『銀魂』の松陽先生について考えてみた!ネタバレ考察
最初の考察 (2020.6.27)
"気になりすぎて銀魂最終巻だけ購入した感想"(2021.2.21)
「銀魂」は私が中学生くらいの時に見始めた大好きなアニメです。
大好きなんだけれども、登場人物の一人、主人公のキーパーソンたる松陽先生が頻繁に登場するようになってからは見るのがしんどいです。日々の忙しさに追われるうちに、いつの間にか作品が完結していて、ネットでどんな風に終わったのかだけ調べて、またしんどくなりました。
自分語りで恐縮ですが、私は現実世界との接触が同年代と比べるとわりと少ない自覚があり、その分、物語から受け取る情報を脳が「ホンモノ」だと誤認しやすくて、現実と物語の境界線がいささか危ういんです。
そこで、なんとなく毒のようなもの溜まってきたので、それを全部吐き出して、スッキリ忘れてしまおう、と思ったのがこれを書くきっかけになりました。ちなみに、漫画自体は読んだことがなく、アニメとネットの記憶を頼りに書いているので、間違ったことを書きまくってるかもしれません。
しかしながら、傲慢にも漫画版のネタバレありを前提に話をするので、ネタバレが嫌な方は気をつけてくださいね。以下、妄想垂れ流しの妄文です。
私は、読み物が好きで結構いろんなジャンルの物語を読むんですが、松陽先生は、私が知っている登場人物の中で飛び切り報われない人です。
以前、「バナナフィッシュ」というアニメを鑑賞して「ITとよばれた子」を読んだ時のような気分になりました。アッシュくん自身は才気あふれる男の子ですが、ずっと社会から大切なものを奪われ続けて、虐待されている子です。
その時不憫に感じたアッシュくんよりも、また別種に不憫な人だと個人的には思います。なんかもう不幸すぎて、不幸の安売り状態です。
それと同時に、すごくかっこいい人であるのも確かです。そして、そのかっこよさは、ある意味、人間離れしていて化け物らしいです。
まず、松陽先生(虚と同一人物という前提でお話しします)ですが、彼は、とても空っぽな人です。別名の「虚」をそのまんま体現しています。そして、空っぽであるがゆえに、自らの命を消してしまおうとしています。
なぜ松陽先生が空っぽなのか考えてみたのですが、それは彼の『死ねない』体質のせいでもあるのですが、むしろその体質によって齎された環境のせいではないでしょうか。
アニメで描写されていましたが、松陽先生は生まれからしてけっこう悲惨です。その特異な出自、体質のせいで『化け物』と疎まれ、心理的・精神的虐待を受け続けてきました。つまり、世界に否定されて生きてきた人です。
とくに幼少期においては、自分の存在するフィールドから拒否されることは(この場合は母親がいないので、仮に村?)、自分の価値や存在を世界が認めていないのと同じと言えます。
少し違うところがあるにせよ、基本的に松陽先生は人間であり、おそらく彼自身も自分のことをそう認識しているはずです(たぶん)。人間は社会の中で他者を認めて、認められて、生きていく生き物です。
自分の存在が認められずに、人は生きていくことができないですが、松陽先生には、描写的にたぶん、なにもできませんでした。多くの場合、認められないなら抵抗という形をとるかと思いますが、それすらもできない状況にいたように見えます。(どのくらいの時間、直接身体的に虐待されていたんですかね?)
松陽先生にできたのは『諦める』ことで、別人格を発生させるという精神的な解決を図ったのは、アニメで描写されていた通りです。それによって、自分の置かれている状況から少しでも離れて、苦痛から逃れようとしています。
だから檻が壊れて抵抗が可能になった時、たまたま居合わせた貴族には不運なことですが、さんざん自分をいじめてきた『人間』を憎悪し、同時に復讐をすることで存在を認めさせようとするのは、なんかもう仕方がないよな、ここまできたらそうなるよな、と納得しました。
そして、ここからが松陽先生のかっこいいところなんですが、暗殺者として人間としての教育を受け、殺人という人間の負の部分を目の当たりにしながらも、なぜか『松陽先生』の人格が生まれます。
誰にも認められずに、善性がどういうものか理解できる。満たされたことのない人間が、いくら別人格でとはいえ、他人を愛することができるかというと、おそらく、とても難しいと思います。
描写されていないところで学ぶ機会があったのかもしれませんが、だとしたら、大勢を虐殺してまで死のうという方向に向きにくいと思うので、そうじゃない可能性の方が高いと思います。
とはいえ、人格が生まれるのは、多かれ少なかれ、必要に迫られての場合が多いので、『松陽先生』という善性を持った人格が生まれる必要があったのかもしれません。しかし、自己防衛のためのスーパーヒーロー(虐待される子供は『いつかヒーローがやってきて、僕/私をここから連れ出してくれる』と考えたりする)など目的のある人格とは違い、『松陽先生』にあるのは、ただただ良心や善性のみのように見えます。
虚は人を殺しながらも、いつだって人とのつながりを求め、人になろうとしてきました。もしかしたらそれでも満たされないものがあり、それを埋めるための別種のアプローチなのが『松陽先生』なのかもしれません。
だから彼の人格は、今まで人にされてきたことを全部許すことはできないけど、優しくありたい、人間らしくありたい、という高潔な願望を持っているのでないでしょうか。しかもその人格が生まれたのが一番最後だというのが、できすぎた奇跡のようで、すごいです。
あるいは『松陽先生』の穏やかな性格は、(どこの遺伝かは不明ですが)遺伝的な素養、彼がもともと持っている性格に近いのかもしれません。それもそれで、虚になってしまうほど、歪められてしまったということで悲しいですが、安定した環境でその元々の性格が出てきたのかも。
そして松陽先生は朧と出会い、師弟関係になりますが、ここでも彼の化け物じみた能力が発揮されます。上にも書いた通り、愛されたことのない人間には、他者を愛することも、自分を愛することも困難です。とくに朧は子供で、自分よりも下にいる庇護するべき存在、愛を与えるべき存在です。
たとえば、似たような人物として『暗殺教室』の殺せんせーなんかがいますが、彼も他人に受け入れられるというフェーズを踏んでから、主人公たちの先生になっています。
しかし、彼はそのフェーズを経ずに、朧と関係を築くことができました。人格が松陽先生だったからです。松陽先生は朧を受け入れ、朧も松陽先生を受け入れます。その結果、おそらく『対(社会から見捨てられた)子供』が松陽先生の人生における唯一の人間関係構築の成功例になりました。
過去編の断片的な部分でしか分かりませんが、基本的に松陽先生は大人と関わりません。彼にとって、成人した相手は大抵『彼の世界を壊そうとする者』『痛めつけようとする者』で、松陽先生もまた、経験の少ない子供みたいな人です。
誰からも認められなかった人が、唯一子供相手に認められたがゆえに、その関係を守るために与える側になり、理想的な父親になりきっているように見えます。もしこれがその通りなら、それは松陽先生にとってすごくムゴいことではないでしょうか。
そんな状態は健康的とは言いがたく、銀さんが松陽先生の首を切るのと同時に、虚と人格が交代します。そしてまた、(朧以外)誰も彼を受け入れない世界に戻っていきます。
それではどのような状態になることが、松陽先生にとって最良だったのか。それは、やっぱり『認められること』にあったのだと思います。
銀魂の中には、もう一人、松陽先生に似ている登場人物がいます。伊藤鴨太郎です。(このエピソード見たのが、もう十年以上前なのでディテールが合っていないかも)
伊藤鴨太郎は、家族に存在を認められずに大きくなり、そのフラストレーションを真撰組にぶつけます。しかし、彼と真選組は対等な立場としてお互いに認め合い、結果、伊藤鴨太郎は救われて死んでいきました。たとえ死ぬとしても(死なないけど)、虚を含めて認めてくれる、この真選組に当たる存在が松陽先生には必要だったのではないでしょうか。
また、対照的な人物として描かれているのが、神楽ちゃんのお母さんの江華さんです。彼女は松陽先生の『あったかもしれない姿』です。荒廃した土地にペットと一緒に一人寂しく生きていた江華さんですが、彼女は松陽先生ほど破滅的ではありません。
これは、たとえ長い間生きていても、環境さえよければ、あるいは理不尽な暴力から身を守る術があれば、松陽先生ほど自殺願望は強くならないということを空知先生は示したのだと思われます。
そして自分を理不尽な暴力の原因になった、自分と同じ体質でありながら、神楽ちゃんのお父さんの星海坊主と出会い、恋愛し、子供を産み、まるで普通の家族のように暮らします。作中で松陽先生が虚の人格時に星海坊主の家族を貶めるような発言をしていますが、『羨ましさ』や『嫉妬』の裏返しともとれる発言です。
結局、松陽先生は生きている間、虚を含めた松陽先生として認められることもなく、死んでしまいました。地球を滅ぼそうとしている人間相手に当然とはいえ、たくさんの登場人物から攻撃されるという、最期まで徹底した否定されっぷりです。しかも虚、フラッシュバック起こしてますよね。
(銀さんは子供になった松陽先生を連れて、二年間まるで親のように面倒を見ますが、子供はどうしたって子供でしょうから、なんともアンビバレンスですね)
そして松陽先生の人格部分は、『銀さんの仲間』に囲まれて、『初めてもう少し生きていたいと思った』と穏やかに死んでいきますが、これも、こんな話があるかと、悲しくなります。
銀さんは自分の成長した姿を見てもらえて(まるでお父さんに見せるお遊戯のよう!)、胸のつかえが少しはおりるでしょうが、松陽先生からしてみたら、『(銀さんが仲間を得たように)こんな風に世界が自分を受け入れてくれる可能性はある』と空っぽだったのに、死の間際で初めて希望を認識したように見えます。めちゃくちゃ残酷です。
銀魂はチャンバラのモブはともかく、端役でも大切にしている作品ですし、松陽先生は主人公と関わりが深い人間なので、きっとすごくいろんな拘りがあると思うのですが、それにしたってあまりにも報われない。不幸すぎて、不幸の食中毒になりそうです。というのが、おぼろげな情報をもとに組み立てた松陽先生像です。
なんでこんなに松陽先生が不憫だって話を長々としたのかというと、それはアニメで見るたびに溜まったフラストレーションのはけ口が欲しかったからですが、もし死んだままでいるならもうなんか、生き返らせないでやってほしいし、なにかの因果で生き返ってしまうのなら、今度こそお父さんとかお母さんとか友達とか、自分をもっとさらけ出せる関係ができるといいね、と思ってます。
悲劇を全否定ですけど、物語はもっともっと上に行ける、努力は報われると思えるから楽しいんです。
やっぱり物語はハッピーエンドがいいですよね。ええ。
"気になりすぎて銀魂最終巻だけ購入した感想"(2021.2.21)
自分の考えをまとめるためだけに書いてるので、未公開にしているんですが、読むことできるんですね。どうやって、ここまでたどり着くのだろうか…。
未だに気になってしまうので、銀魂の最終巻電子書籍で買ってしまいました。
私自身コレクショナーな面があるので、本や漫画は絶対紙、というタイプなんですが、こういう時は便利ですね。電子書籍。
最終巻読んで思ったのは、虚は特殊体質なだけで基本的に人間なんだ、ということです。人間なので、他者とのつながりを求め続けている、かなり人間らしい人です。
しかも元々わりと正常な人間だと推測できます。
不死で不変なので、どんなに拷問されても先生は脳というハードが壊れることはありません。普通の人間が虐待を受け続けると、環境に適応するために脳が変容したりしますが、おそらく松陽先生はそれができないんですよね。元に戻るから。つまり、ずっと脳は正常のまま虐待を受け続けていたんだと思います。地獄ですね。
ただ先生が松陽先生から虚に移行する時、筋肉がついた描写があるのでその限りではないのかもしれませんが。環境の変化によって、身体もゆるやかに変化するのかもしれません。そうすると脳もやっぱり変わってくるのかなあ。どうなんだろう。
そして元の脳が正常だからなのかなんなのか、彼はアメリカのシリアルキラーのように弱者を狙い、殺し続けるというスパイラルに陥らないで、自らを滅ぼして終わりにする、というところに落ち着きました。なんかもう本質的に優しい。
そして、よかったのは、松陽先生が泣けたことじゃないでしょうか。
これだけで、ネットで聞きかじった情報とは違ったものがみれた分、お金払ってよかったと思いました。
今まで先生が出てきたシーンで、先生が感情を露わにしているシーンってほとんどなくて、大体微笑んでいるんですが、今回は、ようやくそれ以外の感情を見せることができました。
なぜ感情を見せないか、というのを悪役としてかっこいいから、とかのメタ視点抜きで考えると、たぶん感情を発露することが先生にとって意味をなさなかったからだと推測しています。
子供時代や回想では、拷問で火にかけられている時、口を開いてなにかを叫んでいる描写があります。泣いたり叫んだり、許しを請うたりしていたんだと思いますが、まあたぶんその行動が周囲の人間の行動を変えることはなかったはずです。
だから、先生にとって自分が痛がっているのを見せたり、誰かに許しを請うたりするのは、限りなく意味のないこととインプットされているのだと思います。(単純に解離している可能性もある)
たぶん、拷問をやめて欲しくて何もしていないのに、謝ったりもしていたんだろうなあ。許しを与えられず、自分の存在を肯定されたこともほとんどないから、基本的に先生は自分自身を存在してはいけないモノだと捉えているのではないでしょうか。
それが死にゆく高杉くんの前で、「救えなくてごめん」とようやく泣くことができました。
もちろん、単純に自分にとっての大切な人が自分のせいで死にそうなことで、許容量を超えたというのもあるでしょうが、ごめんなさい、と言うことで自分の存在の許しを請うことができたわけです。
「恨んでいい」ではなく、「すまない」と許しを請うことに意味を見出し、先生自身が先生を許せる可能性のシーンだったわけです。
これは高杉さんの役割が、先生をなんとかして助けようとしている「救う人」だったからできたことです。
今まで、人とのつながりを欲し続けた虚の成功体験といえば、銀さんをはじめとした、先生に「救われる人」でしか得られなかったのに、ここにきて初めて(?)先生は「救う人」とつながりを持てたんですよね。
でも、それを先生の中の虚の部分は認めることはできなかった。
ここはよく分からなかったのですが、それだけ今までの経験の闇が根深かったと言うことでしょうか。
まあ、結局、先生は先生のことを許すことができなかったんでしょう。
その後が一番の謎ですが、虚は斬り合いの中でなにかに納得して死んでいきます。人の儚さの中にある強さのようなもの。受け継がれるもの。それを誰のどこを見て納得したのかよく分からなかったけど、どこだろ。朧さんと高杉くんかな。
虐げられてきた塊そのものである虚が、永遠に生き続けなければならない虚が、人間の儚さに共感したのがちょっとよく分からなかったので、もう少し文字があったら嬉しかったな。まあ、私が極端に鈍感なせいかもしれませんが。まあ、でもなんか納得して死んでいけたのなら、よかったね。というか死ねてよかったね。よく分かんなかったけど。
そう言えば、高杉くんは、「あっちの先生」と言って、虚も先生であることをちゃんと理解しているよね。
銀さんはあくまで「救われる側」だから、全く虚を認めていないし、たぶん、虚をまるごとちゃんと認めてあげて、認めることによって救ったのは高杉くんだよね。
ただ救われたらしいけど、救われた理由がいまいち分かんないから、本当に救われたのか分からなくてめっちゃモヤモヤする。
銀さん松陽先生が大好きだし、なんとかして助けたいと思っているけど、たぶん松陽先生が強すぎて虚な部分を認めることができないから、いつまでたっても松陽先生も救われないんだよね。一緒に旅までしたけど、うーん? 結局先生に再会できて、助けられたのは銀さんじゃないか、と思わずにはいられない。
松陽先生も虚も銀さんが鍵になっていることは変わらなくて。虚に至っては最初に再会してからずっと、銀さんたちに向かって、構って欲しいと言わんばかりに語りかけてるけど、銀さんはそれを読み取れないんだ。なんでだよ。普段あんなに聡いのに。親だからか。
銀さん大好きだけど、ちょっとこの辺モヤモヤするなあ。あまり銀さんらしくもないような気がするし。
しかも高杉くんに救われて虚が消滅したから、ようやく松陽先生も先生のことを認めてあげることができるようになった途端に、銀さんが松陽先生に駆け寄るから、なんかいいとこ取りにも見えるし。(虚は虚で人とのコミュニケーションを取るための松陽先生とは別のアプローチと取ることができる。死にたいから地球滅ぼしちゃうけど)
ただ高杉くんと朧さん(過去)から銀さん(現在)に向けてのバトンタッチとも受け取れる。けどモヤる。
そして銀さんの教えを受けて育った、現在より先の未来である新八くんに「あなたがいてくれてよかった」って言ってもらえてるから、受け継がれる思いが松陽先生に救いをもたらすって意味では納得だけど。うーん?
しかし銀さん結局最後まで「救われる人」だよね。
結局、松陽先生は義務感から最期まで街を救おうとするし、最期まで銀さんといるから、なんかいまいち報われない気がするんだよなあ。結局死ぬ時まで銀さんのお父さんやってるじゃん。
松陽先生はほんとに死ぬまで人とのつながりを求め続けたけど、そのつながりを維持するにはいつだって松陽先生がその身を削ることが前提になっている気がしてならない。虚がいなくなって、自分に対する許しが始まってからも、それは変わっていない。
義務感から街を助けたけど、別に本当ならそんなことをしなきゃいけない理由なんてバケモノだったらないわけで。たぶんその義務感だって根底に人になりたい、人とつながりたいっていう気持ちがあると思うんだよな。でも街を助けるためには、自分がその身を捧げなきゃいけないんだ。ひどい。
少し話は変わるけど、空知先生が書いた震災の絵葉書好きなんだよね。いつでもあなたの横に銀さんたちが付いてますよってやつ。
あれに例えると、銀さんの横には、そういう仲間がたくさんいるんだよね。
でも、松陽先生の横には誰もいない気がする。銀さんですら、松陽先生から見ると少し前あたりにいそうだよね。銀さんはすでに新しい自分の居場所作ってるし、松陽先生は過去になってるし。
それか少し後ろ。子供の銀さんは少し後ろを歩いて追いかけてるんだ。横にいないからいつまで経っても、先生の気持ちはわからない。
だからあの死の間際、先生があの場でつながりを保つには「銀時、立派な大人になったな」ってやるしかなかった。いや、もちろん親心もあるわけで、本心であったとは思うけど、でもそれでいいのかと思わずにはいられない。
いやでも、先生は銀さんを「小さな鬼」って言って自分と重ねてみてるから、鬼が人間になったなってな、鬼でも人間になれるなって救われるのかな。でもでもでも、それで救われたのは、実際は銀さんじゃん。先生はそんな風に銀さんを通して世界を見るだけで救われていいのか。ううううう。
なんかほんと一人くらい「いやだいやだいやだいやだ。街も人もどうでもいい。それよりもあなたの方が大切だ」って駄々をこねられる人がいてもよかったんじゃないかな。新八くんが言ってるけど、失敗しても的なニュアンスだから、松陽先生が命を差し出すこと前提だし、ちょっと足りない。ちょっと圧倒的に足りない。高杉くんもうちょっとだったよ!
そもそも松陽先生を銀さんが処刑することになった時、「ありがとう」なんて言って微笑んでいたけど、この時点で「自分を犠牲にするんじゃねえよ」って誰かがぶん殴って止めるべきだったとも思う。誰か止めてやれよ。
そもそもというなら、そもそも先生は本編に出てくる以前に、普通の人間として銀さんに処刑されてたほうがよかったと思う。少なくとも先生はそっちのが幸せだった。だいたい、銀さんがあんだけ苦悩して先生を殺したのに、え、あの苦悩はなんだったのってなったもの。その方が、銀さんの心の「再生」が物語のメインになったのに。
でもたぶん先生「許してくれる」(処刑に反対してた)高杉くんよりも、銀さんの方が大切だよね。ああ、虚がいて自分を許せなかったからか。自分を許せないけど、人と繋がっていたいから、どうしても先生が「救う人」になっちゃうんだ。
だれも自分の死に方なんて選べないし、納得して死んでいける人間なんてほとんどいないんだから、あくまで先生なりの納得の仕方をして死ねてよかったね、と思うけど、やっぱり納得いかない。先生はもっともっと幸せになれたし、なるべきだったと思う。
彼が象徴しているものを考えても、これから人類が滅亡するまでの時間、共存する方法を模索していくべきだったと思う。ていうか人類は贖罪のためにもそうするべきだったと思うんだけど。先人の罪を子孫が負うべきとは思わないけど、でもそういうの抜きにしても、きっとあの世界の人はもう少し優しくなれると思うんだけどな。
だって、銀さんを通して今まで銀魂の世界を漫画っていう形で見てきたけど、ひどい人ばっかじゃなかったじゃん。悪い人ももちろんいたけど、団結したり、競い合ったり、切磋琢磨するような人たちいたじゃん。ひとりぼっちの人を助けようとする人もたくさんいたじゃん。ていうか世界観コメディじゃん。むしろ、松陽先生だけがあんな真っ暗しかない環境にいた方が驚きだわ。
そして、先生も人類の贖罪に付き合う必要もないけど、あれだけ長い間苦しくトライアンドエラーを繰り返して、幸せになれる道の途中にいたと思うんだよなあ。永遠に続く幸せが苦痛になるって言ってたけど、もしかしたらこの幸せは永遠に続くかもなんて先生が思えたことがあったとは思えない。だから、飽きるほどの幸せを知ってから死ぬのだって遅くなかったのに。
めちゃくちゃ納得できた伊藤鴨太郎の死とは反対に、先生の死はやっぱりちょっと報われなさすぎる。本人はそう思っていないかもしれないけど、たまたまストーリーを見てしまった人間としては、めちゃくちゃしんどい。めちゃくちゃ悲しいわ。
最終巻読んでみたけど、出てきたのはこの感想でした。
銀さん目線で見れば高杉くんとの決着もついて爽快な結末なのかなあ。
でもやっぱり後味悪くないかなあ。
あと松陽先生、なんかのきっかけで復活しちゃいそうなところが怖い。ちゃんと全部の道潰したのかな。だいじょうぶかな。なんかできちゃいそうだよね。もうかわいそうだから復活させないで欲しい。
ただ、人に助けられることで人に受け入れられることを知った松陽先生だったら生きていけるかもしれない。だとしたらなぜ死んだ。
うわあああ。
銀魂で一番好きなキャラクターは、やっぱり万屋三人です。
とくに新八くんに姉上〜って駆け寄って来られたら、いい子だねえってにこにこしちゃいそう。
あとはエリート公務員と将ちゃんがかっこいいよね。