八行:沙龍頭
玄奘は蒲昌海の南岸に沿って西の方へ馬を進めた。
屯城の長老に聞いたように、納縛波城への途上には、新城、蒲桃城、石城鎮と呼ばれる城跡があり、納縛波の王の部下の胡人が生活していた。
住人は一応兵士なのだが、屯城と同じように交易に従事しない者は漁や農作業をして日々の糧を得ていた。
玄奘が仏門の僧と分かると彼らは敬意を払い、いくらかの施しをしてくれた。しかしこれらの出城に寺はなく、仏教の学問上からは不毛の土地であった。
玄奘はやがて彼らの王が、康国出身で、胡人の交易集団の首領だった康艶典という人物であることを知った。玄奘は一週間近くかかってようやく納縛波城に到達すると、康艶典へ面会を申し入れた。
「すると玄奘殿は、余の兵に高昌国まで送れと申されるのか?」
面会してまもなく玄奘から出された要望を聞き返す康艶典。
「私はもともと高昌国王、麹文泰殿の招きを受けて高昌国へ赴くところでした。あいにく途中で高昌国王の使者とはぐれ、迷って納縛波までやって参りました。もし私を高昌国まで送っていただければ、高昌国王が悪いようにはいたしますまい。」
玄奘の言葉に高昌国から金品をもらえることを想像して康艶典は思わず舌なめずりした。しかしはっとして頭を強く二、三回振ると、玄奘をにらみつけながら言い返した。
「玄奘殿が確かに高昌国から招きを受けるような高僧であるのなら、余が送れば高昌国王からほうびがもらえるだろう。だがあいにく余は玄奘殿がそれほどの高僧であるかどうか分からぬ。かなりお若く見えるからな。」
「私はまだ修行中の身。信用できぬと申されるなら反論はできません。」
「まあ、待て、玄奘殿。余は疑っているわけではない。…疑っているわけではないが、余を少し納得させてほしいのだ。」
「講経をしろと言われるのなら、未熟ながら仰せに従いますが…。」
「いやいや、経文の講釈を聞かされても、この城にいる誰ひとりとして理解はできん。そうではなく、魔物を退治してほしいのだ。」
「魔物?…蒲昌海に出るという水妖のことですか?」
「知っておるのなら話が早い。時々水中から巨大な化け物が出て、漁師の舟が沈められることがあるのだ。漁師で食われたという者はいないようだが、いつ水から出てくるか分からず、皆不安がっておる。」
「分かりました。明日の朝にでも蒲昌海に行きましょう。」
翌朝、玄奘は康艶典と数人の部下に連れられて、蒲昌海岸に出た。水は黄土色に濁っているが、波は静かで妖しげな雰囲気はみじんもない。
「言い忘れたが、玄奘殿、魔物は毎日出るとは限らない。魔物が出るまで何日か、あるいは何ヶ月か、逗留していただくことになる。」
「私は取経の旅に出た身。そんなに待つわけにはいきません。こちらから調べに行きますので、少し後ろに下がっていて下さい。」
そう言うと玄奘は錫杖を振り上げ、玉龍を呼んだ。とたんに青天に黒雲が渦巻き、巨大な龍が天から出現した。
四散する部下に取り残され、その場で腰を抜かす康艶典。しかし玄奘はかまわず玉龍の口中に乗り込むと、玉龍に言った。
「玉龍、水中を進めるしもべはいるか?」
「この湖の中を調べるのですね?すぐに第二のしもべ、沙龍頭を出しましょう。」
玉龍が答えると同時に、玉龍の頭が玄奘を乗せたまま首から切り離された。そしてそのまま落下し、斜めに水中に飛び込んだ。
★沙龍頭
玉龍の頭部は分離して潜水艇、沙龍頭になり、水中を高速で移動できる。武装は特にない。
「玉龍、お前の頭が第二のしもべになるのか?」驚く玄奘。
「玄奘、私の前脚が第一のしもべの斉天猴、そして頭が第二のしもべとなるのです。私は人を乗せるために作られた機械ですから、首がとれても問題はありません。」
玉龍の頭部、沙龍頭はほどなく湖底近くまで潜ると、そのまま水平に進み始めた。
最初は湖水が濁っているため前がまったく見えなかったが、まもなく前面の窓が鈍く輝くと、肉眼では見えない湖底の形状が窓の表面に浮かび上がった。
「これは?…湖の底なのか?」再び驚く玄奘。
「光を通さない濁水ですから、音の反射を利用して湖底の形状を把握し、窓に写し出しているのです。」
「なるほど。…意味は良く分からないが、目で見えるようにしてくれているということなのだな。…あの小さな影は魚か?大きい妖魔らしき影は見当たらないな。」
「いえ、玄奘。このあたりの湖底には岩がごろごろ転がっていますが、この進路上だけ岩がありません。」
「本当だ。湖底の道のようだ。」
「ここを最近何か大きな物体が通ったようです。」
「妖魔の通り道か?跡を追ってみよう。」
「それでは索敵能力をあげるために変形します。」
沙龍頭は前傾すると、水流エンジンが下方に回転して両脚となり、龍の頭の角だった突起が左右に展開して両腕となった。
変形後の人型形態、沙河王は、速度こそ低下したものの視界が広がり、より鮮明に周囲の地形をとらえることができるようになった。
★沙龍頭変形、人型形態、沙河王。
水流エンジンが下方に回転して両脚となる。龍の頭の角が、付け根のハイドロエンジンと翼ごと左右に開き、両腕となる。全体が前傾し、操縦席は後方に回転する。人型形態、沙河王は爪以外に武装はないが、水中行動能力は高い。
しばらく湖底の道に沿って進む沙河王。ところが窓に写し出されていた湖底の地形が突然消失した。
「どうした、玉龍?故障なのか?」
「静かに、玄奘。敵を察知しました。向こうも音響探査を行っています。音を出すと気づかれますので、岩かげに隠れます。」
沙河王は湖底の大きめの岩のかげに身を静かにひそめた。
「こちらには武具はないのか、あの如意棍のような?」囁き声で玄奘が尋ねた。
「ありません。見つかったら、逃げます。」
その時、玄奘の目の前の窓に輝く映像が映った。こちらから音響を発していないので周囲の地形は分からないが、音響を出している敵の姿は受信することができた。
その姿は、はっきりとは分からないが、巨人のように見える。
★水中用人型妖魔、月河伯
二人乗りで、水中行動能力は沙河王のそれをしのぐ。武装は両手にある爪形魚雷四基。
徐々に近づく敵の姿。突然敵の移動が止まったかと思うと、沙河王の方を向いて片腕をあげた。
「玄奘、気づかれました。逃げます!」
とたんに沙河王が身を隠していた大きな岩が木っ端みじんにくだけ散った。