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唐突だが前世の記憶らしきものを思い出した。
空の青さに負けんと咲き誇る桜に目を奪われて見上げていると先を行ってしまった友人から声がかかる。
それでも目が離せず今この一瞬を切り取るために、今はもう見ることの出来ないであろうスマホを取り出して写真を撮った。
切り取った桜色一面の風景に満足しポケットに仕舞って友人に追いつこうと前を見れば、折半して買った三色団子を先に食べている彼女に私は思わず―――。
「私の分、は…?」
どうやら実際に声に出ていたようで、自分の声で目が覚めた。
夢から抜け出し切れていない私は目を瞬かせ頭に疑問符を飛ばす。
―私のお団子は?友人は?ここはどこ?私、わたしは…?
内心パニックに陥りかけている脳内をどこか冷静な私が抑えてゆっくりと辺りを見渡せば、見慣れた部屋の内装に段々と落ち着きを取り戻していった。
それと同時にさっきの自分の発言を思い出して一人羞恥に身悶えることに。
「私どんだけ団子食べたかったのさ…」
思わぬ団子への執念が発覚して頬に集まる熱を感じる。
しばらくの間、顔の熱が引くまでベッドの上でうだうだやっているとまだ薄暗かった室内がカーテン越しでも明るくなっていることに気づいて慌てて起き上がることになった。
クローゼットに向かって制服一式を取り出してからネグリジェを脱ぐ。
ブラウスに袖を通してボタンを留めると、コルセットスカートを履いて苦しくない程度に腰を絞り緩まないようにベルトを締めた。
これが正式なドレスであればメイドたちの手を借りてきちんとしなければならないのだが、あくまで学制服なので細かく言われないのは正直有難い。
襟にリボンを通しジャケットを持ってドレッサーの前に場所を変える。
椅子の背にジャケットを掛けて鏡を見ながらリボンを綺麗に結んで形を整えていると、ノックの音が部屋に転がり込んだ。
「お嬢様。起きてらっしゃいますか?」
落ち着き払った女性の声に私は扉の方へと顔を向ける。
「起きてるよ、グレタ。どうぞ」
私の許しを得て「失礼いたします」と一声あってから静かに扉は開かれた。
彼女は幼い頃から私のお世話をしてくれているメイドのグレタ。
私の身の回りのことを全てやってくれている女性なので、今も昔も彼女に対してはとても頭が上がらない。
ぬるま湯の入った桶と数枚のタオルが乗せられたカートを押してきて私の傍まで来ると椅子に座ったままだった私はグレタを見上げる形になった。
「おはようございます。お嬢様」
「おはようグレタ。実は今日少し寝坊してしまったの」
「あぁ、そうでございましたか。通りで」
閉じられたままのカーテンを見てグレタが納得を見せる。
いつもは着替えた後にカーテンを開け日の光を部屋の中に取り込むのだが、今日は朝の出来事があったせいで間に合わなかったのだ。
すると、私が頼むよりも早くグレタが動いてカーテンを開けてくれた。
「ありがとう。少し暖かくなったわ」
「それはようございました。3の暦ではございますがまだ朝はお寒いでしょう。何か羽織るものをご用意いたしましょうか?」
「大丈夫よ。それより、今日もお願いね」
まだカーテンの近くにいたグレタはその場所から「かしこまりました」と綺麗な角度で頭を下げ、また私の傍まで戻ってきてくれる。
私もグレタを追っていた顔をドレッサーの方に戻すと、直ぐに戻ってきて後ろに控えたグレタと目が合った。
朝の身支度を進めるためにまずはグレタの持ってきてくれたぬるま湯で顔を洗う。
タオルで水滴を優しく拭い終わると、肌のケアと軽い化粧を施してからやっと髪を結わえ始めるのだ。
この時間グレタに任せっぱなしの私は暇なもので全く別のことに頭を働かせていた。
―さっきの夢ってなんだったんだ?
普段、夢を見たとしても起きれば忘れてしまうというのに今日見た夢に限ってはとても忘れられそうになかった。今でも私の記憶の中に鮮明に残っている。
桜も、友人も、スマホも、三色団子も…。
どれも知らないはずなのに夢の中の私はそれらが何であるのか正しく理解していた。
この妙な既視感と私自身が直感的に感じ取った結論はただ一つ。
―あれは私の前世だ。
前世であるという確信に対して疑問はないが、今度は違う疑問が私の中に浮かび上がる。
―なんで、こんな急に前世を思い出したりしたんだ?
それもだいぶ限定的で何の役にも立たなそうな部分を。あれだけを思い出したところで、反応に困るというのが新たな感想だ。
そもそもなぜ私が思い出すことになったのかも分からない。
考えれば考えるほど新たな疑問が湧いて出て尽きないばかりか、解決することもなさそうだ。
これ以上、考えすぎて頭がパンクする前に私は考えることをやめた。
多分だが気にしたところで私には分からないし理解することもない気がする。
ここは一つ、神様の悪戯ってことで。所詮人の身の上では神様の真意など汲み取れないのだ。
「お嬢様、髪留めはどれになさいますか?」
考え事に没頭しているうちに髪は結わえ終わっていたようで仕上げに髪を飾る髪留めを選ぶようにグレタから進言があった。
私が見やすいように広げられたジュエリーボックスの中から、あれはダメこれはダメと消去方で少なくしていき残った中から気分に合うものを選ぶ。
選び方としては一か月ほどの間、同じものと被らなければそれでいい。
聞くところによると一度使ったものは二度とつかわない淑女もいらっしゃるようだが、根が貧乏性の私はそんなこと恐ろしくて出来そうもない。
お気に入りは何度も使いたいと思うし、物は大切にしたい派だ。
ハーフアップにされた髪型にさっき選んだバレッタが取り付けられて出来の確認を合わせ鏡の要領で行う。
昨日と同じ完璧さに私は満足して笑顔を浮かべた。
「うん!さすがグレタ、完璧だわ」
「光栄にございます」
心なしかグレタも職務中の怜悧な顔を少し綻ばせているような気がして私も嬉しくなった。
最後にジャケットを羽織れば朝の身支度は終了。
自室を出てダイニングに向かい並べられた温かい朝食を有難く頂いて、食後のお茶を飲み終えれば直ぐにでも学園へと発つことになる。
というのも大半の生徒は学園寮に暮らしていて徒歩での通学になるのだが、私のように学園の近くに屋敷を所有している生徒は馬車での通学が当たり前だ。
そうなると必然、馬車で道が混みあう時間帯が出てきて馬車の中で待たなければならなくなる。
私はそれが煩わしくて朝の早い時間帯に登校するようにしていると言う訳だ。
ただ今の時刻は八時。学園は九時始まりではあるがもう正門は開いているはずなので問題ない。
「それじゃ行ってくるわね」
ヒールの低い靴を履いて持ってきてもらった鞄をグレタから受け取る。
行く前にグレタに身だしなみをもう一度、整えてもらえば準備は万端だ。
「はい。では、行ってらっしゃいませお嬢様」
グレタの言葉を合図に他にも見送りに来てくれたメイドたちが同じ角度で頭を下げる。
その頭に向かってもう一度「行ってきます」を言ってから既に開けられていた玄関扉から外に出た。
この生活ももう一年ほどになるか。
実家を離れ父が用意してくれたここに移り住んでから数人のメイドとともに暮らしているが当初感じていた寂しさにも、もう慣れたものだ。
一人で座る食卓も、くつろいでいる時のふとした静けさも。
まぁもとから父は忙しい人で食卓を共にすることは少なかったのだけれど、それでも顔を合わせない日はなかった。
しばらくの間その顔が見られなくなることに寂しさを感じていたが父とは頻繁に行われる手紙のやり取りのおかげで寂しさを感じることも少なかった気がする。
馬車に揺られること数十分。
御者から声がかかって私の通う学園、ヴィヴリオ魔法学園についたことを知らされた。
エスコートされて馬車から降りると御者に見送られながら正門を通り抜ける。
エントランスまでの並木道が夢で見た桜色の風景とまるで同じことに気づいて私は思わず声を上げた。
「わぁ…」
少し花びらの形が違うけれど似たそれに自然と笑みが浮かぶ。
風に揺られ散っていく花びらを目で追っているうちに、ふとこんなことを思い出した。
これは前世の記憶なのだが“落ちる前の花びらを空中で掴み大事に持っていれば一つ願い事が叶う”というものだ。思い出したからには手を伸ばさずにはいられない。
今まさに、流れていく花びらに手を伸ばして掴もうとするが風に巻かれするりと後ろに流れて行ってしまった。
前世でも成功した記憶はなかったけれどやっぱり難しい。コツとかあるんだろうか?
一回で諦めてしまうのもどうかと思い歩みを緩めながら間抜けにも上空に手を伸ばし続けていると後ろから声がかかった。
「ねぇ、花びらが欲しいの?」
「え」
手を引っ込めて慌てて振り返れば後ろにはハニーブロンドの髪が今日の陽光に映える綺麗な男の子がそこに居た。
それに気づいてさっきまでの奇妙な行動を思い返し頬が熱くなる。
私は咄嗟に乾いた笑いを浮かべ誤魔化すように痒くもない頬を掻いた。
「あ、ははは。そのー、そうです、ね」
途切れ途切れになってしまう返答に男の子は不思議そうに首を傾げて近づくと、緩く握りこまれた拳を差し出した。
私は訳が分からず困惑して拳と男の子を交互に見つめた。
「これ、地面に落ちる前にさっき掴んだものなんだ。よかったら貰って」
柔く開いた掌の中には小さな桜色の花びらが一枚。
風に飛ばされないよう私にそっと見せてくれた。
「わぁ、凄い!あっでも、それは受け取れないわ」
自分が掴めなかったものを手に持っている男の子に素直に感心して感嘆の声を上げるが、それは私には受け取り難い。
男の子が悲しむ顔を見せる前に私は早くその訳を話さなければならないだろう。
「勘違いしないでほしいのだけれど、別に怪しんで断っているわけじゃないの。ただ、それは貴方が掴んだものだから貴方が持っているべきなのよ」
「君のために取ったのに?」
たしかにそれは男の子が私のために取ってくれたものかもしれないが、こういうものは自分で掴んでこそではないだろうか。
別に意固地になっているわけではない。それに…。
「これは一種のお呪いなのだけれど、落ちる前の花びらを掴んで大切に持っていると一つ願い事が叶うのよ。だから、良ければだけどそれは貴方が持っていて」
花びらを掬い取り私が持ってきていたハンカチに丁寧に挟むともう一度、男の子の掌の上に戻した。
男の子はその一連の行動を呆然として眺めている。
決して離れないようにと私の両手で上から男の子の手を握りこみ、一気に身体を離して距離をとった。
「それでは、御機嫌よう」
何だか恥ずかしいことをやった気がする。
男の子に呼び止められる前に淑女らしからぬ駆け出しであっという間に学園の中に入ると、誰にも見られていないことを確認してからエントランスで蹲ってしまった。
何だか朝から恥ずかしがってばかりだなぁ。
今まで気づくことが出来なかった前世との類似点に、少しばかりテンションが上がっていたのかもしれない。
ここに居てばかりもいられないので、足に力を込めて立ち上がると今度こそ自分の教室に向かって歩を進めた。




