2話 黒曜騎士団
「それで……マエリベリー様。少し言いたいことがありまして」
陽光が差す冒険者ギルドの最上階、執務室にて項垂れるマエリベリーにルーラが声を掛けた。
「あぁ。そうだったな。今日の晩御飯は何だ?」
「……ウェイン様のことです」
マエリベリーは額に手を当てた。
「聞いていたのか?」
「申し訳ございません。聞くつもりはなかったのですが、なにぶん隣の部屋で待機していれば、それなりには」
ルーラが頭を垂れる。悪気が無いことは分かっている。マエリベリーは彼女の顔を上げさせる。
「悪いことは言わない。ウェインの素性、経歴、その他一切を探るな」
「お言葉ですが、それは命令ですか?」
ルーラはマエリベリーを品定めするかの如く睨みながら言った。主に不敬を働いたと咎められるかもしれないが、ここは譲れなかった。
「ウェイン様とは二年もの付き合いとなりますが、あのお方の素性は未だに謎ばかりです。刺客を差し向けられることもそうですが、専属冒険者としてマエリベリー様の持ってくる無茶な依頼を完遂し、あまつさえマエリベリー様の脅しにも眉一つ動かさない胆力。一体何者なのですか?」
マエリベリーは即答しなかった。ただ黙ったままルーラを見つめている。
「……それに答えることは出来ないな」
「何故ですか? 前々から思っていたのですが、マエリベリー様はウェイン様に少し入れ込み過ぎでは無いでしょうか?」
「勘違いだな。私は誰かに肩入れするような人間ではない」
「……直属の冒険者というのもなぜそうなったか知りませんし、第一彼は指名手配犯でしょう? 見逃しているのはルール違反なのでは?」
その一言でマエリベリーの表情が険しくなる。マエリベリー様は図星の時はいつもこうなる、とルーラは心の中でぼやいた。
「駄目だ。ウェインの素性は、私が勝手に語っていいものではない。もし知りたいのならば、自分で調べろ。それは止めん」
マエリベリーは黙ってルーラから視線を外した。ルーラは不満げに頷いた。
***
ウェインは活気あふれる大通りを歩いていた。声を上げ、商いを行う商人。集まる人々。これから任務に出かける冒険者たちに、まだ学校に行く歳でもない子供たちが駆け回っている。戦況とは裏腹に平和を実感させる光景だ。
だが、この平和な光景が、数か月後に残っているかと問われれば、断言することは出来ない。ウェインはその事実に溜息をついた。その時だった。
「『反逆者』ウェインとは、あなたのことですか?」
――そう、耳元で囁かれた。
周囲の喧騒よりずっと小さいのにも関わらず、通る声。ウェインは思わず固まった。背中にびりびりと電気が走るような感触、平たく言えば『殺気』を感じる。このままでは殺られる、そう分かっているのにも関わらず足が動かない。
ウェインが顔を上げると、目の前には一人の青年が立っていた。歳はウェインと同じくらい。服装は宵闇のような黒いコートを羽織っている。そんな異質な雰囲気であるのにも関わらず、周囲の人々は全く感心を示さない。まるで世界から、ウェインと青年だけが切り取られたように。
「……お前は誰だ?」
ウェインは絞りだすように呟いた。青年はつまらなそうに答える。
「陳腐な質問ですね。もう少し面白い言葉を期待した私が馬鹿みたいじゃないですか」
青年は軽やかな足どりでウェインの背後に回った。うなじに冷たい感触が伝わる。
「――あなたを暗殺しに来たんですよ」
彼はひたり、とウェインの身体をなぞる。まるで蟲が身体を這い回るような感覚がウェインを襲う。ウェインは懸命に彼の手を振り払おうとするが、腕はぴくりとも動かない。
「あぁ。動かないでくださいよ。この辺りは私の支配領域ですから、無理に動かすと精神がイカれますよ?」
青年は懐から一枚の紙を取り出し、ウェインに見せつけてきた。
「罪状は分かっていますよね? 皇帝暗殺未遂により、反逆罪で極刑に処する。ですが――」
言葉尻を濁して、青年は紙をばらばらに引き裂いた。
「どうでもいいんですよ。上の思惑は。私はただ、私から最強という座を奪ったあなた達が憎い。だから、皇帝の口車に乗って、あなたを殺しに来た」
青年は腰に吊っていた剣を抜き、ウェインの首元に当てた。
「安心してください。直に仲間もそちらに送ってあげますよ」
「――ふざけたことをぬかしてんじゃねぇぞ」
怒りに身を任せ、ウェインは両腕を振るった。虚空に亀裂が入り、空気が、世界が再構成される。動けるようになったウェインは、一足飛びで青年から離れる。
「あれ。『夢中結界』がこうも簡単に破られますか。私から最強を奪っただけありますね」
青年はけらけらと笑ったまま、手のひらを眺めていた。『夢中結界』という術が如何なるものかは分からないが、これで理不尽に拘束されることはもう無いだろう。
「分かってんなら退け。ここでやり合うのはお前にとって不都合だろ?」
ウェインは青年を説得するように呟く。多少は魔術が使えるようだが、暗殺者である以上、正面切っての戦いは苦手とするはずだ。彼も表通りで戦闘をするつもりはないだろう。
だが、次の瞬間に青年が取った行動は、ウェインの予想を大きく越えたものだった。青年はそっと左腕を振りあげた。
「……『燃え盛る――」
「――っ⁉」
ぞわりと魔力が胎動し、少年が問答無用で詠唱を開始する。魔術の発動兆候だ。
刹那、ウェインは冷静に青年が詠唱しようとしている魔術を看破した。それは絶大な威力を誇る戦略級の魔術を個人が運用できるように改変した『爆裂魔術』。術一つで周囲一帯を更地に出来る凶悪なものだ。そんなものをこんな人だかりの中で放てばどれだけの被害が出るか分からない。ウェインは被害を無くすにはどうすればいいか、必死に思考を巡らす。
「――爆炎』!」
だが当然時間が足りない。ウェインの思考も虚しく、あっという間に青年の魔術が完成。彼の手のひらに魔法陣が生まれ、通りが爆発に包まれた。
爆炎と煙が晴れ、飛び込んできた視界にあった大通りは、ところどころ地面がひしゃげ、面した建物の大半がえぐれていた。露店を営んでいた商人は文字通り『消失』し、消し炭になった人間だったものが幾つか転がっている。
だが、被害は最小限に抑えられた。ウェインが創り出した硝子のような障壁が少年を囲み、爆発の威力を軽減したからだ。
爆発の中心で佇む青年は首を傾げた。しかし、その顔には笑みが張り付いている。
「あれ、二桁はいくと思ったんですけど。やりますね」
「――お前ッ! 民間人を巻き込みやがって!」
今の一撃でウェインは感じていた。この青年の魔術の腕はかなりのもの。ここで暴れられては街や人々に被害が出てしまう。かくなる上は――。
「――全員逃げろ‼ 死ぬぞ!」
大きく息を吸いウェインは声を荒げる。ウェインの声が響き渡ったことで状況を理解したのか、大通りにいた人間全員が一斉にパニックに陥る。悲鳴や怒号が渦巻く中でウェインはぎろりと青年を睨む。
「逃がすのですか。贖罪のつもりで?」。
「ふざけるなよ。彼らは関係ないだろ? 人命を何だと思ってるんだ⁉」
「はは。あなたにはよく効くと思いまして。それ故の、ただの尊い犠牲です。きっと主も彼の魂を御傍に置いてくださる」
青年は胸の正面で十字を切った。その動作は洗練されていたが、どこか狂気を感じさせる。
「……けれども、あなたは誰も護れない。これは紛れもない事実でしょう」
「言わせておけば。人間のクズめ」
ウェインはいつの間にか持っていた剣を薙ぎ、青年を斬り捨てようと突撃する。しかし青年は軽やかに、そう攻撃がくると分かっていたのか、軽やかに躱すと距離を取って構えた。
「困りますね。近接戦は苦手なので」
「……お前何者だ? 普通の暗殺者ならあんな街中で魔術は使わないし、今の身のこなしもただ者じゃないな」
「語る必要がありますか。私は暗殺者、あなたは罪人。それでいいじゃないですか」
「……それじゃあ、困るんだよな‼」
大通りがぶっ壊れている時点で、どっかのギルドマスターに激怒される。そのためには何かしら理由が欲しい。特に『誰』に襲撃されたのかを。
一足飛びでウェインが青年へと距離を詰め、強引に剣を振るう素振りを見せた。あえて見せたそれに反応した青年の動きを予測して先に剣閃を置く。しかし青年も見事な身のこなしでその必殺の一撃を紙一重で避けた。その動きを見てウェインは彼が只者でないことを確信した。探るように尋ねる。
「もう一度聞く。お前は誰だ?」
「言う訳無いでしょう。暗殺部隊ですよ? 名乗りを上げて、武功を立てる軍人じゃないんですから」
青年は不敵に笑う。このままでは彼の正体を掴むことは出来ない。故に、カマをかけることにした。ウェインは懐からとあるナイフを取り出し、刃に刻まれた紋章を青年に見せた。青年の顔から笑みが消える。どうやら、当たりのようだ。
「これは昨日の暗殺者どもから回収しておいた一品だ。削れて判別困難ではあるが……よく見れば『鴉』の紋章が刻まれているな」
音もなく青年の姿が消える。魔術を活用して隠れたらしい。
「ところで、皇帝直属の暗殺部隊『黒曜師団』には、鴉の名を冠した部隊がある。お前が隊長というなら、さしずめ名は――」
言葉を打ち切り、ウェインは剣を虚空に向けて薙いだ。すると、何もない虚空で金属音が響き渡る。そこには剣を構え、今にも飛び掛かろうとしていた青年が居た。
「――クロウ、とか、どうだ?」
剣を斬り払い、肩越しに青年へ刺突を繰り出すウェイン。対する青年は空中で飛び上がり、魔力を纏って静止した。その顔には僅かに笑みが張り付いている。
「中々、帝国の暗部に詳しいですね。ですが、正解とは限りませんよ?」
「正解かどうかなんてどうでもいいんだ。ただ、報告するのに便利な名があればいいんだよ。さしずめ、ただの仇名さ」
青年――クロウは左手を虚空に掲げた。その指先に焔が灯る。
「『堕ちよ凶星』‼」
クロウの詠唱に合わせ彼の周囲に魔法陣が顕現、左手に充溢させていた魔力を流動させ、幾筋もの火炎の光線を魔法陣から射出した。光線は路地を埋めつくし、街もろともウェインを焼きつくそうと迫る。しかしウェインは冷静に左手を振った。
――鈴、と軽やかな音が響き、ウェインの周囲に光の粒子が顕現。それらは集い、収斂され、形を成す。
「――『模倣錬成・氷牙迅狼』!!」
光が世界を変容させ、何もない空間に突如吹雪が吹き荒れる。氷刃が火炎を削ぎ落し、火炎が結晶を溶解させる。クロウは魔力の残滓を纏いながら着地し、感心したようにウェインの方を見た。
「その独特な詠唱は『錬成術』。実物は初めて見ますけど、便利そうですね」
「へぇ、流石は皇帝直属の暗殺部隊。情報収集に余念がないな」
「当たり前です。『錬成術』。魔素を操り、見たものを模倣できる禁術。理論上、無限に強くなれる技術。そんな危険人物、放っておく訳がないでしょう?」
ウェインはあざ笑うように肩をすくめた。
「はっ。多めに見てくれよ。俺には魔術の才がねぇんだぜ?」
「だからこそ。魔術の才能が無いのにも関わらず、魔術を凌駕する力を、しかも臨機応変に振るえる。それがどれだけのことか分かっているんですか?」
「自分らが出来ないからって、得体の知れない異質な技術を全部禁呪に指定すんなよ。それに錬成術は万能だが、全能じゃねぇ。俺から見れば魔術の方が危険に見えるがなぁ」
ウェインの言葉にクロウは一瞬沈黙する。しかし次の瞬間に、少し目を細めたかのような仕草をした後、呆れたように手を振った。
「……あなたの相手は荷が重いです。ここは一つ、助っ人を喚ぶとしましょうか」
クロウが手元から黒い結晶を取りだす。それが召喚術の触媒だと気づいたウェインは疾走、クロウ目掛けて斬撃を繰り出す。しかしクロウが結晶を投げる方が速い。
「顕現せよ! 『召喚・執行者』‼」
結晶が光輝き、虚空に魔法陣を刻む。そこからクロウの身長ほどの長さの大剣を持つ腕が生え出で、ウェインの斬撃を受け止めた。腕が蠕虫のように伸縮を繰り返し、その反動を使ってどろり、と生まれ落ちるようにゆっくりと全身が大気に晒される。
二足歩行の、人間を大きくしたようなおぞましい姿の化物だ。身長は二メートルを優に超え、ぎらぎらと輝く瞳は赤く光っている。足には千切れた鎖の端がこびりついていて、体中に悍ましい拷問の痕がある。特筆すべきは得物の大剣だろう。肉厚で見るからに切れ味がよさそうな大剣だ。あれを一発でも貰ったらお陀仏だ。
「精神世界の住人をこちらに呼び寄せる『召喚術』か。というかそれ、暗殺向きじゃないだろ」
「まぁ、暗殺なんて誰も見てない所でやったとしても、目撃者全員殺しても、同じですよね? 逃げた奴ら、どうしましょうか」
人命を何とも思っていないクロウの口ぶりに、ウェインは怒りを覚えた。震える拳を固く握る。
「……『黒曜師団』には、団員の判断で無関係の人間を排除する権限があると聞いたことがある。まさかそれに乗じてこんな馬鹿げた暗殺をしてくる奴がいるとはな。どっちが罪人だ⁉」
「えぇ、私の行先は間違いなく地獄でしょうね。ですが、どうでもいいんですよ。そんな些事は。あなたさえ殺せれば、どうでも!」
怒気を纏ったクロウが腕を振る。同時に執行者の大剣がウェインへ襲い掛かった。どうやらクロウはある程度執行者の動きを操作出来るらしい。
対話を諦め、持っていた剣を執行者の振り下ろした大剣とかち合わせる。巨剣を受け止めたウェインだったが、その質量に耐えきれなかった地面に亀裂が奔り陥没。ウェインを中心としてクレーターが形成される。
その瞬間を狙いすましたように、クロウの左手が閃く。刹那のうちに紡がれた雷撃魔術が、間隙を縫ってウェインの心臓目掛けて撃ち放たれた。しかしウェインは焦ることなく呪文を唱える。
「貰うぜ。『模倣錬成・――