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「待ってください。私こんなの知りません。だって…嫌です!いや!私ここにいたいです!」


叫ぶソフィーは今にも机を乗り越えてマルクル先輩に直接、縋らんとする勢いだった。

そんな彼女にお構いなしにマルクル先輩は隣にいる学院の方と何やら話をしている。


「お願いです!どうして、私…嘘ですよね?嘘なんですよね?」

「ソフィー様。私は…」

「貴方は黙ってて!」


学院の方からの言葉を遮ってただひたすらにマルクル先輩に視線を向けている。

それは、ここにある何もかもを認めたくないという意思の表れのようにも見えた。


「申し訳ありません。代わりに私からご紹介させていただきます」

「そうですね。その方がいいでしょう」


マルクル先輩はそこでやっとソフィーの方に視線を戻した。


「さっきも説明したように彼が学院で教鞭をとっている方だ。これから君がお世話になるであろう方でもある」

「そんなことは聞いてません!私いやって言いましたよね?どうして?」

「それも説明したと思うが、君が治癒の奇跡を持っているからだ」

「持ってるからなんですか!こんな力!なんの役にも立たない…それに私は知らなかったんですよ!こんな出来事、知らない」


ソフィーの持つ奇跡は十分にすごいものだ。

確実に誰かを救う可能性を秘めているものだが、彼女は強くそれを否定した。

何か思うところでもあるのだろうか?


「知らなかったとしても、これは国の決定だ。君に拒否権はないものと思ってくれ」

「ちがうちがうちがう…わたしはここにいてここで愛を見つけて幸せになってお母さんを幸せにするの。誰よりも誰よりも、誰もが羨む私になるの!どうしてそんなに酷いことを言うの?夢の中のクラウス様は、私にそんなことは言わなかった!」


傍からも分かりやすくソフィーの情緒は非常に不安定に見えた。

独り言のようにぼやいたり、いきなり激昂したり、泣きそうに表情を歪めたり…。

どんな表情を浮かべていてもマルクル先輩を射抜く視線の強さだけは変わらず、それでもなおマルクル先輩は冷静に彼女のことを見返すだけだった。


「君の夢の中での俺がどんなものかは知らないが、それと俺に何の関係がある?」

「…なんで」

「俺は俺だ。君の夢を語られたところで、今の俺が変わることはない」


それは、その通りだ。

彼女の夢の中のマルクル先輩がどんなものかは知らないが、今ここにいるマルクル先輩とは何の関係もない。

そんな当たり前のことですらソフィーは信じられないのか、大きく目を見開いて首を振った。


「どうして?その言葉は私に言うべきセリフじゃないでしょ?おかしい間違ってる」

「…この通り、彼女は錯乱状態にあります」


これ以上ソフィーと話すのは無駄だと悟るや否や、隣の学院の方に話しかけ彼女抜きで話を進めようとしていた。


「妄想と現実の区別がつかず虚言を繰り返すこともしばしば見られ「妄想なんかじゃない!」


なりふり構っていられないのか彼女はマルクル先輩の言葉を遮って、唐突に私の方を睨んだ。

せっかく後ろの見えない位置にいるのだから、私の場所など把握しておかなくても良かったものを。


「そうよ、そうだわ。あの女に言われたんですよね?何度も見ました。狡猾な女。きっとクラウス様は騙されているんです」


あー、なんか知らんが飛び火してきた!

もしかして彼女の夢の中には私も出てきて、彼女にとっても酷いことをするのかな?

なにそれ自分ながらに恐ろしい。自分じゃないけど。


「知ってますよね?私あの女にいじめられてたんですよ?可哀想でしょう?憐れでしょう?なのに、なんで私が出て行かなきゃいけないんですか!」


私を指差しながらマルクル先輩に強く訴えた。

彼女にとって、それは切り札のようなものであったのかもしれない。

誰からも同情を得られる可能性を秘めた弱者という権力を振りかざした彼女の告発にも、マルクル先輩が態度を変えることはなかった。


「いじめがあったのは事実として確認しています」

「ほらやっぱり!そうでしょう!聞きましたか!追い出すならあの女です!」

「いじめられていたことが余程に辛かったのでしょう。同じクラスだった彼女に特に辛く当たるようになってしまいまして」

「それは、なんと…」


その方向に持っていくのか。

彼女をあくまで精神的に病んでいるということにして話を進めるらしい。

学院の方は確かに憐れんでソフィーを見たが、それは彼女の求めている視線とは趣が少し異なるだろう。

そんなことは彼女も理解している。

激しく髪を振り乱し小さい声で何かをひたすらに呟いていた。


「助けてくれなかったと他人を恨む気持ちもありましょう。ですが、人それぞれに事情というものが御座いますから…」

「……ぅ」

「ですが、ご安心ください。王宮には心の病に詳しい医者もおります。それは決して癒せぬものではありません」

「…がぅ」

「ソフィー様がまた前を向けるよう私たちが誠心誠意、お支えいたします。ですから…」

「ちがう」


慰める学院の方にソフィーは一向に視線を向けようとはしない。


「ちがいます本当なんです。私はこの女にいじめられていてそれを助けてくれる運命の人と恋に落ちて幸せになってお母さんとこれからも一緒に暮らすんです」

「全部本当のことなんです。信じてください」

「何度も何度もあの女に邪魔される。本当は私が一緒に勉強をするはずだったのに。でも何度もデートしたもの。一度目は少し失敗したけど、少しだけ。図書室のことがなくても結末は変わらないのを私は知ってるから。あれは必ず必要なものじゃない」


彼女のぼやきを正しく理解できている者はおそらく私以外この場には誰一人としていないだろう。

私も正直なんとなくしか理解できていないが、何度も繰り返し見た乙女ゲームに類似した夢を必死に思い出しているのだと思う。


「大事なのはあの女が追い出されること。さっきのセリフはあの女に言うはずじゃない。あれ?でもこれはこんなにも早かったけ?違う違う、私は間違ってない」


伏せていた顔を勢いよく上げた彼女は後ろ手に私を何度も指差しながらマルクル先輩に言い募る。


「あの人、あの女が全部悪いんです!わたしは何も悪くない!わたしはまだ何も出来ていない!こんな力、バレたって何もなかったのにむしろわたしが生徒会に入るために必要だっただけで。わたしは!」

「ソフィー様の中に何か縋りたいものがあるのですね。…これは聞いていたよりも重度のものかもしれません。このことにあちらの彼女の方が病んでしまうこともあり得ますから、その場合は是非ともこちらを頼っていただければ…」


もう誰もソフィーの言葉をまともに聞こうとする者はこの場にはいなかった。

学院の方は何度もソフィーに当たられている私を心配する始末。隣のマルクル先輩はその話を興味深そうに聞いていた。別に病みませんけど?


「どうして…どうして信じてくれないんですか!私は悪くなくて、あいつが悪いんです!あいつ、あの女!」


一際に暗く淀んだ瞳で私のことを睨みつけながら声高々に彼女は言い切った。


「あのレギーナ・マルティネスがっ!!」

「……え?」


その言葉に驚いたのは何も私だけではなかった。

私を知る人物の中には首を傾げる者もいただろう。

現に当事者である私は頑なに閉ざしていた口をぽかんと開けて、思わず声を出してしまうほどには彼女の言葉に疑問を持ったのだから。

今、彼女ソフィーは私のことをレギーナと呼んだのか?

それはおかしい。

だって…。

だって私の名前は…。


「彼女の名は正しくは、ラファエラ・マルティネスだ」

「…え?」


今度はソフィーが私と同じような反応をする番だった。

私が訂正するよりも早くマルクル先輩が訂正してくれる。

その言葉に私を睨みつけていた目を点にして彼女はマルクル先輩の方を振り返った。


「なにを…あの女はレギーナです。レギーナのはずですっ!」

「俺の記憶にある限りでは、彼女がレギーナとやらであったことは一度もないな」


マルクル先輩の追い打ちにソフィーが声をなくして口だけを動かした。


「…ぅそ、うそよそんなの。だってあなたはクラウス・マルクルでしょう?まちがってないわ」

「それの何が間違っていない証明になる。俺の名前なぞ、この学園の生徒であれば大半が知っているものだ」

「ちがうちがう。そんな、うそ」

「ついでに申し上げますと私の覚えている範囲、少なくとも5親等以内にはそのような名前の者はおりませんね」


マルクル先輩と私の言葉が止めになってか、ソフィーは力を無くしソファに倒れるように座り込んだ。

彼女は自分の顔を両手で覆っていてその表情は誰にも窺い知ることは出来なかった。

指の隙間からはついぞぽろぽろと雫が零れ、彼女自身の制服を濡らしていく。

今ソフィー自身、見ていた夢が本当だったのかが彼女の中で大きく揺らいでいるようだ。


「こんなことで?わたしの信じていたものは何だったの?あれも、これもぜんぶ間違い?そんなことない。そんなことない?何のために私は、わたし…」


これで彼女も諦めてくれるだろうか。

なんとも呆気ない幕切れというか、思ってもみなかった終わりを迎えたことに私自身驚いていた。

緊張していたらしい肩の力が抜けてどっと疲れが出てくる。

先ほどからずっとぶつぶつと呟き続けるソフィーをこれ以上、見ていられず目を逸らすと自然と窓の外に目がいった。

ここでこんな騒動が起きているとは露知らず、授業真っただ中の運動場からは剣術に励む男子生徒諸君の声が小さく聞こえてきて…。

ソフィーの呟き以外は静寂そのものである室内に外から聞こえてくる喧騒がとても場違いなものに思えた。


「おかあさん…お母さんは?私のお母さんはどうなるの?」


迷子の子供のような心もとなく震える声が誰に問いかけるでもない疑問を呟く。

ここに居る誰もその疑問に答えられるものはなく母をしきりに心配する彼女の声に学院の方が何か声を掛けようと動いたが、それは叶わなかった。


「いや!いやだいやだいやだ…いやぁぁぁあぁあああああっっ!!」


何もかもを拒絶するような甲高い叫びと同時に室内に吹き荒れた強い突風に思わず目を瞑る。

あまりに突然のことに何が起こったのか理解する前に、抗うこともままならないで体が後ろに吹き飛ぶのを感じた。

背後で盛大にガラスの割れるような音が聞こえて、慌てて目を開くと視界の違いに内心で疑問を覚える。


――あ、れ?


何故か室内全体がさっきよりも良く見えた。少し遠い視点にいるからだろうか。

壁に打ち付けられたらしいプルーストの上にはイリーナが覆いかぶさるように倒れているのが見えた。

アンドリ先輩はリュドミラ先輩の肩を抱いて支えており何ともなさそうだ。

学院の方は椅子に座っていたおかげか何も変わらず、騎士たちは流石鍛えられているだけあって即座に警戒するようにソフィーを見ていたが当の彼女はぐったりとしていてソファから動く気配はない。

そして当たり前のように無事な様子のマルクル先輩。

先輩は何故か、私の方を見て目を見開いていた。


――先輩のそんな驚いた顔初めて見たなぁ。


そこまで見て、ようやく気づいた。

気づいてしまった。

室内全体が良く見える理由も、少し遠い視点になっている理由にも。

なにより室内にいては見えるはずのない学園の外壁が見えていることの理由が分かって、この不安定な浮遊感の正体に急激に焦り始める。

重力に従って落ちていこうとする体を自覚した瞬間に、視界は一気に加速した。


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