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「どうかしたの?」


ゆっくりと話しかけて来る男に何故か私は言葉に詰まってしまう。

お礼を言って直ぐに去りたいのだが直接対峙して分かる威圧感のような畏怖の念に、目の前の男を無視して走り出したいような気持ちを何とか押し留めた。

なんとか口を開いてみても声がうまく出てこないことに無言で焦る。


「ははは、何か焦ってる?別にいいよ、どれだけ時間がかかろうと」


聞こえは優しいこと言ってるけれど実際、本当にどうでも良いと思っていることは隠そうともしていない。

私は改めて息を吸うと一思いに声を発した。


「あ、あの。ありがとうございます。私、急いでるので」

「へぇ、そう。ちょっとこっちにおいで」


私がやっと発した言葉も全く興味なさげに流したかと思うと、いきなり腕を掴んで引き寄せられたので私は何も出来ずされるがままに男の腕の中に捕らわれることとなった。

即座に距離をとろうと腕を突っぱねようとしたが、男が踊るように今の立ち位置を反転させたので行動が追いつかない。

男が階段に背を向ける形で止まったので改めて、突っぱねようと力を入れかけたところで背中越しに聞こえた声にまたもや行動を制限された。


「ごめんなさい。少し聞いてもいいですか?こっちにシルバーヘアの女が来ませんでしたか?」


ソフィーの声だ。

やはりというか、何でという気持ちの方が強いのだが私のことを追いかけてきたようだ。

これが前門の虎、後門の狼というやつか!

実際は男は私の鼻先に触れるほど目の前にいて、ソフィーはその男の背中越しなので後ろには誰もいないのだけれど。


「さぁ。知らないな。その子に何か用事が?」

「いえ、知らないのならいいです。それよりも貴方が隠しているのは、その女じゃありませんよね?」


ひょえー!突っ込んできたー!

この状況で男に売られたら私はどうすることも出来ないし、バレてもあらぬ誤解を受けそうで嫌なんだがどうすれば!

かつてない絶体絶命な状況に男を見上げれば、楽しそうに笑って私の手を取った。


「彼女のこと?僕の恋人だけど?」


何を言っているのか!!

驚きすぎて間抜けにも口をぽかんと開けて動けないでいる私に男は変わらない笑みを浮かべる。

首だけをわずかに振り向かせた男がソフィーに見せつけるように私の手首にキスをしやがったので、私はさらに固まることになった。


「恋人との逢瀬を邪魔するなんて無粋なことはよしてくれ。彼女は君の言っている子ではないよ」

「…そうですか。邪魔してごめんなさい」


それだけ言うと段々と遠くなっていく彼女の足音に安心を覚える前に、男にとられたままの手を奪い返して今度こそ思いっきり突っぱねた。

ただ突っぱねる前に男が離れたものだから空振り気味になったのは否めない。


「何するんですか!」

「せっかく助けてあげたのに、我が儘な子だなぁ」


男は笑顔のままでさっきの行為を全く悪いとは思っていないようだ。

私の抗議の言葉にも堪えた様子は一切なくむしろ責めるような言葉を吐いてはいるが、それすらも楽しんでいるようだった。

何なんだこの人は!シンプルに嫌いだ!

私もマルクル先輩と同じようにこの男が苦手だということは、わずかの接触の間だけでもよく理解できた。


「それはありがとうございます。もう行かせて頂きます」

「あはは、待ってよ。今行っても君の目当ての貴公子様はいないよ。それにあの子が先にいると思うけれど?」


なんで目当てがマルクル先輩だと分かるのか。真実、その通りなので男の言葉に私の足が止まる。

でも今を逃せばマルクル先輩が放課後に来てくれることを祈る以外に会うのが難しくなりそうだ。

この件に関してはあまり間を置きたくない。

王族の一時編入の件はマルクル先輩しか詳しく把握していないだろうから、アンドリ先輩もリュドミラ先輩もあまり頼れないし…さてどうしたものか。


「あぁ、そうだ。僕が彼に声をかけておいてあげようか?このことは貸しにはしないであげるよ」

「…信用していいんですか?」

「それは君次第だ。さてどうする?」


私は少しの逡巡の後、男を頼ることに決めた。

アンドリ先輩を頼ることも考えたのだが少なくとも一日は経過する。

それでも安全や確実性をとるのであれば私はそちらを選ぶべきだろう。

ただ私は目の前に男が何を考えているにしろ、いないにしろ「貸しにはしない」と言ったその言葉に乗ることにした。

何にせよ、この男とはもう今後関わることはしない。

ならこの時、この一回だけであれば頼っても悪手ではないと信じよう。


「お願いします」

「うん、素直な子は嫌いじゃない。今日のお昼に生徒会を訪れるといい」


男はそれだけ言うと私の前から退き階段を指し示す。


「今はもうバレる前に戻った方が良いんじゃないかな?」


今は男の言うことに素直に従おう。ソフィーがまたここに戻って来ないとも限らないので私は男の横を素早く通り過ぎてふいに振り返った。


「いちおう聞きますけど、お名前は?」


事ここに至るまで私は目の前の男の名前を知らないことに気づいた。

いちよう頼っている手前、名前を知らないのもおかしいかと思い聞いてみると男はずっと変わらぬ笑顔のまま手を振った。


「知らなくていいよ。どうせここで君とはお別れだ」


どうやら教える気はなさそうだ。


「さようなら、お嬢さん」


手を振る男に私が手を振り返すことはなくさっさと階段を上って行ってしまう。

今度は二段飛ばしなどせずに一段一段確かめて登っているので、先ほどのような事故は起きないだろう。


――散々な朝だ…。


朝から疾走する羽目になるは、よく分からない男に絡まれるはで本当に散々だ。

そういえば手首に男の唇が触れたのを思い出して、自分の教室に戻る前にトイレに寄って念入りに手を洗った。

やっぱ、あのパフォーマンスはする必要なかったと思うな!


朝は私にしては珍しくギリギリに教室に戻ることとなった。

ソフィーは私より先に戻っていたようで私は少し緊張を覚えながら教室に入る。

友人たちに「遅かったですわね」「心配しておりましたのよ」と声をかけられ「少し用事がございまして」と返すと直ぐに席に戻るよう、友人たちの背中を押した。

私も友人たちに続いて席に座ると直ぐに教師がやって来てくれたのでソフィーと関わるようなことはなかった。

短い休み時間に入るたびにまたソフィーに話しかけられるのではないかと内心、戦々恐々としていたのだが彼女はその度に教室を出てどこかへ行っているようだ。

マルクル先輩にでも会いに行っているのだろう。

そのおかげで私の安全が保障されているのだからマルクル先輩様様と言わざるを得ない。

昼は少し時間を取ってしまうが、なんとかそれもソフィーに気取られぬうちに行ってしまおう。

私は昼休憩に入ると友人たちと食堂に行くフリをして教室を出た。


「あぁ、そうだった。昼にも用事がありまして、申し訳ございません。先に行っていただけますか?」


友人たちは残念そうな表情をそれぞれ顔に浮かべ惜しむ言葉を口にしながらも引き止めることはせず私と別れた。

周りを見渡して目立つピンクヘアがないことを確認してから一直線に生徒会室に向かう。

無事に辿り着くとノックをしてから恐る恐る扉を開ける。


「失礼します…」


中にはマルクル先輩が一人。何か書きつけている手を止めてそっと覗いている私に目を合わせた。


「何してる。早く入れ」

「わぁ。本当に先輩が居る…」


あれは一種の賭けのようなものだったので、本当に居ることに少しばかり驚いていた。

マルクル先輩はあの男のことが余程嫌いな様子だったのを覚えているので、話を聞くこともなく切り捨てられる可能性も考えていただけに生徒会室に何が待っているのか少し怖かったのだ。


「お前が呼んだんじゃないのか?」

「呼んだ、というか頼みはしましたけど…」


部屋に入ると扉を閉めて、なんとか無事に朝のことを言えそうなことに安心していた。

あれは私一人で抱えるには荷が勝ちすぎている。


「あいつと会ったらしいな」

「あいつ?あぁはい。偶然ですけどお会いしました」

「そうか。なら今後は関わらないほうがいい」

「ええ、まぁ。私もあの方、苦手ですから関わろうとは思いませんけど」

「なら、いい」


マルクル先輩は存外、あの日のような過剰な反応を見せることはなく淡々と私に今後会わないよう勧めて来た。

その言葉に逆らう気はないのだが避けようにも私は男の名前を知らないことは少し引っかかっていた。


「避けようにもあの方、名前を教えてくれなかったんですけど…」

「知る必要はないな」


先輩にしては少し珍しく意固地な物言いに違和感を感じて首を傾げる。


「もう関わることはないんだろう」


あ、そうですねー。

もしかしたら先輩、思ってるよりも怒ってたりするかもしれない。

実際に会ってみて先輩が大変に苦手な部類の人間であることは、とても良く理解できたけれど…いや本当によく私からの頼みとはいえあの男の話を聞いたものだな。


「そうですね。もう関わらないので怒んないでください」

「いや、お前には何も思っていない。あいつには脅しをかけておいたからもう気にしなくともいい」


脅し、かけたのか。ちょっと先輩とあの男の間にどんなやり取りがあったのか気になって来たけど教えてくれないんだろうなぁ。

まぁ私はもう関わらないのだし、全て忘れてしまおう。あんな事が合った手前、先輩にはなんだかバレたくない。

私の脳裏には男のずっと変わらない笑みが浮かぶが、無理やり消し去ることにした。


「そうだ!早速ですけどソフィー嬢に関して至急、お耳に入れておきたいことが出来まして…」

「ふむ、なんだ」

「彼女、王族の一時編入を知っているようでした」

「何?」


先輩は私の言葉を疑っているようだったが、私としても疑いたいような思いなのは同じだ。

ただ朝に起こった出来事は変わらない。

朝にあった出来事を妄言の辺りは多少省きながら先輩に話していくと、先輩の表情は見る見るうちに厳しいものへと変わっていく。


「何故か彼女、エアリス様がこの学園にいらっしゃるのだと信じて疑っていないんです。この件に関して私たちは誰が来るのかも知りませんし、他に誰が知っているのかも知りません。…先輩はもう知ってらっしゃるんですか?」


先輩は黙り込み口に手を当てて何やら思案中のようだ。

これは何も答えてくれないかな?期待しないで少し待っていると先輩はおもむろに口を開いた。


「知っている。だが、それは本来であれば俺にすら知らされていないことだ。それを他に、この学園で知る者はいないはずだが…」


知らされていないはずのことを知っているとは、これいかに。

先輩は私たちの知らない情報源があるようだし、知っていても不思議ではないのかなぁ?


「どこかから漏れている、ということでしょうか…」

「かもしれんな。一度調べてみるか…ただ彼女、ソフィー嬢が要注意人物であることは分かった。今後、二人きりになるような状況は控えろ」

「はい。了解です」


もしかしたら、これで一時編入も立ち消えだろうか。

残念なような面倒がなくていいような…どうなるかはまだ分からないが、望み薄と考えていいだろう。


「そうだ。皆に教えておきますか?今日のこと」

「今以上に王族の件を広めたくはない。ソフィー嬢の動向は今後、俺が抑えておく。彼女とあまり接触しないようにだけ言っておいてくれ」

「それも了解です」


さて早くに話せて私も肩の荷が下りたというもの。後はソフィーに関わらなければいいだけなんて、なんてイージーミッションなんだ!

それこそフラグというやつでは?なんて言葉は私は信じない。

昼休憩もそこそこに過ぎてしまっている。ご飯を食べる時間が残っているかどうか。


「ついでだ。次の休みは暇か?」

「え、あぁはい。暇ですけど」


突然の話題転換に動揺しつつも私は反射的に暇だと答えてしまった。


「なら予定を空けておいてくれ。相談、乗ってくれるんだろ?」


あ、先輩覚えてたんですね。

私てっきり忘れてるものだと思って若干、諦めてました。


「それはまぁ請け負いましたから乗りますけど…相談の内容は教えてくれないんですか?」

「また休みの日にでも話す。大通りの噴水広場、分かるか?」

「分かります」

「そこに昼頃に待ち合わせだ。それでいいか?」


なんか順調に話が進んでいる。でも昼頃だったら丁度、いい時間かもしれない。


「でしたら昼前にしましょう。お勧めのお店があるんです!先輩もきっと気に入りますよ!」


前世を思い出してから見つけて通うようになった店だ。

この国では少し珍しいかもしれないが、先輩は気に入ってくれるはず。


「じゃあ、そうするか。楽しみにしておく」

「えぇ、楽しみにしててください」


無事に相談の役目も果たせそうだ。良かった良かった。

朝の出来事もすっかり忘れて笑顔を浮かべていた私は先輩が椅子から立ち上がる音を聞いて表情を引き締めた。

なんかだらしなくなってなったか?すっかり気が抜けていた。


「さて俺は先に出るが、お前は後から出た方が良い」

「そうですね。では、また」

「ああ。またな」


先輩と生徒会室で別れて1分2分…そろりと扉を開けて廊下に誰の影もないことを確認してから、そこを出た。

さて一食抜いたところで差し支えるほどではないが、なんだかお昼の話をしていたのでお腹が減って来た気がする。

さして急ぐようなことはしないがのんびりと歩きながら少しだけ食べれたらそれでいいかな、と気軽に考えて教室に戻るのはギリギリの時間にしようかなと他のことも考えながら生徒の中に紛れて行った。


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