めた気がした。


次に私が目を覚ました時、どうやらそこは自室のようだった。

しばらく現状を確かめるように瞬きを繰り返してから、ふんわりと沈み込むベッドに手をつく。

どこか怠い体を起き上がらせるのに苦労しながら緩慢な動きで起き上がると、掛けられていた肌触りのいい布団がするりと肌の上を滑り私の上から退いていった。

上半身を起こした時、ふらつく重い頭を自分の手で支える。

薄暗い部屋の中は燭台に蝋燭が一つ灯されているだけで、他の光源は見当たらない。


――今は夜なのかな…。


時間の感覚が曖昧だ。

とりあえずベッドから出ようと体を動かしたところで部屋の扉が勝手に開いてグレタが姿を見せた。

入って来て早々、私を見たグレタは手に持っていたトレーを落としてしまう。

天地がひっくり返ったトレーの上には水差しとコップが置かれていたのだが、水差しの中身はバチャンッと水の跳ねる音を響かせ上質な絨毯に液体の全てが吸われていってしまった。

幸いなことにどちらも絨毯の上に転がったので、割れることはなかったのだが。


「グレタ、大丈夫?」


珍しいミスをするグレタに思わず声を掛ければ彼女は何かに耐えるように口を引き結び、落ちたそれらを拾うでもなくむしろ跨いで私の元まで大股で近づいてきた。

そんなグレタの様子に鬼気迫るものを感じて僅かに緊張しているとベッドの傍まで来たグレタが私の手を引っ掴み、両手でぎゅっと強く握った。


「大丈夫、ではありません!それを聞かれるべきは貴方でしょう?」


私の手を握るグレタの手が小さく震えているのが伝わってくる。声色だって今にも泣きそうに震えているのに今、泣いていないのが不思議なくらいだ。

いや、もしかしたら本当はもう泣かせてしまっているのかもしれない。

じっと見つめるグレタの顔、その目の端が擦って赤くなっているのが薄暗い部屋の中でも分かって私は何も言えなくなってしまった。


「本当に、本当によくご無事で…。ほんとうに、よかった」


グレタはゆっくり力を抜いてベッドの脇に膝を折ると、掴んでいた私の手に祈るように額を当てる。

そのままで何度も何度も繰り返し「よかった…」と呟かれるその声に、意識が途切れる前までのことを思い出した。


――あぁそっか。私、死にかけたんだった。


改めて思い知らされた事実に唖然とした。

それと同時に心の内からいろんな感情がこみ上げてくる。

恐怖、愕然、安堵…いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまって自分でもどれが正しいものなのか分からない。

ただグレタを見ているうちにだんだんと胸が熱くなってきて、自分でも気づかぬうちに目から涙が流れ出ていた。

私の頬を滑り落ちていったその一粒にグレタが気づいて、勢いよく顔を上げる。


「グレタ…ありがとう。私、大丈夫だよ。心配してくれて嬉しい」


泣きながら笑う私にグレタは僅かに目を見開いてからふっと、とびきり優しい笑顔を浮かべた。


「人を心配させておいて嬉しいとは何事ですか。このようなことは、もう二度とごめんですよ」


言葉は私を窘めるようなものではあったが、さっきまでとは違うどこまでも穏やかな声色に何故か余計に泣けてきてしまうのだった。

一泣きすると何だかお腹が減って、クゥと腹の虫が小さく鳴き声を上げる。

それが恥ずかしくて誤魔化すように、はにかんでみるがバッチリと聞こえていたらしいグレタは小さく笑ってすくっと立ちあがった。


「何かご用意いたします。少々お待ちください」

「うん。ありがとう」


グレタに、ここから動かないようにと厳命されたのでベッドの上で座って待つことにする。

部屋を出ていく前に落としてから放置されていたものを拾うと私に「失礼いたします」と一礼して部屋を出ていってしまった。

一人になった部屋の中で自然と思い出すのはあの時、応接室で何が起こったのかだった。

あれは魔法を扱えるものであれば誰しもに起こり得る事故のようなものだ。

子供の癇癪など、大きい感情の発露がある場合には自分でも知らぬうちに魔力が漏れ出てしまっていることがある。

それに反応した妖精たちが魔力を通して、その感情に同調してしまい制御できない大きな力を発現させてしまうことで周りに被害を及ぼす事故は今でも稀にあることだ。

この魔法の暴走は自分すらも傷つける可能性があり最悪の場合、死人が出る事態にまで発展する可能性を秘めているのが怖いところ。

ただ大体の魔法使いは幼い頃に親か家庭教師に心を水平に保つことを教わり、自分の感情による魔法の暴走が起こらないように魔力の制御を覚えるのだが…ソフィーは平民故にそんな当たり前のことすら知らなかったのだろう。

もしかしたらそれは、これから学園に通っているうちに誰かから教わるものだったのかもしれない。

ただこれまでの短い時間の間で彼女にそれを教えるものはなく彼女自身、夢に捕らわれて魔法とは違うことに必死だったことを考えるとあの事故は起こるべくして起こったのではないかとも考えさせられた。

そんな彼女の魔法の暴走に巻き込まれた私は応接室の窓ガラスが割れたことにより室内に踏みとどまることが叶わず、あえなく落ちる羽目になってしまった。

おそらくは、そういうことなのだろう。

予測出来るようなものでもない、とはいえ咄嗟の危機くらいは自分で対処できるようになりたいものだなぁ。

高望みかもしれないがせっかく魔法を使えるのだし、こういう時に使えないようでは魔法使いとしての名折れな気がしてしまうのは気のせいだろうか?

脳内で一人反省大会にまで考えが発展していると、ノックがあって「どうぞ」と反射的に答えた。

「失礼いたします」と一拍あってから扉が開くとグレタが先ほどものとは違うトレーを持って戻って来た。

トレーの上には出来立てのパン粥が乗せられており私の膝の上にそっとトレーごと置いてくれる。

スプーンを手に取ってぱくりと一口味わえば程よい温かさのミルクに蜂蜜の甘さが加わってほっとするような味わいだ。

ミルクの染みたパンは、それほど噛むこともなくとろけていき喉を通っていく。

こういう病気の時にしか食べられないものって、妙な特別感があって私は好きだったりする。

別に今は病気というわけじゃないけれど。

グレタお手製のパン粥を味わっていれば、グレタは唐突に私に謝罪した。


「お嬢様、申し訳ございません。絨毯を濡らしてしまいましたので、明日の内には取り返させていただきます。今日は別のお部屋を使われますか?」


そういえばすっかり忘れていたが、絨毯濡れてるんだったか。


「ううん、大丈夫よ。絨毯も痛みがなければそのままでもいいのだけれど…」

「それは…お嬢様が気になさらなくとも、私が旦那様に叱られてしまいます」

「それもそうね。なら、お願いするわ」


グレタは私が食べ終わるまで側で静かに待ってくれていた。

どうせならお喋りでもしながら食べ進めたいところだが、そのせいで片づけが遅れて迷惑をかけてしまうのはグレタなので大人しく食べ進める。

しっかりと全部食べ終えてグレタにお礼と一緒にトレーを返すとベッドに戻るように言われた。


「さ、もう一度お眠りください」

「うーん…あんまり眠くないのだけれど」

「ダメですよ。現在はもう深夜にございますから。それに、お嬢様はお怪我をなされているのですよ」

「え!私、怪我してるの?」


何処も痛くないもので、てっきり完全無傷なものかと。

グレタによると、大きな怪我はないものの窓のガラス片で所々傷がついているらしい。

どれも細かく小さい傷なので跡が残ることはないだろうと、私の知らぬうちにお医者様からのお墨付きをいただいていた。

あれだけ盛大に落ちていった割には…と考えると、それくらいは無傷の範囲では?

まぁグレタに言わせてみれば、これはしっかりとした怪我らしいので私が大丈夫だと言っても聞き入れてはくれなさそうだ。

父には既に私の容態を含めその日のうちに緊急で連絡を入れており、早いうちに手紙が送られてくるだろうとのこと。

うーん…大した怪我でもないので明日にでも私自身から手紙を出しておかねば…。

グレタにもあれだけ心配させてしまったというのに、はたして父にはどれほどの心配をさせてしまっていることやら…。


「ですから。ご無理をなさらず、今はお眠りください。お嬢様が思っていらっしゃるよりも体は疲弊しているものでございます」


諭され仕方なくベッドにもう一度、横たわると布団を掛けられる。


「おやすみなさいませ、お嬢様」

「うん。お休み、グレタ」


その会話を最後にグレタがトレーを持って部屋を出て行ってしまった。

部屋から出る前に燭台の明かりを消していってしまったので、部屋は真っ暗な状態だ。

真っ暗な部屋の中で目を開けているのも意味がないかと思い目を閉じてみる。

眠れるだろうかと考えていたがパン粥を食べたおかげか体の中がぽかぽかと温かくて目を閉じているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。


翌朝。

昨日のうちから考えると随分と寝ているものだからもっと早く起きるかと思いきや、案外起きることはなくいつも通りの時間に起きた。

今日は学園に行かせてもらえるのかなぁと考えてベッドの上でぼうっとしていると、いつもより早い時間に部屋の扉がノックされる。


「お嬢様、起きてらっしゃいますか?」

「うん、もう起きてるわよ。何かあった?」


どこか早口のグレタの声に何か不測の事態を感じて、聞き返す。

するとグレタは間を置かずに私の疑問に答えてくれた。


「つい先ほど、旦那様がこちらをお尋ねになられまして…」

「え!」


昨日、連絡を送ったばかりだって言ってなかったっけ?

予想外の来訪者に学園云々、考えていたことを全て忘れベッドの上から慌てて起き上がることとなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ