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ブラウン調の外観のお店には窓の代わりにステンドグラスがはめられており、外から中を見えにくくしている。
庇の下に設けられた扉の取っ手を掴み引いてみれば、扉に取り付けられていたベルがチリンチリンと甲高い音を鳴らして私たちの来店を知らせた。
「いらっしゃいませ」
中に入ると日の光を透かしたステンドグラスが店内を不思議な色合いに染め上げていた。
出迎えてくれたのはバリスタ服が良く似合う老紳士の店主だ。
予約していた名前を告げると「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」と速やかに席まで案内してくれた。
道すがら見える客の様子は誰も彼も静かに食事を楽しんでおり、私たちのことを気にするような輩は誰一人としていない。
案内されたのは店の奥、半個室になっている四人掛けのテーブル席。
ただでさえ注目を集めるマルクル先輩の隣を歩いていて、ついでに注目を集めてしまう私としては外の誰からも見えないここならば遠慮なくハットを外せるというもの。
流石に食事中までそんなことを気にしていたくはなかったので事前にこの席を予約していた。
「ふぅー、見辛かったー」
外したハットを鞄と一緒に隣の余っている席に置いて、乱れた髪を手櫛で整えた。
「もう少し浅めに被ったらどうだ?危ないだろう」
先輩の意見はごもっともだが、顔を隠すために被っているので浅くては意味がない。
「それじゃダメなんです。なんたって今日はお忍びスタイルですから。それに、ほら」
そう言って髪を一束掴んで先輩の顔の前で尻尾のように揺らして見せる。
「そのために髪色も変えたんですよ。似合いますか?」
「悪くはないが、見慣れん」
私もいまだに見慣れていないのだから、先輩もそう簡単には見慣れないだろう。
掴んでいた髪を離して後ろに払うと「そういえば」と先輩は言葉を続けた。
「一人で来たんだな」
「?そうですよ?」
流石に噴水広場までは馬車で来ましたけど…と続けようと思ったが先輩が言いたいのはたぶん、そういうことではないと思うので黙っておいた。
「あの侍女もついてくるものとばかり考えていた」
「あー…何度か誘ったんですけど、何故か断られまして」
頑なに首を縦に振ることがなかったグレタの怜悧な顔が思い浮かぶ。
「でも、元から一人で来るつもりでしたよ?」
私がそう言えば何故か先輩はグレタが見せた残念な子を見るような目で私を見た。心外だ!
「誘った俺が言えた義理ではないが、もう少し警戒心は持った方がいい」
「人並みには持ってますよ!マルクル先輩以外にはちゃんとします!」
そしたら今度は複雑な表情を浮かべるので、私は不貞腐れて口をとがらせながらメニュー表に手を伸ばした。
「ここはですねぇ、コーヒー専門の喫茶店でしてなんと紅茶がないんですよ」
「コーヒーか。何度か飲んだな」
先輩が私の持っているメニュー表に指をかけて引っ張るものだから仕方なく二人で見られるように横にして真ん中に置く。
「食後はコーヒーにするとして、先輩はもう決めましたか?」
メニュー表を眺めていた先輩はメインの欄にあるカツレツを指差した。
決めるの早いな。
私も何にしようかと考えながら、メインよりもデザートに目を奪われていることが先輩にバレて「こっちは良いのか?」と聞かれた。
食べますよ、食べますけど…私はデザートも食べたいので軽めのものを頼もうとメインの欄を上から見ていく。
その中にガレットを見つけて、あまり迷うことなくそれに決定した。
先にメインだけ頼んでしまおうということになり、ベルを鳴らすと素早く店主が来てくれて注文を済ませる。
「畏まりました」
去っていく店主を見送り、料理が運ばれてくるまでの暇つぶしにもう一度メニュー表を見ていた先輩はドリンクの欄を指でトントンと軽く叩いた。
「どれがいいんだ?」
いちよう、普通のドリンク類も置かれてはいるがやはりこの店の一押しはコーヒーだろう。
前世ほどの種類はないがしっかりと豆の違いを楽しめる程度には種類が揃っているし、店の独自ブレンドは初心者にも飲みやすいので無難にお勧めできる。
「私はミルクを混ぜてカフェラテにして飲むのが好きなんです」
「そんな飲み方もあるのか」
「先輩、飲んだことあるんですよね?そのままですか?」
「そのままだ。あれは度胸試しの面もあったからな」
成程。紅茶が浸透している文化の中にコーヒーが入ってくるとそんな風に扱われるのか。
まぁ黒いし底が見えないし、飲んでみれば苦みの塊なのでそんなこともあるかも?
私としては前世を思い出してから、この店を見つけたときには運命を感じたものだ。
紅茶も嫌いではないが、たまには違うものも飲みたくなるんだよなぁ。
私の希望としては次にジャスミンティーあたりが来て緑茶も来てくれると嬉しいのだが。
でも、紅茶と緑茶の葉は同じものだったっけ?
「私と同じカフェラテにしますか?それともブラック…そのままで?」
「ブラックで頼む。あの時に飲んだのも嫌いじゃなかった」
先輩ブラック飲めるんですね。まぁ私は前世の頃からブラックは飲めませんでしたけどね!
やがてサービスワゴンに乗せられて料理が運ばれてきた。
必要なカトラリーと頼んだ料理がテーブルクロスの敷かれた机の上に次々と並べられていく。
出来立てのいい香りが食欲をそそり俄然お腹が空いてきた。
パンの積まれた籠とグラスに冷えた水を注げば店主は一礼してサービスワゴンを押して去っていった。
さて前世を思い出してからというもの油断すると口から「いただきます」の言葉が出そうになるが、この国では食事前に特に何かをやるといったことはない。
熱心な教徒であれば崇拝している対象に祈りを捧げることもあるだろうが、基本的には料理が来たらその料理を食べるのに最適なカトラリーを選んでそれぞれ食べ始めるだけだ。
心の中でだけ“いただきます”と口にしてからナイフとフォークを手に取ると料理を切り分けて食べ始めた。
半熟の卵を割り流れ出る黄身をこぼさないように生地で包み一口で頬張ると、確かなおいしさに口角が緩む。
やっぱりおいしいものっていうのは人を幸せにするね。
マルクル先輩もナイフとフォークを器用に使ってカツレツを切り分けながら品よく食事を進めていた。
食事の時っていうのは細かい所作にその人の教育が出て来るものだから気を付けなさいと教えられたけれど、先輩は気を付けていなくとも問題なさそうだ。
「ところで先輩。食べながらで申し訳ないんですけど、相談の内容をそろそろ教えてはくれませんか?」
先輩は今、食べたものを飲み込んでからカトラリーを一度置くとパンを手に取る。
「それなんだが、母の誕生日が7の暦にあるのを知っているか?」
「知ってます。いつも盛大にお祝いされるそうで、有名ですからねぇ」
私も何度かお誘い自体はあったのだが、事情があり父が断ってしまっていたので行ったことはない。
今はもう自由に行かせてもらえるだろうが行ったとて堅苦しい場を楽しめ、というのはなかなかにハードルが高いと感じるので私はご遠慮願いたいところだ。
「それとは別に身内だけで行われる小さな誕生会がある。そこで俺からもプレゼントを贈ることになっているんだが」
「ふんふん。それは大変ですねぇ」
夫人へのプレゼントともなると家族とはいえ、生半可なものは渡せないだろう。
食べながら聞いていた私の脳内の半分はガレット美味しいで占められていた。
「そのプレゼントを選ぶのを手伝ってくれないか?」
「ふんふん…ん?」
ちょっと話半分に聞いていた私を許してくれ。
先輩の爆弾発言にフォークを口に加えたまま固まる私に「行儀が悪い」と先輩から窘められたので口からフォークを先に離すことにした。
それで、先輩は私に夫人へのプレゼントを一緒に選んでくれと?そう言ったのかな?
「責任重大じゃないですか…」
「そこまで気にすることはない」
先輩はこうは言うが、つまり私の意見が入ったプレゼントを先輩は夫人に贈ろうというわけだ。
そこで夫人の気に入らないものを選ぼうもんなら間接的に私の美的センスが疑われ先輩にご迷惑おかけするわけで…。
たとえ先輩が私に意見を仰いだことを言わなくとも、プレゼントというものにはその人の気持ちが入っているわけなので先輩一人で選んだのかそうでないのかくらいは家族であれば看破できてもおかしくはない。
つまり、責任重大!昨日は軽く考えていたけれど、これは気合を入れねば…。
「分かりました。マルティネス家の名に恥じぬようその役目、この私が立派に務めさせていただきます!」
「もっと気楽に考えてくれて大丈夫だ」
何をおっしゃいますか!
腹が減っては戦は出来ぬ、とは前世の習わしですがここでも同じこと。
やはり昼前に集合して正解だったと思いながら、ガレットにまた舌鼓を打つのだった。うまー。
雑談を交えつつ食事を進めていれば、やがて食べ終わりデザートとコーヒーを頼もうとなりまたベルを鳴らした。
店主が来て、予め決めていたデザートとコーヒーを頼むと皿を下げて去っていくので机の上には何もなくなってしまった。
「先輩とこんな風に話すのも本当に久しぶりですねぇ」
待っている間にふと思いついたことが口に出た。
久しぶりと言っても5日ぶりくらいだろうか。それでも随分と久しぶりのような気がしていた。
「そうか?…いや、そうかもな」
先輩は最初につけた疑問符を直ぐに撤回して私の言葉に同意した。
「イリーナが寂しがってましたよ」
「彼女らしい」
私もそう思う。まぁ私も少し寂しがっていたことは決して言わないけれど。
「業務の方は順調か?」
「万事滞りなく、です。先輩が心配するようなことは一つもありませんよ。なんならソフィー嬢の件が片付いたら暫くお休みでもいただきますか?」
「馬鹿言え」
わりと本気の提案だったのだけれどすげなく断られてしまった。
生徒会の業務も、それはそれで疲れると思うけれど。
「もう書状を送ってから5日経ちますけど、最低でも後10日になりますね。経過の方は順調ですか?」
「それなんだが少し予定を早めることになった」
なんと!初耳な情報に目を丸くする私とは対照的に先輩はグラスの水で喉を潤していた。
「そういうことはもっと早めに言ってくださいよ!」
「今、言っただろう」
「そういうとこ!アンドリ先輩にたまに言われてるの、そういうとこですよ!」
別にマルクル先輩が情報の共有を怠るような方ではないと分かってはいるが時折、サボることがあるのは確かだ。
大体サボるときは一人でその件を進めている時で、ふと思いついたように重大なことを言われるものだからこっちは心臓に悪い。
「今度、都合がつけられたときにでも言おうとは思っていた。丁度いいからお前の方から伝えておいてくれ」
「はぁ。分かりましたよ」
メインの時ほど時間もかからずデザートとコーヒーはやって来た。
湯気の薫る黒い液体からは独特の香ばしい香りが漂っている。紅茶とはまた違うこの香りが私は嫌いではない。
私の前にだけ置かれた頼んだケーキ、チェリーパイをフォークを手に取り遠慮なく一口。
チェリーの甘酸っぱさとバター香るサクサクと小気味いいパイがマッチしていて非常に美味!
空いている手を頬に当てて口の中に広がる幸せを噛み締める。
「あぁうまいな。前に飲んだ時よりもうまい」
「お口に合ったのなら良かった。まだ取り扱いが少ないですから、ここは数少ない美味しいコーヒーが飲める店なんですよ」
「いいことを聞いた」
私もカフェラテを一口。ミルクのおかげでほのかな苦みを感じる程度に抑えられていて、とても飲みやすい。
甘いケーキとの相性は抜群と言える。でも慣れ親しんだ紅茶も捨てがたい。
「ここで豆も道具も一式、売ってもらえますよ。よろしければ、買っていかれますか?」
「それは、また今度にしよう」
ゆったりと時間を過ごし一時間は過ぎた頃合いだろうか。
食事も終わったのでそろそろ店を出ようということになった時、支払いはどうするのかとなったが予約をした際にその辺も全て済ませてしまっているのでそのまま店を出ることになった。
ハットを被りなおし前髪をちょいちょいと感覚で整えていると、店主が手鏡を貸してくれたので有難く使わせて頂いた。
マルクル先輩に一旦、鞄を預け鏡を見ながら自分の納得いくように直せば手鏡をお礼と一緒に店主に返す。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
店主からの見送りの言葉を受けながら店を後にした。




