七行:如意棍
天から降りてきた雲の渦の中から、玉龍が姿を現した。ただし前脚は分離して斉天猴となっているので、前半分は長い蛇のようである。
やがて雲間から後脚があらわれ、長い尾が続いた。
尾には翼状のものが左右に伸び、その先端に太い棍棒状の構造がついていた。
すると突然、体の右側の棍棒状の構造が切り離された。落下して加速しながら、まっすぐに斉天猴の方へ飛んでくる。
★斉天猴の武具、如意棍の射出
玉龍の尾の左右に付随する巨大な棍状の構造の片方が射出される。
推進装置も翼も何もない棍棒である。飛ぶ、と言うよりは落ちてくる状態なので、うまく受け止めなければ斉天猴が破壊される危険性もある。
「うまく受け止められるか?」
「如意棍の進路上で待機していただければ、後は斉天猴が受けます。」玉龍が答えた。
如意棍と呼ばれた棍棒状の構造は高速で落下している。もはやほとんど時間がない。
玄奘は牛魔王に背を向けて斉天猴を如意棍の方へ走らせた。
斉天猴の背を狙って双叉銛を投げる牛魔王。しかし双叉銛よりも如意棍の方が早く、斉天猴はその場で大きく回転して相対速度をあわせると、見事に如意棍をつかみ取った。
勢いでそのまま数回転する斉天猴。斉天猴とともに如意棍も回り、飛んできた双叉銛を軽くたたき落とした。
ようやく回転を止めた斉天猴。その手にあるのは、斉天猴の体と比較してあまりにも大きな棍棒、如意棍だった。
「こんなにも大きく、重いのに、扱うことができるのか?」
玄奘の心配は無用だった。斉天猴は如意棍を軽々と持ち上げ、牛魔王に向かっていった。
牛魔王は、さすがにこれだけ巨大な棍棒で打撃を受ければ無事ですむはずがないと悟り、背中から白煙を噴射して飛び立とうとした。
徐々に浮かび上がる牛魔王の機体。斉天猴の攻撃が間に合うかどうか、ギリギリのタイミングだったが、せめて脚だけでも破壊しようと、玄奘は斉天猴に如意棍を振りかぶらせた。
振りかぶった勢いで、如意棍の先端が突然伸びた。実は如意棍内部に収納されていたスプリング状の芯が飛び出たのである。如意棍の芯は先端部の重さでしなり、斉天猴が腕を振るとともに音をたてて空を切った。
★斉天猴の武具、如意棍
高速で飛んで来た棍状構造(如意棍)を斉天猴が回転しながら捕捉し、振り上げる。如意棍の先端は内部のスプリング構造の芯とともに飛び出してしなる。この状態で振り下ろすと破壊力が倍増する。
長さが伸び、しかも芯のしなりで勢いが増した如意棍の先端が、牛魔王の左翼から左脚にかけて直撃し、翼がぶっ飛び、左脚の装甲が陥没した。
バランスを失って地面に落ちる牛魔王。
再び如意棍を振り上げる斉天猴。それによって如意棍の先端が生き物のようにくねった。
「これは威力が増すだけではない!たくみに扱えば、障害物をよけて相手の後方から攻撃することもできる。…それで如意棍と言うのか。双節棍に似ているが、より巧妙な武具だ!」
牛魔王は起き上がろうとしたが、左脚が損傷を受けていてうまく起きあがれないようだった。
この世界に牛魔王のような妖魔を残していては災いとなるばかりである。玄奘は自分の使命が西天取経だけでなく、これらの妖魔の退治も加わってしまったことを自覚した。
満身の力を込めて如意棍を振りおろす斉天猴。如意棍の先端は牛魔王の腹部に深々とめり込んだ。あわてて操縦席から飛び出す斛瑟羅。腰が抜けているのか、四つん這いで賀魯の方へ進んでいく。
とたんに牛魔王は爆発した。装甲の破片が斉天猴にも降りかかるが、斉天猴には傷ひとつつかなかった。
賀魯の軍隊は牛魔王が破壊されたのを見て、一斉に撤退していった。
あたりに誰もいなくなると、玄奘は斉天猴を降りた。
斉天猴はひとりでに如意棍の先端を収納すると地面に横たえた。そして両足の爪でつかむと、両腕から白雲を吹き出して天へ戻っていった。
あたりを見回す玄奘。一里ほど離れたところに、自分が乗ってきた馬が立ち止まっている。おとなしい馬で、玄奘が近づいても逃げ出さず、玄奘は首筋をさすってやってから鞍に乗った。
高昌国の使者はどこにも見えなかった。どうやら玄奘のことは観念して遠くへ去っていったらしい。右も左も分からぬ玄奘だったが、天を仰いで太陽の位置を確かめると、おおよそ西方へ駒を進めていった。
あてもなく進む玄奘。このあたりは南蹟、法顕の時代には沙河と呼ばれた砂漠で、土石の間に白骨が散乱する荒れはてた荒野である。道に迷えば死ぬのは必至。玄奘は経を唱えながら馬を進めた。
仏の加護だけを頼りに三日ほど進み、水も食糧もなくなった頃に、玄奘は大きな湖の岸に出た。
「こんなところに湖が?もしやこれは蒲昌海か?」
蒲昌海とは「さまよえる湖」として一九〇一年にスウェーデンの探検家スウェン・ヘディンによって発見された湖ロプノールのことである。漢の時代には塩澤と呼ばれていた内陸の塩湖で、北西岸にはかつて桜蘭という王国が栄えていた。
桜蘭王国は西暦四四五年に北魏に滅ぼされたが、この時代、桜蘭故城付近に胡人が住み着き、交易を行っていた。
「高昌国への道を大きくはずれて、南西へ進んでいたのか。」
高昌国へ戻るには道が遠い。そのため玄奘は湖の岸に沿って南進し、まもなく屯城にたどりついた。古い城跡だが、数十人の胡人が住んでいた。
ここでは唐の言葉は通じなかったが、僧に対しては親切で、玄奘は山羊の乳と蕎麦餅の施しを受け、久しぶりに人心地つくことができた。
玄奘は旅の支度が整うまで、この城跡にしばらく逗留せざるを得なかった。ここは通商のひとつの拠点となっている集落でもあったが、住人は山羊や駱駝を飼い、わずかな作物を耕し、湖で漁をして暮らしていた。
玄奘ははるか昔に廃寺となった建物跡に住み着き、住人の施しを受けながら葬式の際に読経をしたりして日々を過ごしていたが、もともとが貧しい町であるため、食糧の十分な確保は難しかった。
そのうちに玄奘は新たな発見をした。彼が韓志和からもらった氣瓣は、呼吸の補助具というだけでなく、唐の言葉をここの住人の言葉に自動的に翻訳してくれる機能があることが分かったのである。
ここの住人の言葉は氣瓣自体が自然に憶えるようだった。玄奘はあまりにも摩訶不思議な機能に首をひねったが、玉龍を作った韓志和らにとっては、この程度の細工はたやすいのだろうと納得することにした。
「この町は平穏なのか?何か、妖鬼のようなものに悩まされたことはないか?」
町の人々と言葉が通じるようになったので、懇意になった町の長老に玄奘は尋ねた。
「盗賊の心配は常にありますじゃ。じゃが、それとは別に、最近、蒲昌海の中で漁師が怪物のようなものを見たと騒いだことがありましたのじゃ。」
「漁師が襲われたのか?」
長老はかぶりを振った。「害を受けたことはありませんじゃがの、この噂が納縛波の城に伝わると、納縛波王よりその件については触れ回るなという通達が参りましたのじゃ。」
「納縛波。…蒲昌海の南西岸にあるのか。そこまでどのくらいの距離がある?」
「途中、この集落のような三つの出城がありますのじゃが、それを経由して馬で一週間くらいかかりますかのう。」
玄奘は腕を組んで考え込んだ。「糧食は乏しいが、途中の城で托鉢すれば何とかなるか…。」