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真夏の夜の夢

作者: 陽兎

12月26日、私がギリシア神話の冥王ハーデスの恋の話を元にして脚本を書いたザクロの契り」という作品が、若人塾という劇団の演劇に使用され、この日が下北沢の劇場で千秋楽を迎える。私は、下北沢の劇場に足を運び、私が脚本を手掛けた作品を味わうことにした。劇場には、私が思う以上のたくさんの観客で埋まり拍手喝采でフィナーレを迎えた。私は、今年度の最期の仕事が無事に終わったと安堵した。

私が、劇場から出ようとすると、スマホから「望月先生、明日の夜、お食事にでも、ご一緒してくれませんか」と、一通のメールが届いた。発信者は、今日の演劇に出演していた若人塾の舞台女優のルリからだった。ルリは、まだ21歳の若手で女優としては、まだまだ未熟だが、演技に対して熱意があり将来有望な女優の卵だ。彼女は、私のことを「望月先生」と呼び、いつも、無邪気に声をかけてくるのだ。私は、彼女とは、演技や私が手掛けた脚本の話題をするもののそれ以上の関係に発展することはなかった。

私は、彼女からメールをもらった次の日の夜、彼女に指定された上野の蕎麦屋で足を運ぶこととなった。私が店の中に入ると、ルリは、テーブルに座って待っていてくれていた。「お疲れ様、ルリちゃん、今夜は、僕でいいのかな?デートの予定とかないのかな?どうして、お蕎麦屋にしたの?」と尋ねると、「望月先生、彼氏なんていませんよ、私、年越し蕎麦は、先生と食べたかったけど、もうすぐ、実家に帰省するから、先生とお蕎麦を食べるのは、今年は、この日が最期かなって思っていたの、望月先生、今年は、お世話になりました。来年も、よろしくお願いします」とペコリと頭を下げた。「ところで、注文しましょうか。私は、天ぷら蕎麦を頼みます、先生は、何を頼みますか?」とルリが尋ねてきたので「じゃあ、同じものを」とルリと同じ物を注文した。二人の前に天ぷら蕎麦が並べられると、「先生、年越し蕎麦の由来は、わかりますか?」とルリが尋ねてきたので、「わからないな」と返事をすると、「年越しそばの、天ぷらの海老は、長生きする意味だけど、蕎麦は、細く長く暮らせるようにという縁起と蕎麦は、切れやすいので、悪いものが切れますようにという縁起が組み合わせてできたのが、年越し蕎麦の由来ですよ」と説明してくれた。「知らなかったな」と私が苦笑いをすると、「私は、岡山出身で、蕎麦よりもうどんがよく食べられる地域だから、東京で生活するようになって、うどんよりも蕎麦のお店が多かったので困りましたよ。蕎麦に慣れる為に、年越し蕎麦の由来まで知りました」と微笑んだ。生まれも育ちも、東京の私は、ユリが言うように蕎麦を食べる習慣が馴染んでいる為、年越し蕎麦の由来がわからなかった。「先生、私の生まれ故郷の岡山の海は、ギリシア神話の舞台とそっくりの海なのですよ、いつか、遊びに来てくださいね」と笑顔で、話題を振ったかと思えば、ルリは、真剣な眼差しで「望月先生、これからも、先生が執筆される脚本を楽しみにしています、先生の作品の主役になれるように努力しますので、来年も、よろしくお願いします」とお辞儀をして、私を見送ってくれた。私は、そんなルリが愛らしく思えた。

年が明け、次回の若人塾の公演の打ち合わせに稽古場に足を運んだ。若人塾の劇団員とスタッフと打ち合わせをするも、ルリの姿が見えなかったので、近くにいた劇団員にルリの所在を訪ねると、ルリは、実家の母が体調不良の為、母の看病の為、劇団を退団して実家に帰っていると報告を聞く。

仕事が終わって、私は、ルリに電話をかけると、ルリは、東京にいた頃と変わらず明るい声で「私は、晴れの国、岡山で、元気に親孝行しています。先生は、新しい作品の制作は、順調ですか?」と返事が来た。「ねぇ、どうして、岡山は、晴れの国なの?」と私が、尋ねると、「岡山は、晴れている日が多いから、晴れの国と呼ばれているのですよ、でも、大きな一級河川もあるし、海と川に恵まれて、住みやすいですよ、東京から移住している人も増えてきています、先生も、岡山に移住してみませんか?」とルリが問いかけてきたので、「僕は、東京から離れられないよ」と私が、苦笑いして答えると、「望月先生は、江戸っ子だから、離れられなよね、でも、岡山も、いい所だけど、東京のような素敵な名前の坂道がないのが寂しいな」とルリは、電話越しで、東京の生活を懐かしんでいた。「先生、夏の岡山は、とっても、賑やかですよ、是非、遊びに来てください」とルリが言ったので、「是非、遊びに行かせてもらうよ」と言って、私は、電話を切った。

この日から、私とルリは、東京と岡山という違う場所から、劇団のことや天気の話やお互いの日常生活の話など、他愛もない日常会話を電話で話すようになった。

ルリと電話でお互いの近況を話すようになって半年ぐらい経過し夏に入ろうとした時期にルリから「8月に先生に見てもらいた夏のイベントがあるのです、もし、先生さえよければ、岡山に遊びに来て頂けませんか?」というメールが入ってきた。私は、「8月に夏休みが取れそうなので遊びに行かせてもらう」とメールを返信した後、私のスケジュールとルリのスケジュールの都合が良かった8月13日~15日までの2泊3日の岡山旅行が私のスケジュールに組み込まれた。

8月13日、東京から始発の新幹線に乗って岡山駅に到着し、そこから、電車に乗り換えて、倉敷駅に降り、ルリが見て欲しいと言った倉敷の美観地区に向かう、待ち合わせ場所は、大原美術館という美術館の前だ。

倉敷駅から歩いて行くと、「白壁の街」と呼ばれる美観地区の街並みが見えた。明治・大正の香りが残る白壁の建物が並ぶ街の中に倉敷川が流れている。その川の流れに沿って、緑色のツタの壁沿いに大原美術館の建物が見える。私が、大原美術館の建物を見ていると、

「望月先生」と背後から、私を呼ぶルリの声が聞こえてきた。振り返ると、白いブラウスと水色のスカート姿のルリが笑顔で私に手を振って立っていた。私が「元気そうだね」と声をかけると、「先生も、お元気そうで、どこに行きますか?」とルリは、返事をすると私の横にすぐに並んで歩き、ルリが薦めるカフェの中に入った。ルリは、カフェの中で、パフェを食べながら「岡山は、美味しい果物がたくさん取れるから、フルーツ王国って言われているのですよ、だから、岡山のパフェは、すごく美味しいのですよ」と説明してくれた。「ねえ、他におすすめの場所とかないの?」と私が尋ねると、「倉敷は、この美観地区と、倉敷のデニム製品がおすすめかな、あと、日本3大名園の後楽園と、牛窓の海です。先生、この3日間で、私のおすすめの場所に、全部、行ってみましょうね」とルリは、目を輝かせていた。私は、カフェを出た後、児島のジーンズを見てから、岡山市に行き、外壁がカラスのように黒っぽく見えるから「烏城」と呼ばれる岡山城と日本3大名園の一つ後楽園をルリと散策した。ルリと並んで見上げた空は、晴れの国と呼ばれるにふさわしい青空だった。街並みは、東京と比べてゆっくりとして穏やかだったが、東京にある愛嬌のある名前の坂道が、なかった。これは、ルリの言う通りだった。明日は、ルリの故郷の牛窓の海を見る約束をして岡山市内のホテルに宿泊した。

翌朝、私は、電車とバスを利用して、待ち合わせ場所のホテルリマーニというホテルに足を運んだ。ルリは、玄関前で、昨日は、違って、Tシャツとデニムとスニーカーという動きやすい格好で待っていてくれた。

ルリが「このホテルのプールを見てみませんか?」と背中を向けたのでついて行くと、ホテルのプールには、ギリシアの神殿などを想像させる白い柱が飾られて、プールサイドに立っている私達の目の前には、青い牛窓の海が広がっていた。「先生、この風景、ギリシア神話みたいでしょう、でも、これだけじゃないのです、もし、よければ、私が運転するので、ドライブしませんか」とルリが微笑んだ。「ドライブ、いいね」と気分が高揚した私は、ルリが運転するハスラーという軽四の助手席に乗って、ルリの運転で牛窓を散策した。「先生、この海を見て、エーゲ海みたいじゃないですか」とルリが大きな声で、私に呼びかけたので、海を見ると、私が、「ザクロの契り」の脚本を書く際に見たエーゲ海の海に似た景色が目の前に広がった。

「本当だ!」と私が呟くと、「牛窓の海は、エーゲ海の地形と似ているから、日本のエーゲ海って、言われているのですよ」とルリが教えてくれた。「ありがとう、こんな景色を見せてもらえたら、ザクロの契りより、もっといい作品できる気がしたよ」とルリに感謝した。その後、ルリが、もう一つ穴場のスポットがあると教えてくれたので、二人で港に行き、ボートに乗って黒島という無人島に行った。ルリの話によれば、海の潮が引いた時に、ヴィーナスロードと呼ばれる道が、海から現れて、無人島の島々を歩いて渡ることができるという話だ。また、ヴィーナスロードを歩いている途中に、ある一つの無人島の中にハート型の石を見つけると幸せになれるという伝説があり、今日が、潮が引き、ヴィーナスロードが現れる日なので、ボートに乗って、黒島に行くことにした。黒島に到着すると、目の前には、ヴィーナスロードという細い砂の道が、海の中から現れていたので、ルリと一緒に歩いてみた。時々、波が押し寄せてくるので、靴を脱いで、この砂の道の上を裸足で歩いてみた。しばらく二人で、歩いていると、一つの無人島に差し掛かった時、「この島に幸せになれるハート型の石があるので、二人で、手分けして探しましょう」とルリが提案したので、この島の砂浜で、ハート型の石を探すことにした。15分ぐらい砂浜を歩いていると、ルリが教えてくれたハート型の石を見つけることができた。石を見つけたので、ルリの所に行こうとするも、ルリの姿が見当たらなかった。携帯電話から電話をかけても、ルリの電話につながらず、先ほどまで歩いてきた道に戻って探しても、ルリが見つからなかったので、ボートに乗って港に戻り、ホテルリマーニで、もう一度、ルリを探すことにした。

ホテルリマーニに行き、ホテルの中のプールサイドを見ると、ルリに似た女性の後ろ姿を見つけたので近づくと、女性は、振り返って私を見ると、「望月先生ですか?」と声をかけてきたので、「はい」と驚いて返事をすると、「はじめまして、私は、ルリの姉で、舞と申します。妹が生前、お世話になりました。

妹が、14日にここに望月先生が来るので、これを渡してくださいと言われたので、渡しにきました」と、ルリの姉が、私に頭を下げて、一枚の封筒を手渡して、そのまま、ホテルリマーニから去って行った。

封筒を開いて、中を覗くと、一枚の便せんが入っていた。便せんには、「先生へ 今までお世話になりました。もっと、演技を勉強して、いつか、先生が書いた脚本の作品に、出演させてもらいたかったのですが、私は、病を患い、余命半年という宣告を受けました。演じる者として弱々しい姿を見せたくなかったので、女優の道を諦めて故郷に帰ることに決めました。女優の道は、諦めましたが、望月先生が書いた脚本の作品が大好きです。あの世からでも、先生のファンとして、先生のことを応援させて頂きたいと思います。もし、先生が、この手紙を目にすることができましたら、夏の夜に、牛窓に来て頂けたら、幸いです。」と書かれていた。

手紙を読み終えた後、余命宣告を受けて岡山に帰るまでの東京にいた日々、ルリがどんな気持ちで自分と向き合ってきたのだろうか、ルリに、こんな運命が待ち受けていたことを知ることが

できていたら、もう少し、彼女に優しくなれたかもしれないと悔いを感じながら、夕陽に染まる海を眺めていたら、「先生、自分を責めないでくださいね」と背後からルリのこえがした。振り返ると、赤い色をベースにした浴衣を着たルリが微笑んで立っていた。「私にだって、わからない運命を、先生が自分を責めても仕方ないじゃないですか」とルリが悔しがるわけでもなく晴れ晴れとした表情で、自らの死を受け入れていることに対して、私が驚くと、「私、先生のそのキョトンとした表情が好きでした。たまに見ていて癒されました。脚本家の先生って、気難しい人ばかりかなと思っていたら、先生のような方と出会って、一緒にお仕事をさせて頂いて幸せでした。死んだのに、こうして、幽霊になって、先生の前に現れているのに、好きな服を着替えさせてもらって、先生に驚かれることなく向き合うことができる私って、死んでも女優という職業を与えてもらっている気がするのです、生きている時の私は、幽霊は、白い着物しか着ることができない者だと思っていましたから、でも、あの世をどれだけ見渡しても、冥王ハーデスとは、出会えていないです」とルリは、舌を出した。「そうだ、ルリちゃんは、幽霊なのだね、全然怖くないよ」と私が、笑うと、「私と先生の間には、人間と幽霊という垣根は、ないね」とルリは、ほほ笑んだ。「先生、この8月のお盆は、死んだ者が、現世に一度だけ戻ることができる時間なのです、私があの世に行ってから、最初に現世に戻る夏は、先生と、この牛窓の夏の夜を過ごしたかったのです。先生、よければ、このまま、一緒に、海を眺めませんか?」とルリが誘ってきた。「あぁ、いいよ、ルリちゃんの願いを叶えるよ」と、私は、首を縦に振って、ルリと一緒に夜の砂浜に歩いた。

砂浜に到着すると、ルリは、足首まで海の中に入り、両手で海水を掬ってきた。ルリが、「先生、この手の中にある海水をみてください」と言ったので、ルリの手の平の中にある海水を覗くと、ルリの手の平の中にある海水は、星のように青白く光っていた。「何これ?」と私が、尋ねると、「ウミホタルの光です」とルリが答えるとすぐに、手の平の中にあるウミホタルが光を放つ海水を海に投げ込むと、海は、星の海のように、青く輝いた。

「先生、ギリシア神話の星の世界みたいでしょう、ずっと、見せたかったのです」とルリは、微笑んだ。

このウミホタルが輝く海が存在することが幻なのか、それとも、死んだはずのルリが私の目の前に現れたことが幻なのかが、理解できないが、この真夏の夢のような夜とルリのことは、私は、ずっと忘れないと、日本のエーゲ海の夜空に浮かぶ星々の輝きと、目の前で輝くウミホタルの輝きを見比べ続けた。


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