8話 元隣人
次の日、いつものようにヒロコが帰宅しマンションに到着すると、マンション前の道に立ちはだかる女がいた。
それは森本だった。
ヒロコは気にしないようにして、横を通り過ぎようとする。
「ちょっと無視しないで。」
「これは、森本さん、どういった用件ですか?」
「ノゾミのことに決まってるでしょ。」
「ノゾミちゃん?」
「いいから私についてきなさい。」
森本にそう言われ、ヒロコは訝しんだがついていくことにした。
二人は居酒屋のような場所につくと、森本は店員に素早く注文を入れて、花の名前のついた日本酒を選ぶ。
ヒロコは何を言われるのかと緊張感を持って、森本を見ていた。
お酒が注がれて、二人は共に口をつける。
ヒロコがグラスを置き、顔を上げると、森本が見つめていた。
「あんたとは決着つけないといけない。」
「決着?昨日のことに関係することですか?」
「そう。ノゾミがあなたの家に住むか、私の家に住むかって話よ。」
「え!?そんな話でしたっけ?」
「そうよ。ノゾミは私の家に住むのよ!!」
ヒロコは、森本の急変に驚く。
森本の表情を見ると、まだお酒を一杯も飲んでないのに真っ赤になっていて、どうもお酒が飲めない体質のように見えた。
「森本さん、落ち着いてください。」
「落ち着いてるわよ。落ち着いてなかったら、あんたの家に入ったときに、ノゾミを抱きかかえてでも持ち帰ってたよ。」
「昨日、部屋にいらしたのは、それが目的だったんですね……。」
森本は難しい表情をして頷き、お酒に口をつけると沈黙する。
「あの、ノゾミちゃんと森本さんはどういう関係だったんですか?」
「恋人。」
「えっ?」
ノゾミが驚いた声を上げると、森本は満足そうな表情をした。
「……嘘よ。どんな関係だったんだろう。ただの隣人ではないと思いたい……。仲の良い擬似姉妹って関係だったのかしら。
私は恋人になりたいって思ってたけど。」
「えっ!?」
ノゾミはまた驚き声を上げる。
「私は、同じマンションであの娘を見たときに驚いた。あんな可愛い子がいたのかって思った。」
「 はぁ。」
「あの娘を落とすためにいろいろやったわ。」
森本は思い返すように、宙を見上げる。
「オートロックの扉の前で、ずっと待ってたり。そのあと話しかけて、部屋で一緒にご飯食べないかと誘ったり。」
何か知っているような?ヒロコは違和感を覚えた。
「ぬいぐるみもプレゼントした。ノゾミは本当に喜んでた。」
「ぬいぐるみ……。」
「部屋に呼んでハンバーグも作った。一緒に作った。」
「ハンバーグ……。」
「ノゾミのことを妹のように、いや、それ以上に大切にしていたつもりだった。」
森本は悲しそう俯く。目元には涙が見えていた。
ヒロコは、森本のノゾミに対しての真摯な気持ちが理解でき、同情する気持ちが湧いていた。
「で、可愛らしくて、可愛らしくて、気づいたら私、押し倒しちゃったの。」
「押し倒した!?」
「あのときのノゾミの表情がは忘れられない。怯えたような表情で私を見ていた。
それでおしまい。あーあ、やっちゃったなって思った。」
「やっちゃった!?」
「はぁ、あそこで最後までやってたら、私のものになってたのかなぁ。」
「最後まで!?」
ヒロコは森本の供述に驚く。
一方で森本は後悔しているようで、俯きながら、深いため息を繰り返す。
そして、顔を上げると、怪しむようにノゾミを見る。
「あんたも、あの子を待ち伏せしてたんでしょ?」
「してません。むしろ……。私が待ち伏せされてたのかもしれません。」
「はぁぁ。ノゾミから聞いたけど、本当にそうなのね……。あんた見た目だけは、モテそうだからね。」
「はぁ。」
「でもあの子から来たんだったら、あなた相当好かれてるよ。」
森本は満足したように笑みを浮かべた。
「ここまで教えてあげたんだから、今日はおごりなさい。」
「えー!私がですか?」
「当たり前でしょ。ここまで教えてあげたんだから、今日は出血大サービスよ。おめでとう。」
そう言われて、ヒロコは納得し、財布の中を確認しようとする。
すると、財布を開こうとする手を止めるように、森本が手を出す。
「ふふ、嘘よ。私が払うわ。今日は、あなたひととなりがわかって、私も安心した。」
そういうとレシートを森本は掴み、呆然とするヒロコを置いて、会計に向かっていった。
二人はお店を出ると、別れ際に森本は寂しそうな表情をして言った。
「ノゾミを任したわ。あの子は本当にいい子よ。」
「はい、わかってます。」
「あと、誤解しているかもしれないから、言うけど、私とあの子はなんともないからね。キスだってしたことないから。」
「!!」
「ふふ、それが一番知りたかったようね。じゃあね。」
そういうと森本は去っていった。
ヒロコは何か嬉しいような、幸せな気持ちで、ノゾミが待っている自身の部屋に小走りで向かった。
ヒロコが部屋に戻ると入り口に座り込んだノゾミがいた。
ヒロコが入ってくると、とジトリとノゾミはヒロコを見つめる。
「ノゾミちゃんどうしたの?」
ノゾミはヒロコの様子がおかしいことに気づき、言った。
「今日は遅かったんですね。」
ノゾミはポツリと言った。
「うん、ちょっと仕事が長引いて。」
ヒロコがそう言うと、ノゾミは立ち上がり、ヒロコに顔を近づける。
ヒロコが驚き、後ろに下がる。
ノゾミはそれに追従して前に出て、鼻を突き出しヒロコの匂いをクンクンと嗅ぐ。
そして、怒ったような表情をしてヒロコを見る。
「嘘。」
「え?」
「お酒と森本さんの匂いがする。」
そういうと、ノゾミは怒ったような雰囲気でリビングに進む。
「ごめん、言い辛くて。怒った?」
「怒ってないです。」
「怒ってるよね?」
「怒ってますよ。嘘つかれたんですから。」
「今日、本当のこと話そうと、ヒロコさんをずっと待ってたんです。
でもヒロコさんはいつになっても帰ってこないし。帰ってきたと思ったら、変な匂いするし。」
「ごめん。」
ヒロコは謝る。
「もう知らないです。私自分の部屋で寝ます。さようなら。」
「えっ!?ちょっと待って。」
ノゾミは部屋を出て、自身の部屋に戻り、鍵をガチャリと閉めた。
ヒロコはノゾミが激情を持っていることを知らず驚いた。
しかし、ヒロコはノゾミの怒った顔も美しい、と不躾にも思ってしまっていた。
ノゾミの部屋は閉ざされてしまったので、ヒロコは部屋に戻る。
部屋の中は静かだった。
そして明日の支度をして、ベッドについたが、眠れなかった。
ノノちゃんのぬいぐるみは柔らかいが暖かさはなかった。