巻第一・二 女房
創造主である俺には知識が足りていなかった。そして元来持ち合わせた諦念のせいもあり、細かな設定をしていなかった。故にこの平安朝風の世界には当時ではなかったようないまめかしさ(ある意味で未来風)があった。
衣装は貴族の寝巻のようなものだが、特別上等に思えるわけでもなく、普段来ているシャツよりはごわついていた。
そんな文句をこぼしつつ、俺は台の上の寝所から起きようとすると、開け放たれた軒先の方から声が聞こえた。
「若様、朝食を持ってまいりました」
この家で召し抱えている女房であろうか。髪は長く切りそろえられているものの、顔つきは細く、目は優しさを帯びており、眉も特別太く描かれてはいない。
現代受けする顔つきであった。
なにせ異世界。俺の憧れの地。自分が本当の平安貴族で、女を抱くなら膨れ顔の女では萎えてしまう。まあ、器量良ければ、顔を二の次という考えもなくはないが。
相手との関係性を推し量るために、ここはひとまず女房にいたずらを仕掛けてみることにした。
「すまないが、今朝は暑く体が汗ばんでいるので、体を拭いてはくれないか。汗をかいていては、食事をするにも気になって仕方がない」
そういうと女房はしたり顔で、「若様、ようやくですか。かしこまりました、すぐに」といい、すり足で何処かへ行った。
数分後、女房が使用人の男に桶と布を持たせてやってきた。
「お待たせしました。あなたは下がっていてください」
そう言い使用人の男を退出させた後、女房は俺を屏風で外から見えないように囲い、その中へと入ってくる。
「若様はいつもわたくしめがお体を拭こうとするのを嫌がられておいででしたから、この度は大変うれしく思います。では、衣服の方失礼いたします」
そういうと女房は俺の服をはだけさせる。なんだかいけないことをしているみたいだが、どうやら女房にとって、俺は大切な主人らしい。もちろん女房といっても妻ではなく。あくまでも、仕える人間の意。日常生活の色々をやってくれるのだろう。
「なあ、すまないが寝ぼけていてお前の名前が思い出せそうにもない。なんという名であったかな」
自分の身の回りの世話をする女房名くらいは知っておきたい。それに本来知っているであろうが、急にぼけたと思われるのもアレなので、本名を聞き出すという名目で、女房名を聞き出す。
「若様、ご冗談を。わたくしめの名前など知ってどうなさいますか。ここでは夜桜とお呼びください」
「ああ、そうだったな、すまない、夜桜」
名を聞いてみるもピンとこなかった。俺の描いた世界は広く、描かれていない部分は補完されているのだろうか。そうなると俺は主人公格ではないのかもな。
「いえ、今朝は暑くわたくしめも少々ぼんやりしておりましたので、若様が斯様になられるのもご無理はありません。お加減はよろしいでしょうか」
細身だが程よく筋肉のある体を優しく拭く夜桜。今の発言を無礼と受け取り、罰を与えることも可能であろう。なにせ「女房がこうであれば、いわんや主人をや」などといういうのは普通は無礼であるからだ。上下関係を忘れている。
「なあ、夜桜。夜桜はどうしてここに来たんだ?」
ひとまず色々聞いてみることにする。とりあえず情報収集。自分のことはわからないが、周りがわかれば自分のことも見えてくるであろう。それに自分のことを他人に聞くなどおかしな話だ。
「若様、今日はどうなさったのでしょうか。わたくしめは若様の乳母の娘でございます。若様とはそうしたご縁でお仕えさせていただいております。母が亡くなった代わりにわたくしめが取り立てられたのです。わたくしめは長女でして、弟が生まれた時より母が若様にお使い申し上げていたのです」
「なるほど、そうだったな」
そう言いながら、夜桜は器用にくすぐったいくらいに濡れた布で俺の汗をかすめ取る。
その手つきが妙に艶めかしく、手が異様に白く細く長いこともあって、手フェチでもないのに、アレが反応を示した。
熱心な息使いも、水分をまとう俺の身体に触れると、生暖かくも、気化熱で冷やりとし、劣情を誘う。
「夜桜、すまない」
そう言い、寝所へと夜桜を引き込み、どう脱がせてもいいかわからない、衣服を肩から強引にはだけさせる。
「若様、わたくしめなどと。よろしいのですか」
引きはがすでもなく、若干の抵抗を見せるも、それは身分違い故の抵抗だろうか。
「構わない。夜桜の手つきが艶で、どうにも収まらない」
「若様、今朝はどうにもご様子が並々ではございませんね。いかがなさったのでしょうか」
そう言いながら優しく、服の脱がせ方を教え、半裸となった。
俺の方は薄い寝巻一枚であったから、下を出すのに時間はかからなかった。
夜桜は香を焚き染められた衣服をまとっていたせいか、体から香の香りが漂う。いわゆる隠蔽か。この時代はあまり衛生上よくないというし。
夜桜は俺が胸に興味を持つことに驚いていたり、舐められることを奇妙に思っていたが、すんなり受け入れ、二人は果てた。
「若様の寵愛恐れ入ります。朝食をお召しください。わたくしめは少々衣服が乱れましたので、整えてまいります」
「いいよ、夜桜はここにいて」
「ですが、その……」
なにやらもじもじした様子なので察しがついた。
この時代のトイレは箱にするんだっけ。まあいい。とどめておくのもかわいそうだ。
「わかった。用事が済んだら、もどってきてくれ。色々物語しよう」
「かしこまりました。直ぐに」
朝食は玄米と魚やお吸い物、その他おかずが種々様々で、かなり豪華だった。
昼食はないんだっけ。まあ、朝これだけ食えればいいか。一日のルーティーンも定かではないが、ひとまず朝餉をいただく。行為に及んだこともあり、冷めてはいたが、内の料理人は腕がいいらしい。どれも美味い。
一通り食べ終えた頃、夜桜が戻ってきた。
「若様お待たせいたしました。ひとまずお膳を片付けさせていただきます」
そう言うと使用人の男に師事をし、片づけさせた。
いまいち職掌がわからないが、俺に直接かかわる雑務は夜桜がやってくれるらしい。
「なあ、夜桜。夜桜は何歳なんだ?」
デリカシーのない質問だと思ったが、気になった。朝食の最中夜桜との行為を振り返っていたが、体つきは実に女性らしく、腰を曲げると腹の肉がふくよかで、かわいらしかった。それでいて、肌はきめこまかく、実にみずみずしかったので、おそらく若いのだろう。
「わたくしめの年でございますか。若様からご覧になれば年増でございましょう。20を過ぎております」
平安時代は数え年だからおそらく19前後。若い。だが、婚期も早いので、俺との歳の差的に気にしているのだろう。
そう考えると俺はまだそれ以下。若いな。でも体はわりとしっかりしている。日々鍛錬をしているのだろうか。
「夜桜。その……さっきはすまなかったな。いきなりで。しかも朝っぱらから」
「いえ、滅相もございません。わたくしめが若様にご寵愛していただけるなど、幸甚でございます」
「そうか、ならいい」
思えば俺は浮気をしていることに気が付いた。だが、貴族の男児としては妾の一人いてもおかしくないだろう。それに夜桜は俺に気があるようだし。
夜桜と世間話と称してはこの屋敷にまつわる色々を聞いた。
なんでも俺は皇孫で、臣籍降下した父大納言の次男坊で、成人の通過儀礼でもある元服は目前の13歳。叔父にあたる人物は左近衛大将で、この屋敷に立ち寄った際は稽古をつけてくれるという。道理で体つきがいいわけだ。
しかし、この頃父の昇進を妨げる一族の専横政治が目立っており、大納言といえど、うかつに動けない状況に立たされていた。
とはいえ腐っても大納言。屋敷には数十名の使用人がおり、乳母子で夜桜の弟の一郎が元服後は補佐をしてくれるという。
夜桜はというと未婚で、父は下級貴族。寒門の出でありながら詩文の才覚で一目置かれているらしい。
といった具合だ。また、近頃祖父である院の病状も芳しくなく、大きな後ろ盾を失う可能性もあるとか。
ここは俺が地道に行くしかないな。まあ、あまり目立てば追放されるかもしれないが。
とはいえ、本来の目的は俺の彼女を見つけ出し、幸せに暮らすこと。場世は違えども、何とかなるはずだ。まあ、今のところ手掛かりは一切ないのだが。
それにしても俺自身については未だわからないところが多い。
大納言の立派な邸宅と庭を見るに風流人だろう。そういう具合だから夜桜
の父と知り合い、夜桜がここにいる。そんな風にも覚える。
来年には元服し晴れて成人。いずれは妻も娶らねばならないだろう。
その前に飛鳥を見つけ出さねば。
俺は焦っている。彼女は妻を引き連れた俺を見て失望するだろう。今は記憶がないにせよ、俺と出会ったとき、彼女は俺を思い出す。そのように声は言っていた。
いずれにせよ猶予はわずか、俺が頑なに拒めば幾分かは引き延ばせるかもしれないが。
父の立場的にも専横氏族の娘婿に落ち着き、接収される可能性が高い。
そういえば、俺の異世界についてひとまず解説しておこう。
この平安京じみた世界は、ほぼ平安京といっても差し支えはない。ただし歴史上の人物は登場せず、似たような人間が多少登場するくらいだ。
話の大要としては、様々な怪異や怪奇現象が発生する都やその近辺で、陰陽術師を召し抱える摂関家の次男坊が兄の圧倒的な才覚を目の前に絶望。武の道へ進み、陰陽術師と共に怪異を討伐し、助けた貴族の女性が有力者の娘だったりと様々あり、結果として兄を超え家督を継ぐといった感じだ。
怪異は説話や歴史物語を参照し、通常では繋がりえない話を創作を用いることで繋げるという異色の作品。まあ、たいしたものではないのだが。
ちなみに武官である叔父は主人公の上司でもあるっぽい。今現在はわからないが。
ひとまず、この話の本流にうまい具合に紛れ込むことができれば、俺は何か手掛かりをつかめるのかもしれない。
「夜桜、大臣家についてなにか知っていることはないか?」
「大臣家でございますか? わたくしは女で若様にお仕えする身分ですので、あまり政治に関わりはございませんが、父大納言様の話では、叔父上様の下にご子息様がお一人いらっしゃるそうです」
「つまり、その大臣家の息子は元服し近衛府の役人になったということか?」
「さようでございます。それも今年の春と存じております」
「わかった。ありがとう」
どうやら俺の作品は既に始まっているらしい。
となると、まず最初の怪異は……。
続く