こんな無双、知らない
ドミナス様のおかげで、結構かかるかと思っていたことが半日で片付いてしまった。
かくなる上は、他の事もどんどん片付けていくしかない!
ということで、午前は診療、午後は各所に飛び回る日々。
うん、ほんとに飛んでるんだけど。むしろ飛ばされてるんだけど。
色んな意味で常識はずれな働き方をしている日々、プライスレス。……なのか?
とか思っていたある日の事。
「アーシャせんせ、今日の分持ってきましたえ。
……どないしはったん、人前でしたらあかん顔になってはりますえ?」
「うわっ、ナスティさん!?
わ、私、そんな顔してました?」
今日の分の薬草持ってきてくれたナスティさんの声に、慌てて顔を上げる。
いけないいけない、かなり油断しちゃってたみたいだ。……ほんとに一回ゆっくり休もうかなぁ……。
幸い、石鹸とお風呂の効果なのか、最近患者さんは減少傾向。
一日くらいしっかり休んでいてもいいのかも知れない。
とか考えていると、しばらく私を眺めていたナスティさんは、呆れた様なため息を吐いた。
「ほんに、薬師の不養生とはよう言うたもんやわ。
そないなとこまで、ディアはんに似んでもええですやろに」
「あ、あはは、面目ない……」
いやほんと、こないだゲルダさんとノーラさんに言われたばっかりなのになぁ。
頭を掻きながら、謝罪しつつ。
『そないなとこまで』? 他にも似てるところがあるのかな?
とか、思わないでもないけども。……聞いたらいけない気もするなぁ、なんとなく。
多分、素直には答えてくれないだろうし。
「あきまへんえ、そないなことやと。
患者さんも困らはりますし、うちらかて商売あがったりになりますよって」
「そ、そうですね、ごめんなさい、気を付けます。
あ、そうだ、商売と言えば……ナスティさん、松脂とか膠とか、そういうのも持ってこられます?」
平身低頭だった私が、急に思い出したように顔を上げたせいか、ナスティさんは一瞬びくっとした。
……ちょっと可愛いとか思ったのは内緒だ。
それから、ふむ、とちょっとだけ考えて。
「そらまあ、心当たりはありますけども。
何しはりますのん、松脂や膠なんて。糊屋にでも商売替えしはるん?」
ちなみに、松脂は松から採れる樹脂、膠は動物の筋などを煮て溶けだしたものを集めた、いわばゼラチンだ。
どちらも、接着剤代わりに使われることが多い。
「や、違うんですけどね。ちょっと、上手くやったら使えそうかな~ってことを今抱えてまして」
「ああ、なるほど。……せやけど、せんせ。
折角患者さんの少ない時間やいうのに、そないなことばっかり考えてはるのは、どないですのん」
「あ、や、そうなんですけどね……」
うん、今はちょうど患者さんも途切れて、もうちょっとしたらお昼、という時間帯。
このまま誰も来なかったらそのままお昼休憩、というタイミングだ。
……確かに、気を抜いてもいいタイミングではあったなぁ。
と、奥から今日のお代を持ってきたキーラも、こくこくと頷いていた。
「ほんと、ナスティさんからも言って欲しい、な……。私から言っても、全然休まないんだもの……」
「あらまあ、キーラはんが言うても? そらよっぽどやねぇ……あきまへんえ、アーシャせんせ」
「はあ、ほんと、申し訳なく。善処いたします」
ペコペコと頭を下げ続ける私。そして、そうしていながら、ふと考える。
……なんかキーラとナスティさん、いつの間にか仲良くなってない?
そりゃ確かに、お金の受け渡しをしてるわけだから、色々会話することもあるんだろうけど。
まさか、むしろ私にだけ手厳しいとか、そんなことないよね!?
うう、この工房の後釜ってだけでこの扱いだとしたら、ちょっとこう、理不尽じゃないかなぁ!?
とか思いながら、キーラが作ってくれたレモン水を一口含んだ。
結局その後、ほとんど患者さんは来なくて。
無事にお昼を迎えて、私とキーラ、ついでだからとナスティさんも一緒にお昼をエルマさんのお店で食べた。
「おやま、珍しい組み合わせだね?」
「ええ、アーシャせんせが『奢りだから食べていきなよ』とか言わはりまして」
「言ってない、絶対言ってない!! っていうか何なのその無駄にめっちゃ似てる声真似!?」
「まあまあ、明日の分、少しおまけしますさかい」
「それなら仕方ない、ね」
「キーラ!? 丸め込まれないで、お願い!」
なんて楽しい? 多分楽しい一幕がありながら、お昼を食べた。相変わらず美味しかった。
また、キーラとナスティさんの間では会話が楽し気に弾んでいたから、私の胃がキリキリすることもなかった。
っていうか、むしろ癒しだった。二人の美少女が和やかに会話してる光景は。
……ナスティさんの実年齢については考えないようにしよう。考えたことを悟られたら、私の首がやばい。
ともあれ、楽しい楽しい? ランチタイムも終わって、一息入れて。
午後からは、キーラと一緒に工場へと向かう予定だった。
「じゃあ、ナスティさん、私たちはこれで」
「あら、二人でデートでもしはりますのん?」
「でっ、いや、違いますって、また仕事ですよ」
「デート……なるほど、そういう解釈もあり……?」
「まってキーラ、ないから、いや、そんな顔しないで」
とか、わちゃくちゃした結果。
「ほな、うちも見学させてもろてもええやろか」
と、なぜかなってしまい、三人で工場に向かうことになった。
どうしてこうなった。
経緯はともかく、今度紙を作るのに必要なものがあるから、確認のために工場に着いた、のだけど。
工場を見渡しながら、ナスティさんが呟いた。
「……なんですのん、これ」
「え、石鹸工場、だけど……」
「聞いてたのとえらい違う気がするのは、うちだけやろか……?」
ナスティさんの茫然とした声なんて、かなりレアなもの聞いたなぁ。
でも、その気持ちはとてもよくわかる。
『石鹸工場』とは言っている。確かに主な生産物は石鹸だ。
だが、見た目も中身も、当初からかなり変わってしまっていた。
というか、最初から拡張性を持たせた状態でノーラさん達が設計してたらしい。
確かに、後々こういうことができたらいいな、とは私もお願いしていた。
だけどさ。
第一工場では次亜塩素酸ナトリウム水溶液を作りながら、その副生産物である水素を収集。
第二工場ではイオン交換膜法で水酸化ナトリウム水溶液を生産しながら、副生産物である水素と塩素を収集。
第三工場では、できた水酸化ナトリウム水溶液と油脂を反応させ、石鹸とグリセリンを作っている。
第四工場では、集めた水素と塩素を雷撃魔術による火花放電の高温に曝して塩化水素を生成、水に溶かして塩酸を製造する。
第五工場では、密室で炭を燃焼して酸素を使い果たさせ、ほとんど窒素と二酸化炭素だけになった気体を水酸化ナトリウム水溶液に通し二酸化炭素とで炭酸水素ナトリウム、重曹に合成、残った窒素を収集する。
第六工場では、その窒素と他の工場でできた水素を、魔術で超高温高圧状態にして反応させ、アンモニアを生成、アンモニア水の形で保存している。
うん。
だ れ が こ こ ま で や れ と 言 っ た。
もうこれ、「街の石鹸工場♪」なんて可愛らしいものじゃなくて、化学工業プラントだよね!?
確かに、こういうことができるようになるといいなぁ、とは言った。
だけどそれは、いつかできたらいいなぁ、である。
誰が一か月足らずのうちに作れと言った!?
少なくとも私は言ってない、言ってないからね!?
なんでこんなことができるんだよぅ……ドワーフと巨人族がチート過ぎるよぅ……。
まあ、一番のチートは……。
「キーラ工場長、こちらの脱水お願いします!」
「うん、任せてっ! 『伏して願う。我が願うは永久なる乾き。枯れ果て尽きよ、望むままに』」
いやっほう、久しぶりに聞いたなぁ、その物騒な呪文!
そして、相変わらずの威力……いや、威力上がってない? 気のせい??
とにかく、凄い量の脱水を繰り返していくキーラが、間違いなく一番のチートだろう。
ちなみに、このプラントの大黒柱であると認められて工場長を襲名、快刀乱麻の活躍を見せている。
基本は、汲み上げられた海水を段階的に脱水して塩化ナトリウムを生成する作業。
そこに時々運ばれてくる、乾燥されてない大量の石鹸とグリセリンを順次乾燥。
グリセリンは純粋な状態にしてから正確な割合で水と混合し、化粧水やらにしていく。
かと思えば重曹も速攻で乾燥させていたり。
魔術を使える人や魔族の人たちも脱水を手伝ってはくれているけど、適性が合わないのかキーラには遠く及ばない。
9割以上、キーラがそれら製品の脱水をこなしている。
それだけ数をこなしているせいか腕も上がっているらしく、以前は急速な脱水の影響で気泡の痕がかなり残っていた石鹸が、今やつるつるの綺麗なものになっている。
キーラ曰く。
「じわぁ……って感じで脱水すると、いけるの」
とのことである。
じわぁ……と言いながら、一瞬で終わってるようにしか見えないんだけどなぁ……。
もしかしたら、ミリ秒単位ではゆっくりやっているのかも知れない。
ちなみに、その話を聞いた食肉業者が加工した肉を持ち込んで、干し肉を作ってもらったりもしていた。
一瞬にして綺麗なビーフジャーキーやらの完成である。
……いっそ乾燥野菜とかも作ってもらおうかしらん……。
「ねえ、アーシャせんせ?」
「うん、どうしました?」
「キーラはんって……こない、とんでもない人でしたん……?」
ああ、さすがのナスティさんも衝撃を受けている。
状況を数字上では知ってた私でも衝撃だもんなぁ……。
私達が茫然としている間にも、キーラはどんどん脱水をかけていく。
ところで、今この街には公共温浴施設があちこちに整備され、5万人弱の人間と10万人弱の魔族がお風呂を利用している。石鹸での手洗いもじわじわ浸透してきた。
合計15万人弱が毎日使用する、大量の石鹸。
いや、話によると他の街でも使われ始めているらしく、下手したら何倍もだ。
それらは枯渇することなく、十分な供給がなされている。
そう、キーラが生成する膨大な塩化ナトリウムを起点として。
正直に言って、意味がわからない。
何トンか数えることすら諦めた量の海水があっという間に白い粒になり、運ばれていき、やがて大量の石鹸とグリセリンになって戻ってくる。
その光景は、どこか神話の世界のようにも見えた。
「あはははは……すごいでしょ、うちの秘密兵器……」
むしろこれ、ずっと秘密にしてないといけなかった禁断の兵器なんじゃないだろうか。
私はそんなことを思いながら、キーラの活躍を見守っていた。
「あ、アーシャ、どう? 私、頑張ってるでしょう?」
それはもう輝かんばかりの笑顔が向けられる。
この島に来た当初とは比べ物にならないほど、自信に満ち溢れていて。
私は、思わず親指を立てて見せる。
「もう、最っ高」
そう答えることしか、できなかった。




