8話 極秘任務
朝日が差す。
フレアがウェインの家に来て数日経った。毎日のように朝から行動するせいで、早朝に目が覚めるようになった。それは良い事なのだが、ときたまこうやって彼女より早く起きてしまうことがある。心地よい目覚めだ。だが、少し早い。二度寝をしよう。そう思ったウェインが再びベッドに潜り込もうとすると、手に何かが当たった。
「……はぁ?」
見れば、いつの間にかベッドにフレアがいた。思わず困惑の声が漏れる。フレアは隣の部屋で寝ていたはずだが、何故ここに居るのだろうか。
ウェインは部屋を見回した。いや、違う。ここはフレアの部屋だ。昨日フレアの部屋を訪れ、魔素供給をした後の記憶がない。つまり、寝落ちしたらしい。
ウェインは焦った。こんな瞬間を人に見られれば勘違いされるに決まっている。だが、今は幸い早朝。誰かが訪ねてくる前に彼女をもとに戻せば――。ウェインはそっとフレアを起こさないようにベッドから降りようと足を延ばし……。
「……お前」
唐突に声が掛けられる。ウェインが部屋の入口に目を向けると、そこには何故かマエリベリーが立っていた。
「待て待て早とちりするな。俺は何もしてない」
「へぇー。それでお楽しみの真っ最中で? それは悪いことしたなこの犯罪者が」
「誤解だ」
その声に反応し、フレアが起きる。それがまずかった。フレアの服装は軽装で、毛布を被っていると肩だけが見えている状態だ。見た目だけは全裸に見える。これを言い逃れるのは至難の業である。そうウェインが悩んでいると、フレアが何かに気づいたようで、にやにやしながら薪を投下した。
「あっウェインさんなら私に馬乗りになって服を脱がそうとしましたよ」
「嘘つくなお前ェ‼」
マエリベリーが一歩後ずさった。その眼には光が灯っておらず、まるでゴミか何かを見るような眼であった。――これは、間違いなく引いている。
「へー。これは逮捕だな逮捕。ギルドマスター権限で死刑だな」
「いやお前にそういう権利ねぇから‼ 冗談だろ⁉」
マエリベリーは笑いながら冗談だ、とつぶやくとウェインに背を向けた。
「ギルドに来い。緊急事態だ。安心しろ、朝飯は出してやる」
***
フレアを連れウェインは冒険者ギルドにやって来た。マエリベリーの執務室に行くと彼女は執務机から一枚の書類を取りこちらに渡してきた。
「……何の依頼だよ。休暇をくれるんじゃなかったのか?」
「緊急だと言っただろう。とりあえず見ろ」
ウェインは依頼書を検分する。セヴァンフォード近郊の森の調査。報酬金は控えめ、というより皆無だった。当たり前だ。その依頼書は、あくまで形式的なものでしかない。専属冒険者であるウェインのため発行されたものだからだ。
「先日、ルーラが森に入ったはずだ。それで解決じゃ無いのか? 俺がわざわざ呼び出される理由を教えろ」
マエリベリーは執務机からもう一枚紙を取り出しウェインに渡した。依頼書ではない。ルーラのメモだ。
「彼女が森に潜った結果、周辺の環境と生態系がぐちゃぐちゃになっていたらしい。彼女一人に任せるには危険と判断した。故にウェイン、お前に依頼する。請けてくれるな?」
マエリベリーからそう念押しされるが、元よりウェインはマエリベリーから斡旋された依頼をする専任の冒険者だ。極端に危険な依頼や、誰も請けないような不味い依頼をやるのが仕事である。断る理由はない。
「分かった。明日にでも行ってくるが……。その間フレアの世話はどうしようか。丸一日掛かるだろうし飯とか」
「そうか。なら私に任せておけ。きっちり面倒を見ておいてやろう」
やけにあっさりと世話を引き受けたマエリベリーに少し不安を感じたウェインであった。
***
セヴァンフォード西に広がる森は『秘匿の森』と呼ばれる蠢く樹や貴重な魔石、凶暴な魔獣が犇めく大陸有数の危険地帯である。しかしそれは深層の話。森の浅い箇所、表層と呼ばれる場所は比較的安全で、ギルドの新人研修に使われるくらいである。
ウェインは森の入口から中を眺める。ささやかに木漏れ日が差す森の中は一見して安全そうだ。しかし先日ルーラが調査に出ていたはずだ。彼女では対処不可能なレベルの依頼ということは、かなりの難易度であることが予想できる。意を決して森に入ろうとしたところでウェインは背後に気配を感じた。振り返るとそこにはマエリベリーに預けたはずのフレアが立っていた。
「……フレア? 何でここに居るんだ? マエリベリーのところに居るんじゃなかったのか?」
「ええと、私がマエリベリーさんにお願いして同行させてもらえるように頼んだんです」
「あのなぁ……。森の深層は危険なんだ。俺はフレアを危険な目に合わせたくない。だから街で待っていてくれ、と言ったんだが……」
マエリベリーの野郎、と続けようとしたところ、フレアがウェインの言葉を遮った。
「マエリベリーさんは悪くないですよ。私が行きたいと言い出したんです」
「それは何でだ? ここには面白いところなんて無いぞ?」
「えっと……。ウェインさんと、話したかったからです。……駄目でしたか?」
フレアは少し遠慮がちに言葉を紡いだ。懇願するフレアの様子を見て、ウェインは困惑する。フレアを送り返すのは簡単だ。だが、フレアの望みを叶えてやりたい気持ちもある。森の中は危険と聞いてはいるが、フレア一人増えたところで問題になるだろうか。
「……ったく、仕方ねぇ。ただし、絶対に俺から離れるな。それと、俺の指示には絶対従え。分かったな」
そこまで言ってウェインは歩みを再開した。そのあとを小動物のようにてくてくとフレアがついて行く。
フレアはウェインの背中を見つつ、昨日あったことを思い描いていた。
***
「……話は終わりか? なら俺は帰るぞ」
依頼書を受け取ったウェインは、そそくさと執務室から出て行った。恐らく他の面倒ごとを押し付けられないようにするためだろう。
「じゃあ私もこれで。ごちそうさまでした」
「……フレアと言ったか? 少しいいか?」
マエリベリーは出て行ったウェインに気づかれないような小さい声でフレアを呼び止める。フレアはくるりと振り返って止まった。
「はい? 何ですか?」
「あったばかりのお前に頼むには少し酷だが……ウェインを救ってはくれないか?」
「えっ……と。どういうことですか?」
フレアの表情が少し困ったようなものに変化する。
「……すまない。私個人からの願いだ。お前は知らないかも知れないが、ウェインは過去に色々あってな。自分を無価値な人間だと思っているんだ。つまるところ認めていないんだ、自分を」
フレアは過去を語った時のウェインを思い出す。世界の全てに絶望し、何もかも諦めたような悲しい表情。
「それを解消するには、誰かに認めてもらうのが一番だ。だが、奴は大切な人を多数失った経験から誰とも交流しようとしない。……お前は、ウェインがこの街に来てから三人目の友人だ」
「ならマエリベリーさんが認めてあげればいいじゃないですか」
「それは出来ない。私と奴では既に上司と部下という関係だからな。認めてはいるが、それでは奴の心は癒えない。どうか頼まれてくれないだろうか?
静かに頭を下げるマエリベリー。ギルドマスターたるものがたった一人の為に頭を下げる。これだけでウェインがどれだけ思われているのかが分かる。また、フレアも同じ気持ちだ。あの時、ウェインの絶望しきった表情を見て、お節介かもしれないが救いたくなってしまったのだ。だからこそ大切な人になると口走ってしまったのだが。
「……分かりました。やってみます」
フレアはマエリベリーの気持ちに答えるように、静かに頷いた。