三行:玉門関
しばらく玉龍に乗って飛んだ後、再び玄奘は地上に降りた。玉龍はすぐに天へと昇っていった。
降りたところは玉門関の手前二、三十里(一里は四百~五百メートル)の河西回廊である。玄奘は本来は国境警備の厳しい玉門関を避け、瓜州から伊吾国へ抜けようと考えていたが、馬もなく、わずかな荷物しか持たない状況でこの地へ降り立ってしまったので、やむをえず玉門関の様子を探ることに決めた。
玉龍は今は天で氣を貯えている。もしまた孟毅将軍のような武将に出くわしたら、もはや逃げる方法はない。しかし玄奘の旅の目的、西天取経は万民の救済に通じる。もし彼が途中で挫折したとしたら、それは彼の企てが天の意に沿わないためであろう。
玄奘は天意に沿うものだと改めて確信して気を取り直すと、経を唱えながら玉門関のある北西へ向かって歩き始めた。
そこはわずかに下草の生える乾燥した荒野であった。はるか地平線まで、人家も木も見えない。しかし休みなく歩き続けていると、やがて地平線に細い線のようなものが見え始めた。
「あれが万里の長城か。」
万里の長城はもともと春秋・戦国時代に斉、韓、趙、魏、燕、楚、秦などの国が個別に匈奴や鮮卑など北方遊牧民族の侵入を阻止するために築いた長城(城壁)で、秦の始皇帝が趙・燕の長城を連結し、東は遼寧省遼陽から西は甘粛省臨洮に至る最初の万里の長城を作った。
漢の時代には西端が甘粛省玉門関まで達したが、五胡十六国時代に匈奴や鮮卑、羯が長城を越えて侵入してきたので、南北朝時代に長城は南に移され、隋の時代にほぼ現在の位置に定まった。
しかし城壁の形をしているのは都に近い地域のみで、玉門関近くの「万里の長城」は高さ一、二メートルの土手に過ぎない(これでも遊牧民族の連れる羊の群れは越えられないので、十分に侵入を阻止できる)。
玉門関自体はこの土手につながったやや高い土石造りの門で、門扉自体はこの地方では貴重な木材で作られている。周囲にはわずかな木と土や石で作られた軍隊の宿舎があるばかりで、国のさいはてと呼ぶにふさわしい閑散とした情景だった。
その玉門関が遠目にようやく確認できるようになった時に、玉門関の方から砂煙があがった。それは数騎の馬が駆けて生じた砂煙だった。
玄奘は、玉門関を守る驃騎将軍府の兵士が自分をつかまえるためにやってきたのではと思い身構えたが、近づいてきた軍馬は必死の形相の兵士を乗せたまま玄奘にかまわず駆け去っていった。
いぶかしむ玄奘。その時一騎の馬が遅れてやってくると、乗っていた兵士をふり落として玄奘のそばへ早足で駆けてきた。
玄奘はその馬の手綱をつかんでなだめると、すぐに落馬した兵士のもとへ駆け寄った。
その兵士は全身血まみれで、すでに虫の息だった。
「どうした?何があったんだ?」
兵士はかすかに目を開くと、「ば、化け物が…。」とかすかにつぶやいたが、そのまま絶命してしまった。
玄奘はその兵士をそっと寝かせると、兵士の馬に飛び乗って玉門関に向かって駆けていった。
玉門関はもうもうとたちこめた砂煙におおわれていた。
その砂煙の中から岩が破壊される音が断続的に聞こえ、その音とともに玉門関を構成する砂岩のかけらが飛び散っていた。
ただちに氣瓣を顔に装着する玄奘。そして砂煙の中を凝視していると、巨大な黒い影が動いているのが見て取れた。
砂煙でよくは見えないが、巨大な二本の角のある巨人で、顔が異様にでかい。巨大な鼻先には金属の輪のようなものがぶらさがっていた。
「牛頭羅刹か?」
★牛頭羅刹
牛頭羅刹とは仏教において地獄で罪人に苦痛を与える牛頭の鬼とされている。しかしその体は角張っていて、鬼にしろ妖怪にしろ、生き物というよりは作り物のようであった。
「…あれも作り物の妖魔か?…唐の国境にまであらわれるとは?」
その牛頭羅刹の身の丈は人の十倍はあり、とても生身で立ち向かえる相手ではなかった。しかも玉龍は十日近く氣をたくわえなければ動けず、その「しもべ」を呼ぶこともできない。
やがて岩の破壊音がやむと、異様な機械音を響かせながら牛頭羅刹は西方へ去っていった。
砂煙が晴れ玄奘が玉門関に近づくと、そこは見るも無惨な有り様になっていた。玉門関の上部が砕かれ、周囲に散らばった岩石に多くの兵士が下敷きになっていた。
逃げ延びた兵士は数人で、残りは前触れもなく襲ってきたあの牛頭羅刹の犠牲となったようだった。
玄奘は死体を一か所に集めて整然と寝かせると、経を唱えた。本来なら埋葬するところであるが、逃げ延びた兵士が仲間を集めて帰ってくるのを待つわけにはいかなかった。
兵舎からめぼしい食糧と水をかき集め、先ほどの馬に背負わせ、自分も乗馬して門扉が壊れた玉門関を通り抜けていった。
玉門関を越えるとそこは伊吾国の版図である。しかし玄奘は解せなかった。伊吾国も、それに続く高昌国も、唐には友好的、と言うよりは唐に対立しようのない小国で、先ほどの牛頭羅刹が韓志和の語った「罪人」の操る作り物の妖魔だとしても、伊吾国の意図に従って玉門関を襲うはずはない。
もちろん単独で襲う理由もない。盗賊目的ではなかったのだから。
思いを巡らせながら伊吾へ通じる砂漠、莫賀延蹟を進んでいる内に、玄奘は砂嵐に遭遇した。風はそれほど強くはないが、砂塵が周囲をおおって、上下左右の区別もつかない状態になった。
砂嵐は数日続いた。そして砂塵の中で玄奘は道に迷っていた。空には砂煙のために太陽を認めず、人馬の通行した跡は見失って久しい。
直行すれば昨日にも伊吾に着いていたはずだった。しかし道を失ったまま玉門関で入手した水と食糧も底をついた。
この状態が続くのなら、あとは玉龍だけが頼みの綱だった。玉龍に乗って高空へ上がれば、伊吾の城塞を見つけることもできるだろう。しかし、あとまだ二、三日は待たなければならなかった。
錫杖と布で簡易のテントを作り、馬とともに身を隠す玄奘。玄奘自身は氣瓣のため呼吸は楽だったが、目や鼻や口に砂を付着させていた馬は相当弱っていた。
「玉龍を呼べたとしても馬までを連れていくことはできない。」
玄奘は馬に哀れみを覚え、そっと鼻筋をなでてやった。
翌日ようやく砂嵐が弱まる気配を見せた。まだ砂塵は大量に空中を舞っているが、砂塵を透かして太陽の輝きが見えるようになってきた。
「明日になれば砂嵐はおさまりそうだ。」
その時、突然何かが太陽を遮り、玄奘と馬は暗い影におおわれた。
はっとして見上げる玄奘。すると彼等の上空を巨大な黒い影が通り過ぎるところだった。
それは巨大な蛾のような、大きな羽を広げた影だった。
「…あ、あれも妖魔か?」
まだ唐の国境を過ぎて数日しかたたない。それなのに既に二体の妖魔らしき化け物と遭遇した。どうやら韓志和から聞いた話で想像していたよりも、はるかに多数の妖魔が跋扈していそうだった。
「韓志和殿が玉龍を貸し与えてくれたのも、それを見越してのことだったのだろう。」
風と砂塵は少しずつ、しかし確実に弱くなっていた。その日はそれ以上あの空を飛ぶ巨大な影を見ることはなかったが、玄奘は危険をおかすのを避け、ここで一晩過ごして嵐がやむのを待つことにした。
翌朝ようやく砂嵐がおさまった。あたりが明るくなってみると、なんと数十里先に伊吾の城塞が見えた。
「こんな近くまで来ていたのか。…しかしあの砂嵐の中では何日かけても辿り着くことはできなかっただろう。」
玄奘は砂漠の脅威をあらためて悟りながら、弱った馬の手綱を引いて伊吾の城塞に向かって歩き始めた。