十行:土龍車
嫦娥は韓志和らが追っていたテロ集団の首領の娘だった。彼女自身は父親の庇護の下にあったため破壊活動に加わったことはなかった。
だが、監察軍が追ってきた時の恐怖はまだ忘れられず、眠れぬ夜が続いていた。そしてとうとう追っ手に見つかったと思った嫦娥は、焦って月河伯が不得意とする地上にまで沙龍頭を追って出てきてしまったのだ。
今、地上に立つ月河伯の足下の地面から砂塵が噴き出し、月河伯を震動が襲っていた。
嫦娥はあわてて月河伯の中に入ったが、対処する間もなく、月河伯の足が下からすくいあげられた。
その瞬間、砂塵の中から回転する巨大な刃が現れる。
その刃は円形に並び、その円周に沿って高速に回転していた。その回転軸上には細いドリルがあって共に回転しており、ドリルと刃の間に隙間があって、削り取った土砂を吸い込んでいるようだった。
回転するドリルと刃はさらに地上から突出し、月河伯の足を突き上げた。
「ふんばると足が破壊される!」
嫦娥はわざと月河伯を後方に転倒させ、さらに身をひねって横に逃げた。その跡へ巨大な刃とドリルの持ち主が地中からせり出してきてその姿を現した。
★土龍車
前面に回転する粉砕牙があり、砕いた土砂は機体内を通って後方に噴出される。キャタピラは四つあり、土中ではすべてが使用されるが、地上では下側の二基のキャタピラがせり出す。操縦者が乗る登場部は後上方にある。
現れたのは先端にドリルと回転する刃、破砕牙を有する円筒形の物体だった。四隅にキャタピラがあるが、地上に現れると同時に下側の二つのキャタピラが横にせり出し、その物体の重量を支えた。
後方へは二本の腕状の物体が伸びていたが、そこにも溝のある回転輪がついていた。
前方のドリルと刃の間に吸い込まれる土砂は、円筒形の機体の中を通過し、この二本の腕の間から後方へ噴出されていた。
「こいつは地中戦車?」
嫦娥が地中戦車と呼んだ土龍車は、玉龍の第三のしもべだった。第一のしもべの斉天猴が玉龍の前脚であったのに対し、土龍車は玉龍の後脚が分離したものである。
水中で月蟾蜍に追われた玄奘は、あらかじめ玉龍から土龍車を呼び寄せておき、沙龍頭が水中から躍り上がった直後にすみやかに乗り換えたのだった。そして土龍車はすぐに地中に穴を掘ってもぐり、その時に掘り出した土砂で同時に沙龍頭を隠したのである。
「さあ玄奘、土龍車を変形させて下さい。」玉龍の声が土龍車の操縦室内に響いた。
土龍車の後方に伸ばした腕状の構造が左右に展開し、先端から噴射が起こって土龍車の機体が浮き上がり始めた。機体は前傾し、左右から接地脚がせり出してきた。
後方の操縦室が内蔵されている部分が後傾し、人型形態に変形する。
★土龍車の変形
後方に伸ばしてあった両腕が左右に展開し、掌から噴射して宙に浮く。機体が前傾し、側面から両脚が現れる。後方の登場部が後傾して人型形態になる。
★土龍車人型形態、土龍怪
「土龍車の人型形態、土龍怪は、脚の歩行能力が強くありません。すぐにかたをつけてください。」
「わかった。玉龍、馬鍬棍を送ってくれ!」
とたんに天空に黒雲が渦巻き、その渦の中から玉龍の尾についていた棍状構造が飛び出してきた。
「あれは…、如意棍か?」
「いえ、如意棍と対をなす土龍怪専用の武具、馬鍬棍です。…来ます!うまく受け取って下さい。」
高速でまっすぐに土龍怪へ向かってくる棍。土龍怪は右腕を振り上げると脚を踏ん張って待ち構えた。
直上を交差する瞬間に馬鍬棍を片手でつかむ土龍怪。その衝撃で土龍怪の体は後方へすべるが、小さめの両脚を踏ん張って持ちこたえた。
馬鍬棍を高々と持ち上げる土龍怪。すると馬鍬棍の先端が左右に開いて、中から鋭い棘がせり出してきた。
★土龍怪の武具、馬鍬棍
如意棍と同じく、玉龍の尾の左右に付随する巨大な棍状の構造のもう片方が射出され、土龍怪が捕捉する。棍状構造の先端が左右に開き、中から鋭い棘が展開する。
その頃転倒した月河伯は、行動しにくい地上でもがいていた。
致命的な打撃をさけるためにわざと月河伯を転倒させた嫦娥だったが、立ち上がるのにもたついていてはそれも徒となる。
細い腕を何とか伸ばしてようやく起き上がる月河伯。しかしその時には既に土龍怪が馬鍬棍を振りかぶって接近していた。
「あぶない!くらえっ!」
月河伯の両腕を前に伸ばす嫦娥。そして操縦桿の引金を引くが、何の反応もない。
「し、しまった!」嫦娥はあせっていて、爪魚雷を撃ち尽くしていたことを忘れていたのである。
すかさず馬鍬棍を右上から左下へ振りおろす土龍怪。馬鍬棍は月河伯の両腕をやすやすと引きちぎった。
よろめく月河伯。次の瞬間、土龍怪は馬鍬棍をひるがえして、低い軌道で左から右へ振り払った。
月河伯の両脚が破壊され、地上に落下する月河伯の胴体。完全に行動不能状態となった。
「私は仏に仕える身ですから、命は取りません。…観念して出て来るように!」玄奘が土龍怪の中から叫んだ。
しばらくは何の反応もなかった。しかしやがて、月河伯の機体のハッチが開いて、中から嫦娥が這い出てくるのが見えた。
「女だ!それも若い娘か?…あれも賊の仲間なのか?」驚いて問いただす玄奘。
「彼らが活動していた時期からすると、どう考えてもあの女性は当時は子どもだったでしょう。…彼ら罪人の子弟か、拉致してきた子どもか分かりませんが。」
「いずれにしても罪を問う相手ではなさそうだな。蒲昌海でも人に危害を加えようとしていたわけではなさそうだし…。」
玄奘は操縦室天上のハッチをあけると、錫杖を持って飛び出した。
そして錫杖を向けながら、嫦娥に向かって叫んだ。
「おい、そこの娘子!手荒なまねはしないからおとなしくしなさい!」
しかし嫦娥は玄奘が近づいてくるのに気づくと、立ち上がって腰にぶらさげていた青龍刀を抜いた。
「なんだ、お前も氣瓣を装着しているじゃないか。私の話がわかるだろう?」
それに答えず青龍刀を振りかざす嫦娥。玄奘が近づくとその刀を斬りつけてきたが、玄奘は錫杖で受けてそらすと、すかさず嫦娥の腹部に当て身を行った。
声もたてずにくずおれる嫦娥。玄奘はその身を抱きかかえると土龍怪の方へ戻って行った。
しばらくして嫦娥は、土龍車の操縦室の中で意識を取り戻した。しかし玄奘が見下ろしているのに気づき、警戒するように身を引いた。その様子を見て玄奘は優しく語りかけた。
「心配しなくてよい。お前には何もしないから安心しなさい。…私は追っ手ではないのだよ。」
しかし嫦娥は警戒して何も答えなかった。
「やれやれ…。気持ちは分からんでもないが、どうしたものか…。」
「玄奘、生身のあなたよりも、私の方が気を許しやすいのかも知れません。私にまかせてみませんか?」玉龍が口を出した。
「そうか、玉龍。…ならば頼むとするか。刀だけは取り上げておいたし、問題はないな。」
「この惑星のこと、正規の監察軍はいないこと、そしてあなたのことを話してみます。」
玄奘はほっとしてハッチを開けると操縦室の外へ出て行った。
ハッチの少し前に腰をおろす玄奘。土龍車は地上をゆっくりと走り、納縛波城へ南下しているところだった。
右手には赤い夕日が輝き、左手には蒲昌海が静かに水をたたえていた。




