12
これはまだ、私が一年生のころの話。
私は学園に入学したてで、右も左も分からないころに同じクラスになったとある女の子に話しかけられたのが始まりだった。
「ねぇ、貴方がマルティネス家の侯爵令嬢様?」
「…そうだけど」
最初はこんな風に話しかけられてあまりいい印象は抱かなかった。
そんな私の不信な表情に気づいた彼女、ザザはからりと笑って私に謝った。
それ以来彼女となんだかんだ関わっているうちに、それほど時間もかからず私たちはいつの間にか友達になっていた。
幼少のころ母を亡くしてからというもの一時期は娘の私に対しても心を閉ざし、それでも私をも亡くすことを恐れた父は私を家に縛り付けようとした。
私はそれが父の望みならとその状況を受け入れた。
そのため他家との交流がなく友人と呼べる人がいなかった私は、そういう存在に憧れのようなものがあったのかもしれない。
学園に入るより前には父は私に謝ってくれたが今も過保護なのは変わらない。
初めて出来た友達と過ごす日々はとても楽しくて父と離れての生活に心のどこかで不安を感じていた私は毎日その子に救われているような気持ちだった。
彼女は子爵ではあったが私とは対等に接してくれた。あまり堅苦しくされても距離を感じて寂しいと思っていたので彼女の接し方は純粋に嬉しかった。
そんな彼女に不快感を持つものも少なくなかった。ただ彼女と私は仲が良かったので面と向かって何かを言ってくるような子はいなかった。
だから見せかけだけでも私のまわりは友人に囲まれていて他所から見れば全員が仲良くやっているように見えていたことだろうと思う。
私は彼女さえいればいいと思っていたから。
そんな順調だと思われていた生活に亀裂が入り始めたのは、私のクラス内にいじめが起こっていることが判明した頃だ。
私が馬車の混みあいが嫌になり、早く登校するようになってから初めてそれを目撃した。
机の上に不自然な水たまり。
その机の子を私はよく知らなかったので、これに何の意味があるのか分かっていなかった。
私は不審に思いながらもその水たまりをハンカチで綺麗に拭う。
水たまりがあった女の子は他の生徒たちに紛れるようにして教室に来た。この時、私は彼女の身に何が起こっているのか聞くべきだったのかもしれない。
でも当時の私は関わりもなくよく知らない子にいきなりそれを聞いていいものか分からず迷った挙句、彼女のことについて静観してしまった。
そんな彼女が休学したと知らされたとき私は落ち込んだ。
落ち込む私をザザは慰めてくれた。
「仕方がないよ。よく知らなかったんだもの」
気づかなかったんだから仕方がないと言っていたが本当だったら私は気づけたはずだった。
噂に休学してしまった彼女はそのまま学園をやめたと聞いて私の心には一生消えることのない小さな傷が出来てしまった。
またしばらくは何も見ることがなかったのに、ある日誰かの机に花が一輪供えられているのを見て私はあの水たまりを思い出し顔を青くした。
その子はザザのことを快く思っていなかったが、時たま私とだけ交流がある子だった。
どうして?
これにどんな意味があるのか当時の私には正確に理解しきれていなかったが今の私には分かる。
あれは次の標的を示唆するための花だった。
私はこの事をザザにすぐ相談した。
ザザは「大丈夫だよ。花が置かれてただけなんでしょ?心配しすぎだって」とあの時のように、からりと笑って見せた。
私は愚かにも、彼女のその耳障りの良い言葉を信じてしまった。
ザザの言葉を信じてから数日、段々とその彼女との交流が難しくなっていった。
まるで彼女が私を避けているような…。
完全に交流が途絶えて、そしてまた今度は花が置かれていた彼女が休学することとなった。
「悲しいね。相談してくれれば良かったのにね…」
ザザも今度は私と同じように悲しんだ。
そんな折、二度も生徒の休学があった事実を重く見た学園側が生徒会を動かした。
私のクラスに派遣されて事情聴取に来たのは当時三年生だったマルクル先輩。今と何も変わらないすでに完成されている美丈夫の登場に教室中の女の子たちは盛り上がったものだった。
私は一人だけ、そのノリについていけず呆然とマルクル先輩を見ていた。
マルクル先輩は教員たちの許可を得て授業の時間を一つ潰し生徒一人一人に事情聴取を行っていった。
私の番が来た時、私は素直に知っていることを全て話した。
5分と掛からず事情聴取が終わり別室に移動していたので教室に戻れば、次に呼び出されたのは私の後ろの席に居たザザだった。
ザザもすぐに戻ってくるだろうと思っていたら私の予想に反して彼女はなかなか帰ってこなかった。
彼女はやっと帰ってくると、私に真っ先に「恋をしたの」と満面の笑みを浮かべて言った。
「私、一目惚れしちゃった!ねぇ応援してくれる?」
私は「分かったわ」と答えて無理に笑顔を浮かべた。
私の心の片隅には休学してしまった二人のことがわだかまりとなって私の中に巣食っている。
ザザほど私は元気ではなかったが彼女があまりにも楽しそうに笑うのでそれを曇らせるようなことはしたくなかった。
ザザは「ありがとう!」と殊更、嬉しそうに笑って見せた。
その日以降マルクル先輩が再度訪ねて来るようなことはなかった。
当たり前だ。そんな頻繁に来たところで得られるものは少ないのだから。
ただザザは「愛しのあの人に会いたい…」「あれからずっと会えていないの」と愚痴ばかりをこぼしていた。
何もない日常が続いていると私はもう、あんなことが起こらないようにと毎日祈るようになった。
そんな私の祈りは当然のように叶うことはなかった。
もう起こるはずがないと信じていたそれはなりを潜めていただけだったようでまた、机の上に置かれた花を見つけたとき私は絶望した。
真っ先にザザに相談すると「マルクル様に相談に行きましょう!」とさも嬉しそうに言った。
それだったら生徒会に相談した方が良いのではという前に、私はザザに手を引かれ当時のマルクル先輩のクラスまで来ていた。
「マルクル様はいらっしゃいますか?」
ザザが先頭して教室に突撃するとクラスは俄かにざわついた。その中を抜けてマルクル先輩が私たちの前に来てくれる。
「どうした?」
「あの「お久しぶりです!マルクル様!」
ザザは私の言葉を遮って自分の話したいことを先に話続ける。
私はどうしていいかわからず口を閉ざしザザを見ているだけだった。
「分かった。それはまた後で聞く。それよりも…」
マルクル先輩はザザの言葉を少し無理に遮り何も言えずにいた私に視線を寄越すと「何か用があって来たんだろう」と私に問うた。
ここを逃してしまえば私はまた何も言えなくなると悟ってその日、机に置かれていた花の件を簡潔に話した。
「…そうか。分かった。その花は受け取っておこう」
持っていた少ししおれた花を渡すとザザは私の肩を強めにつかんで声を張り上げた。
「この子、とっても心配性で…実は私も不安なんです。また相談もされずにいなくなってしまうんじゃないかって…」
ザザは何を言うつもりだろうか。
二人目にいなくなってしまった彼女とザザは特に何の交流もなかったはずだ。
彼女はザザを嫌っていたしザザも関わろうとはしていなかったのに、何故彼女が不安に感じているのか。
この頃になると私はもうザザの考えていることが分からなくなっていた。
今までも彼女のことを全てを分かっていたというつもりは毛頭ない。
けれど、どこか通じ合うものがあったから…ザザが何かしようとしていても私は笑ってそれを受け入れられていたはずなのに。
「よければ今日から毎日、相談に乗ってくれませんか?」
「ザザ!」
そこまで迷惑はかけられない。引き下がろうとする私を強い力で止める彼女に私は眉を顰めた。
マルクル先輩は少し考えて「構わない」と口にした。
「ありがとうございます!」と無邪気に喜ぶザザだったが私は疑問のほうが強かった。
そこまで面倒を見る必要はないのに。
それに私たちが相談を受けるよりも花が置かれていた子の方が相談を受けるべきだろうと思う。
断ろうとする私をザザは先回りするかのように話を進めていくので強く出れないでいた私はそのまま流されてしまう。
そのうちに今日の放課後から一時間ほど話を聞く、ということが決まっていて私は先輩の顔を見られなかった。
それから毎日、きっかり一時間ほど私とザザとマルクル先輩で話し合う日々が続いた。
といっても、ザザが先輩に話しかけるのを私はほとんど聞いているだけだったが。
何事もなく日々は過ぎていく中、ふいに先輩は私にこう聞いた。
「それで例の彼女には何かあったのか?」
「いえ…なにも…」
そうだ。何も、何も起こっていない。不自然なほどに。
花が置かれて数日経つが例の彼女は変わらぬ毎日を過ごしているようだった。
何も解決していないというのに私はここでザザが話しているのを聞いているだけで…何をしているのだろう。
「もしかしたら、気づかれたと思って手を引いたのかもな」
「そう、だといいんですけど…」
私の不安はぬぐえない。
でも先輩の時間を一時間も取っていることに毎日、申し訳なさだけはずっと感じていた。
ザザにも何度も、「もうやめよう」と言っているのだが「でも不安なんでしょ?」と私を心配するような言葉を吐いて決して私の言葉を聞き入れようとはしなかった。
ザザは手を打ち、大きな音をたてると自分に注目を集めマルクル先輩に可愛らしく小首を傾げた。
「マルクル様、そんな話はやめにしませんか?この子が不安がっちゃいますよ」
ザザは笑ってそう言ったが私にはまったく笑えない。
なぜ笑っていられるの?愛しの人と毎日会えて嬉しいから?毎日お話しできるから?
ザザには…私のような悩みなんてないでしょう?
今だってザザは自分のことばかり話して、マルクル様のことを知ろうとしてただの必死な恋する少女だ。
こんな状況でなければ私も素直に応援できたのに、私にはザザがこの件を利用してただ先輩に会いたいだけに思う。
ザザ…私にはもうついていけないよ。
「ザザ、私はもう行くのやめるわね」
「ふーん…そう。じゃあ私行ってくる!」
ザザはもう私のことなど、気にしない。ザザにとって私って何だったんだろう。
私は一人、そこに佇んで私を置いて去っていく彼女の背をただ見つめていた。
その翌日、ザザは泣きそうな顔で私に縋った。
「聞いて!マルクル様にもう来ないでくれって!どうして…」
「ザザ…」
私は何度も言っていたはずだ。迷惑だと、やめようと、聞かなかったのはザザ自身だ。
だというのに私は…当時の私はなくなってしまったと思ったものが、戻って来た気がしてザザに手を差し伸べてしまった。
「理由は言ってなかったの?」
「『君は大丈夫だろう』って。私ぜんぜん大丈夫なんかじゃないのにっ!」
そう泣く彼女を、私は疑問に思っていたはずだ。
その大丈夫じゃないは、ただザザが愛しのあの人に会えなくなることでしょ?
私はそんな私に気づかないふりをして彼女の涙を優しく拭っていた。そうやって目を逸らしたんだ。
そうすればザザはまた私の友達でいてくれる。だから私は…。
「大丈夫よザザ。マルクル様は同じ学園に通っているんだもの。いつでも会えるわ」
「そんなことない!私は!あなたと違って!」
「ザザ?」
ザザ。どうしてそんな目で見るの?私とあなたは対等だったはずでしょ?
違うことなんかないよ。
お願いだから、そんなことを言わないで。
「もう一度…」
「え、なに?」
ザザは何かを決めたようでぶつぶつと何かを呟きながら立ち上がると、私から離れていった。
そして翌日。花が置かれていた子の机が荒らされているのを見つけてしまって、私は鞄を落として立ち竦む。
信じたくはない。
けれどさすがに無視できそうにない。
我に戻った私は机を綺麗に戻した後、何事もなかったかのように鞄を拾って自分の席に座った。
ザザが登校してきて私に言う。
「今日、何かあった?」
「ううん。何もないよ」
ザザは何度も疑って聞いてくるが私は何もないと答え続けた。
やがて諦めた彼女が後ろの席に座ったのを私は音で確認してから私の中の疑いはますます強くなった。
いじめの犯人はザザではないのかと。
そうでなければ、今まで気にもしていなかったことを今朝になってここまで気にするのはおかしいだろう。
疑いだすと怪しいところが見えてくるもので、今までに休学した二人はどちらもザザのことを快く思っていなかったことも思い出す。
もしかして邪魔に思ったとか?ザザが何を思ってそんなことをしたのか私には分からない。
私が悲しんでいた時、一緒に悲しんでくれた彼女はもしかして全て噓だったのだろうか。
今は、ザザが何か得体のしれない化け物のように見えてとても怖い。私一人で彼女を止められる?
無理だ。そんな思い上がりは間違ってもしない。
私が今頼れるのは…。
それを考えたとき頭に浮かんだのは、マルクル先輩の顔だった。




