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15年の想い


はじめまして、山本ちなつです。

この小説、書こうと思ったきっかけは世の中に

私みたいなヲタクとや呼ばれる住人はごまんといるはずなのに、描いてる方を見かけないからです。


私がアイドルを好きになった20世紀ではアイドルへ私たちファンの想いを届ける術はなく、その方法は限られていました。


もちろん都内在住の方々であれば現場に足を運びやすかったと思います。

実際、北海道の田舎町釧路市で育った私にとって

東京という場所は遠く、存在さえ知らない街だったのです。

21世紀になり、交通機関に格安が出来たこともあり、現在の私にとって東京は日帰り出来る場所になりました。

(それもどうかとは思いますが、、、)


限られた時間の中だからこそ輝くほどに美しくて

恋い焦がれる想いがあることを知って頂けたら嬉しく思います。




いつも空を見上げてた

この空の先に一体どんな場所が広がっているのかな?


私はこの先、その向こう側を見られるのかな



プロローグ



青竹 菜々(アオタケ ナナ) それが私の名前。

北海道釧路市の田舎で育った。

私の家の前には公園になり損なったゲードボール場があった。

要は何もないただの敷地。


家を出て、左に歩き、1つ目の十字路をまた左に曲がって、大きな道路を渡れば、この住宅地1番のオンボロな商店がある。

駄菓子や日常品が売っていたがそれも数年経ち気が付いたら閉店していた。


子供の頃はよく友達と駄菓子を買いに行った。

そこしか買いに行ける場所が幼稚園児の私にはなかったからだ。


100円玉を握りしめて行った商店には目新しいものなんてないし、今の生活なら絶対に行かないような場所だったけど、当時の私にはワクワクが止まらなかった。


今では当たり前にあるコンビニだって、30分も歩かなければ辿り着けないし、そもそも誘拐が起こっても不思議もない一本道を歩かなければいけないのだ。

ちなみに余談だが2021年現在もそのコンビニがこの住宅地では1番近い。


小学校は歩いて20分くらいかかった。

これまた一本道を歩くのだが、今思えば景色なんて変わりもしない。

ただただ、草木が生い茂っていて、辛うじて道路が舗装されていて車道と歩道に分かれているくらい。

なんなら途中で90度カーブがあり、そこのガードレールはいつもベコベコだった。

(住宅地外から来た人間が必ず事故を起こすと言っても間違いではないのだ)


中学校は40分かかったけど、歩きたくない私は当時、自営業をしていた父親に毎朝送ってもらい、部活が終われば迎えに来てもらっていた。


高校生の頃は最寄りのバス停に止まる最終が16:30くらいだった。

友達とのんびり遊んでもいられない。

バスで1時間もかかる高校を選んだことを後悔したが、1番は部活を続けたことだ。

私の通っていた高校は市内では3番目で、姉が通っていたのは市内では1番学力の良い高校だった。

姉と8個離れていて、高校生だった姉が帰宅部をしており、友達と楽しそうに遅くまで遊んで帰ってくることに憧れて私もその高校を目指したが、私にはその学力がなかった。


それでも、同じような場所に位置する高校へ行けば私も帰り道に楽しい時間が過ごせるのではないか!と期待したがそれは部活をしたことで消えた。

そして部活は吹奏楽部で市内1番のところだったこともあり、みんなの気迫が怖くて付いて行けなかった私は幽霊部員をしていた。

当時、クラスの女子の7割が吹部だったのもあり、辞めるにも辞めれなくてこれまた怖かった。

別に仲良い子がいたわけでもない私はそんなことを気にしなくても良かったのに、高校生の私は酷く小心者だった。



そんな私は小学校でイジメられ、人が嫌いで中学、高校と進学してもその場限りの友達と仲良くし、そんな毎日になんの意味があるのか。と問い続けた10代。


幼少期に身体が弱くて両親を心配させたこともあり、基本的に親の言うことに逆らうことはほぼなかった。

門限も(終バスのせいでもあるが)高校生のときでさえ遅くて18時だったし、それより遅くなるときは父親が車で迎えに来てた。

今思えば箱入りだったと我ながら思うが当時はそれが当たり前だった。


遅くまで遊んでいる友達を羨ましく思うことも多かった。


そんな私が唯一楽しかったのは高校受験で通っていた塾だった。

学ぶことが面白かったし、何より私はここでこれから先の未来を大きく変えてくれる友人に出会うことになるのだ。




1章 はじまりのとき


小学生の時に好きだったものを考えると、当時流行っていた漫画やアニメが多かったと思う。

友達と絵を描いたりすることが好きだった。


母親が友達のお母さんに



今の子は何が好きなの?



と質問をしたのがきっかけだった。



母親「菜々ー!今の子はこんなの読んでるみたいよ?」



菜々「、、、へー。」



私は渋々その雑誌を受け取った。

漫画とかアニメが好きだった私にとってアイドル雑誌はどうしていいかわからなかったのだ。


とりあえず、母の気持ちを無下にしてはいけないという子供心からパラパラと目を通した。


当時の我が家は一軒家で昔ながらの家だった。

2階建て玄関を入るとすくそこにソファーがあり、父親がよくそこで新聞を読んでいた。

その隣には固定電話があり、ソファーの対面にはトイレがあった。

昔はボットントイレとよく呼んでいたがそれも時代の流れと共に現在の水洗トイレに変わった。


トイレの隣に階段があり2階へと続いていた。

部屋は2つあり、母親の部屋と子供部屋だった。

8歳上の姉がその部屋を牛耳っていたので

私は母親の部屋で一緒に寝ていた。


固定電話の隣に扉があり、そこを開けるとリビングでパーテーションの奥が父親の寝床だった。

ちなみにそこにピアノも置いてあった。

リビングの左側にはキッチンがあって、その右奥に脱衣所とお風呂があった。


小さい時から2日に1度しかお風呂に入れてもらえなかったのは学生時代辛かった思い出でもある。


ウッド調といえば聞こえがいいかもしれないがそんな昔ながらの家で、立派なソファーはなく、こたつがあるような家だった。


結婚して子供がいたら祖父母の家として尋ねるのには丁度いいくらいの家だったが、父親の事業が立ち行かなくなり今はもうその家も無い。



話が少し逸れてしまったが、そんなリビングで私はゴロゴロしながら母親の買ってきたアイドル雑誌を見ていた。


菜々「ママー、私がCD買ってる関西の2人組のグループもこの雑誌出てるんだね。」



母親「良かったじゃない!」



キッチンでご飯支度をしている母親は私に軽く返事をした。


当時(今も根強い人気を持っている)2人組のこのアイドルグループは男性といえばどっち?と言われるくらい○○派、××派と言われていた。

ドラマやバラエティー、音楽番組と見ない日がないのでは?というくらいに出ずっぱりだった。



私が人生で初めて買ったシングルCDはこのアイドルグループのデビュー曲だった。



友達との一定の距離感を置き、心の平穏をアイドルという存在に依存することで保ってきた私にとって、この人たちが存在するのかどうかいつか確かめたくて仕方なかったのだ。




最後まで目を通して下さり感謝致します。

拙い部分多く読みにくかった箇所も多々あったと思います。

また、共感出来ないと思われた方もいらっしゃったと思います。

お時間の無駄にさせてしまったかもしれません。

ですが、読んで頂けたことに感謝致します。


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