秘めた誓い
とりあえず、すぐに使う可能性が高い鎮痛作用のある薬草と解熱作用のある薬草を棚から一掴みずつ持ってくる。
多分、これで最低限の対応はできるはずだ。最低限でしかないけども。
それから……診察室は、ないけども。薬を作る調合部屋が扉からすぐ近くにあり、かつ相当な広さがあった。
きっと、ここが診察室を兼ねていたのだろう。
よくよく見れば、私が座る椅子と、向き合うように置かれた患者さんが座るであろう椅子。
ついで、待合室を兼ねていたのか、壁際に椅子が5つばかり並んでいた。
なるほどな、と思う。
当たり前の話だが、数十人の患者さん全員に一度に目を向けることは不可能だ。
だが、こうして一人プラス五人に絞れば、多分なんとかなる。
恐らく普段はここまで混雑しなかっただろうし、もし外に並ばせる場合も外に立って待っていられない人は先に入れていたんじゃないだろうか。
そうすることで、最低限必要な優先順位付けができてたんだろう。
「これが、経験の力ってやつなのかなぁ」
とか、思わずつぶやいてしまう。
科学的な裏付けだとか、経験則の集合体としての教育だとかを受けていないであろうディアさんが、ここまで効率的な場所を作れている。
これは、本当に驚くべきことだと思うし、称賛に値する。
称賛する相手は、もうここにはいないのだけれど。
「私にできるのは、まずはこの場所を壊さないこと、か」
正直なところ、今この時点で、患者さんに対してディアさん以上のことをできる自信はない。
そして、それは当然だとも思う。
ディアさんが健在だったころにあったであろう薬草の在庫とは程遠いし、患者さんのことも全くわからない。
それでも。それでも、だ。
やれることがあるのに、やるべきことをやらない、なんてできるわけがない。
目の前の患者さんから逃げることができる人間は、医者と名乗るべきではない、と思う。
私は、薬師ではあるが。
それ以前に、医者だ。医者なのだ。
「我はここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん。
我が生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを」
ぽつり、つぶやく。
「我は我が力の限り我が任務の標準を高くせんことを努むべし」
噛み締めるように。確認するように。
ナイチンゲール誓詞。
看護師の方であれば知っているであろう言葉。
私は、この一連の言葉が好きだ。
看護師の誓詞ではあるが、医師としても心に刻むべき言葉だと思う。
そして。
「我が手に託されたる人々の幸のために身を捧げん!」
自分に言い聞かせるように、言い切る。
そうだ。私は。私の身も魂も、既に捧げたのだ。
であれば。
この程度の患者さんの数など、どうということはない!
自分に気合を入れて、扉の前で深呼吸。一つ、二つ。
ここに来た患者さんに少しでも安心してもらえるように、笑顔、笑顔。
さあ、行こう。自分にそう言い聞かせ、私は扉を開く。
「お待たせしました! すみません、まずは最初に並んでる六人の方だけお入りください!
あ、申し遅れました、私、昨日こちらに来ました、薬師のアーシャと申します!!」
色んなものを振り切るように、声を張り上げた。
うん。
やっぱり、私は私だ。
たったこれだけのことで、スイッチが入ったのがわかる。
どうやら、私は自分で思っていた以上に、根っからの医者だったらしい。
それが確認できただけで、ちょっと満たされてしまった。
いやいや、これで満たされたらだめじゃん! と自分に喝を入れたところで、背後からキーラの声がする。
「アーシャ、ごめん、遅くなったっ」
「大丈夫、問題なし! でも、これから忙しくなるよ!!」
そう応じながら、私は内心で安堵した。
キーラの顔は、不安は滲みながらも迷いはない。
きっと、役割を与えられなかったから、自分に自信を持てなかったんだ。
今こうして、明確な役割を与えられたら、それにしっかりと向き合える。
キーラは強くて素敵な女の子だ。それが、とても嬉しい。
「じゃあ、先頭の方、こちらへ!
後の五人の方は、こちらの椅子へ!
こちらのキーラが病状を伺いますので、のんびりとお答えください!」
まずは、勢いだ。それで場の空気を支配して、思う方向に向かわせるべきだ。
そう自分に言い聞かせながら、最初の患者さんを招き入れる。
後の五人の方は、慣れた感じで待合の椅子に座った。
……うん、多分ディアさんもこんな感じで切り盛りしてたんだろう。
「あ、えっと、今日はどんな感じで……あ、熱がある? 肘が痛い?」
キーラも頑張って初対面の人達から話を聞いてくれている。
だったら、私は私でしっかり頑張らないとね!
「さ、お待たせしました。早速診させていただきますね!」
わざとらしいくらいに明るく。
自分に喝を入れるため、でもあるけれど、何よりも。
「ええ、それがねぇ」
私の勢いに乗せられたのか、患者さんが少しだけ軽めに口を開いた。
悲しいかな、私は患者さんの痛みを感じることができない。
だから、患者さんから教えてもらうしかない。
だったら、患者さんがしゃべりやすい空気を作るのが、私の最初の仕事だ。
「なるほど、そうなんですね~」
明るく応じながら。明るさだけは失わないようにと心がけながら。
私は、この島で最初の診察を開始した。
「ふむふむ……えっと、ちょ~っと失礼しますね~」
そう言いながら、私は患者さんの口元に耳を寄せた。
喘鳴、ゼイゼイという音は聞こえない。気管支の異常とかではないようだ。
「すみません、ちょっとこう……背中をこっちに向けてもらえますか?」
「え、ええと……こう?」
うん、初めて言われたことなんだろう、戸惑いながらも患者さんは背中を向けてくれた。
そうだよね、こんなこと言われないよね。
さすがにディアさんも、この診察方法は発見できなかったらしい。
断りを入れて服をまくり上げて背中を露出させ、左手を添えて、ぽん、ぽんとその手の甲を叩く。
聞こえてくる音に耳を澄ませ、少しでも異常が無いかに注意する。
「こうやると、肺の中で響く音が聞こえて、中に異常がないかわかるんですよ」
「へ~、そんなことがわかるだなんて」
納得したような感心したような声にほっとしながら、打診をあちこちで行う。
聞いた限り、音に異常はない。であれば、肺炎や胸膜炎、胸水が溜まっているような状況はないと思っていいだろう。
「風邪の熱だと思います。栄養のある……えっと、温かくて具材の多いスープを食べて、早めに寝てください。
今日明日はできればお仕事も休んでゆっくりしてて欲しいかな。
あと、水はたくさん飲んでください。
どうしてもしんどい時のために、このお薬お出ししますね。
量は、一回に付き二摘まみ程で。水と一緒に飲み込んでくださいね」
患者さんにそう伝えながら、ゴリゴリと薬研という道具で薬草を粉にして、小さな入れ物に入れてあげる。
あれだ、時代劇なんかで医者がゴリゴリやってるあれを想像してもらいたい。
言うまでもなく、本来ならばパラフィン紙だとかに個包装したいのだが、この島にそんなものがあるわけもない。
であれば、密封性の高い入れ物に薬を入れて、おおよその目安を伝えるしかないじゃないか。
あ~……せめて薄い植物繊維の紙が欲しい。
などと現実逃避している暇もなく、患者さんが押し寄せてくる。
キーラがまとめてくれた問診票を基に、さらに自分でも確認して、適した薬を調合していく。
酷く慌ただしい。でも、やっぱり充実している、とも思ってしまう。
「お待たせしました、次の方どうぞ!」
私は、できる限りの笑顔と声で呼びかけた。