7話 幻銀騎士団
ギルドの窓に陽光が入る。もう夕方時だ。執務机に座し書類仕事をしていたマエリベリーは小さく伸びをした。ルーラが居ない状況ではどうにも調子が上がらない。そもそも休憩のためにお茶を煎れるのも自分でやらなくてはならない。気だるげに立ち上がり給仕室に向かおうとしたとき、扉が叩かれた。
「何用だ?」
「……失礼します。マエリベリー様に確認して欲しい書類がありまして。お手数ですが了承お願いします」
扉が開き、ギルドの職員らしき男性が入ってくる。彼は一枚の書類を持っていた。こういう小さな決済は職員が処理をし、最終確認としてマエリベリーが印を押すことになっている。普段こういう雑務はルーラに頼んでいるが、今日は居ないので直々にやることになっている。
マエリベリーはそれを受け取り机へと向かった。その背後を突くように、男は懐から小刀を抜き、マエリベリーの背後から奇襲を仕掛けた。
「――死ね!」
ぱきん、という乾いた音が執務室に鳴り響く。小刀が弾かれ地に落ちる。マエリベリーが手刀で小刀を弾いたのだ。
「……道理でな。貴様のような職員は見たことが無い。今度は私か。忙しいもんだな、政府も」
「貴様、分かっているのか? 『幻銀騎士団』の元団長を匿うということの罪の重さを‼」
「はは。良いじゃないか。匿っても。そもそも、彼らから栄光と地位を奪い去った卑怯者はどちらだ?」
「――覚悟ッ!」
次に男は背中から剣を取り出した。マエリベリーは魔術師である。魔術師が剣の間合いまで近づかれてしまった時、大方は斬り捨てられてしまう。魔術を詠唱するよりも剣を振る方が速いからだ。つまり、今のマエリベリーは絶体絶命であるとも言える。しかしマエリベリーは薄く笑っていた。
「……貴様に一つ教えてやろう。ギルドマスターとは、そのギルドに所属する最高戦力者が就ける役職だ。仕事は多岐に渡る。ギルドだけでなく街の自治もある。だが、最も大切な仕事は――」
マエリベリーは拳を握った。机を蹴り、飛び掛かって来た暗殺者の腹部を殴り吹き飛ばす。
「――ギルドで処理しきれなかった『未解決依頼』を処分することだ」
未解決依頼。その名の通り解決されなかった依頼の事だ。その理由は様々ある。割に合わない、面倒、忘れていた。その中で最もあり得るのが『危険過ぎ』である。
壁に打ち付けられた暗殺者はすぐさま受け身を取って構えなおした。しかしその大きな隙がマエリベリーの接近を許した。
「そんな仕事を担うギルドマスターが弱いとでも?」
マエリベリーの手が剣を奪い部屋の隅へと放り投げる。空いた片手で暗殺者の首を乱暴に掴むとそのまま握り潰さんと力を籠める。暗殺者の男がもがき暴れるが、マエリベリーはびくともしない。やがて糸が切れた操り人形のように男は動かなくなった。それを同じく部屋の隅に放る。
「ふん。ウェインやルーラに任せきりとはいえ、私も鈍ったものだな」
片手を振り、魔術を起動する。男の死体は火炎に巻かれ灰すら残らず消滅した。
***
フレアに夕日が見たいとせがまれたので街一番の絶景スポットへと案内した。そこは街の西側にある高台だ。町全体が一望でき、今は夕日で燃えるように色づいている。
「わぁぁ……すごいですね!」
高台にある広場の手すりから身体を投げ出さんとばかりに乗り出したフレアが楽しそうに声を上げた。
「俺の知りうる限り最高のロケーションだな。帝都の方にはもっといい場所があるが、近場ならここが一番だ」
ここからの景色はウェインも気に入っている。雄大な景色を見れば自分自身がちっぽけな存在に見えて、その一瞬は悩みから解放されるからだ。
「ところでなんで夕日を見たいと思ったんだ?」
「――それはですね」
フレアは空を指さした。朱色に染まった空の向こうに藍色の夜が迫っている。
「この空は、どこまでも続いていますよね。きっと兄も、この空を見ていると思ったので。空を見ていれば、兄と繋がっているように思えるからです」
そうしてまたフレアは空を見上げていた。ウェインも彼女に倣って空を見上げる。別たれた仲間たちも、かつての友もこの空を見ているのだろうか。
ウェインは空を見るのを止めた。確かに彼女の言う通り感傷に浸るにはぴったりだ。だが、既にそんなものには浸り切っている。これ以上それを意識すればすぐにでも手首を切り裂いてしまうかもしれない。恐らくこれは彼女だけに許された彼女なりの儀式なのだろう。
「おや。お前らがここに居るとはな。ウェインが案内したのか? 珍しいことだ」
背後から足音が近づいてくる。振り返るとマエリベリーが立っていた。彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべていた。
「フレアが夕日を見たいと言い出したからな。お前は何しに来た? まさかお前もか?」
「違う。分かっているだろう。ここは私のお気に入りだ」
そういうとマエリベリーは欄干に寄りかかった。彼女の言うとおりである。この場所を最初に見つけたのはマエリベリーで、ウェインは彼女からこの場所を聞いたに過ぎない。
「それで、今日は何の悩みだ?」
ウェインはにやつきながら同じく欄干に寄りかかった。
「丁度いい。お前にも関係することだ。ちょっとこっちに来い」
マエリベリーはフレアから少し離れたところにあるベンチに座った。ウェインもそれに倣う。
「何だ。フレアには聞かせたくないんだな?」
「そうだ。つい先ほど私のところに暗殺者が来た。無論問題なく殺したが」
ウェインは少し眉を顰めた。
「お前の事は心配してないが……それは異常だな」
暗殺者に襲われることが日常茶飯事のウェインとは違い、マエリベリーが暗殺者の標的になることは皆無だ。ウェインを匿っており、ウェインの素性を把握している彼女が襲われたとしても文句は言えないが、今までに襲われたことは数えるほどしかなかった。
「私が言いたいのは一つだ。首謀者である例の暗殺者、クロウとか言ったか? 奴はかなり執念深く、目的を達成するためにはどんなこともし、必要ともあれば無関係の人間まで手を出す。十分注意することだな」
ウェインは先日の襲撃を思い出す。街中で堂々と魔術を放ち、通行人を消し炭にし、フレアを殺しかけた。他人を殺すことに一抹もの躊躇を持っていない人間だ。
「……あいつ、俺のことを仇だと言っていたな。覚えてねェけど、何やら俺のせいで軍を追われて暗殺者になったとか。皇帝も怨恨を活用して俺を殺そうとしているんだろうな」
「なるほど、ない訳じゃないな。軍時代のお前は何かとトラブルを巻き起こしがちだったらしいじゃないか」
「……黙ってろ」
不服そうに呟いたウェインを見て、マエリベリーはベンチから立ち上がる。
「調べることが増えたな。帝国上層部の謎、クロウの素性。私は何でも屋じゃないんだぞ」
「分かってる。お前には感謝してるよ」
ウェインはベンチに寄りかかり偉そうに言った。マエリベリーは呆れたように目を閉じ、頷いた。
「その代わり、お前は街とフレアを守れ。絶対だ」
それだけ言って、マエリベリーは街に続く道を歩いて行った。一人残されたウェインは未だ空を見上げるフレアの方に寄った。
「どうだ。満足したか?」
「……はい! 大丈夫です! 帰りましょうか」
フレアは一瞬表情に影を作ったが、すぐにそれをかき消して笑顔を作った。その人工的な動作がウェインの心をちくりと刺す。
「……やっぱり、兄に会いたいんだよな」
「えっ?」
フレアが語った夢。彼女の行動原理。その全てに兄が関係している。フレアは兄に会いたくて仕方ないのだろう。本当ならば、叶えてあげたいその願いをウェインは無理だと一蹴した。自分にはその力がない、と。
だからフレアは空を見上げたのかもしれない。叶わない願いを空に願って。諦めきれない願いを思って。
――自分とはえらい違いだ、とウェインは内心苦笑した。ウェインは願いをとうに諦めた。そんな自分とは違い彼女はまだ諦めていない。だが、このまま行けば潰されてしまうだろう。今のウェインのように。そうはなってほしくなかった。
「……なんでもねぇよ。ほら、帰るぞ」
ウェインはフレアの手を握って帰路についた。
***
「それじゃあウェインさん。先に上がってますね」
「んー。すぐ行く」
ウェインはリビングで珈琲を飲んでいた。背後からフレアが声を掛けてくるのを軽く流す。彼女はそのまま階段を上がっていった。
リビングに珈琲を飲む音だけが響く。ウェインは夕方に考えていたことを反芻していた。
「……戦う理由、か」
フレアは戦っている。物理的な話ではない。精神的な話だ。叶わない願いを思い続け、自分と戦っているのだ。その先をウェインは知っている。いつか自分ではどうしようもないことが起きて、無様にその願いを捨てなくてはならない時がやってくる。そうやって精神が摩耗してゆく。
「……俺だってなりたくてこうなった訳じゃねぇ」
かつての自分は救われない人間だった。しかし今の彼女なら救う手立てがある。ならば、ウェインはどうするべきだろうか。
「――腹、括るしかねぇな」
ウェインは珈琲を飲み干し、外に出た。宵闇に二対の紅い光が二つ浮かんでいる。聞こえる息は低く荒く、獣臭い。じゃら、と鎖がすれるような音がした。ウェインは面倒くさそうに頭を掻いた。
「こんな深夜に召喚獣を二匹も送ってくんな。フレアに気づかれたらどうするんだ?」
虚空に向かって悪態を吐く。恐らく術者はここに居ないだろう。成功させる気のない攻撃。つまり、ただの悪戯である。
ウェインは黒剣を錬成した。あまり大きな音を立てるとフレアを起こしてしまう。それは望むところではない。ウェインは剣を振りかぶると音もなく疾走した。