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今日の心持ちはどこか軽い。
いつもは少し面倒な友人たちとの会話も、私を憂鬱にさせてくれる恒例と化してしまったソフィーへの呪詛タイムも、どこか気だるげな授業の時間も。
いつもは時間が経過していくうちに段々、鬱々としてくる気分が今日に限っては右肩上がりだ。
絶好調、とまではいかなくとも最近と比べるとはるかに楽な気分を維持していた。
午後には生徒会室に行く予定ではあるが私は昼に入った時点で、生徒会室に向かおうとしていた。
今日はもう教室に戻ってくる気はないので鞄を手にすると友人たちに「申し訳ありません…」と訳を話してから別れる。
階段を上って生徒会室の扉に鍵を差し込む。開錠の方向に捻ってみて、なんの感触もないことに前にもこんなことがあったことを思い出した。
今回は逆に回さず、鍵を抜き取るとノックも忘れて扉を開ける。
中には私の予想した通り、奥の席に座って何やら書類を片手に持っているマルクル先輩が座っていた。
先輩は入って来た私に目を合わせると「またお前は…」と呆れた風ではあったが特段、注意されるようなことはなく「早く入れ」と促された。
「先輩、午前の授業にはちゃんと出ましたか?」
「心配されずとも必要があれば、ちゃんと出席している」
なんか、先輩がここにいることに凄くしっくりきている私がいる。
やっぱり先輩があの席に座っているのが誰よりも似合いだ。
完全に入ってから扉を閉めると、先輩は手に持っていた書類を机に投げ背もたれに深く体を預けた。
なにやらお疲れのご様子なのが分かりやすく見て取れて、小首を傾げた。
「お疲れ様です。やっぱ色々と大変ですか?」
「まぁ、少しな」
先輩が弱音を吐いた、だと!
ちょっと驚いているが先輩は目を閉じているので、そんな私の様子には気づかない。
なんてこった、これは重症かもしれないぞ。
「私てっきり先輩は、昼まではソフィー嬢といると思ってたんですけど…」
ここに来るまでに考えていたことを気になって聞いてみれば、私の言葉に先輩は深いため息を吐いて背もたれから体を起こした。
机に肘をついてこめかみに手を当てると先輩は忌々し気に言葉を紡いだ。
「それも考えてはいたが…何というか、彼女は人の話を聞かない悪癖があるな…」
それには私も心当たりがある。
ソフィーに何を言っても言葉が通じない、みたいな。
彼女だけ違う何かを見ているようで目の前にいる人物のことが見えていない感じ。
一体、あの不気味な感覚が何に起因するのかは分からない。
それにしても彼女、自分が好意を寄せる相手にもそんな感じなのか…。
会話のキャッチボールを成り立たせることが、まず人との付き合い方の第一歩だと思うよ?
「あのまま昼に捕まっていれば午後に遅れることになりそうで面倒だったんで逃げて来た」
「ぶっちゃけますね。いやでも、本当にお疲れ様です」
まぁ今日の午後くらいはソフィーから解放されてもいいんじゃないかと思う。
どうせ明日から、もう少し彼女の側にいることになるのだろうし。
「鍵、かけときますか?」
「そこまではいい。あれに関しては彼女に厳重に注意しておいた」
何から何まで。有難くはあるが、先輩の気苦労は計り知れないだろうな。
流石にマルクル先輩から直々の厳重注意とあれば、ソフィーもそう簡単に押し掛けてくることはないだろう。たぶん今日の私と違ってノックはしてくれるはず。
とすると、先輩はもしかしてお昼ご飯を食べれていないのではないだろうか?
「お昼はもう食べられましたか?」
「まだだな」
やっぱり。実は私もまだだったりする。
鞄だけ先に置きに来て後で、ここで食べられるものを何か食堂に頼みに行くつもりだったのだ。
旅は道ずれ世は情けともいうし、ついでに先輩の分も私が頼みに行ってあげようではないか!
「私のついでに先輩の分も頼んできてあげますよ!」
「何故そんなに偉そうなんだ…だが頼む」
胸を拳でとんっと叩いて先輩の頼みを承る。先輩はここから出たくないだろうし私もあまり出たくはないが、先輩よりはマシだ。
マルクル先輩なんかは出た瞬間にソフィーが嗅ぎつけてきそうな予感があって怖いものなぁ。
「何がいいですか?」
「片手で食えるもの」
それは注文の仕方としてはどうなんだ?
先輩は机に放り投げた書類を綺麗に纏めながらまた手に取った。
うーん、これは早くにお昼ご飯でも持ってきて書類から手を離させた方が先輩も休めるかもしれない。
「では、適当に頼んできますね」
鞄を置くと来たばかりの生徒会室を出て食堂に向かった。
少し多めにサンドイッチでも頼んでいこう。飲み物は私一人なのでどうしようか悩んだが、魔法使えばいいかと開き直った。
大丈夫、大丈夫。悪いことには使ってないから。
少し時間が経っているとはいえ、まだお昼ご飯を食べるために生徒の多くがここに集まっている。
オープンキッチンの中にいるコックに直接、考えていたものを頼むと忙しい中でも「畏まりました。少々お待ちください」と快く聞いてくれた。
席に座らず、すぐそばで立って待っているとそう時間もかからずコックが「用意が出来ました」と声を掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「お一人で大丈夫ですか?よろしければお運びいたしますが」
「いえ、お気遣いなく。お忙しい中、ありがとうございます」
忙しい昼時にそんなことを頼むのは余計に心が痛む。
控えめに断ると、コックの人は私のことを気にしながらも「いつでもお声かけ下さいね」と優しく残してから奥に戻っていった。
さてカウンターに乗せられている二つのバスケットのうち軽い方を抱えて、もう一つを魔法で浮かしていこうと思ったところで背後から声を掛けられた。
「マルティネス様もお昼ですか?」
その声にぴしっと固まって油の切れたブリキのように鈍い動きで振り返る。
そこには可愛らしい笑顔を浮かべたソフィーが静かに佇んでおり私のことを間違いなく見つめていた。
まずい!周りの目が多いこの状況では走って逃げるのも難しい。
だがそれは彼女も同じこと。
下手な手出しはないと信じて、私も何でもないように綺麗な笑顔を返した。
「あら、ソフィー様。貴方はもう食べられたのかしら?」
「まだなんです。だから、ご一緒しましょう」
なにが、“だから”なのか…。
思わぬ提案にしばし彼女を無言で見返してしまうが、彼女はニコニコとした笑顔を浮かべているだけで他の感情は何も見られなかった。
例えばこれが別の日であれば、友人たちと一緒で良いならと彼女の言葉を了承したかもしれないが今日はダメだ。
この後に戻ろうとしているのは生徒会室だし、マルクル先輩のもとに彼女を連れて行くような真似は出来ない。
でもここで私がこれを了承してしまえば、マルクル先輩も懸念していたように彼女は私の行動を無理にでも縛ってくる気がする。
そうなってしまえば私は午後に生徒会室に行くことが難しくなるだろう。
何より、友人たちが周りにいない今の私は防御力が低い!
なんとか…なんとか、彼女の誘いを断らねば。
「せっかくお誘い頂いたのに申し訳ありません。この後、用事がございまして」
「偶然ですね。クラウス様も午後から用事があると言ってたんです。会いに行くんでしょう?」
そうだけど!そうだけど!!なぜ確信を持っているのか、これが分からない。
生徒会役員たちが時折、授業を抜け出して集まることは多くはないが確かにないわけでもない。
とはいえそのことをわざわざ他生徒たちに知らせるようなことはしないので後から知るならまだしも、ソフィーがその考えに至るまでには些か早計にも思える。
彼女の中にはマルクル先輩一人だけに用事があるという考えがないのは何故かしら?
おそらくだがソフィーはマルクル先輩から「午後から用があるから会えない」と言われ嫌だとか縋ったが、あの通り先輩は逃げてきているのでその行方を求めて私の方に来たといったところか…。
だが、私はまだ「この後」としか言っていない!
「違いますわ。この通り、友人と外でお昼を共にしようと思っていましたのよ」
「だったらいいですよね。私が付いて行っても」
“だったら”ってなに!よくはないかな!
「友人に一度許可を取ってみないことには…なんとも、お答えできませんわ」
「友人って貴方の周りにいつもたむろしてる人たちですよね?貴方が言えば、彼女たちは言うことを聞くと思います」
わー、すごいナチュラルに失礼なこと言ってるのに彼女気づいてないのかなぁ?
こんなことをあの友人たちに聞かれようものなら今まで溜まっている鬱憤が、爆発してもおかしくないような発言に私は内心で焦りまくっていた。
そんなんことを、こんな往来が多い場所で堂々と言わないでくれ!
「生憎ながら、ソフィー様のご存じない方です」
「そうですか。外のどこで食べるんですか?ついていきます」
意地でもついて来ようとする頑なな意志を感じる。勘弁してほしい…。
辟易とし始めた私はもう午後の用事は諦めておそらく教室にいるであろう友人たちに、助けになるかどうか分からないけれど頼りに行こうかを考え始めたときだった。
小柄な影が私とソフィーの間に割って入ったかと思うと、大きく手を広げて声を上げた。
「だめ!だめったらだめ!!」
これには流石のソフィーも予想していなかったのだろう笑顔を無くして、挟まりに来たイリーナを呆然と見つめていた。
「わたしが先に約束してるの!だから、だめよ!」
私にたたたっと駆け寄るとぎゅっと抱き着いてソフィーを上目遣いに睨むイリーナ。
頬を膨らませて精一杯に威嚇しているのだろうが、どうにも小動物らしさが拭えないのであまり怖くはない。
でも、イリーナのおかげで気力を取り戻せた。
「ソフィー様、申し訳ございません。彼女も嫌がっておりますので今日のところはお断りさせていただきます。また次の機会に誘ってくださいませ。その時はぜひご一緒いたしましょう」
私もこれ以上の有無は言わせないと力強くソフィーを拒否し、イリーナに私が持っていたバスケットを渡した。
「行きましょうか」
「うん!」
ソフィーから言葉が紡がれる前に「御機嫌よう」と別れを突き付けてもう一つのバスケットを持つとイリーナと一緒に食堂を後にした。
真っ直ぐ生徒会室には向かわずソフィーが付いてきていないことをちゃんと確認出来てから戻ろうと考え、遠回りの道を選んで歩いていた。
そのことに何の疑問も持たずついて来てくれるイリーナに若干の申し訳なさを感じつつも、先に礼を伝えようと心からの笑みを浮かべた。
「イリーナ、助けに来てくれてありがとう」
「ううん!私がもっと早く行ければ良かったのに…」
「そんなことないわ。十分早かったわよ」
助けが遅れたらしいことを気にするイリーナは少し暗い顔をして俯いてしまうが、私としてはそんな顔をしてほしくないと強く思うほどに嬉しい出来事だったのだ。
ふいに立ち止まる私に1、2歩遅れて止まったイリーナは「どうしたの?」と顔を上げて私を見たので、私もしっかりと目を合わせた。
「本当にありがとう。とっても嬉しかったわ」
「…そっか!うん、よかった!」
頬をピンク色に染めて抜けるような笑顔を浮かべるイリーナに、私も満足してまた二人歩き出した。
「そういえばお昼はもう食べた?」
「それがね、まだなの」
「え!もしかして私のせいで…」
「違うよ!今日は食堂に行くのが遅れちゃって、私お友達と来てたんだけど皆がソフィーちゃんを見つけて…」
悪目立ちしているソフィーを先に見つけたらしいイリーナの友達から、私と彼女がなにやら一触即発な雰囲気だと教えられたらしい。
それを聞いたイリーナは友達たちに断りを入れ慌てて私のもとに駆け付けてくれたらしかった。
なんていい子なんだ!
「でも前に近づいちゃダメって言われたの思い出して少し迷っちゃったの…でも、私の大事な人が困ってるのんだからもっと早く行くべきだった!だから、わたし今度からは迷わないよ!」
本当になんていい子なんだ!
私の周りに一人でも、こんな子がいてくれる時点で私は十分に恵まれている。
一年の頃にあった噂の関係もあって私を避ける人は実は少なくない。
それでも周りにいる子たちはそれでも私に取り入ろうとか関係を持とうとする、打算的な子たちが揃っている。
幼い頃から人付き合いというものが極端に少なく一年の頃に起きた問題もあり、人間関係に苦手意識を持っている私は社交辞令ばかりがうまくなって少しの本音を話すのも難しいような有様だ。
そんな私にも変わらず真っ直ぐに接してくれるイリーナだからこそ、きっと私も素直に返せるのだろうと思う。
「私もイリーナが困ってたら助けるよ、必ず」
「ホントに!」
「勿論。だって私にとってもイリーナは大事な人だから」
イリーナは私の言葉に目を輝かせて何度も頷き「うふふっ、へへへ!」と照れ笑いを溢していた。




