十九行:應龍変形
★仏教世界
「倶舎論」によると世界は巨大な円盤で、その中心に七重の山脈に取り囲まれた須弥山(ヒマラヤ山脈)がそびえ立つ。須弥山の東には半月形の東勝神洲(中国大陸)、南には逆三角形の南瞻部洲(インド亜大陸)、西には円形の西牛賀洲(中東)、北には四角形の北倶盧洲(シベリア大地)がある。
玄奘は唖然とした。突然、巨大な應龍睚眦が倒立を始めたからである。だがすぐに玄奘は、それが應龍睚眦の変形であることを悟った。
★應龍睚眦の変形(一)
逆立ちするように起き上がり、尾は下に垂れて体を支える。
★應龍睚眦の変形(二)
背中の装甲が開き、その中に首が収納される。翼は下方に折り畳まれる。直立すると共に尾も胴体に収納される。龍の頭部が後方に回転して、人型形態の顔が出現する。
「玉龍、やつが戦闘形態に変形するようだ!…こちらも斉天猴、いや闘龍人を出して対抗するか?」
「いえ、玄奘。相手が巨大すぎます。闘龍人でも力不足でしょう。」玉龍が答えた。
「じゃあ、どうする?…それに、嫦娥も助けなければならない。」
「嫦娥は應龍睚眦の頭の中にいます。應龍睚眦は私と異なり首を切り離すことはできません。…我々にできることは、應龍睚眦の首を切り離すと同時に胴体を破壊すること。そうすれば應龍睚眦を倒して嫦娥を取り戻せるはずです。」
既に應龍睚眦は直立し、龍形態の首と尾が胴体に収納され、黒い巨人と化していた。
★應龍睚眦巨人形態
武装は腕力、手の爪と、手足の中に格納されている荷電粒子砲。
むろん蛇身の玉龍が直接組み合うこともできず、玉龍は宙をうねりながら機をうかがっている。
「どうやって首を切り離すのだ?」
「私が氣を放ちます。玄奘は私を支えてください。」
「だが、それではお前が動けなくなる!」
「それでもやらざるをえません。嫦娥を救い、玄奘の道を切り開くために…。」
「玉龍…。」
應龍睚眦は両腕を上げた。獣のような爪が開くと、掌の中に中が空洞の筒状のものの一端がのぞいていた。
その筒状の内部がかすかに発光しはじめる…。
「あれは應龍睚眦の荷電粒子砲です!…あの穴から氣を放とうとしています。上空へ退避します。」
急上昇を始める玉龍。應龍睚眦の両腕はその跡を追い、突然先端の孔から光束が発っせられたが、その輝きは玉龍に届くはるか手前で弱まり消失した。
「どうやら應龍睚眦の氣も、地上に長らくいたために弱まっているようです。」
「そうか!じゃあこちらから氣を放てるか?」
「それは可能ですが、嫦娥の救出だけでなく、地上の人々に危害が及ばぬよう注意する必要があります。こちらもここでは氣を長く保てませんので、慎重に行動しなくては。」
はるか眼下を見下ろす玄奘。鉄門に続く隘路に翠蘭を含む西突厥軍が押し寄せているのがかすかに見て取れた。
「確かに、あの龍を破壊するほどの威力を加えれば、ほかの者にも危害が及びそうだ。」
「しかしその心配は不要かも知れません。」
「何?」
「應龍睚眦が再び変形を始めました。」
應龍睚眦は玉龍が宙に留まって攻撃をしかけず、降りてこないのを見て、再び変形を始めていた。
あの巨躯が宙に浮かび、胴体を後傾させた。そして前腕、下腿を折り畳んで内蔵する荷電粒子砲を露出させるとともに、両腕を胴体の上方にスライドさせていった。
★應龍睚眦の第二変形(一)
胴体が宙に浮かびつつ後傾する。両腕は付け根ごと前方に回転する。
★應龍睚眦の第二変形(二)
両前腕、両下腿が装甲を開いて折り畳まれ、格納されている荷電粒子砲が露出する。翼が上方に持ち上がり、両脚が胴体の上方に移動する。首が前傾して艦橋になる。
「何だ、あの形態は?」
「どうやら天を駆ける船に変形するようです。天へ昇って氣を貯えようというのでしょう。」
「それはまずいな。」
「ええ、下にいる者たちに危害が及ばないほど上昇したら攻撃をしかけましょう。」
應龍睚眦はどんどん変形しながら上昇していた。それに合わせて玉龍も高度をあげていった。
その頃、地上では翠蘭たちが天に昇っていく二匹の龍を見上げていた。
「玄奘殿が、玄奘殿が龍に乗って天に昇っていく…。」
「あの龍に玄奘殿が?」
葉護可汗も唖然として見上げていたが、はっと我にかえって全軍に指令を送った。
「玄奘殿の龍が相手をしているうちに、鉄門に突入する!続け!」
開放された鉄門へ怒濤のようになだれ込む西突厥軍。翠蘭はいまだ玄奘や嫦娥のことを心配していたが、空へ飛んでいくわけにもいかず、葉護可汗の後へついていった。
鉄門の奥は、まだしばらく両側を崖で挟まれた隘路が続いていたが、巨大な應龍が居座っていたせいか、岩石がたくさん落下しており、以前よりも荒れ果てた印象を与えた。
さらに奥には、葉護可汗の長男が治める活国の兵士らしい、多数の白骨が武具や馬具とともに散乱し、活国から繰り返し兵を出して、ことごとく應龍に虐殺させられたものと思われた。
「鎧や兜が潰れ、体が引きちぎられている…。」
時の経過した遺体を検分する葉護可汗。勇猛・残虐な突厥軍ですら愕然となる情景だった。
活国の様子も気になったが、玄奘が應龍を成敗できずに應龍が戻ってくると退路を断たれるので、葉護可汗は軍隊を鉄門の手前に戻し、活国にむけて早馬を出すことにした。
「玄奘殿だけが頼りだが、はたして本当に倒せるのか?」
「ここまで昇れば地上は大丈夫でしょう。」大きく旋回しながら玉龍が言った。
「玄奘、應龍睚眦をよく狙って引金を引いてください。」
黙ってうなずく玄奘。應龍睚眦は完全に宇宙船形態に変形していた。
★應龍睚眦宇宙船形態
両脚が付け根ごと胴体の後方に回転する。背側の胴体装甲が前方にスライドする。武装は大型荷電粒子砲四門。
玄奘が操縦桿を操作すると、それにつれて玉龍の両前脚が前方の應龍睚眦を向いた。
ところが玄奘が引金を引く前に、眼前に閃光が現れて玄奘の目をくらました。
「何だ?」
應龍睚眦の推進機関が爆発的に稼働し、強い輝きを放ったのである。應龍睚眦はそのまま急発進し、玉龍の傍らを抜けて後方へ離れていた。
衝撃波で振動する玉龍。玄奘は操縦桿をつかんで耐え抜いた。
「應龍睚眦が高速で通過しました。跡を追います!」
玉龍は再び旋回し、高速で追い始めた。かなりの急角度で上昇しつつ南進しており、前方に急峻な山岳が見えたかと思うと、すぐに後方のはるか下に過ぎ去っていた。
「今のは、凌山よりはるかに高い山々。…あれが世界の中心にそびえるという須弥山か?」
玄奘は既に唐で仏教の「倶舎論」の一部を手にしていた。その書の中では、世界は巨大な円盤であり、その中心に七重の山脈に取り囲まれた須弥山がそびえたつとされている。
まさに玄奘が今目にした、ヒマラヤ山脈の姿そのものである。
そして須弥山の東には半月形の東勝神洲、南には逆三角形の南瞻部洲、西には円形の西牛賀洲、北には四角形の北倶盧洲があるという。
玄奘の眼下にはすでに地平線、水平線が丸く広がり、まさに大地は円形を呈していることが見て取れるようになっていた。
「天竺の聖人たちの、何と真理を説かれることか!」
「玄奘、感嘆している場合ではありません!應龍睚眦に引き離されました!」
「何だと!嫦娥を連れて逃げていったのか?」
「いえ、應龍睚眦単独ではよその星までは行けません。おそらくは陽光を浴びて氣を充足させるつもりでしょう!」
玄奘はそれを聞いて太陽の方を見た。太陽は地上で見るよりもはるかに強く輝いていた。その輝きを身に受けることで、玉龍たちは氣を貯えるのだということを玄奘は悟った。
次の瞬間、玉龍が叫んだ。「玄奘、背後につかれました!氣を放ってきます。衝撃に備えてください!」




