九行:月蟾蜍
巨人の腕の先についている四本の爪のひとつが射出されたのであった。
爪のように細く見えるが、じつは高性能の魚雷で、玄奘の乗る沙河王の存在を感知してすかさず攻撃してきたのだ。
爪魚雷は沙河王が隠れていた湖底の岩に当たり、粉々に爆発した。その衝撃で沙河王は後方へ吹き飛ばされた。
しかし直接の損害は受けておらず、体勢を立て直すとすぐに沙龍頭に変型して高速で逃走し始めた。
「破壊力が大きい。火薬を使っているのか?…この沙龍頭では太刀打ちできないな。」
「あのような飛び道具は、数が限られているので、ぎりぎり最後まで使うはずはないと予測していました。…しかし操縦者の警戒心がよほど強かったようです。」
「あれも韓志和殿が追っていた罪人の一人なのだな?」
「間違いなく。…そしてあの妖魔は水中用です。この湖でなく砂漠のまん中に不時着していたら、無用の長物だったのですが。」
「それでどうする?」
「敵の残弾数が分からなければ、斉天猴でも近づくのは危険です。様子を見るしかありません。」
しかし巨人のような妖魔、月河伯は、逃げ出したのが自分と同じ可変潜水艇であることを察知し、月河伯自身も変形を始めた。
月河伯の上半身ががばっともちあがり、両脚は左右に折り畳まれて、ひらべったいだ円形の潜水艇形態に変化した。
★月河伯の変形
上半身が上方に回転し、頭部が前傾する。操縦席も同期して回転する。大腿部が上方へ回転するとともに、下腿部は外側に回転し、下半身の左右に密着する。両腕は後方に垂れる。
玄奘はむろん知らなかったが、月河伯の操縦者(月河伯は二人乗りだったが、一人しか乗っていなかった)の嫦娥は、この形態を月蟾蜍と呼んでいた。
月蟾蜍は高出力のプロペラエンジンを十二基備えており、それらを高速で回転させて沙龍頭のあとを追い始めた。
★月河伯潜水艇形態、月蟾蜍
蟾蜍のような形態で水中を高速で進む。この形態で爪形魚雷を撃つことが可能。左右に六基ずつのスクリューエンジンが装備されている。
月蟾蜍の操縦者の嫦娥はあせっていた。
爆発した宇宙船からのがれて、ひとりでこの惑星へ不時着した嫦娥。着陸艇は運良く蒲昌海に落ち、月蟾蜍で脱出することができた。
しかし追っ手を恐れて、また、この惑星に棲む野蛮人をも恐れて、人のいない桜蘭故城の廃虚に隠れていた。
食糧は目の前の蒲昌海に月蟾蜍で潜り、その爪で魚を突いて得ていた。
しかし付近の住民の小舟と接触することもあり、その存在を隠しきれなくなっていた。
そんな時に遭遇したのが可変潜水艇の沙河王である。ついに監察軍の追っ手に追い詰められたのかと思い込み、嫦娥は恐慌に陥った。
そして後のことは考えず、攻撃した。
あせったためか魚雷は沙河王に当たらなかった。しかし沙河王は反撃しようとはせず逃走した。
ここで嫦娥は再び恐慌に陥った。本隊に自分を発見したことを報告しに帰ったのか、援軍を呼びに行ったのではと考えたからである。
潜水艇、月蟾蜍に変形させた嫦娥は沙龍頭のあとを追った。沙龍頭は小振りで小回りもきく高速艇だが、月蟾蜍には高出力のエンジンがついており、引き離されることなく追っていた。
しかし狙いをつけたと思って爪魚雷を撃つと、間一髪でひらりとかわされ、なかなか撃ち落とすことができなかった。
何度目かの失敗の後、ついにはずしようのない距離まで追い詰めた。操縦桿の引金を引く嫦娥。しかし何の反応も起きなかった。
月蟾蜍の爪は八本。そのすべてを撃ち尽くして、弾切れとなったのだった。
むなしく引き金をくり返し引く嫦娥。しかし予備の魚雷はない。
「どうやら撃ち尽くしたようだな。…それでどうする?」
敵の様子を察知して、玄奘は玉龍に尋ねた。
「地上へ出て迎え撃ちましょう。衝撃に備えて下さい。」
月蟾蜍を操る嫦娥は、前方を進んでいる沙龍頭が突然水面の上へ飛び出して行って見えなくなったことに気づいた。
水中に落ちてこない。あの小型潜水艇は空を飛べるのか?
「と、取り逃がしたのか?」嫦娥は拳を握りしめた。
月蟾蜍、いや月河伯は地上では動きが鈍い。空も飛べない。すぐにあとを追って水上に出るのは危険である。
そこで嫦娥は、月蟾蜍の後方にある月河伯の頭部を機体の前へ伸ばして潜望鏡とした。この頭部にはカメラなどの情報探査装置が集約されている。これを水面の上へ出し、周囲の様子を探った。
★月蟾蜍潜望鏡形態
探査装置(月河伯の頭部)を前上方伸ばして潜望鏡として水上の状況を探査できる。
岸が近い。しかし地上にも、水面にも、敵の機影はない。上空もレーダーでさぐったが、探知できる範囲には飛行物体はなかった。
もちろん水中に潜ったのなら分かるはずである。
嫦娥は腑におちなかったが、とりあえず危険は去ったと考えて、月蟾蜍を再び月河伯に変形させた。
そして月河伯の両足で湖底を踏みながら、ゆっくりと歩いて浜へ進み、徐々に水上から出て行った。
岸に上がってしばらく歩いてみたが、空にも地上にも水上にも敵影はない。
「まあ、いいわ。…爪魚雷の補給もしなくちゃならないし。」
嫦娥は操縦席上部のハッチを開けて、上半身を乗り出した。
砂漠から吹く風に青い髪がたなびく。…その姿は若い女性だった。
その時、足元から震動が伝わったきた。驚愕で嫦娥の整った顔がゆがんだ。